日本には民主主義によく似た形があるだけ

プレジデントオンライン / 2019年7月10日 9時15分

映画『新聞記者』のメインビジュアル。新宿ピカデリー、イオンシネマほか全国公開中。配給=スターサンズ/イオンエンターテイメント。©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

■大ヒット中の映画『新聞記者』が描いたテーマとは

「この国の民主主義は形だけでいいんだ」

これは、映画『新聞記者』(藤井道人監督)のラストで、内閣調査室のトップが、政権がひた隠す新設大学の暗部を告発しようとする若手官僚(松坂桃李)の背中に向けて投げつけた言葉である。

絶賛上映中(劇場は連日満員で、筆者も2回入れなかった)の映画の筋書きをバラすのは禁じ手なのでやめておくが、このセリフを聞くだけで、この映画を観る価値は十分にある。

映画をプロデュースした河村光庸が思いついた言葉だそうだ。

菅官房長官の会見で、他の記者が聞かない質問を次々に浴びせかけ、菅の顔を歪ませたことで名をはせた、東京新聞・望月衣塑子の『新聞記者』(角川新書)を原案にして作られたポリティカル・サスペンス映画である。

加計学園の獣医学部新設問題、文書改竄問題、役人の自殺、前川喜平・元文部科学事務次官の「出会い系バー」報道、伊藤詩織の性被害告発など、ここ数年で起きた安倍政権がらみの“事件”を彷彿とさせるシーンが随所に出てくる。

日本人の父と韓国人の母を持つ東都新聞記者・吉岡と協力して、官邸の闇を暴こうとする官僚が所属するのが「内閣情報調査室」というのもリアリティーがある。

■「これ、ヤバイですよ」「作ってはいけないんじゃないか」

だが、映画の感想をひと言でいえば、「権力の持つ真の怖さが描かれていない」といわざるを得ない。吉岡の新聞記者像も類型的で、情報の裏付けをしていくという取材者の“苦労”が、見ている側には伝わってこない。

挙げればいくつもの瑕疵(かし)はあるが、安倍一強政権が延々続く中、それも参議院選がスタートするこの時期に、政治の腐敗を真っ向から描こうとした監督、スタッフには敬意を表したい。

ベテラン映画評論家の秋山登は朝日新聞の「プレミアムシート」で、この映画をこう批評している。

「これは現代日本の政治やメディアにまつわる危機的状況を描いた作品である。日本映画久々の本格的社会派作品として珍重に値する。(中略)しかし、最も高く評価すべきはスタッフ、キャストの意欲と勇気と活力だろう。権力に屈しない気概だろう。ついでに言い添えれば、周囲にこんな声があったという。『これ、ヤバイですよ』『作ってはいけないんじゃないか』。情けない話だ」

秋山は試写会で観ているはずだから、この声は、そこでささやかれた他の新聞記者たちのものではないのか。

■政権に批判的な映画に関わると「干される」

この程度の映画でも、「政治の話題を嫌うテレビは、なかなか紹介してくれない」と河村は朝日新聞(7月3日付)で嘆いている。「(政権に批判的な映画に関わると)『干される』と、二つのプロダクションに断られた」とも明かしている。

1960年代や70年代は、大手映画会社が、このような政治腐敗を描く映画を配給していた。

黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』(1960)は公団とゼネコンの汚職を描き、父親を殺した現代社会の機構の悪にいどむ男の物語である。

日米安保条約に反対する安保闘争をテーマにした作品に大島渚監督の『日本の夜と霧』(1960)がある。松竹が大島に無断で4日で上映を打ち切ったため、大島は猛抗議して退社する。

©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

山本薩夫監督の『金環蝕(きんかんしょく)』(1975)は総裁選挙と、そこで飛び交った実弾の資金稼ぎのためのダム汚職が扱われている。原作は石川達三である。

堀川弘通監督の松本清張原作『告訴せず』(1975)は、総選挙の行われている最中に、義弟の代議士が不法に得ていた選挙資金を抱え、逃走した男を描くクライムサスペンス。

山崎豊子原作による山本薩夫監督の『不毛地帯』(1976)もまた、次期戦闘機選定にまつわる政界、当時の防衛庁を巻き込んだ汚職事件が描かれる。

1976年2月にアメリカの航空機メーカー、ロッキードの日本への航空機売り込みに絡む疑獄事件が発覚し、後に田中角栄が逮捕されるのだから、実にタイムリーな映画であった。

だが、その後、こうした政治が絡む映画は作られなくなっていく。

■事実の面白さがフィクションを超えてしまった

朝日新聞(7月3日付)で、映画監督で評論家の樋口尚文は、「高度成長期まで勢いのあった左翼の勢力が衰え、社会派娯楽映画も消えた」と分析している。

また樋口はこうも指摘する。

「山本作品ではマスコミが政権と対峙(たいじ)する構図が勧善懲悪な娯楽色につながり、大衆の支持を得た。しかし、マスコミの政権への忖度(そんたく)が取りざたされ、往年のヒロイックな権力批判の物語はうそっぽくなった。『新聞記者』も痛快さでなく、閉塞(へいそく)感が全編に漂っていた」

私は、もう一つの理由があると思う。ロッキード事件に見られるように、事実の面白さがフィクションを超えてしまったのである。

■なぜ政治がテーマの映画が作られなくなったのか

司法取引という、日本の司法制度にないものを取り入れてまで、一国の総理経験者を逮捕するという理不尽なやり方に、メディア、特に雑誌論壇は賛否を戦わせ議論が沸騰した。映画や小説では、この事実の面白さに太刀打ちできなかった。それだけの才能もいなかったのだと思う。

第2次田中内閣まで続いた高度成長で、国民の多くが豊かになったため、政治よりも経済界が力を持ち、日本を主導していく時代が続いた。

それもバブルが弾けて終焉する。以降、政治が再び表舞台に登場してくる。新自由主義を旗印に、規制緩和と称して多くの非正規労働者を生み出した。急速な少子高齢化が進み、年金制度や社会福祉政策が破綻寸前まで追い込まれている。

©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

こうした時代にこそ、再び、政治の貧困や政治家たちの悪行をテーマにした映画が作られそうなものだが、なぜできないのか。それは、われわれ国民が真剣に阻止しようとしてこなかったさまざまな言論規制法が、縦横に張り巡らされてしまったからである。

■この国には民主主義によく似た形があるだけ

個人情報保護法、盗聴法、特定秘密保護法、共謀罪など、挙げればきりがない。それに全国に設置された監視カメラ、Nシステムなど、中国を批判できないほどの「警察国家」「監視国家」に、立法、司法、行政が一体となって、日本を変えてしまったからである。

本来ならメディアが、そうした権力の横暴をチェックする役目があるはずだが、産経新聞や読売新聞をはじめ、大手新聞のほとんどが権力側に取り込まれ、向こう側の番犬に成り下がってしまった。

かつては、「サンデープロジェクト」「ニュースステーション」「ザ・スクープ」など、硬派の報道番組をもっていたテレビ朝日は、1993年の椿貞良報道局長発言(「反自民の連立政権をつくる手助けとなる報道をしよう」という趣旨の発言をしたといわれる)以来、権力側にすり寄り、次々に報道番組を潰していった。自らジャーナリズムであることを放棄したといわざるを得ない。

中国で天安門事件が起きた時、よくいわれていたこんな話がある。反政府運動をしている学生たちは、「この国に民主主義を」と叫んでいたが、彼らのほとんどが民主主義がどんなものか知らなかったという。

これを聞いて、われわれ日本人は笑えるだろうか。映画で内調のトップがいうように、この国には民主主義によく似た形があるだけなのだ。

■都合の悪い質問は、無視する、答えない

私は、この国にはいいっ放しの自由はあるが、真の言論・表現の自由は極めて限られていると考えている。SNSで、相手を誹謗中傷するような暴言を吐いても、そこまでなら、バカな奴だと思われるだけである。

だが、テレビで、安倍政権の年金問題や憲法改正の考え方には反対だとでもいえば、明日からテレビには出られなくなる。

朝日新聞が森友学園問題でスクープを放っても、政権側は説明責任も果たさず、「フェイクニュース」だと切り捨てる。他紙は、後追いもせず、ただ沈黙するか、政権側に立って、朝日を批判するという愚に出る。

©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

安倍政権になって、言論・報道の自由度はさらに狭められている。国民に寄り添うといいながら、都合の悪い質問は、無視する、答えない、話を違う方向にねじ曲げてしまう。これほど、国民をばかにした政権を、私は知らない。

国際NGO「国境なき記者団」が発表した2019年の「報道の自由度ランキング」で、調査対象180カ国・地域のうちで日本は67位だった。トランプのアメリカでも48位なのに。

■「沖縄密約」の真相究明が腰砕けになった理由

新聞が権力に敗れた「西山事件」を覚えておいでだろうか。1971年、第3次佐藤栄作政権の時、毎日新聞の西山太吉記者が、沖縄返還交渉の過程で、アメリカと日本が結んだ「密約公電」があるとスクープした。

佐藤は密約を否定し、密かに、西山記者が外務省女性事務官から「情を通じて」情報をとったと、他のメディアにリークした。それが週刊誌などで書きたてられ、西山記者は国家公務員法違反の罪で逮捕されてしまうのである。

結局、密約の内容についての真相究明は行われず、取材活動の正当性や報道の自由を掲げて政府を追及していた新聞は腰砕けになり、西山記者は毎日新聞を退社する。

後日、新聞は、週刊誌が男女問題を大げさに書きたてたために、世論が倫理批判に傾き、闘うことができなかったなどと寝ぼけたことをいっているが、そうではない。新聞を含めて、すべてのメディアに「言論の自由を死守する」という覚悟がなかったからである。

■権力側は新聞記者たちが本気ではないことを知っていた

当時、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストがベトナム戦争の報告書(ペンタゴン・ペーパーズ)を入手し掲載すると、ニクソン大統領が司法省に命じて、記事の差し止め命令を求める訴訟を連邦地方裁判所に起こした。

新聞と権力側が言論の自由を巡って連邦最高裁までいった。そこで政府側の要求は却下されたのである。その余波が日本の新聞にも伝わり、西山事件を言論の自由を守る闘いと位置付けたが、掛け声倒れに終わってしまった。

権力側は新聞記者たちが本気で言論の自由を守ろうとしていないことを、よく知っていたのである。それは今も変わらない。否、もっと本気度は薄くなっていると思う。

私は望月記者にインタビューしたことがあるが、そこで彼女はこう語っていた。

■菅官房長官「会見は質問するところじゃない」

【望月】(菅官房長官に質問したこと=筆者注)こんなことで有名になること自体が恥ずかしい話ですよね。今は会見でどこの記者がどんな質問をしているのか、国民がチェックできるわけですが、そういう自覚は確かに私たちに、ちょっと足りなかったですね。

私自身が遅ればせながら入って行って、あれだけ反響があったということは、国民側が知りたいことを聞いてくれてないという不満を、そうとう持っていたから、私を「がんばれ」という人たちは、同時に「今まで何をやっていたんだ」と思っているのでしょう。

だから政治家にだってなめられますよ。モリカケ問題も、新聞は騒いでいるけど、自分の周辺の記者は言わないし、秘書官が苦言を呈することも、ほとんどないと思うので、(安倍首相=筆者注)本人もこれでいいと思っていたはずです。

【元木】望月さんは菅さんから「会見は質問するところじゃない」という発言を引き出しました。お前たち記者は、オレの言うことを聞いてりゃいいんだ、質問するんじゃない。これは重大な問題発言ですよ。

【望月】ここで聞かないでどこで聞けというんですかね(笑)。苦し紛れに墓穴を掘ったのだと思います。私がしつこく質問をするので、8月下旬に菅官房長官側から、菅番の担当記者に会見時間を短縮したいと言ってきたそうです。

それは突っぱねたようですが、「あと○人」「あと○問」と官邸の広報官が質問を打ち切るのをそのまま認めています。これはメディアの自殺行為ですよ。(『エルネオス』2018年1月号より)

このインタビューからだいぶ日がたつが、官邸の記者クラブも、菅官房長官の答え方も、何も変わってはいない。

■マスコミはなぜマスゴミと呼ばれるのか

辛辣なマスコミ批判をしていた弁護士の日隅一雄は『マスコミはなぜマスゴミと呼ばれるのか』(現代人文社)の中でこう書いている。

ニューヨーク・タイムズのビル・ケラー編集主幹が読者に宛てた手紙を書いた。そこで、

「『大統領の言葉を常にその言葉どおりに受け取ったり、何を報道するかという決定を政府に委ねることが、賢く、愛国的だ、という考え方も排除した』――しびれませんか? こういうメディアならば、為政者の『自衛隊が活動する地域は非戦闘地域である』という有権者を馬鹿にするような発言を許すはずがない。

日本のメディアに同じような『宣言』をさせるためには、マスコミをマスゴミと呼んで批判することで満足するのではなく、マスゴミと呼ばないで済むような仕組みを設けることが必要だ。つまり、マスメディアに対する日本独自の規制を打破し、インターネットの世界に言論を封殺するような規制を持ち込まないようにしなければならない。それは実現不可能なことではない」

■アメリカには大統領を主人公にした傑作がいくつもある

アメリカには、大統領を主人公にした映画やドラマの傑作がいくつもある。マイケル・ムーアは、『華氏119』で激烈なトランプ批判をやった。

オリバー・ストーンは『ブッシュ』で“史上最低”といわれるブッシュ元大統領を丸裸にした。最近でも、ブッシュ政権下で副大統領を務めたチェイニーを主人公にした『バイス』が話題になった。

『記者たち 衝撃と畏怖の真実』という映画は、「イラクのサダム・フセインは大量破壊兵器を保有している」という嘘をでっち上げ、イラクに侵攻したW・ブッシュ政権に、たった一つの新聞社が、地道な取材で、ブッシュの嘘を暴いていく「事実」を描いたものである。

9・11以降、大手メディアは、政権の流す嘘をチェックもせずに載せ続け、権力の暴走を押しとどめる機能を果たせなかった。だが「ナイト・リッダー」は、権力や大手新聞社の嫌がらせや脅迫にも負けず、真実を伝え続けた。これこそ本物の記者魂である。

これだけはいっておきたい。『新聞記者』の観客は圧倒的に中高年が多いようだが、若い人こそ、観てほしい映画である。

この『新聞記者』がきっかけで、権力の本当の怖さや国民を欺く汚い手口を描くポリティカル・ムービーがもっと出てきてほしいと思う。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦 写真=©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ)

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