なぜ日本はブッダとイエスをイジれるのか

プレジデントオンライン / 2019年6月29日 11時15分

ドラマ「聖☆おにいさん」(NHKウェブサイトより)

NHKでドラマ「聖☆おにいさん」の放送が始まった。原作マンガはブッダとイエス・キリストの同居生活を描くというユニークな人気作だ。なぜ日本で宗教を「ネタ」にした作品が共感を呼んだのか。宗教社会学者の岡本亮輔氏は「仏教とキリスト教は、日本では『信じないが知っている』という独特の存在になっているため、ネタ化することができた」と分析する――。

■タブー視しがちな宗教ネタをゆるく扱う

ドラマ「聖☆おにいさん」(NHK総合)の放送が始まった。原作マンガは、立川の安アパートで暮らすイエス(キリスト)とブッダのゆるい日常を10年以上にわたって描き続けている。この作品の魅力は、なんとなくタブー視しがちな宗教ネタを正面から扱ったことだろう。

ブッダが横になってうたた寝すれば動物が集まってくるし、イエスがろくろ回し中に笑えば原材料が石の粘土はパンに変わってしまう。聖霊はハトで表現するといったキリスト教画の文法もしっかり踏襲され、ネタとして使われている。キリスト教についてはどちらかといえばカトリック寄りであり、仏教については日本独特の伝統や習俗も踏まえながらギャグマンガとして成功している。

しかし、なぜ『聖☆おにいさん』はイエスとブッダを題材にして成り立っているのか。ドラマの「製作」クレジットは、原作で2人が組んだお笑いコンビ名にちなんで「パンチとロン毛製作委員会」となっている。キリスト教と仏教についてはクレジットでまでネタ化されるが、両宗教とともに三大宗教の一つに数えられるイスラムは登場しない。「イスラムでは偶像崇拝がタブーだから」というのは十分な説明ではない。キリスト教でも偶像崇拝は禁止されているからだ。

■真剣に信じる人がマジョリティなら成立しない

また『聖☆おにいさん』は、フランスでも『イエスとブッダの休日(Les Vacances de Jésus et Bouddha)』というタイトルで翻訳出版されている。フランスは世界でも最もキリスト教離れが進む国の一つだが、アマゾン・フランスには20以上のレビューがある。その多くはギャグマンガとして評価したもので、「このマンガは神々を人間として描いています。設定も登場人物も普通ではなく楽しい!」といった肯定的な内容が多いが、真剣に信じる人を前提としたコメントもつけられている。

フランス版『聖☆おにいさん』

キリスト教であれ仏教であれ、真剣に信じる人がマジョリティの国では『聖☆おにいさん』は成立しないだろう。宗教が社会のなかで特権的な地位を与えられ、世俗を超越したものとされるからだ。一定数の保守的なキリスト教徒を抱え、『ハリー・ポッター』ですら反キリスト教的として公開されない地域のあるアメリカや、初期仏教の戒律や伝統を重んじる上座部仏教の国では、『聖☆おにいさん』は厳しい批判を浴びてしまうだろう。

日本にもキリスト教と仏教を信じる人々は存在するにもかかわらず、なぜイエスとブッダのネタ化が可能だったのか。この点を考えると、「信じない宗教」という日本の宗教文化の特徴が見えてくる。

■仏教と神道では「信じる」ことはさほど重要ではない

文化庁が毎年『宗教年鑑』という報告書を出している。2018年度版によれば、神道系の信者総数は約8616万人、仏教系は約8533万人であり、合わせて1億7000万人を超える。総務省の推計では、日本の総人口は約1億2631万人(2019年1月1日現在)であり、神道と仏教の信者が人口を超えてしまう現象が起きている。

これには、各宗教団体による報告数をそのまま掲載する『宗教年鑑』の調査法にも問題がある。だが、仮に信者数を半分に割り引いたとしても、日本人の2人に1人以上がなんらかの宗教の信者であるというのは、あまりに実感とかけ離れているのではないだろうか。

私見では、「イエスを救世主と信じる」というのと同じような意味での信仰は、日本の宗教文化にはなじまない。日本の伝統宗教である仏教と神道では、そもそも「信じる」ことはそれほど重要ではないからだ。

■神道には信じるべき明確な“内容”がない

たとえば神道国際学会のウェブサイトには「神道とは何か?」を説明するページがある。要点を抜き書きすると、下記の通りだ。

・神道は古代から現代まで続く土着の民族宗教であり、アニミズム的な自然崇拝の性格が強い。
・各地にさまざまな慣習はあるが、宗教的体系はない。
・教祖もおらず、聖書のような教典もない。
・神道に神学はなく、氏子は信者ではない。

要するに、神道は信じるか信じないかという以前に、そもそも信じるべき明確な内容を有していない。だからこそ、明治維新以降の王政復古では、「神道は宗教ではない」というレトリックが可能になったのだ。そして現在でも、ある神社の信者数(=氏子)は、その地域の住民数として報告されるのである。

仏教の場合、神道よりも確固とした教学の伝統がある。大ざっぱに言えば、仏教が日本に伝来したことで、それまであった漠然とした自然崇拝があらためて神道という独特の宗教観として、それなりに形成された。

しかし、高い抽象度と論理性を備えた仏教の教義が一般民衆に浸透しているかというと、それはまた別の話だ。曹洞宗は定期的に自宗の調査を行っているが、そこから見えてくるのは、先祖供養という本来は仏教とは無縁の実践の広がりである。

■仏教信徒が参加する「行事」は先祖供養と草むしり

例えば2012年の『曹洞宗檀信徒意識調査報告書』では、寺で行われる各種の行事への参加率が明らかにされている。盂蘭盆会(59.3%)、春と秋のお彼岸(それぞれ43.1%と40.1%)といった先祖供養には、多くの信徒が参加している。また、草取り・掃除(34.1%)や除夜の鐘(22.6%)といったイベントも、そこそこの参加率である。

だが、釈尊降誕会(23.5%)、涅槃会(18.6%)、成道会(9.6%)といった信仰と深く関わる行事、さらには坐禅会(8.8%)という曹洞宗の教えの根幹に関わる行事の参加率は低調なのである。要するに、寺の行事にかかわる動機は先祖供養が大半であり、報告書の表現を借りれば、信徒は「それを習慣として位置づけている」のである。

■曹洞宗の掲げる葬儀の意味が浸透していない

さらに、相澤秀生・川又俊則(編)『岐路に立つ仏教寺院』(法藏館)は、2015年の調査データも踏まえながら、現代仏教の実態を描き出している。ここでは、日本人が最も仏教と関わる局面である葬式について見てみよう。

「葬儀はなんのために行うのか」を信徒に尋ねたところ、「故人を成仏させるため」(58.3%)という回答が最も多く、その次に「遺族が故人を弔うため」(30.2%)が多い。一方、「残された者の心の救済」「故人の死を世間に知らせるため」「慣例的な人生儀礼だから」といった回答は10%に満たない(第4章「人口減少社会における葬儀と寺檀関係」より)。

1位の回答には「成仏」という仏教用語が含まれており、宗教的な回答に聞こえなくもない。だが他方で、「死者が最終的にどのような存在になるのか」を聞いた質問では、「先祖」が32.3%で最も高く、「ホトケ」は17.7%にとどまる。さらに、「何かになることはないけれども存在している」(13%)や、「わからない」(12.1%)という回答もホトケに匹敵する割合を示すのだ。

こうした状況を分析した仏教研究者の相澤氏は、檀信徒にとっての成仏とは、曹洞宗の教えでいう仏弟子になることではなく、「曹洞宗の掲げる葬儀の意味が檀信徒に広く浸透していない実態が透けてみえてくる」としている。

■大半の日本人は教えに共鳴したわけではない

そもそも、現在でも日本人の多くがどこかの寺の檀家になっているのは、江戸時代、幕府によって寺が民衆統制の出先機関に指定されたためである。どこかの寺に所属することで、当時禁止されていたキリシタンでないことを証明し、寺はそれによって檀家という比較的安定した経済基盤を獲得したのである。

このように、神道も仏教も、大半の日本人はその教えに共鳴して選択したわけではない。個人の信仰とは異なる次元で関わるのが両宗教なのだ。神道は地域というコミュニティ単位、仏教は寺という家単位で関わるものであり、個々人が神仏や極楽浄土についていかなる信念を持っているかとはあまり関係ないのである。

■日本にはキリスト教の豊かな歴史がある

一方、キリスト教の場合、神道仏教とは事情が異なる。カトリックであれ、プロテスタントであれ、キリスト教には精緻に組み上げられた信仰体系が存在する。世界はいかにして始まり終わるのか、人の命はどのようなものであり、また人と自然がどのような関係にあるかも語られる。さらに、プロテスタントの宗教改革は、聖書を知的に受容する信仰が最重要であることを説いた。

フランシスコ・ザビエル来日以来、日本には豊かなキリスト教の歴史がある。江戸期に厳しい禁教と弾圧も行われたが、それを乗り越えた歴史文化が、昨年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産登録された。その構成資産を見れば、本土だけではなく、五島列島のような離島にまでキリスト教文化が根付いていたことがわかる。

明治以降も、近代化の手本である欧米の宗教として、キリスト教は日本で大きな影響力を持った。キリスト教系の学校に名門が多いことは、そのひとつの証左だろう。上智大学、立教大学、聖心女子大学、明治学院大学、南山大学、同志社大学などだ。これらの多くは、明治期、宣教師たちが来日したことがきっかけで創立された。外国人居留地のあった築地には、こうした学校の創立を記念する碑がいくつも残されている。

また、筆者が暮らす札幌にも、藤女子大学、天使大学、北星学園大学などキリスト教系の大学は多い。国立である北海道大学でも、前身の札幌農学校の初代教頭を務めたウィリアム・スミス・クラークがキリスト教について講じていた。クラークの滞日は1年にも満たないが、農学校にキリスト教文化を根付かせ、のちに内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾といった代表的なキリスト者を生み出している。

■キリスト教信者は総人口の1%前後

だが現在、キリスト教の国内の信者数はふるわない。日本のカトリック中央協議会によれば、2017年の信者数は約44万人である。カトリックは、札幌から那覇まで大都市を中心に「教区」という単位に分割されている。東京教区は人口1980万人に対し、カトリック信者は約9万7000人。人口の0.5%未満だ。それでも16の教区のうち、2番目に割合が高い。最も信者率が高いのは長崎教区の約4.3%だが、そもそも教区人口が少ないため、信者数は6万人程度にとどまっている。

カトリックの44万人にさまざまなプロテスタント教会の信者数を合計しても、日本の総人口の1%前後と見積もられる。日本のキリスト教は、文化や芸術、あるいはクリスマスのようなイベントとしてはなじみがある。井上ひさし、遠藤周作、曽野綾子といったクリスチャンの作家も親しまれてきたし、国内外を問わず、旅先で高名な教会を訪れる日本人観光客は多い。しかし、「信じる」という形で接する人は常に少数であり、神道仏教とは異なる意味で、信者なき宗教なのである。

『聖☆おにいさん』はなぜロン毛とパンチなのか。2つの宗教が日本で禁止されていたり、まったく関心をもたれていなかったりすれば、細かい知識を前提とした面白さは失われてしまう。「信じないが知っている」という独特の関係でキリスト教と仏教に接してきた日本独特の宗教風土が、同作を成立させているのである。

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岡本 亮輔(おかもと・りょうすけ)
北海道大学大学院 准教授
1979年、東京生まれ。筑波大学大学院修了。博士(文学)。専攻は宗教学と観光社会学。著書に『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社)、『聖地巡礼―世界遺産からアニメの舞台まで』(中公新書)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書)、『宗教と社会のフロンティア』(共編著、勁草書房)、『聖地巡礼ツーリズム』(共編著、弘文堂)、『東アジア観光学』(共編著、亜紀書房)など。

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(北海道大学大学院 准教授 岡本 亮輔)

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