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早大ラグビーの名将も自分探しで苦労した

プレジデントオンライン / 2019年7月3日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/South_agency)

早稲田大学ラグビーを2年連続の全国制覇に導いた中竹竜二さん。そんな中竹さんも「自分は一体何者なのか」と悩むことがあったという。中竹さんは「こうした疑問にこたえず、ごまかしていると悩みは解消しない。失敗を素直に認められるような『正しい自己認識』に向かう必要がある」という――。

※本稿は、ターシャ・ユーリック著、中竹竜二監訳、樋口武志翻訳『insight(インサイト)――いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』(英治出版)の「監訳者あとがき」を再編集したものです。

■自分の存在は他者と向かい合うことで確立される

「コックニーの青年の旅」
ロンドン下町っ子と呼ばれるコックニーの青年は、同じロンドンに住む人から「あなたは何者か?」と尋ねられると、誇りを持って「私はコックニーだ」と答えた。そんな彼が同国オックスフォード州を訪れ「あなたは何者か?」と問われると、「ロンドン人だ」と答えた。さらに彼はフランスに渡り、同じ問いに「私はイギリス人だ」と答えた。同じように、アジアに行けば「ヨーロッパ人だ」と答え、将来、宇宙を旅して、違う星の人に尋ねられたら、「私は地球人」と自らを紹介するだろう。言うまでもなく、「彼」は同じ人。つまり、彼は出会う人ごとに、自己(アイデンティティ)を変化させるのだ。自分の存在とは、己だけで成り立たず、他者と向かい合うことによってはじめて確立される。

これは、約20年前、私が英国レスター大学大学院に留学している時に書いたエッセイの一部だ。専攻は社会学でテーマは「自己の探求」だった。私は福岡県の田舎で生まれ、早稲田大学に入学と同時にラグビーに明け暮れた。卒業後は、縁も馴染みもない異国の地で、自分を再スタートさせたく、人類学と社会学に没頭した。そんな中、時折、隙間風のように問いが襲った。

「僕は、一体何者なのか?」

■ごまかしながら「いつもの自分」を再稼働

普段は考えないけれども、時々浮かび上がるこの問いは、いつも私に焦りと不安を与えた。例えば、壁にぶつかった時、先が見えなくなった時、人種差別を受けた時、他人の指示に従いたくない時など。そして、この世で私は本当に役に立っているのか? ここに存在する意味があるのだろうか? 本当は何がしたいのだろうか? 本当に今のままで良いのだろうか? と、あたかも「本当の自分」がもうひとりいるかのように、自分を疑い始めた。

悶々として、心地悪さがしばらく続く。なぜなら、これまでの自分や現在の自分を疑い、否定せざるを得ないからだ。だから、この質問に答え切ることなく、ごまかしながら、いつもの自分を再稼働させていた。

皆さんも、同じような問いが、ふと浮かぶことはないだろうか? これまで、多くのビジネスリーダーやスポーツ界のトップコーチなどと仕事をしてきたが、社会的地位が確立された彼らでさえ、「私の存在価値って、何なのか?」「私は、本当に役に立っているのか?」「私は一体、何がやりたいのだろうか?」と自問を繰り返している人は少なくない。

もう一つ、私を困惑させる問いがある。

■「なぜ、自分を分かってくれないのか」

「なぜ、僕のことを分かってくれないのか?」

例えば、相手に苛立った時、相手を苛立たせた時、孤独を感じた時、真意が伝わらず誤解されたと感じた時。願いは一つ。もっと本当の自分を理解して欲しい。これは、人間に組み込まれた誰もが持つ自己の承認に対する欲求であり、ホモ・サピエンスが作り出した生きるエネルギーの源でもある。その結果、この欲求は良くも悪くも我々の社会システムの中に組み込まれている。

例えば、「本当の自分を分かってほしい」という願いが叶った瞬間、恋人同士に愛が育まれたり、仲間同士に絆が生まれたり、組織内に信頼と忠誠心が芽生えたりする。他者から己を理解してもらうことが、いかに大きなパワーを生み出しているかを、経験的に誰もが知っているはずだ。一方で、この欲求が常に満たされるわけではなく、時に「なぜ、自分を分かってくれないのか?」と疑問と不満が沸き起こることも知っているだろう。

私を悩ませるこの二つの問いは、多くの方々にも共通するのではないだろうか。「本当の自分」を自らが知ることと、「本当の自分」を他者に知ってもらうこと。前者は自己と向き合う内なる問いで、後者は外側に向けた問いである。いずれも「本当の自分」を理解することを目指しているが、コックニーの青年のように、自己は他者によって変化することを考えれば、内なる自分を理解するためにも、自分を取り巻く他者を正しく理解することが不可欠だ。自己の理解と他者の理解は、切っても切り離せない関係であり、非常に難解且つチャレンジングな私の人生のテーマとなった。

■根底から「自己認識」の大切さを紐解く本

しかし、この「自分を知る」というテーマ、これまであまり陽の目を見ることがなかった。それよりも、結果や成果、勝利や戦略、スキルやナレッジといったわかりやすいテーマがいつも注目を浴びていた。ついつい「答え」や「重要なもの」は自分の外側にあると考えてしまうのだ。

そこで出会ったのが、本書だ。単なる一過性のスキル・ノウハウ本ではない。根底から自己認識の大切さを紐解き、誰もが一生をかけて、本気で向き合っていかなければならない自己を知るためのガイドラインとなっている。この本に「正解」を求めるというよりも、読み進めていくうちに、次の問いに少しずつ自分の言葉で答えられるようになっていくことの方が大切だ。

そもそも、自己認識とは一体何なのか?
自己認識が高いとどのようなメリットがあるのか?
自己認識を高めるには、どうすればよいのか?
いま、なぜ、自己認識が重要なのか?

著書のターシャ・ユーリックは、さまざまなエピソードを交えながら、自己認識の定義を示し、意義を解き、方法論を紹介する。要約すると、自己認識とは自分自身を明確に理解する力で、二つの側面で構成されている。一つは自分の観点から自分自身を理解する「内的自己認識」、もう一つは他者の視点から自分自身を理解する「外的自己認識」だ。

■ソーシャルメディアは自己認識を困難にする

この二つには相関関係はなく、また、両方とも誰でも手に入れられるスキルだと著者は言い切る。この両者が共に高い状態が、自己認識が高い状態であり、そのような人たちは幸福度が高いとされている。逆に、自己認識に欠けた人は自分のキャリアに満足していない可能性が高い。自己認識に欠けた彼らは、「自分は優れている」、「自分は自己認識がある」と勘違いをしている。

本来、我々は自分のことは見えていない。だから他者からのフィードバックが必要だ。しかし、ついついバリアを張って、都合のよいフィードバックのみを受け取ってしまう。多くの人にとって厳しくつらい真実のフィードバックより、自己欺瞞な状態でいるほうが楽だからだ。

また、最近のテクノロジーの進化によって、我々は膨大な情報をスピーディーに入手でき、さまざまネットワークを構築することができるようになった。一方で、自己への勘違いを引き起こす要因にもなっている。

例えば、そもそもは人と人との関係性を維持するために生まれたソーシャルメディアは、セルフプレゼンテーションが主流になっているという。スマホでの自撮りなどのセルフプレゼンテーションは、自分に集中しすぎるあまり、友人たちを実は不快にさせていることを気づかなくさせ、「いいね」が減っていることにも気づかなくさせてしまう。ソーシャルメディアの影響によりますます自己認識が難しい時代に突入しているのだ。

だからこそ、本書のメッセージを真摯に受け止め、実践することが重要なのだ。

■コーチング研修で徹底的に反復する内容

現在、私は公益財団法人日本ラグビーフットボール協会で、コーチングディレクターとして「コーチのコーチング」を行っている。世界で勝てる指導者を発掘・育成し、ユース世代の日本代表を強化するのが仕事だ。また、グローバルリーダーを輩出するための中長期的なマネジメントトレーニングを提供する株式会社チームボックスの代表取締役でもある。私自身の日本代表監督や経営者としての経験も活かし、競技や業界の枠を超えて、リーダー育成や組織開発に日々、没頭している。

私の専門であるコーチング分野では、コーチが身につけるべき能力を4つの枠組で説明している。1つ目はプロフェッショナル(=専門的)能力。2つ目は、インターパーソナル(=人間関係構築)能力で、他者との良好な関係を築く上で必要な伝達力、質問力、共感力など。3つ目は、イントラパーソナル(=自己認識)能力であり、まさに本書のテーマだ。4つ目は、フィロソフィー(=自身の哲学)で最終段階である。

これまでの経験から、全ての土台となるのは、3つ目のイントラパーソナル(=自己認識)であると私は考えている。自分のことを正しく理解すること。簡単そうで、意外に難しい。自分のことなので、誰しもができて当たり前だという認識があるからか、学校や会社ではその正しいやり方をほとんど教えてくれない。よって、私が管轄するコーチング研修では、徹底的に反復しなければならない領域となる。

■「もうこれ以上、コーチングできません」

「すみません、頭が真っ白になりました……パニックです。もうこれ以上、コーチングできません」。彼は言った。

5年前、日本ラグビーの若手世代強化を担うトップレベルの指導者が集まるコーチ研修会での出来事だ。そこでは参加しているコーチが入れ替わりで、ゲーム中のさまざまな場面を仮設定し、指導実践を行うという研修を行っていた。

研修が始まり、参加コーチのひとり、樋口猛(新潟工業高校)の出番になった。彼は自信ありげにはじめたものの、後半が始まってしばらくすると、雰囲気が急変し、こうつぶやいた。

「あれー、俺、いま何やっているんだろう。うわー、やっちまった……」

グラウンドの真ん中でひとり呆然と立ち尽した。重く暗くなった空気のまま、沈黙がしばらく続いた。彼だけではなく、それを囲むコーチたちもその様子に困惑し、気まずい雰囲気が流れた。その彼は、数多くの実績を残している誰もが知るコーチだったからだ。例えると有名な料理人が、テレビ番組で料理の腕前を披露しようとして失敗するようなものだ。

■「正直であり続ける」という指導哲学

一般的に、スポーツの指導現場では、仮にコーチングに失敗したとしても、意外に誤魔化しが利いてしまう。通常、選手のパフォーマンスに関する過失(ミステイク)は明らかだが、コーチングの過失(ミステイク)を明確に指摘することはとても難しいからだ。もしかすると、この樋口氏のケースも、仮に失敗があったとしても、設定時間終了まで当たり障りのないコーチングを継続することはできたかもしれない。

しかし、彼の素晴らしいところは、自らすすんで、気持ちを誤魔化すこともなく、正直に自らの降参を認めた。それは誰が見てもとても恥ずかしかっただろうと感じる場面だった。彼は、常に「正直であり続ける」ことが指導哲学であり、それは選手だけでなく、自分にも常に課しているテーマだったのだ。要するに、自分の揺るぎない指導軸を正しく認識しており、それがいつ何時、他者から見た場合にも一致しているかに拘っていたということ。内的自己認識と外的自己認識の両方を発揮していた場面といえよう。

その後の彼は、素直に学びに徹した。その様子は、誰が見ても本当に格好良く見えた。彼の姿勢そして成長をずっと見ていた私は、そのシーズンの日本ラグビーU19日本代表監督のポストを、彼にお願いすることにした。

■「正しい自己認識」から始まった栄光のストーリー

一年後、日本代表チームは強豪スコットランドへ遠征。細くて小さくて繊細な日本人の強みと弱みを理解し、格好つけない、こだわりの戦術を選手とスタッフ全員で揺るぎないほど共有した。代表選手らは、監督に学び、困難に自ら立ち向かい、大胆にチャレンジした。プレイがうまく行けば素直に喜び、失敗してもごまかさず、全てをさらけ出すチームに大きく成長していた。

「俺たちは何者か?」を徹底的に貫き、低さと素早さを強みに日本人らしさを全面に打ち出したチームが完成した。結果、全員で鋭く前へ出るスピードと低いタックルを武器に、プライド高きU19スコットランド代表を見事に下した。力強さを武器にした巨漢揃いの敵国に小馬鹿にされながらも、「狂気に満ちた守備」はもはや攻撃となっていた。

日本の若手世代がヨーロッパ勢に初めて勝利した記念すべき試合となったことは言うまでもない。樋口監督の正しい自己認識から始まった栄光のストーリーだ。本書の第九章で「優れたチームは、自己認識を持ったリーダーから始まる」と著者も書いているが、その好事例とも言えよう。

■「いままでメンバーを褒めたことはなかった」

スポーツに限らず、ビジネスの現場のリーダーたちも「自分は何者なのか?」と日々戦っている。

「現場で成果を上げて当たり前!」と言われる中で育った我が国が誇る大手商社、伊藤忠商事株式会社に勤める高橋伸治課長。だからこそ、自分に厳しく、そして部下にも厳しくがむしゃらに成果を求めてきた。現場で成果を上げるのが課長の唯一の役割だと信じていたからだ。その結果、部下を育てるという考えは希薄だった。そんな彼が、正直に悩みを語り出した。

「実は、部下育成は僕の一番の課題の一つなんです。今は昔とは違う。人数を見ても、昔は7000人、今4000人。時代、環境は確実に変わっているのに、部下育成の意識が希薄で、単に厳しく接している自分がいました」

「最近の若者はダメ発言」はギリシャ時代から言われているほど、熟年層が陥ってしまう社会の仕組みだ。だからこそ、自己を正当化し、自身の振る舞いを疑いにくくなる。時代が急変しているのに、自分の過去の経験にしがみつくリーダーが多く生まれてしまうのだ。

彼は、コーチングによる対話の中で、冷静に若手の立場になって自分を見つめ直した。外的自己認識を活かし、気づきをアクションに変えた。それから二週間、部下を褒めることを約束。

「正直、めちゃくちゃ、違和感ありますよ。だって、いままでメンバーを褒めたことはなかったから。これまで相当自分は厳しく接してきたと思う。けれど、結局は、僕の考えを最も改めないといけないことに気づいた」

自分はこれまで何をやってきて、これから何をやるべきか? 部下からどのように映り、若者からどのように映っているのか? 心地悪さと向き合いながら、「自分とは何者か?」を問い続けた。その結果、部下の笑顔が増え、チームは活気づいた。

■「縦割り文化」を作っていたのは感謝の不足

ユニリーバ・ジャパン・カスタマーマーケティング株式会社の髙橋康巳社長は、組織内における部署ごとの強い「縦割り文化」に悩んでいた。皆、自分たちの領域に対する成果へのコミットメントは十分すぎる程高い。一方で、他部署への協力の意識は低く、同時に他部署からの意見や介入を避ける傾向があった。そこで、彼は協力と連携という言葉を強調し、一体感の醸成を掲げた。しかし、反応は薄かった。

「なぜでしょうね、みんながそれぞれ壁を作ってしまうのは?」

という私の問いに、しばらくの沈黙が続いた。

「うーん、個々には本当に頑張ってくれているんだが……」

「へえ、そうなんですね。けれど、それ、きちんと伝わっていますか?」同じく、沈黙が続いた後、

「あー、本当は私の問題なのかもしれません。実は、このサイロ的な縦割感を生み出しているのは、自分が原因だと気づきました。」

メンバーへの感謝やねぎらいを言語化して伝えることが欠如していた。プロフェッショナルだからこそ、やって当たり前だろうという感覚で接していた。それが、高い次元での期待の表明だと思っていた。感謝の反意語は「当たり前」である。感謝が言語化されない組織風土は、他者からの承認欲求を高め、現場の当事者を自己陶酔させやすい。注意力が必要以上に自分たちに向き、結果、セクショナリズムを生み出す。

■全ての出発は「正しい自己認識」である

リーダーとしてきれいな言葉で言語化されたビジョンやイノベーティブな戦略を打ち出すことより、もしかしたら、今の自分に求められているのは、各人の努力と誠意をしっかり受け止め、承認していくことなのかもしれない。「もっと褒めてください」とメンバーに言われた一言をきっかけとした外的自己認識から得た気づきの一つだ。髙橋社長は、自分は何者かを探った。そして、本当に目指したい組織のあり方と自身の言動とのギャップを認識した。

「これ、全部、私のせいですね。気恥ずかしいけど、感謝を伝えてみます」と私に宣言した。これからダイナミックでハートフルな組織がまたうまれることが強く期待される。

リーダーが変われば、組織は変わる。

これは、私がスポーツでの現場、教育の現場、ビジネス現場問わず、大切にしているリーダーに向けた言葉である。

ターシャ・ユーリック著、中竹竜二監修、樋口武志翻訳『insight(インサイト)――いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』(英治出版)

「結局、私が原因でした。私自身が変わります」という自責の言葉がリーダーから出たとき、確実に変革が起こる。

一旦他者の目線となって自分を見つめ、外的自己認識を高め、歪みを修正していく。こうしたプロセスを経て、リーダーは自己成長からチームの成長を促すのだ。全ての出発は、正しい自己認識である。

著者の強いメッセージの一つは、自己認識に終わりはなく、自分の能力やふるまいに対するフィードバックを積極的に他者に求め、常に謙虚に学び続けることが大切だということ。

簡単ではないが、本書を通じて、少しでもそのきっかけを掴んでほしい。

さあ、共に始めよう。「私は一体何者なのか?」の旅を。

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中竹 竜二(なかたけ・りゅうじ)
チームボックス代表取締役/日本ラグビーフットボール協会 コーチングディレクター
1973年、福岡県生まれ。早稲田大学人間科学部に入学し、ラグビー蹴球部に所属。同部主将を務め全国大学選手権で準優勝。卒業後、英国に留学し、レスター大学大学院社会学部修了。帰国後、三菱総合研究所入社。2006年、早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任。2007年度から2年連続で全国大学選手権優勝。2010年、日本ラグビーフットボール協会初代コーチングディレクターに就任。2012年より3期にわたりU20日本代表ヘッドコーチも兼務。2014年、チームボックスを設立。著書に『新版リーダーシップからフォロワーシップへ カリスマリーダー不要の組織づくりとは』(CCCメディアハウス)など多数。

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(チームボックス代表取締役/日本ラグビーフットボール協会 コーチングディレクター 中竹 竜二 写真=iStock.com)

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