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慶應幼稚舎出身者が"鼻持ちならない"ワケ

プレジデントオンライン / 2019年6月23日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/mizoula)

慶應義塾大学に進学できる「一貫校」のうち、最も格が高いとされるのが小学校の「幼稚舎」だ。ジャーナリストの田中幾太郎氏は「小学校の6年間、クラス替えが一度もなく、担任教師も6年間ずっと同じ。まとまりが強く、自分たちが慶應を代表しているという意識を持っている。幼稚舎以外の“外部”の人間にとっては鼻持ちならないと映ることもある」という――。

※本稿は、田中幾太郎『慶應幼稚舎の秘密』(ベスト新書)の一部を再編集したものです。

■幼稚舎出身者の強烈な慶應愛

慶應義塾に属する学校群は「大学」と、小学校~高校の「一貫校」に分けられる。

現在、一貫校には、小学校が幼稚舎(1874年開学)、横浜初等部(2013年)、中学が普通部(1898年)、中等部(1947年)、湘南藤沢中等部(1992年)、高校が高等学校(通称「塾高」、1949年)、志木高等学校(1948年)、湘南藤沢高等部(1992年)、女子高等学校(1950年)、ニューヨーク学院(1990年)となっている。

この中で、横浜初等部と湘南藤沢中等部・高等部はひとつのグループと見なすことができる。幼稚舎からは湘南藤沢中等部も含め、どの中学でも選べるが、横浜初等部からは湘南藤沢中等部しか選択肢がなく、湘南藤沢中等部からは湘南藤沢高等部しか選択肢がないからだ。

また、普通部と中等部からは湘南藤沢高等部も含め、どの高校でも選べる。なお、普通部と塾高は男子校なので、女子生徒が選ぶことはできない。

これら一貫校には、慶應内部でランク付けがある。

ニューヨーク学院はかなり特殊なので対象外。もっとも格下なのは、歴史が浅い横浜初等部と藤沢湘南の中高だ。一方、格上は幼稚舎、普通部、塾高の3校となる。塾高は、開学年度はそれほど古くないが、元々は普通部の一部であり、戦後の新学制への移行にともない、分離して誕生したもので、歴史的には伝統校と見なされる。

この格上3校の中で、圧倒的に格付けが上なのが幼稚舎である。世間ではそこまでの認識はないだろうが、慶應内部ではそう見られ、さらにいえば、幼稚舎出身者自身がそうした自負を強烈に持っている。

■自分たちは「内部」、ほかは「外部」

「幼稚舎出身の生徒同士が陰で、自分たちのことを内部、僕らのことを外部と呼んでいるのを知り愕然としました」と話すのは中等部から慶應に入ったOB。大学受験を経て慶應に入った学生を外部生、高校からの持ち上がり組を内部生と呼ぶのが一般的だが、幼稚舎出身者は自分たちと“それ以外”という分け方をしているのだ。そこには彼らだけの世界が広がっている。

「自分たちだけでグループをつくって、その周りにはバリアを張って、僕らをまるで拒絶しているような感じなんです。幼稚舎出身同士で誕生会などもやっているようでしたが、僕らが呼んでもらうことはなかった」

中等部での幼稚舎出身の割合は4分の1~3分の1程度。年度によって、その割合は変わるが、いずれにしても、人数が多いのは中学受験に合格して入ってきた生徒。にもかかわらず、疎外感を持つのはマジョリティの側なのだ。幼稚舎出身の連合三田会役員は次のように話す。なお、連合三田会は慶應大の各同窓会を取りまとめる中央組織だ。

「幼稚舎でまとまっているというより、同じクラスだった仲間と仲良くしているといったほうが正しいと思います。6年間ずっと同じクラスでやってきたので、外部の人がいきなり入ってきて、彼らとも親しくしろと言われても、すぐには難しい面がある。でも、それも最初のうちだけで、サークルや学校行事などで一緒になるうち、外部の人とも親密になっていくんです」

■「幼稚舎上がりの生徒の態度が鼻持ちならないという声もある」

前述したが、幼稚舎は6年の間、クラス替えが一度もなく、1クラス36人(この三田会役員の時代は44人)の顔ぶれはずっと一緒である。親しさの度合いがまるで違うのだ。しかも、担任教師も6年間ずっと同じで、生徒の一人ひとりの性格をよく把握し、クラスは他校では考えられないくらい、まとまっている。ただ、“外部”からすると、幼稚舎から上がってきた生徒の態度が鼻持ちならないという声もある。

「自分たちが慶應を代表しているという意識が非常に強くて、声をかけてもらえないだけではなく、僕らを見下している感さえある。あちらは上流階級で、こちらは一般庶民という感じ。世が世なら、同じ場所にいることもありえないといった雰囲気を醸し出しているんです」

田中幾太郎『慶應幼稚舎の秘密』(ベスト新書)

前出の中等部OBはこう振り返るが、それはさすがに言いすぎと、連合三田会役員は否定的な見方をする。

「たしかに幼稚舎に裕福な家庭の子弟が多いのは事実ですが、中学から入ってくる生徒も家庭が裕福な子がけっこういる。ただ、幼稚舎の場合、とんでもなく金持ちという生徒が混じるので、そのイメージが強いんだと思います。そもそも、そうした裕福さを鼻にかけるような子どもは幼稚舎に合格できないと思うし、実際、素直な生徒が多い。普通部、中等部、塾高などから入ってきた生徒を外部と呼ぶのは本当ですが、見下しているわけではありません」

ただし、幼稚舎OB・OGが見下し、疎外している学校がひとつだけある。横浜初等部である。

■「幼稚舎と並ぶ」に腹を立てるOB・OG

「第二幼稚舎を創るという意図で、横浜初等部ができたのですが、はっきり言ってしまえば、慶應義塾の経営的な意味合いが強い。1874年に創立された幼稚舎は、慶應にとって唯一無二の存在。第二幼稚舎という発想自体がどうかしている。幼稚舎が圧倒的なステータスを持っているので、第二の幼稚舎を創れば、十分、経営は成り立つと踏んだのでしょうが、横浜初等部は幼稚舎に似て非なるもの。幼稚舎OB・OGの多くが怒り心頭なんです」(前出・幼稚舎OBの連合三田会役員)

2013年に開校した横浜初等部の設置計画が浮上したのは2005年。慶應義塾の「創立150年記念事業計画」で、設置への提言が盛り込まれたのだ。当時、慶應義塾の塾長を務めていたのは、安西祐一郎氏である。

「塾長3期目を狙う安西さんとしては、目に見える功績がほしかったんです。でも、自身も幼稚舎の出身。にもかかわらず、そのブランド価値に傷をつけるような行動に打って出たことで、本来仲間であるはずの幼稚舎OB・OGたちから顰蹙を買う結果となり、塾長選挙も散々な結果に終わったんです」

■「横浜初等部」を「幼稚舎」と同列に見なすのは図々しい

この幼稚舎OBは、横浜初等部の方向性についても腹を立てている。横浜初等部の初代部長(校長)を務めた山内慶太氏(慶應大看護医療学部教授・医学部兼担教授)は、『三田評論』(2013年5月号)に寄せた「横浜初等部開校にあたって」という記事で、「慶應義塾にとっては、横浜初等部は幼稚舎と並ぶ二つ目の小学校である」と記している。

筆者の田中幾太郎氏は『プレジデントFamily2019夏号』誌の特集「わが子を慶應に入れる」において慶應義塾大学の同窓会「三田会」についての解説をしている。

「なぜ、『幼稚舎と並ぶ』という書き方をするのか。『幼稚舎に続く』ならまだしも、明らかに横浜初等部を幼稚舎と同列に見ている証拠で、図々しいというほかない。やっと2019年春に最初の卒業生を送り出したばかりの学校が、140数年の歴史を持つ幼稚舎のブランド力のおこぼれにあずかろうというのが見え見えです」(同OB)

山内氏は記事の中でこう続けている。

「戦後、大学部分が大幅に拡大し、相対的に細くなってしまった一貫教育の幹をもう一度太くするのが初等部であり、幼稚舎と並んで、一貫教育のもう一つの源流ができたことの意味は大きいと思う」

幼稚舎OB・OGたちをさらにカリカリさせるような文章だが、実は開校以降、「横浜初等部の評判はうなぎ上り」(進学塾の幼稚舎・初等部コーススタッフ)だという。

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田中 幾太郎(たなか・いくたろう)
ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。教育、医療、企業問題を中心に執筆。著書は『慶應三田会の人脈と実力』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

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(ジャーナリスト 田中 幾太郎 写真=iStock.com)

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