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シェア事業が人々から嫌われはじめたワケ

プレジデントオンライン / 2019年6月19日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/ycshooter)

シェアリングエコノミーなどに代表される「安く、お得に」という経済概念の広がりは、雇用や他者とのつながりを壊しつつある。社会学者の鈴木謙介氏は「こうした経済概念への反発が世界中で起きている。長い人生を幸せに生きるには、他人同士で分かち合い、しかし排他的ではない『立ち飲みレベル』の付き合いが必要だ」と指摘する――。

※本稿は、鈴木謙介『未来を生きるスキル』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■お金がないと何もできない「商品化」の時代

日本の長年の課題となっている高齢化や人口減少問題は、地域によってかなり状況が違うことがデータで明らかになっています。都市部ではこれからどんどん高齢者人口が増加して超高齢社会になり、逆に地方では、高齢者すら減少し全体として過疎化していくことが予想されています。

僕たちが生きる地域社会は、なぜこのような課題を抱えてしまったのでしょうか。端的に言うと、それは戦後の日本社会が基本的にすべての生活の手段を「商品化」してきたことに関係していると見ることができます。商品化とは、要はお金を出せばなんでも買えるようになること。逆に言えば、お金がないとなにもできない社会になったということです。

よく地方の若者が都市部に出て行くのは「仕事がないから」と言われますが、仕事の問題だけではありません。生活のための手段の多くが商品化されており、商品経済に依存しなければ生きていくことができない社会になっている以上、仕事があり、お金が入ってきて、そのお金で便利に生活できる都市部に人が集まるのは当然の現象なのです。

■商品では解決できない問題に備える必要がある

しかし、こうした都市部が「便利」なのは、ずっと商品経済に依存できるだけの所得があり、かつ、お金ですべての問題を解決できる場合のことです。でも、いま多くの人はどこかのタイミングでお互いを支え合うシステムに移らなければ、そもそも生きるのが難しい状況に追い込まれる可能性が高まっています。

そこで、人生が長くなることや、お金で解決できない問題が増えてくることを念頭に置くと、すべてを商品経済に頼らない「脱商品化」されたコミュニティや人間関係のつながりを確保しておく必要が出てきます。商品経済に依存して生きていると、収入がなくなった瞬間にその人は「お荷物」になる。結果、嫌な顔をされながら介護されたり、施設に放り込まれたりするかもしれない。

一生涯を資本主義の商品経済だけに依存する前提で人生設計をするのは、あまりにもリスクが高い選択肢だと言わざるを得ません。

■人気のシェアリングエコノミーに起きている変化

僕は、こうした近年のグローバル化する社会が推進してきた「損をするものを切り捨てていく」動きが、世界的に見ると反転しはじめていると考えています。

たとえば、いま「シェアリングエコノミー」に対する規制が、世界各地で登場しています。シェアリングエコノミーとは、「移動したい」「宿泊したい」といった多様なニーズを、ICTで効率的にマッチングするサービスのこと。ウーバーやAirbnb(エアビーアンドビー)などのサービスを知っている人も多いと思います。

ライドシェアのサービスでは、まったく知らない人の車がやってきて、そこになにも言わずに乗り込み、スマホに表示された地図通りに運転してもらい、ひとことも話さずに降りていくことが可能です。

これを怖いと思うか、合理的に運んでくれて便利だと思うか。とりあえず目的地まで運んでくれたけれど、タクシー運転手でもないその人がなぜ運んでくれたのかはよく分からない。こうして、人間関係やコミュニケーションが、商品化された関係へと入れ替わっていきます。

なぜ、こうしたサービスが人気なのか。大きな理由は価格ですが、タクシーの運転手から話を振られるのが「面倒だから」ということもあると思います。他人との面倒な関係を介さずに、合理的に運んでくれるほうが便利とする思想のうえに、シェアリングエコノミーはできあがっています。

■相次ぐ規制の背景にある“地域へのなじまなさ”

しかし現在、個人間の面倒な「顔が見える」やりとりに代わり、大規模資本による「顔が見えない」荒稼ぎが横行したことで、モラルや情緒面での問題が発生して転換期に差しかかっています。(※)人間関係やコミュニティの関係性を、経済合理性にもとづいて置き換えていくことに対する反発が世界各地で起きているのです。

※鈴木謙介「シェアリングエコノミーがもたらす不安『NIRA研究報告書2018.3 近代の成熟と新文明の出現 人類文明と人工知能Ⅱ』」

たとえば、バルセロナでは、Airbnb対策を念頭に新築マンション規制がはじまっています。これは、マンションを建てるとオーナーがAirbnb用に購入し、その結果観光客が入ってきて地元住民が住めなくなったり、地価が高騰して地元の人が出て行かざるを得なくなったりしたからです。もちろん、観光客は流動的な存在なので、お金を一時的に落としていくだけで、土地に定着することはありません。

現在は、パリでもAirbnb規制がはじまり、ロンドンやニューヨークではウーバーの規制がはじまっています。後者はタクシー運転手の雇用を守るのがひとつの根拠ですが、ICTサービスによってお金を払える人に有利になる形で、人や資源を入れ替えていくのが経済的に合理的だとする発想は、その場所にもともとあった社会関係や人間関係に馴染まないことが意識されはじめたのも、背景にありそうです。

■「より安く、得するほう」に流れると不安が増す心理

経済合理性だけであらゆるものを「得するほう」へと置き換えていくと、関係を持続するよりも、「より安いほう」「お得なほう」に次々と乗り換えていくことが求められます。いわゆる「馴染みの街」や「顔見知りの店員」といった関係性は、お金の観点からすると不合理な面のある存在ですが、だからといってそれらを得するほうに乗り換えられるようにすると、かえって不安が増してしまうのです。

これまでは、すべてを商品化していくと言いながらも、起きていたことは生活の安定性をなんとか保ったうえでの商品化でした。しかし、いまの社会が直面しているのは、生活圏すらも流動化するような究極の商品化です。お得なほうに乗り換えていくのが便利で合理的だとなると、服や家具なんか買わずに全部レンタルすればいい。そもそもモノなんて持たないほうがいいし、すぐ移動できるようにしておいたほうがいい。

すると、次は人間関係もすぐ切れるようにしておいたほうが面倒でなくていい。ひとりでサヴァイヴしていける。そんな発想に変わっていきます。

それでは人間はお互いに幸せにやっていけないだろう、という心理的な反発が、いま世界中で起きているのです。

■“おすそ分け”の精神とは違う、排他的な意識を生む

僕自身は、シェアリングサービス自体は、便利に使えるなら使えばいいと思っています。そもそも本来のシェアリングサービスは、大規模資本がマンションを買い占めて安値で貸し出すようなものではなく、空いている部屋を観光客のために貸すような「デジタル民宿」のイメージで使えるはずでした。

まさに、余ったお醤油を隣人にわけてあげるようなサービスを可能にするのが、シェアリングエコノミー本来の意義だったのです。現状のひずみを修正すれば、もっと多くの人が使えるサービスになると感じています。

ただ、現実には、シェアリングエコノミーの広がりは雇用や人と人との関係を壊してしまうと多くの人に受け止められ、反発を受けています。このような動きは、良く言えば「人間関係を取り戻す」と見ることができますが、悪く見れば排他的になることでもあります。いま世界中で反グローバリズムが勢いを増していますが、こうした傾向は「よそ者が来るのは嫌だ」という排他的な意識も高めるため、諸刃の剣だと見ることができます。

■金持ちイギリス人、貧乏イギリス人に見る分断

近年のポピュリズムの高まりなどの現象を、イギリスのジャーナリスト、デービッド・グッドハートが、著書『The Road to Somewhere』で端的に分析しています。世論調査の分析からあきらかにしたのは、イギリス人のメンタリティのなかで、「Anywhere」な人びとと「Somewhere」な人びとの分断が生じつつあるということです。

Anywhereな人びとというのは、多様性に寛容で、どこにでも適応することができ、学歴も流動性も高い人たち。典型例としては、外資系コンサルの社員とか世界中を渡り歩くグーグルのプログラマーのような人でしょうか。高度な知識やスキルを武器に、自分をいちばん高く買ってくれる環境へホッピングするタイプのグローバルエリートです。

一方、Somewhereな人びとは、慣れ親しんだ環境を愛し、多様性に不寛容で、学歴や流動性が低い人たち。たとえば、地域の自営業の店主を想像してもらうと分かりやすいかもしれません。

イギリスの話なので、念頭にあるのはブレグジット(EUからの離脱)です。EUには様々なコンセプトがありますが、そのひとつが、単一市場でヒト・モノ・カネの流動性を高めて、「ヨーロッパはどこでも同じ」であるとする基準で動くということです。

こうした動きは、Anywhereな考え方と非常に相性が良いものです。生活基盤を資本主義に依存することは、生活環境を次々とお得なほうへ乗り換えていくAnywhereな生き方を志向するということなのです。

■隣人との協調を生む「ソーシャル・キャピタル」とは

しかし、そうした生き方や考え方に対して不安を覚え、EUの理想に反発する人びとにとっては、安定したSomewhereな生活基盤が、ある種の憧れの対象となります。そのようなSomewhereな人びとの不安や反発をずっと見過ごしていたのではないかと、グッドハートは見ているのでしょう。

これはとても難しい問題です。なぜなら、AnywhereにはAnywhereの理想があり、SomewhereにはSomewhereの理想があるからです。生活基盤をどんどん入れ替えることでより安く、速く、便利になるけれども、人との関係性が脆弱になっていく面がある。

逆に、Somewhereな場所や関係性ばかりを重視すると、排他的になり外部のものを受け入れない態度にもなりかねません。まさに諸刃の剣であり、評価が難しい問題なのです。

このSomewhereな関係性について、社会科学にはすでに近い概念があります。それが「ソーシャル・キャピタル」です。

ソーシャル・キャピタルにはいくつかの研究潮流がありますが、いま世界的にもっとも注目されているのが、アメリカの政治学者ロバート・パットナムによる次の定義です。

人びとの協調行動を活発にすることで社会の効率性を高めることができる、「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会組織の特性

少し難しいですが、たとえて言えば、個々の選手の能力は高いのに相互の信頼関係が壊れているチームよりも、個々の能力が共有されみんなで目標に向かえる信頼関係のあるチームのほうがいい結果を残せるということ。このとき、チームのなかに生まれている関係が「ソーシャル・キャピタル」であり、パットナムはこうした信頼関係がアメリカの地域社会から失われつつあることを指摘したのです。

■入れ替えがゆるい「立ち飲みレベル」の関係がいい

ソーシャル・キャピタルは、排他的であったり、他者に参加を強制したりするつながりにもなるので注意が必要です。しかし、現在のような入れ替え可能性が高い時代には、ソーシャル・キャピタルのポジティブな面についても着目すべきだと僕は考えています。

「便利過ぎてなんか怖いわ」
「なんでも技術やお金で解決できるわけがないだろう」
「残すべきものまで失われてしまっただろう」

テクノロジーの進化を無条件に肯定し、つねに経済合理性だけでものを考えるあり方が勢いを増す社会のなかで、このように感じる人には、ソーシャル・キャピタルがある状態を理想とする感覚があるととらえれば良いと思うのです。

鈴木謙介『未来を生きるスキル』(KADOKAWA)

先に、「馴染みの街」や「顔見知りの店員」といった関係性は、お金の観点からすると不合理なものだと述べました。でも、街を歩いているときにいつの間にか個人店がほとんどなくなりチェーン店ばかりになっていて、ふと「味気ないなあ」と感じたことはありませんか?

たしかに、個人店は色々面倒なこともある。いまでも大阪には、酒屋の隅っこで飲む「角打ち」などの文化が残っている場所もありますが、いきなり一見さんが入れるかと言えば、逆に居心地が悪くてちょっと無理があります。

その意味では、ある程度人の入れ替わりがありながらも人とのつながりもある、中間くらいがちょうどいいのかもしれません。常連でがっちり固まっているわけでもなく、ちょうどいい感じの関係性が構築されている場所。思えば、「立ち飲み」が注目されたのはそんなところに理由があるのではないでしょうか。

いまの時代には、そんな「立ち飲みレベル」の関係性がおそらく求められているのだと思います。

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鈴木謙介(すずき・けんすけ)
関西学院大学准教授、社会学者
1976年、福岡県生まれ。2004年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。国際大学GLOCOM助手などを経て、09年関西学院大学助教、10年より現職。専攻は理論社会学。『サブカル・ニッポンの新自由主義』『ウェブ社会の思想』『カーニヴァル化する社会』など著書多数。06年より「文化系トークラジオLife」(TBSラジオ)のメーンパーソナリティをつとめるなど多方面で活躍。

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(関西学院大学准教授、社会学者 鈴木 謙介 写真=iStock.com)

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