味の素が"16時半退社"の次に目指すもの
プレジデントオンライン / 2019年6月18日 6時15分
■転職組だから感じた“小さな違和感”
「外資系から転職してきた私にとって、味の素の企業風土はとても新鮮でした。社歴が長くて愛社精神にあふれた人が多く、職場の雰囲気も暖かい。でもその反面、外部の人にはわからないような独自の用語や文化ができあがっていて、最初はなかなかついていけませんでした(笑)」
人事部の小池愛美さんは、入社当初のカルチャーショックをそう語る。同じく中途入社の五十嵐千絵さんも、横で「そうそう」とうなずいた。2人とも所属は人事部で、ダイバーシティ推進タスクフォースのメンバー。アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)研修の発案者であり、現在も企画運営に参加している。この研修を思い立ったきっかけは、生え抜きではない2人だからこそ感じた“小さな違和感”だった。
例えば、味の素には「ピカピカ」という社内用語がある。意欲も能力も高い人を指す言葉だそうで、「あの人はピカピカだ」といううわさが広まれば、将来のリーダー候補生として多くの成長機会が与えられるのだという。
■“あうんの呼吸”が多様化のハードルを上げる
だが、そうした評価は、元をたどれば誰かが受けた何となくの印象にすぎないかもしれない。もしそれが思い込みからのものだったとしたら──。「実力はあるのに、ピカピカと言われなかったがために注目されない人たちがいる。それは公平じゃないと思った」と五十嵐さん。
仕事上のコミュニケーションが、暗黙の了解やあうんの呼吸で進むことにも疑問を感じていた。社員にとっての当たり前は本当に正しいのか。そこに無意識の思い込みや偏見はないか。会社自体としても、働き方改革が一定の成果を上げたことから、次の課題を「多様性を受容する組織風土づくり」に定めていた。
「あうんの呼吸にもメリットはありますが、ともすれば個人が意見や思いを言い出しにくい雰囲気になりがち。そうした環境では多様化もなかなか進みません。ピカピカだから、女性だから、外国人だからといった視点を取り払って、相手を1人の個人として見る意識を、全社員が持ってくれたらいいなと思いました」(五十嵐さん)
■初回の受講生は経営陣! 全社展開への戦略
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研修の第1回目は2018年3月に開催。研修といえば管理職や一般社員が受けるものというイメージがあるが、彼女たちがとった戦略は大胆だった。初回はいきなり経営層に受講してもらったのだ。ゆくゆくはこの研修を全社に展開することを狙ってのことだった。社歴の長い男性がほとんどを占める受講者に対し、講師はアンコンシャスバイアスの第一人者として知られる女性、パク・スックチャ氏。この人選も功を奏し、研修は大成功を収めた。
「ドキドキしていましたが、役員の皆さんが活発に議論してくださって、大いに盛り上がりました。経営層は普段から公平・公正な判断への意識が高い方たちですが、パク先生が男女別の昇進度の違いなど、海外のデータを基に論理的に解説すると、無意識のバイアスが根強く存在することに驚きの声が上がっていました」(五十嵐さん)
手応えがあったことから、2回目は人事関連部署のメンバーを対象に実施。人事権を持つ人たちこそ、思い込みを排したジャッジが必要と考えたためだ。研修は第1回目と同様、パク氏の講演や受講者同士のフリーディスカッションで構成され、アンコンシャスバイアスへの気づきを促す内容だった。
■採用担当者は客観的データに大ショック
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受講した経営企画部の田中菜穂さんは、自分の無意識の行動を注意されるのかと身構えていたそう。だが、パク氏の「偏見は誰もが持っているもので、それ自体はいけないことではない」という言葉に、研修を素直に受け入れる気持ちになれたという。
「講演やディスカッションを通して、人によって偏見の程度が違うこともわかりました。身構える姿勢が解けたおかげか、私自身も素直な意見を言えてさまざまな気づきを得ました。皆が最大限の力を発揮するためには、意見を言いやすい環境が大事ですね。バイアスへの気づきを得ると同時に、多様な意見が受け入れられる風土づくりにも取り組まなくてはと思いました」
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一方、人事部の岡本武さんは、能力は同じでも採用される割合には男女差があるという客観的データを見せられて、衝撃を受けたという。長年採用を担当してきて、応募者に対する判断力にはある程度自信を持っていた。それが、思い込みだった可能性もゼロではないと気づいてショックだったのだそう。
「以来、直感的にこの人は合わないなと思っても、別の視点で見直すことを心がけるようになりました。履歴書も、名前や性別を隠して見るようにしていますね。ただ、自分なりの経験則も有効だと思っているので、それとバイアスとの区別が難しい。これからの自分の課題だと考えています」
■4000人を対象に研修が始動
アンコンシャスバイアスは、無意識なだけに自分自身では気づきにくい。同質の人が集まる、多様性のない集団でも同じことが言えるだろう。だからこそ、客観的な視点を得られるこの研修は重要な意義を持つ。味の素の風土改革も、全社員が偏見という存在に気づけば、一気に加速するのではないだろうか。
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今年度の下期からは、いよいよ全社員への研修が始まる。だが、対象となる社員数はおよそ4000人。これだけの大人数を相手に、どう研修を行っていくのだろうか。この点についても、2人はすでに手を打っていた。
研修には、独自に製作したパク氏監修のeラーニングを活用。受講後に皆でディスカッションする時間もとるそうで、構成は経営層や人事部メンバーが受けたものとほぼ同じだ。第1回目の実施から約1年半、これほどスピーディーに全社展開を実現するには、事前によほどしっかり戦略を練っていたに違いない。2人は今も、思い描くゴールに向けて着々と歩みを進めている。
■社員とともに成長する企業へ
「製造現場なら雇用形態、営業部門なら世代など、バイアスに関する課題は部署によって違います。それらに柔軟に対応できるよう、タスクフォースにはさまざまな部署のメンバーに参加してもらっています。私は思ったことを口に出してしまうタイプなので、『それは私の当たり前とは違う』と言えますが、そうじゃない人もたくさんいるはず。そうした言いにくさを取り払って、誰もが安心して意見を出し合える会社にしていきたいですね」(小池さん)
「昇格でも転勤でも、職位や性別といった属性で判断するのではなく、本人の思いを聞いて判断する風土にしたいと考えています。まずは本人とコミュニケーションをとって、どう思っているのか、どう生きていきたいのかを聞いてほしい。そうした行動は社員一人ひとりの能力発揮や成長につながり、やがて会社の成長にもつながっていくと思います」(五十嵐さん)
味の素の取り組みからは、社員の人間的成長を重視する姿勢がうかがえる。社員が成長することで会社が成長し、会社の成長がまた社員の成長に還元される。この好循環が実現すれば、働くことはもっと楽しくなっていくに違いない。味の素の今後の取り組みにも注目したい。
(辻村 洋子)
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