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"ロス後"の悲しみは無理に消さなくていい

プレジデントオンライン / 2019年7月8日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/FotoDuets)

重大な喪失にともなうつらさを、どう解消すればいいのか。悲嘆学を専門とする関西学院大学の坂口幸弘教授は「悲嘆の大きさや期間には個人差がある。悲しみは消えないかもしれないが、自分なりの向き合い方を探すしかない。落ち込みと前向きな気持ちの間を揺れ動くうちに、つらいだけの時間は少なくなっていく」という――。

※本稿は、坂口幸弘『喪失学 「ロス後」をどう生きるか?』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■悲しみやつらさは時が経てば薄れるのか

重大な喪失への向き合い方として、「時が過ぎるのを待った」という人も多いかもしれない。「時間が癒やしてくれる」となぐさめる周囲の人もいれば、自分にそう言い聞かせる人もいるだろう。時間は心を癒やす妙薬であり、悲しみやつらさは時が経てば薄らいでいくものであるという意味で、「日にち薬」という言葉もある。

30代の女性は夫を病気で突然に亡くしてからしばらくは、夜眠れなかったり、気分が落ち込んで身の回りのことが手につかなかったりしたが、時間が経つにつれ徐々にこれまで通りの生活を取り戻していったという。2年以上が経った今では、「夫のことを思い出しても、それは悲しいことではなく、楽しい思い出になっている」と話していた。

実際には、重大な喪失にともなうつらさは、時間だけで解決できるようなものではない。むしろ時間が経つにつれ、つらさが増してくるように感じられることさえある。とはいえ、時間が経過していくなかで、気持ちはゆれ動きながら、少しずつ変化していくことも事実である。

■「日にち薬と言われてすごく嫌だった」

過去に友人が夫を亡くしたときに、「日にち薬だから、頑張って」と励ましたことがあるという60代の女性は、夫を失ったみずからの体験を振り返り、次のように話す。

「自分が同じ立場になってみて、まわりの人から『日にち薬』だと言われて、すごく嫌だった。『日にち薬』なんて絶対にないと思った。でも、1年以上が経って、当時に比べるとずいぶん気持ちが落ち着いてきた。今になって、これが『日にち薬』なんだと思うようになった」

喪失の種類やおかれた状況などによって、悲嘆の大きさや期間の個人差が大きいため、「いつまでに立ち直らなければならない」というような基準を設けることは困難である。喪失による苦痛が軽減されるのに要する時間は人によって異なり、本人や周囲の人が考えるよりも短いこともあれば、ずっと長いこともある。

たとえば配偶者との死別に関する研究では、うつ症状を示す人の割合が、死別から4~7カ月後では42%であったのが、24カ月までに27%に低下し、30カ月後には18%にまで低下するとの報告がある(Stroebe & Stroebe, 1993; Futterman et al., 1990)。

このように時間の経過とともにうつ症状を示す人の割合はたしかに低くなるが、有配偶者の場合には10%であることを踏まえると、2年後や2年半後においてもその割合はまだまだ高いといえる。

■命日や誕生日に落ち込む「記念日反応」

時間とともに少しずつ悲嘆が軽減していく過程において、治りかけた傷口からふたたび血がにじみ出すように、ときに急激な落ち込みを経験することもある。喪失体験を思い返しやすい日、たとえば死別の場合なら故人の命日や誕生日などが近づくと、すでに気持ちの整理がついていると思っていても、当時の記憶が蘇り、気分の落ち込みなどの症状や反応が再現されることがある。

これは「記念日反応」とよばれる。こうした気分の落ち込みと前向きな気持ちのあいだを、まるで波のようにゆれ動きながら、少しずつ落ち込みは軽減していく。失ったことのつらさは完全にはなくならないかもしれないが、つらいだけの時間は少なくなっていくであろう。

■「喪失」への向き合い方には2種類ある

米国の死生学研究者であるケネス・ドカとテリー・マーティンは、著書『Grieving beyond gender』(Routledge, 2010)のなかで、喪失に対する向き合い方には、感情的な様式と行動的な様式があると論じている。

感情的な様式では、つらい感情を自発的に表現し、みずからの喪失体験を他の人と共有することを望むのに対して、行動的な様式なら、理知的に対処しようとし、感情よりも課題を議論することを望むという。二つの様式に優劣はなく、多くの人は両方の要素を併せ持っている。どちらか一方のみの様式の人は稀であり、両要素の比重の置き方が人によって異なる。

行動的な様式の傾向が強い人はみずからの感情を表に出すことは望まないが、悲しみや思慕などの感情を経験していないわけではない。しかし、感情をあまり表現せず、冷静に対応している行動的な様式の人に対して、感情的な様式の比重が大きい人は不信感をおぼえ、両者の関係に葛藤が生じることもある。

男らしさや女らしさといったジェンダーは、喪失に対する向き合い方に関係するとされ、感情的な様式は女性性、行動的な様式は男性性と結びつけられがちである。しかし、ジェンダーは影響要因の一つに過ぎず、実際はジェンダーに関係なく、男女ともにいずれの様式も認められる。ジェンダーだけでなくパーソナリティや文化、経験など他の要因との組み合わせによって、両様式のどちらに傾倒するかが決定される。

■4歳の一人息子を失った夫婦の悲嘆と向き合い方

坂口幸弘『喪失学 「ロス後」をどう生きるか?』(光文社新書)

映画『ラビット・ホール』(2011年)では、交通事故で突然に4歳の一人息子を失った夫婦の悲嘆と、それぞれの向き合い方が描かれている。息子の死から8カ月が経ち、深夜に息子の動画を見たり、グループセラピーにも通ったりと、亡き息子との思い出を大切にして前に進もうとする夫ハウイーとは対照的に、ニコール・キッドマン扮する妻ベッカは亡き息子を忘れようと努めている。

この映画では、夫のほうが感情的な様式であり、妻のほうが行動的な様式であるように思われる。悲嘆におけるジェンダーの影響については、ことさらに誇張せず、各自の様式の差異に注目することが大切である。より情緒的な様式の男性は悲嘆の表現や共有を望むが、男性役割への期待によって、悲嘆を表現することに躊躇をおぼえることがあるかもしれない。当人にも周囲にも、ジェンダーに縛られない共感や理解が求められるだろう。

■「悲しみはやがて変わり、その重みに耐えられるようになる」

ところで、映画のなかで、妻ベッカの母親は、ベッカの兄である息子を早くに亡くした経験があり、「悲しみは消える?」との娘の問いかけに対して、次のような言葉を伝えている。

いいえ。私の場合は消えない。11年経ってもいまだに。でも変わっていく……
なんていうか、その重みに耐えられるようになるの。
押しつぶされそうだったのが、這い出せるようになり、ポケットのなかの小石みたいに変わる。ときには忘れもするけど、何かの拍子にポケットに手を入れると、そこにある。苦しいけど、いつもじゃない。
それにつらくはあるけど、息子の代わりに残ったものなのよ。ずっと抱えていくしかないの。
決して消えはしない。それでもかまわない。

どのような様式で喪失に向き合うにしろ、悲しみは消えないかもしれない。そうであるならば、自分なりの向き合い方を模索しながら、気持ちを整理していくほかない。「悲しみはやがて変わり、その重みに耐えられるようになる」とのメッセージは、先の見えない暗闇のなかで、一筋の光となるかもしれない。

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坂口 幸弘(さかぐち・ゆきひろ)
関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授
1973年大阪府生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了、博士(人間科学)。専門は死生学、悲嘆学。死別後の悲嘆とグリーフケアをテーマに、主に心理学的な観点から研究・教育に携わる一方で、病院や葬儀社、行政などと連携してグリーフケアの実践活動も行っている。主な著書は、『悲嘆学入門』(昭和堂)、『死別の悲しみに向き合う』(講談社現代新書)など。

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(関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授 坂口 幸弘 写真=iStock.com)

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