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傷つきやすい人に"無理しないで"は逆効果

プレジデントオンライン / 2019年7月9日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/shironosov)

嫌なことがあるとひどく落ち込み、なかなか立ち直れない人がいる。MP人間科学研究所代表の榎本博明氏は「こういった人は、困難な状況にあっても、心が折れずに適応できるレジリエンス(回復力)が低いことが多い。早く立ち直れないのは性格ではなく、記憶の管理法に問題がある」と指摘する――。

※本稿は、榎本博明『なぜイヤな記憶は消えないのか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■自分が嫌だと嘆くのに気晴らしに逃げている

自分の毎日の生活がパッとしないとか、外で人と一緒にいれば気が紛れるが家に帰ってひとりになると気分が落ち込み憂鬱になるなどと言いながら、何も生活を変えようとしない。そんな人があまりに多い。

自分が嫌だと嘆きつつ、そんな自分を変えようという動きがない。これではいつまでたっても憂鬱な毎日から抜け出すことはできない。

そのような人は、自分のことを嘆きはするが、自分と向き合うということがない。テレビを見たり、音楽を聴いたり、ネットで検索したり、ゲームをしたり、SNSでやりとりしたりと、気を紛らすことをするばかりで、自分と向き合わない。まるで自分と向き合うことを怖れるかのように、気晴らしに没頭し続ける。

「人間は意味を求める存在である」とし、意味を感じられないことからくる空虚感が多くの現代人を苦しめているとした実存分析の提唱者である精神科医フランクルは、気晴らしによって虚しさに直面することから逃げている人があまりに多いとし、気晴らしの弊害を指摘している。

■「無理しなくていい」という心のケアの決まり文句

家に帰ると、すぐにテレビをつける。パソコンを立ち上げる。虚しさに、つまり納得のいかない自分自身に直面するのを避けるべく、ひたすら気晴らしに走る。スマートフォンの登場が、そうした傾向に拍車をかけている。

電車の中でも、家にいても、スマートフォンを手放せない。絶えずいじりながら、自分と向き合う瞬間をことごとく避けている。それによって、自分の中の虚しい思いに直面せずにすむ。暗黒の裂け目に吸い込まれそうな恐怖を味わわないですむ。

気晴らし的な娯楽の場や道具がつぎつぎに開発されることで、自分と直面する機会が奪われる。そのせいで自分を変えるチャンスも逃すことになる。

そうした気晴らし的な娯楽に加えて、「そのままの自分でいい」「無理しなくていい」という心のケアの決まり文句が、後ろ向きに開き直る人物を大量生産している。

ありのままの自分を受け入れる、つまり自己受容が、前向きに生きる上で重要な意味をもつのは言うまでもない。だが、それは、まだ未熟で至らないところもたくさんあり、理想にはほど遠いが、日々一生懸命に頑張って健気に生きている自分を認めてあげよう、まだまだ未熟だからといって責めるのはやめよう、そのままに受け入れよう、という意味である。

■早く立ち直れるかは心の「回復力」次第

そのまま成長しなくていい、今のままでいいというのではない。そのままでいい、変わる必要ないというなら、いつまでたっても傷つきやすい心を抱えて、事あるごとに酷く落ち込み、いったん落ち込むとなかなか立ち直れず、そんな自分に自己嫌悪して、うつうつとした人生をずっと送り続けなければならない。

それでいいのだろうか。そんな人生を望むだろうか。できることなら、ちょっとしたことでいちいち傷ついたり落ち込んだりしないですむように、もっと前向きに生きられる強い心を手に入れたいと思わないだろうか。

そもそも「そのままの自分でいい」「無理しなくていい」という心のケアの決まり文句は、心が酷く傷ついて病理水準にあるときに、こんな状態で頑張れというのは酷だということで、現実生活から緊急避難させて一時的に保護するためのものだ。それを日常場面に当てはめる風潮が広まったせいで、日頃から努力することも頑張ることもせず、自己コントロール力を高めることもせず、弱く未熟で傷つきやすい自分をそのままに生きている人が目立つようになった。

■落ち込んでばかりいても、状況の改善は望めない

心が鍛えられていないため、ちょっとしたことにも酷く傷つく。何かにつけて自信がない。自信がなく不安が強いため、他人の何気ない言葉や態度を必要以上に気にする。嫌なことがあるたびに大きく落ち込み、前に進めなくなる。前向きに頑張ることができないため、パッとしない人生になる。その結果、不満や愚痴だらけになり、自分に嫌気がさしてくる。

心が鍛えられていないためにレジリエンスが低いのだ。

レジリエンスとは、復元力と訳され、もともとは物理学用語で弾力を意味するが、心理学では回復力とか立ち直る力を意味する。もう少し具体的に説明すると、レジリエンスとは、強いストレス状況下に置かれても健康状態を維持できる性質、ストレスの影響を緩和できる性質、一時的にネガティブ・ライフイベントの影響を受けてもすぐに回復し立ち直れる性質のことである。

要するに、嫌なことがあったときはだれでも落ち込むが、そこからすぐに立ち直れるか、長く尾を引くかは、レジリエンスしだいというわけだ。どうしたら打開できるかわからないような困難な状況に置かれれば、だれだって心に負荷がかかり、落ち込んだり、悩んだり、絶望的な気持ちになったりする。

でも、そこで諦めて投げやりになったり、落ち込んでばかりいても、状況の改善は望めない。ますます自分が追い込まれ、悲惨な気持ちになるだけだ。

■「無理しなくていい」を平常時まで多用しない

そこで問われるのがレジリエンスである。困難な状況にあっても、心が折れずに適応していく力。挫折して落ち込むことがあっても、そこから回復し、立ち直る力。辛い状況でも、諦めずに頑張り続けられる力。

このようなレジリエンスが欠けていると、困難な状況を耐え抜くことができない。そんなときに口にするのが、「心が折れた」というセリフだ。レジリエンスの高い人は、どうにもならない厳しい状況に置かれ、気分が落ち込むことがあっても、心が折れることはなく、必ず立ち直っていく。

スポーツ選手が大ケガをしたとき、「ケガが治るまでは筋トレや練習のことは忘れてゆっくり休んでなさい」というのは間違っていない。だが、ケガが治った後や、そもそもケガをしていない選手にまで、「筋トレや練習のことは忘れてゆっくりしなさい」などと言うだろうか。そんなことを言っていたら力のある選手は育たない。

ゆえに、大切なのは、「そのままの自分でいい」「無理しなくていい」といった緊急時の心のケアのセリフを平常時に適用しないことだ。そして、レジリエンスを高めるべく、心を強くする工夫をすることだ。その際に、記憶とのつきあい方が重要な鍵を握ることになるのである。

■すぐに傷つく原因は性格ではなく、記憶システムにある

心のケアのセリフに平常時から馴染んでしまっては、どんどんレジリエンスの低い人間になり、忍耐力、協調性、やる気、感情抑制力などの非認知能力が低下してしまう。傷つきやすく、何かにつけて落ち込んだり、ヤケになったり、頑張らねばならない局面でもやる気が湧いてこなかったり、すぐに諦めたり、人とうまくやっていけなかったりして、仕事でも私生活でも苦労しなければならない。

実際、軽いうつが、現代型うつなどと呼ばれて、目立つようになっている。本人はほんとうに落ち込んで辛いのだろうが、多くの人がそれほど反応しないようなことにも過敏に反応してしまう。それで本人も大変な思いをするが、周囲も迷惑を被る。

ちょっとしたことで傷ついたという心の傷シンドロームともいうべきものも増えている。他の人なら傷つかないようなことにも酷く傷ついてしまう。その結果、被害者意識が高まり、自分の受け止め方の過敏さは棚上げして、他罰的になりやすい。本人が辛いのは事実としても、何気ない言動に傷ついたとされては、周囲も対応に困ってしまい、ときに腫れ物に触るような扱いになる。

いずれにしても、このような落ち込みやすく傷つきやすい心を抱えていては、仕事面でも躓きやすいし、人間関係もぎくしゃくしてしまう。その結果、自分の世界を狭めてしまう。

その落ち込みやすい心の構え、傷つきやすい心の構えを何とかする必要がある。そこにも記憶の整理の仕方が関係している。そこを変えなければ、苦しい心理状況から脱することはできない。

何かと落ち込んだり傷ついたりするのは、他人が悪いわけでもなく、自分が悪いわけでもない。記憶システムが悪いのだ。だから、そこを変えれば、タフな心が手に入り、前向きの人生に転換できる。

■人間としての成長機会を奪われていないか

これでわかっていただけたかと思う。「そのままの自分」ではダメなのだ。自分の心を鍛えることをしないと、ちょっとしたことにも傷つきやすい人間、いざというときにも頑張ることのできない人間になってしまう。そうなったら、だれよりも本人が一番辛いはずだ。

同じような目に遭っても、立ち直れないほどに傷つき落ち込む人もいれば、飄々と乗り越えていく人もいる。できることなら、立ち直れないほどのダメージを負って苦しい世界に足踏みするより、前向きに乗り越えていきたいものである。

「そのままの自分でいい」「頑張らなくていい」式の心のケア文化の中で甘やかされてしまうと、現実においてちょっとした困難にぶつかるたびに苦しむことになり、意味ある人生を切り開く力のないひ弱な人間になってしまう。

それは、一見大事にされているようでありながら、じつは人間としての成長の機会を奪われている。心地よく前向きに生きていく人生を手に入れるチャンスを奪われているのである。

ここは一念発起して、自分を成長軌道に乗せるべきだろう。そのためにも、自分をダメにしない発想の転換が必要だ。

■記憶と健康的に付き合えば前向きになれる

そこで必要なのが、自己改造である。そのための効果的な方法が記憶健康法だ。改めて念を押しておくが、それは記憶との健康なつきあい方であって、記憶力を高める方法ではない。

記憶健康法とは、記憶をうまくコントロールし、使いこなして、イキイキとした、また安定感のある、前向きで健康な人生を導くための方法である。ちょっとしたことで傷ついたり、うつ的な気分に落ち込む人が急増している。いったん沈み込むとなかなか浮上できないという人も少なくない。そうした徴候も、記憶のあり方に問題があるのだ。

記憶健康法を習得して、記憶を整えることができれば、傷つきにくく落ち込みにくい心が手に入る。どんなときも前向きの気持ちを失わず、頑張ることができるようになる。

人生とは記憶である。すでに述べたように、自分に価値を感じるのも感じられないのも、自信がもてるのももてないのも、すべては記憶しだいである。

■「不健康な記憶」に支配されてはいけない

何とかなるさと楽観できるのも、どうにもならないような悲観的な気分に襲われるのも、記憶しだいである。明るい展望を描くことができるのも、描くことができずに閉塞感に苛まれるのも、記憶しだいである。他人を信頼できるのも、だれに対しても不信感が拭えないのも、これも記憶しだいである。

榎本博明『なぜイヤな記憶は消えないのか』(KADOKAWA)

何もやる気がしないというのも、人生に前向きになれないというのも、自分に自信がもてないというのも、人を信用できないというのも、すべては不健康な記憶に支配されているのである。

自分の人生は挫折だらけ。自分の人生はどうにもパッとしない、もっと輝きたい。将来に何も希望がもてない、明るい展望がない。こんな状態から脱するには、記憶システムを健康なものに変えていく必要がある。

たとえば、記憶を整える必要がある。そして、記憶へのアクセスの仕方を調整していく必要がある。今すぐ記憶健康法を実践して、前向きの人生を手に入れよう。

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榎本 博明(えのもと・ひろあき)
MP人間科学研究所代表
心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授などを経て現職。『なぜ、その「謙虚さ」は上司に通じないのか?』、『「忖度」の構造』ほか著書多数。

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(MP人間科学研究所代表 榎本 博明 写真=iStock.com)

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