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フランス人の「挨拶のキス」はセクハラか

プレジデントオンライン / 2019年7月3日 9時15分

2017年11月16日、ライトアップされたパリのエッフェル塔(写真=時事通信フォト)

フランスでは、頰を合わせてリップ音を立てる「ビズ」というあいさつをする。キスに似た行為だが、「セクハラ」としてトラブルになることはまずない。20年前からフランスに住むライターの髙崎順子さんは「個人の感覚に委ねず、幼い頃から『嫌がる相手にはするな』と教育されている」という――。(後編、全2回)

■頰を合わせてリップ音を立てる「ビズ」の習慣

25歳でフランスに移り住み、今年でちょうど20年目になる。

今や日常の出来事はしれっとこなせるようになったが、まだ折につけて戸惑うのが「ビズ」という挨拶をする時だ。

ビズとは「こんにちは」「さようなら」の際に相手と頰を合わせて、リップ音を立てる習慣のこと。感謝の言葉に添える場合もある。スキンシップの一環なので、ある程度近しい人としか交わさないものだが、その「ある程度の近しさ」を図るのがなかなか難しい。

親族や友人関係なら初対面でも行うが、それは絶対のルールでもない。では仕事関係ならしないのかというとそうでもなく、年齢やシチュエーション、立場や業種によっても異なる。つながる場やそこでの立場は変わらなくとも、関係性が近くなったらビズする仲になるのもよくあることだ。

その習慣のない国から来た私には、ビズの文化はなんとも曖昧で複雑に見える。パーソナルスペースに入り込んで肌と肌を触れ合わせる動作など、トラブルの元でしかないのではないか。渡仏当初そんな印象があったが、ビズが元で起こる衝突や問題に立ち会うのはまれだ。

フランス育ちの人々は、いとも自然に、その距離感や関係性に従ってビズを適用している。小さい頃からそこで育てば自然と、感覚的に身に付くものなのか……と思っていたが、そうでないことを知る機会があった。

■「相手が嫌と言ったらやめなくちゃいけないのよ」

それは私の子どもが、フランスで3歳から5歳のほぼ全ての児童が通う公立幼稚園「保育学校」に在籍していた時のことだ。迎えに行った夕方、学校の玄関先で、ある保護者と先生のこんな会話を耳にした。

「お母さん、お子さんはちょっとビズやハグが過剰なので、家でも話してもらえませんか。嫌がるクラスメイトにもするんです」

当の子どもは、母親の隣にいる。母親が「あら、それはダメね」と顔をしかめると、本人は「だって僕、その子のことが好きなんだもの」と悪びれることなく答えた。かわいらしいなぁと微笑ましく見ていた私をよそに、先生とお母さんがほぼ同時に声を上げた。真剣な調子で。

「あなたが好きでも、相手は嫌がっているんでしょう?」
「ビズは強制しちゃいけないの。相手が嫌だと言ったら、あなたはやめなくちゃいけないのよ」

相手の嫌がる接触は、してはならない。社会生活で当たり前のルールではあるが、無邪気な幼稚園児にそれを強く言い聞かせる様子は私の心に響いた。そしてしばらく、そのことについて考え続けた。

フランスはこのラインが明確だから、スキンシップの頻繁な文化でも、トラブルなく済んでいるのだろう。……いや違う、スキンシップの頻繁な文化だからこそ、このラインを強く明確に引く必要があるのかもしれない、と。

■親子が一緒に入浴することも少ない

その視点で改めて見直すと、フランス社会では「体」を守ることに対する強い意識が、日本とは違う形で通底している。その根本にあるのは、「あなたの体は、あなたのもの」という体の独立性、尊厳とでも言うべきものだ。

分かりやすい例に、避妊・中絶に対する考え方と実態がある。主流は女性側が行う医学的手段(ピル、パッチ、子宮内器具など)で、その費用は国の医療保険で65%カバーされている。中絶に関する医療行為は、100%保険の払い戻し対象だ。アフターピルは薬局で購入でき、未成年者には無料配布される。妊娠出産の当事者は女性で、「女性の体は女性のもの」だから、するかしないかを決める権利も、必然的に女性にある。国はその権利を認め、制度や保険で支援するとの考え方だ。

体の独立性を重視する習慣は、親子関係でも見られる。フランスの家庭では親子が一緒に入浴することは少なく、早い段階から、親は子どもの体を洗わなくなる。

「私の娘は3歳から、自分で体を洗わせているわね。特に胸や性器付近は触らない。ママ洗って、と言われても、『そこはあなたの体の大事な場所だから、ママでも触っちゃいけないの』ってね。親でも触らない場所なんだから、他人はもっとダメ、と理解できるでしょう?」

そう話すのは、次男と同じクラスの女の子のお母さんだ。フランスは浴室の構造が日本と異なり、基本的に定員1名の作りになっているため、親と子どもが一緒に風呂に入る機会自体が少ないこともある。風呂の介助も服を着たまま行うので、親が子どもの前で丸裸になり、胸や性器を見せることもまれだ。

■「自分と他者を尊重すること」を学ぶ

そして最大の例が、前回の記事でも紹介した、小学校から国を挙げて行われる「性に関する教育」だ。フランス政府は、国民が「自他の体を尊重すること」がさまざまな社会問題の改善につながるとし、性教育を小学校から高校までの義務学習としている。つまり性教育を「生殖について教える授業」を超えたものと定義し、国家戦略として行っているのだ。それは国家教育の最重要法典である教育法典(Code de l’éducation, L312-16)にも明記されている。

その狙いは、小学校での教育に最も顕著に表れている。生徒たちが第二次性徴前であることを前提に、「性行為に直接的に言及しない」「授業内容は年齢に即したものとする」と明言しつつ、以下の9ポイントが定められている。

――身体について学び、それを尊重すること
――自分と他者の尊重
――プライバシーの概念およびプライベートの尊重
――安全であること、保護されることへの権利
――身体の違い(大人と子ども、男女)
――(思春期の到来に合わせ)体の発達を言語化して認識する
――生物の再生産
――男女児童間の平等
――性に関する・性を用いた暴力の予防

(出典:「性に関する教育、初等および第二教育課程での授業について」2018年9月12日国家教育省通達2018-111番より筆者訳)

自分や同級生は生物として「体」を持っている。それは男女に違いがあっても平等であり、暴力から保護され、安全に尊重されるべきものである……小学校でまずこの意識を培ってから、第二次性徴に突入する、という流れが作られているのだ。

具体的には、国語や音楽で男女平等をテーマにした教材を使う、体育の授業で自他の体を傷つけないよう指導する、などがある。

■セクハラ、性暴力、性差別が起こる根本原因

「性に関する教育は、早いほうがいいんです」

国家教育省で小学校での性教育政策を担当する、ローランス・コミュナルさんは言う。

「子どもはもう幼稚園時代から、『体には性差がある』と知っています。大人と子ども、男女が違うというのは、家族や同級生を見れば分かることですからね」

若年層からの性教育は、そんな子どもたちの現実に即して考えられたそうだ。

「幼い彼らの日常にも、年上のきょうだいやインターネットなどの情報源は存在しています。そこから不適切な情報に触れてしまう前に、健全な意識を培い、正しい情報を与えるべきなんです。そうすれば性に目覚める思春期には、自分の体を守りつつ、相手の体を傷つけない意識を持てるようになる。その意識に欠けた成人は、他者の体を傷つけたり、自分の身を守らない危険な性行為をしたりしてしまいます。セクハラや性暴力、性差別の言動も、この『自他の体の尊重』が不足しているから起こるんです」

「体の尊重」の意識が社会的に共有されているフランスでは、保護者たちも性教育の重要性を理解している。ただ一部には日本のように、「性教育=セックスに関する教育」と誤解して、声を荒らげる層もあるそうだ。「幸いにして、そういう誤解をしている人たちは少数派です。声の大きいのが厄介ですが!」と、コミュナルさんは苦笑いする。そのため小学校では特に、教員や保護者へ「この教育をする意義」を周知することを重視しているという。

■性犯罪の基準が、日本より厳しいフランス

フランスがここまで「性に関する教育」を重視するのは、それが必要だから、というシビアな現実がある。未成年への性犯罪は年間2万件近くにも上り(2016年)、若年者の性感染症や中絶も後を絶たない。同性婚は法制化されているが、同性愛者差別の言動は存在し続け、カップル間のDVも依然、社会問題だ。

特筆すべきはそれらの問題への対策として、国が性教育を「国家戦略」と重要視していること。それを国民が違和感なく受け入れるだけ、「あなたの体は、あなたのもの」という考え方が一般的であることだ。

そしてフランスでは、性加害への目が厳しい。セクハラは犯罪として刑法で定められ、2年以下の拘禁もしくは3万ユーロ(約363万円)以下の罰金に処される。性的暴行罪の規定も、日本より厳しい。体に対する意識が強いため、「性犯罪」と定義される行為の幅も広く、そう扱われる事件の件数もまた、日本より多くなっているのだ。この点は、国際NGO団体「ヒューマン・ライツ・ナウ」が今年発表した「性犯罪に対する処罰10カ国調査研究」や、国立国会図書館報告書「フランスにおける性犯罪防止対策強化」に詳しく説明されている。

■性教育を「秘め事」にして目をふさいだ日本

国際比較の資料を紹介したところで、日本である。「あなたの体は、あなたのものである」と言われてピンとくる人は、どれだけいるだろうか。

前回の記事でも触れたが、日本では性をセックスという生殖行為に矮小化する傾向が強い。だから成人として必要な性教育ですら、「秘め事」と隠したがる。そうして目をふさいだ結果か、体の尊厳への意識もずっと曖昧だ。

そんな日本のあり方は、フランスの「あなたの体は、あなたのもの」の視点を借りてみると、より明らかに感じられる。

痴漢は今も交通機関の日常茶飯事だが、加害者は被害者の体をどう考えているのだろう。「他者の尊重すべき体だ」と捉えているなら、同意なく手を触れることはないはずだ。テレビをつければ他者の容姿を「いじる」話芸が展開されているが、それは他者の体を「貶めてもよいもの」と考えていなければできない言動である。

■「ブラック企業」や「組体操」も根本は同じ

昨今話題になっている、アフターピルのアクセス拡大に関する厚労省審議もその一例だろう。もし「女性の体は女性のもの」と考えていれば、その一生を左右する妊娠に、より安全で負担の少ない選択肢を与えたいと願うのが自然な流れである。しかし審議会はなかなかアクセスのハードルを下げようとはせず、おまけにその会の顔ぶれは、圧倒的男性多数だ。女性の体を尊重し保護する政策に、なぜ彼らはそこまで難色を示すだろうか? 彼らは女性の体を、「あなたのものとして尊重している」と、言い切れるだろうか。

例はまだまだ他にもある。従業員の体を酷使するブラック企業、児童の身体を危険にさらす組体操なども、この視点から眺めれば、疑問しか抱けない現象だ。

日本とフランスは文化も歴史も異なる国で、フランスの制度・習慣のすべてが、日本にいいこととは限らない。しかし、発想の異なる事例や制度は時に、社会問題を別の切り口から考えるきっかけになる。そして性と体に関しては、フランスがもたらす問いかけが、日本の問題に対して新しい視点を開いてくれるように、筆者には思える。

読者にはぜひ一度、以下の問いを発してみてほしい。「あなたの体は、あなたのものとして、尊重されていますか?」「あなたは目の前の人の体を、その人のものとして、尊重していますか?」と。

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髙崎 順子(たかさき・じゅんこ)
ライター
1974年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、都内の出版社勤務を経て渡仏。書籍や新聞雑誌、ウェブなど幅広い日本語メディアで、フランスの文化・社会を題材に寄稿している。著書に『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書)、『パリのごちそう』(主婦と生活社)などがある。

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(ライター 髙崎 順子 写真=時事通信フォト)

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