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家族を亡くしたのに"泣かない人"は冷酷か

プレジデントオンライン / 2019年7月10日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/PeopleImages)

家族の死を悲しんでいないように見える人は、薄情なのだろうか。悲嘆学が専門の関西学院大学の坂口幸弘教授は「泣くことは、有益な対処方略ではあるが、泣かなければいけないわけではない。喪失との向き合い方は、人それぞれ違う」という――。

※本稿は、坂口幸弘『喪失学 「ロス後」をどう生きるか?』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■「重大な喪失」は人生で何度も経験するものではない

「これからどうやって生きていけばよいのかわからない。何もする気がしない」
「前向きにならないといけないとは思っているけど、それができない」
「誘ってくれる人はいるが、外に出かける気分ではない」

大切なものを失ったときに、このように深く落ち込み、何事にも無気力になることは自然である。身を切るような悲しみや、湧きあがる怒り、言葉にできない苦しみもあるだろう。自分の人生が終わったように感じ、先のみえない絶望感に、生きていても仕方がないと思うことさえある。自分でも驚くほど落ち込み、制御できないくらいの感情を抱くのは決しておかしなことではない。失ったものが、自分が意識していたよりもずっと大事なものであった証である。

重大な喪失は、人生のなかで、そう何度も経験するものではない。たとえば、配偶者や子どもの死に直面するのは、ほとんどの人にとって初めての体験である。それゆえ、「このつらさがいつまでも続くのではないか」「自分は人とは違うのではないか」などと不安になることもありうる。

■「夜がつらい」人も「朝がつらい」人もいる

遺族の集まりにおいて、一日のなかで、いつ頃に気持ちがつらくなるのかという話題になったことがある。配偶者を亡くして一人暮らしとなったある女性は、「夜がつらい」と話された。日中、明るいうちはいいが、暗くなるとたまらなく寂しくなるという。参加していた他の遺族の方も深くうなずいていた。一方で、「朝がつらい」という方もいた。目が覚めて、パートナーがいないという現実をあらためて実感することが耐えがたいという。これにも同調する声があがった。

人によって受けとめ方は異なるであろうが、同じような思いや体験をしている人は自分以外にも必ずいる。一人ひとりの体験は決して同じではないが、たいていの場合、自分の体験が異常であると心配する必要はない。

■「地べたを這うような日々は、終わりが見えなかった」

国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏は、奥様をがんで亡くされた後、つらい気分を麻痺させるため、酒浸りの日々だったという。「我ながら、良く生き延びたものだと思う。死ねないから生きている。そんな毎日だった。(中略)地べたを這うような日々は、終わりが見えなかった。永遠に続くのではないかと絶望的になった」と当時を振り返っている。

同じく奥様をがんで亡くされた川本三郎氏は、垣添氏との対談のあと、「理知的なお医者さんでも妻の死のダメージは大きいのだなと、ある意味、安心した」と著書で述べている。川本氏も、妻の死後、何もする気になれず、家のなかは散らかっていて、人に会う気もせず、軽いうつ状態だったかもしれないと述懐している。

重大な喪失に直面してひどく落ち込んでいたとしても、多くの場合、その状態は異常ではないし、今のままの苦しみがいつまでも続くわけではない。

■喪失との向き合い方は「生き方」に通じる

重大な喪失に直面して落ち込んでいると、周囲の人が心配して色々なアドバイスをしてくれるかもしれない。過去に同じような体験をした人から、みずからの経験を踏まえた助言が与えられることもある。周囲からの気遣いはありがたい反面、「人からあれこれ言われるのはイヤ」という人も多い。

重大な喪失にはそれぞれの特性や状況があり、直面した人の受けとめ方や反応、向き合い方も大きく異なる。喪失に対してどう反応し、どう向き合うのが正しいのかを一律に定めることはできない。喪失体験は、きわめて個人的な体験である。他の人にとっては役に立つ助言でも、自分にはそうでないこともある。

喪失にどのように向き合うのかは、人生をどのように生きるのかに通じる。生き方に一つの正解がないのと同様、喪失への向き合い方にも絶対的な解があるわけではない。「今の自分」には合わないことでも、しばらく時間が経ってから、受け入れられるようになることもある。

同じような体験をした人の話を聞いたり、手記を読んだりすることで、みずからの喪失体験を客観視し、これからの歩みに向けてヒントが得られることもたしかにある。そうはいっても人それぞれ体験が異なるのだから、自分の考えとは違うと感じる部分も必ずある。他者の考えや助言にそのまま従う必要はなく、基本的には自分が良いと思える向き合い方でかまわない。本記事も当事者の声や文献資料などに基づき、喪失体験について論じているが、異なる考え方や向き合い方を否定するものでは決してない。

■故人そっくりの「遺人形」を拠り所にする遺族

以前、NHKの情報番組で、「遺人形」というものが紹介されていた。「遺人形」とは3Dプリンターを用いて、写真から作成された故人そっくりの人形(フィギュア)である。高さは20~30cmで、素材として特殊な石膏もしくは樹脂が用いられている。番組では、息子を交通事故で亡くした夫婦が、息子の人形に語りかける様子が紹介されていた。他にも、夫をがんで亡くした女性は、人形に日々語りかけているうちに、死を受け入れられるようになってきたという。

このような「遺人形」を作成することに対して拒否感をおぼえる人もいるだろう。場合によっては、悲嘆のプロセスにおいてマイナスに作用する可能性も捨てきれない。しかし、ここで重要なことは、亡き人の人形を手元に置くことを望み、それが心の拠り所になっている遺族が実際にいるという事実である。

最近では、遺灰を収納したペンダントやリング、遺骨の成分で作った合成ダイヤモンドなど、手元供養とよばれる商品も広まってきており、「故人をいつも身近に感じたい」という遺族の要望に応えている。あきらかに問題があると判断されない限りは、それぞれの向き合い方は尊重されるべきであり、その善し悪しを評価するよりも、一人ひとりが抱えている思いに目を向けることが大切である。

■「人前で泣くべきではない」のか

重大な喪失に伴う錯綜した感情やうまく言葉にできない思いに、胸が締め付けられ、心が押しつぶされるように感じるかもしれない。こうした体験は喪失の状況や対象などによって個人差は大きいが、誰しも経験しうる悲嘆反応である。自然に湧き起こる感情や心の痛みは当然の反応であり、「いつまでも泣いてはいけない」「落ち込んでいてはいけない」などと、みずからの感情にふたをし、無理に抑え込むのは望ましいことではない。

日本では意識的あるいは無意識的に、人前で感情を表現することを躊躇する人は少なくない。特に年配の男性には、「人前で泣くべきではない」と考える傾向が強い。

妻を亡くして1年半近くが過ぎようとしている70代の男性は、「悲しくないわけではない」けれども、気持ちを表現することが苦手で、人前で泣くことはほとんどなかったという。「その人なりの表現の仕方もあるから、色々あっていいんじゃないかと思っています」と言いつつも、素直に感情を出せる人をうらやましく感じるとも話されていた。

■「泣くこと」は気分を浄化してくれる

「泣くこと」は、落涙を特徴とする生得的な感情表出行動であるが、情動調整機能を有しており、カタルシスとよばれる気分の浄化現象がみられることが知られている。ひとしきり泣くだけ泣いたら、気持ちが少し晴れるかもしれない。大人が泣くことは、ストレスに対する幼く消極的な対処方法として否定的にみられがちであるが、人間が生まれながらに身につけている有効な機能であるともいえる。

気持ちを受けとめてくれる人が身近にいれば人前で泣くことも悪くないが、必ずしもそうする必要はない。他者の前で泣いた場合とひとりのときに泣いた場合で、泣いたあとの気分の改善度に違いはないとの研究報告もある(澤田他/2012)。人目を気にせず思いきり泣ける場所を探してみるのも一つの方法だろう。

夫を亡くした60代の女性の場合は、元気でなければいけないという雰囲気がなんとなくあって、子どもや周囲の人の前では泣けないという。まわりの人からは「しっかりしているね」と言われるが、無理して気丈にふるまっているだけで、一人で墓参りをしては涙を流しているそうである。周囲の人に見せている顔と、ひとりのときの顔は違うのである。

なお、よくいわれる「泣きたいときは泣いたらいい」は正しいが、泣けない苦しみがあることも理解する必要がある。無理に泣く必要はないし、泣けない自分を責める必要もない。泣くことは、有益な対処方略ではあるが、泣かなければいけないわけではない。

■怒りを感じたらクッションを叩いてもいい

坂口幸弘『喪失学 「ロス後」をどう生きるか?』(光文社新書)

怒りとうまくつきあうことも大切である。重大な喪失に直面したときによくみられる悲嘆反応として、怒りを感じたり、イライラしたりしやすくなるかもしれない。理不尽な現実に対してやり場のない怒りを感じることは特別なことではなく、心のなかに閉じ込めなくてもいい。

とはいえ、怒りは人を遠ざけ、トラブルに発展する可能性もある。親を亡くした子どもの場合では、死を前にした無力感や怒りの感情が攻撃的な言動や非行という形で現れることもある。簡単なことではないが、信頼できる人に怒りの気持ちを聞いてもらったり、気晴らしをしたりするなど、怒りを自分なりにコントロールできるように対処することが望ましい。許される範囲で、大声をあげたり、物を投げたり、クッションを叩いたりなど、怒りを身体で表現することでも緊張が少しほぐれるかもしれない。

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坂口 幸弘(さかぐち・ゆきひろ)
関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授
1973年大阪府生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了、博士(人間科学)。専門は死生学、悲嘆学。死別後の悲嘆とグリーフケアをテーマに、主に心理学的な観点から研究・教育に携わる一方で、病院や葬儀社、行政などと連携してグリーフケアの実践活動も行っている。主な著書は、『悲嘆学入門』(昭和堂)、『死別の悲しみに向き合う』(講談社現代新書)など。

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(関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授 坂口 幸弘 写真=iStock.com)

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