社会の全ての問題について堂々と語る方法
プレジデントオンライン / 2019年6月21日 9時15分
■生徒から「ジュース買うてこい」と言われた衝撃
僕は大学で社会学を教える前に、小学校、中学校、全日制高校、夜間定時制高校で教師をやっていました。なかでもそれまで生きてきた価値観をひっくり返されるような経験をしたのが夜間定時制高校での体験です。
学校では通常教師が生徒を教え、評価し、場合によっては罰します。つまり学校は教師が権力を行使するようにつくられた制度であり装置です。しかしながら、僕が赴任した夜間定時制高校では、その「常識」はまったく通用しませんでした。「おい、岩本。100円やるさかい、ジュース買うてこい」。就任初日、僕が生徒から投げつけられた言葉です。
従えば学級崩壊が待っており、逆らえば何をされるかわからない。僕はとっさに「200円やったら行くねんけどなぁ、100円では行けへんなぁ」と言ってその場を乗り切りました。それが正解だったというわけではありません。教師という権威をいったん脇において、コミュニケーションをとる意思を示したことが「評価」されたのだと思います。
この夜間定時制高校は、教師への暴力、バイクでの乱入、カンニングや器物損壊など「反学校文化」に染まっていました。僕にとってそれは強烈な異文化体験であり、生徒やその保護者たちとコミュニケーションをとるには、その文化の文法を学ぶしかありませんでした。その経験が僕の社会学へのアプローチに大きく影響していると思います。
■社会学が教育から医療まで「何でもあり」になるワケ
社会学は本当に守備範囲が広く、多種多様なジャンルがあります。教育も、宗教も、医療も、文化も、科学もすべて社会学の対象です。
社会学者のカール・マンハイムは、こうした領域別の社会学を「連子符社会学」と呼びましたが、方法論にはディシプリンがあって、社会学特有の学問のやり方があります。逆にそのディシプリンさえあれば、何でも社会学の研究対象になるということです。僕のゼミの学生の卒業論文のテーマも「化粧療法」「アニメのリメイク」「お菓子の交換」とバラエティに富んでいます。
ただ、ディシプリンどおりに論文を書けば社会がわかったことになるかというと、そんなことはありません。知識が入ったとき、自分の過去や体験がスキッと説明できること、それが社会学の醍醐味です。それは実体験だけでなく本や映画のなかで体験したことでもいい。
僕は高校時代に太宰治の『人間失格』を初めて読んだとき、ものすごく気持ち悪いと思いました。主人公の葉蔵は、人に好かれたい、褒められたい、と思う気持ちが強いあまり、絶えず演技をして生きています。そういう葉蔵の姿がお調子者だった自分の幼少期を見ているようで耐え切れず、短い小説なのに最後まで読み通せませんでした。
■なぜ同じ本を読んでも、時期によって感想が変わるのか
ところが『人間失格』を「鏡に映った自己」という社会学の概念で読み解いてみると、かなりスキッとするのです。C・H・クーリーという社会学者は、わたしたちは他者の反応や評価を通して自分のイメージを形成し、そのイメージに対して誇りや屈辱といった感情をもつものだと述べます。
葉蔵は「みんなから喜ばれている自分」という「鏡に映った自己」のイメージが壊れそうになると不安でいたたたまれなくなり、われを忘れて挽回しようとします。そうしているうちに自分というものを見失っていく。僕は幸い、大学に入ると「鏡に映った自己」の呪縛からかなり自由になり、それでこの小説も味わいながら読み通すことができました。さらにこのクーリーの「鏡に映った自己」という概念を知って、初めて読んだときの「気持ち悪さ」もスキッと解消できました。
こういう体験を僕は「知識を取り込む」という言葉で表現しています。たとえば「鏡に映った自己」という概念を取り込むには、それぞれの人の自分史のなかで、「鏡に映った自己」で説明できるエピソードを探してみるという作業が役に立ちます。
授業ではよくそういう課題を出していますが、この「取り込み方」が人それぞれで、とても面白い。まさに多様性の世界です。同じ概念を説明するのに自分とこんなにも異なる体験を持ち出してくる人がいるのかと知ることで、寛容性も培われていくのではないかと思っています。
もちろん、自分のなかでも「取り込み方」は時を経て変わっていきます。今の自分と、3年後の自分では同じ本を読んでも感じ方は同じではない。「鏡に映った自己」もどんどん変わっていくのです。
■社会学の言葉で「ありふれた光景」が変わる
自分の内面だけでなく、ふだん深く考えないでやっていることの意味も社会学の概念でスキッとわかることがあります。たとえば学校対抗の音楽コンクールがあったとします。高校野球のようなものですね。実力に応じて出場そのものが目標となることもあれば、優勝やベスト4を目指す場合もあります。
社会学者のマートンの言葉を借りれば、それらはこの音楽会の「顕在的機能」です。それとは別に、この音楽コンクールに出ることでいじめが減ったり、成績が上がったりと、意図していなかったことがおこった場合、これを音楽会の「潜在的機能」といいます。
さらに、いじめが減るといったポジティブな潜在的機能は「順機能」、逆に音楽コンクールでの勝利にこだわるあまり、音楽に関心のない子が悪者扱いされたり、負けたときに犯人探しが始まったりするというネガティブな潜在的機能は「逆機能」と言われます。
ついでに言うと、潜在的効果をうまく利用して顕在的効果にする動きもあります。だから何だ、という話ですが、「顕在的機能」「潜在的機能」といった言葉を知識として知っているだけで、ありふれた光景も見え方が変わってくるんです。
■SNSは19世紀パリの商店街に通じる
新しい概念を実際に使って何かを説明するということは、非常に能動的な行為です。いま、SNSで有名になりたい若い人がとても多いと聞きます。学生たちを見ていてもそのために面白いことを発信しなきゃというプレッシャーがとても強い。SNSで何か表現するということは、一見能動的ですが人に見てもらいたい、評価してもらいたいという動機でやっていることは、やはり一種の受動なんです。
SNSとの関連でいうと『パサージュ論』という有名な著書のある社会学者のベンヤミンの「ファンタスマゴリー」という概念が面白いかもしれません。もともとは「幻灯機」という意味です。パサージュというのは19世紀にパリにできた商店街のことですが、そこに並べられている商品は独特の輝きをまとって人々の欲望を刺激します。たとえがらくたであっても「アンティーク」としてものすごく価値があるかのように見える。そういう幻想空間をベンヤミンは「ファンタスマゴリー」と呼びました。
僕はSNSは21世紀のファンタスマゴリーだと思います。そこで脚光を浴びている人たちが人々の欲望を刺激するんです。ファンタスマゴリーに映し出された人やモノは実物より大きく輝いてみえる。有名なインスタグラマーが写真を撮って載せた商品にみんなが飛びつくのもファンタスマゴリー効果といえるのではないか。
そんなふうに考えると、SNSの見方もいままでとちょっと変わってきませんか。どんな学問にも新しい知識や概念を身に付けていく過程がありますが、社会学の場合は対象が自分も含まれている社会であるだけに、それを血肉化する機会が多いのです。
■司書が350万冊の本を全部「知っている」理由
最後に、社会学に限らず、人文系の学問をする人におすすめしたい本があります。フランスの精神分析家、ピエール・バイヤールが書いた『読んでいない本について堂々と語る方法』という本です。この本では、読書について3つの呪縛があるという話をしています。「読書しなくてはならない」「通読しなくてはならない」「本を語るためには読んでおかなくてはならない」という3つです。
この呪縛から完全に自由な人として、ムージルの『特性のない男』という小説に出てくる図書館司書の話を引き合いに出します。この司書は図書館にある350万冊の本を全部「知っている」のですが、なぜそんなことができるのかと聞かれると、「1冊も読まないから」だと答えます。それゆれに「全体の見晴らしが可能になっている」のです。ただ、彼は目録は読むんです。だから本と本の「連絡」や「接続」に通じている。
社会学というのはこの「目録」みたいなものじゃないかと僕は思います。社会でおきているすべてのことを理解することはできない。でもこの司書が自分の頭に入っている目録を頼りに、あそこの棚にこういう本があって、それをあっちの棚のこの本を結びつけたらこういうことがわかるんじゃないのか、といったことをあれこれ考えているように、社会学という目録があれば、「見晴らし」がよくなると思うのです。
社会学はいま大学などでも肩身が狭い人文・社会科学系の学問の代表のようにいわれますが、この全体を見晴らす力はどんな仕事をするにも役に立つと思います。そういう意味で、社会学は実学なんです。
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神戸学院大学現代社会学部教授
1952年兵庫県生まれ。関西学院大学卒業。同大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。30年にわたり、小学校、中学校、高校、夜間定時制高校などで教育に従事する。著書に『教育をぶっとばせ―反学校文化の輩たち』(文春新書)、『先生のホンネ』(光文社新書)、『自分を知るための社会学入門』『思考力を磨くための社会学』(ともに中央公論新社)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部教授 岩本 茂樹 構成=プレジデント書籍編集部 中嶋愛 撮影=プレジデント社書籍編集部)
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