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日本人が品格を失い続ける2つの根本理由

プレジデントオンライン / 2019年6月17日 11時15分

数学者 藤原正彦氏

AI(人工知能)によって今ある職業の半分はAIに代替されるという。しかし、「その議論はナンセンス」だと断言するのは、数学者で『国家の品格』などの著者・藤原正彦氏だ。AI時代に人間力をどう磨くべきか。「プレジデント」(2019年7月5日号)の特集「『人間の器』の広げ方」より、記事の一部をお届けします――。

■品格を失い続ける2つの根本的理由

日本は今も品格を失い続けています。その根本的な原因は世界中を席巻したアメリカ型資本主義、いわゆるグローバリズムの浸透と活字文化の衰退です。この2つが日本人の心を荒廃させてしまったことは間違いありません。これから日本の将来を担う若者の生き方を考えるとき、この弊害をいかに克服していくかが重要といっていいでしょう。

このうち、グローバリズムとは1980年代、米国のレーガン政権が自国の国益だけを考え、半ば力ずくで推し進めた強欲な経済政策でした。ミルトン・フリードマンを筆頭とするシカゴ学派の学説を鵜呑みにしたのです。それは一言でいえば、ヒト、モノ、カネが自由に国境を越える経済です。自由で公平な競争とはいっていますが、一切の規制を取り払って極限の利潤を追い求め、競争に勝った者がすべてを奪い取るシステムなのです。したがってこれは、1割の勝者と9割の敗者を生み出します。中間層を消す経済学です。

数学には「大数の法則」という定理があります。例えば、サイコロを10回振れば、回数が少ないため奇数と偶数の出る割合は7対3などとばらつきが出ることがありますが、1億回も振ればほぼ半々に収束します。しかし、現実世界では勝つ者は勝ち続け、負ける者は負け続けるので、サイコロのように公平な社会に収束せず、ゆくゆくは1%の勝者と99%の敗者となることは必然でしょう。

それなのに、日本の歴代政権はグローバリズムを信奉し、大企業や富裕層に有利な規制緩和や構造改革を強行。90年代半ばから今日にかけて、金融ビッグバンや郵政民営化、商法改正、そして商店街をシャッター街に変えた大規模小売店舗立地法の施行などアメリカから求められるままに受け入れてきました。経済に弱肉強食の論理を持ち込んだことで、日本人の持つ優しさや思いやりといった美風が失われ、物事を金銭で評価する風潮が世の中に蔓延するようになりました。

しかし、ここにきてグローバリズムの不合理に世界が気づきはじめたようです。16年の米大統領選で自由貿易ではなく保護主義を訴えるトランプが勝利したこともそれを物語っています。また、イギリスが国民投票でEU離脱を選択したことも、EUというグローバリズムへのイギリス国民の反発が強かったことにほかなりません。ただ日本だけが世界の潮流に逆行して、いまだにグローバリズム、挙げ句の果てにこれから多くの移民を受け入れようとしているのです。経済や政治は失敗してもやり直しが利きますが、移民だけは不可逆過程でやり直しが利きません。

■人間にしかない大局観と美的感受性

一方の活字離れは、97年頃から家庭にまでインターネットが普及したことで一気に加速しました。昔は駅前の書店は黒山の人だかりができていたのに、たちまち廃業に追い込まれ、この20年間で書店の数は半分程度に減りました。電車に乗れば、若い人から中年まで誰もが手にしているのはスマホ。かつてのように新聞や雑誌、本を熱心に読んでいる人はほんのわずか……。このままでは日本人の知的レベルは取り返しがつかないほど劣化してしまいます。

現代の人たちはインターネットで断片的な情報を得ているだけです。しかも、ウェブサイトの情報は99.99%は雑多なクズ情報です。情報をきちんと選択し整理したのが知識で、これを獲得するには新聞や雑誌を読まないと無理。しかし、知識だけでも本当の力にはなりえません。それを使いこなすには、本を読んで教養のレベルまで高めなければいけません。

なぜ教養が必要かといえば、それが「大局観」を持つための唯一の手段だからです。大局観は玉石混交の情報から本物の情報を選び取る能力。これがないと的確な選択はできません。ポール・ヴァレリーというフランスの詩人が、詩作において大切なのは「アイデアを出すことと、そのなかから一番いいものを選択すること」と述べましたが、より重要なのは後者の「選択」だと付け加えています。

最近、AI(人工知能)の活用によって、今ある職業の半分はAIに代替されてしまうといった議論を耳にします。しかし、数学者の私にいわせればナンセンスそのものです。少し考えればわかることです。ウエートレスという仕事1つをとっても、ただ単にお客の注文を聞いて、それをテーブルに運んだら終わりといったものではありません。お客の動きをじっと観察して、香辛料が欲しそうならテーブルに届け、お客がテーブルや床に飲食物をこぼしたり落としたりしたらすぐに拭き、子どもづれなら小さな椅子やおもちゃ、お子様用のメニューも持っていく。AIに接客用のデータを学習させることは可能でしょう。ですが、もてなしの心、お客を「ほっ」とさせる接遇を教えることは無理です。

また、詩や俳句をAIに考えさせたら短時間に1万個を作ることは可能でしょう。しかし、1万個の中でどれが本当に素晴らしいかを判断して選択することはAIにはできません。なぜなら、ウエートレスの例にせよ創作にせよ、それには深い情緒が必要だからです。

■情緒のほとんどは機械にはない、死に由来する

情緒のほとんどは、人が一定の時間の後に朽ち果てる、すなわち「死」という宿命を認識していることに由来しています。だからこそ「もののあわれ」とか「無常観」といった人間的に上質な感受性も醸成されるのです。機械であるコンピュータは古くなった部分はいつでも取り換えられます。したがってこういう深い情緒を身につけることはできません。美的感受性についても同じです。

日本には食糧自給率の問題があります。なかには「すべての穀物や肉を輸入したほうが農業のコストもかからず経済的だ」という主張をする人たちもいます。しかし、彼らは目先の経済のことしか考えていません。

農業が放棄され、農地が荒れ果ててしまったら、新幹線から見えるのはぺんぺん草がはえた景色ばかり。旅の車窓が実に味気ないものになってしまうでしょう。日本人の類いまれな美的感受性を支えているのが、美しい自然です。日本人は鋭い美的感受性により文学、芸術、数学、物理学などで著しい世界貢献をなし、社会も進化させ、世界に誇れる一流国をつくり上げてきたのです。

拙著『国家の品格』に書いたように、西暦500年から1500年までに日本一国が産んだ文学は、その10世紀間に全ヨーロッパが産んだ文学を質および量で凌駕しています。このような文化的水準の高さが、今世紀になってからの自然科学分野でのノーベル賞で、アメリカに次ぐ大量の受賞者を産み出したのです。

■自分たちは歴史上最低の若者

私はいくつかの著作でも、歴史を学ぶことの大切さを繰り返し書いてきました。前述の食糧自給率の問題にしても、イギリスのチャーチル首相は、食料の補給船が敵に破壊されて食糧備蓄が1週間を切った40年秋が一番怖かったと戦後に語りました。歴史を学んでいれば、食料を自国で生産できないことの弱みは明らかです。農業とは経済だけの問題ではないとわかるのです。

よく若い人たちからは「何を読んでいいかわからない」という質問を受けます。そこで、お茶の水女子大学で教鞭を執っていたとき、20名ほどの学生を対象に読書ゼミを続けました(詳しくは拙書『名著講義』(文春文庫))。『代表的日本人』(内村鑑三)とか『福翁自伝』(福沢諭吉)などを読み、レポートを提出させ、それを私が添削する。そして、授業中はディスカッションを行うのです。

ゼミ生の反応は期待を上回るものでした。彼女たちは、数冊読んだだけでみるみる思考力が高まり深まり、変わっていきました。「自分たちは歴史上もっとも知識があり思慮深い若者」と思っていた学生たちの中から「自分たちは歴史上、知識も情緒も最低の若者」と考える人さえ続出しました。それには「洗脳教育をしているのではないか」と自問したほどです。もちろん、読書習慣も身につき、人間的に成長する素地を持ったことにもなります。ある学生は「書棚に並んだ青帯(哲学思想・言語)の岩波文庫は私の勲章です」と話してくれました。これこそが、まさに読書の効用といっていいでしょう。

■日本のマンガは素晴らしい

古典や名作もさることながら、日本には大衆文学という国民の誰もが手にできるジャンルがあります。私もその恩恵に浴した1人ですが、少年時代には「立川文庫」と名づけられた講談本のシリーズがありました。猿飛佐助とか霧隠才蔵、真田幸村といった架空や実在の主人公の八面六臂の活躍に血をたぎらせ、肉を躍らせることで感情を育まれました。

『国家の品格』藤原正彦 著●日本が品格を取り戻すためには日本人が持つ美的感受性が重要であると訴えた日本論の著書。2005年に出版され、翌年の新語・流行語大賞に「品格」が選ばれるなど社会現象を巻き起こした。270万部超の平成の大ベストセラー。

マンガの素晴らしさも日本ならではでしょう。私が20代末にアメリカに留学したときのことです。母に頼んで「文藝春秋」とともに「少年マガジン」も送ってもらいました。その理由は「巨人の星」や「あしたのジョー」が読みたかったからです。星飛雄馬や矢吹丈の生きざまは、間違いなく若者の気持ちをゆさぶります。しかも、これらの作品のストーリーには庶民の哀感、人情の機微、武士道の神髄もがふんだんに含まれていたのだと後に気づきました。

加えて、世界の歴史を知ることは国際情勢を判断する視座を獲得することにもなります。例えば、第2次世界大戦のはじまる39年8月23日、犬猿の仲であったドイツのヒトラーとソ連のスターリンの間で独ソ不可侵条約が結ばれました。しかし、この条約には独ソ両国に挟まれるポーランドを分割統治するという恐るべき密約がありました。ゲルマン、ロシアという民族はそうしたことを平然とできるわけです。

ひるがえって、今日の日本はどうでしょうか。万が一、アメリカと中国が同じような発想をしたとしたら、日本も安穏としてはいられません。米中は合理的な思考をする点などはよく似ているので、今の対立は近親憎悪のようなものですが、共通点が多い両国が手を結んで、かつてのドイツとソ連のように日本を食い物にする可能性はいつでもあるのではないでしょうか。それが大国の国際戦略ですから、それぐらいのことは想定し、自主防衛に力を入れないといけません。歴史から現代を見るというのはそういうことなのです。

■最後に物をいうのは人間性と教養

いくつもの伝記を紐解くと立志伝中の人物には、それぞれ立身出世して高い地位につこうとする「青雲の志」がありました。私自身、学生時代は「男児志を立てて郷関を出ず。学もし成る無くんば死すとも還らず」の決意で勉学に励みました。それは、ある意味で人生の修行を続けることでもあります。そのプロセスで人間の器が大きくなります。

欧米では盛んに真のエリートをつくる教育が行われてきました。イギリスならイートン校のようなパブリック・スクールやオックスフォード大学、ケンブリッジ大学があり、フランスには大学より格上のグランゼコールがあります。

■本物のエリート

「真のエリート」には2つの条件があります。第1に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった教養を十二分に体得していること。第2として「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。残念ながら、この本物のエリートが現在の日本からいなくなってしまいました。

とはいえ、現代は民主主義の世の中です。戦前のように一部のエリートが国家運営を決めていくのではありません。国内外ともに政治が堕落し、国会議員にも官僚にも国を託せる人物はなかなか見当たらなくなりました。どこの国でも、国民一人ひとりが未熟で、きちんとした国会議員をリーダーに選ぶ大局観を失っているのです。民主主義の下では、教養なき国民は確実に国を滅ぼすことを、近刊『国家と教養』の中で詳述しましたが、活字文化の衰退も大きく影響しています。

最後に、私の知り合いに元外交官で評論家の岡崎久彦さんがいます。彼は何人もの外国要人と折衝した経験則から「外交交渉でも最後に物をいうのは、その人の持つ人間性と教養だ」と語っていました。どの分野で力をふるうにしても専門知識などのノウハウは不可欠です。しかし、それだけでは不十分で、物事は人間としての魅力で決まっていきます。さらに、深い教養がないと相手も全幅の信頼をおいてくれないし、認めてもくれないのです。つまり、いつの時代、どんな地域においても人間の中身を高めることが決定的に重要だということです。

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藤原正彦(ふじわら・まさひこ)
1943年生まれ。数学者、理学博士、お茶の水女子大学名誉教授。東京大学理学部数学科卒、同大学院理学系研究科修士課程修了。『国家の品格』『国家と教養』(ともに新潮新書)など著書多数。

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(数学者 藤原 正彦 構成=岡村繁雄 撮影=宇佐美雅浩)

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