本当の友達は"嫌なら辞めれば"と言わない
プレジデントオンライン / 2019年7月23日 17時15分
※本稿は、上西充子『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)の第1章「呪いの言葉に縛られない」の一部を再編集したものです。
■親身になって考えてくれる人の言葉ではない
「嫌なら辞めればいい」という言葉。これは、典型的な呪いの言葉だ。
長時間労働や不払い残業、パワハラ、セクハラ、無理な納期、無理な要求――そういう問題に声をあげる者に対して、「嫌なら辞めればいい」という言葉が、決まって投げつけられる。
たしかに辞めるという選択はある。けれども、辞めてすぐに次の仕事が見つかるとは限らない。次の仕事が見つからなければ、生活は行き詰まる。次にまともな仕事が見つかるとも限らない。だから、辞めるというのは、そんなに簡単に選択できることではない。
にもかかわらず、「嫌なら辞めればいい」という言葉を投げつけられると、その言葉は増幅されて自分に迫ってくる。「その仕事を選んだのはおまえだろう。辞めずにいるのも、おまえがそれを選んでいるからだろう。だったら文句を言うなよ。文句を言うくらいなら辞めればいいじゃないか」と。
だが、ひと呼吸おいて考えたい。「嫌なら辞めればいい」という言葉は、親身なアドバイスではない。親身になって考えてくれる人であれば、あなたが簡単に辞めることができない事情にも目を向けたうえで、言葉をかけてくれるだろう。
では「嫌なら辞めればいい」は、何を目的として発せられる言葉だろうか。
■労働者に問題があるかのように見せかけている
「嫌なら辞めればいい」と言われると、「それができるなら苦労はしない」と思ってしまう。けれども、そう考えるときに、私たちはすでに相手が設定した思考の枠組みに縛られているのだ。
「嫌なら辞めればいい」という言葉は、辞めずに「文句」を言う者に向けられている。他方で、その言葉を投げる者は、長時間労働を強いる者や、残業代を支払わない者、パワハラをおこなう者、セクハラをおこなう者、無理な納期を強いる者、無理な要求をする者などには、目を向けない。そもそもの問題は、そちら側にあるのに。
だから、「嫌なら辞めればいい」という言葉は、働く者を追い詰めている側に問題があるとは気づかせずに、「文句」を言う自分の側に問題があるかのように思考の枠組みを縛ることにこそ、ねらいがあるのだ。不当な働かせかたをしている側に問題があるにもかかわらず、その問題を指摘する者を「文句」を言う者と位置づけ、「嫌なら辞めればいい」と、労働者の側に問題があるかのように責め立てるのだ。
不当な働かせかたという問題の本質を背景に隠し、「なぜ辞めないのか」という問いの中に相手の思考の枠組みを固定化しようとする。「嫌なら辞めればいい」は、そのような「呪いの言葉」だ。
■「相手の土俵に乗せられない」ことが大切
このように「呪いの言葉」は、相手の思考の枠組みを縛り、相手を心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状況に閉じ込めておくために、悪意を持って発せられる言葉だ。
だから、呪いの言葉を向けられたら、その言葉に搦めとられないことが大切だ。「辞めればいいと言ったって……」と考え始めた時点で、あなたはすでにその呪いの言葉に搦めとられ始めている。
では、搦めとられないためには、どうすればよいだろうか。大事なのは、「相手の土俵に乗せられない」ことだ。「相手の土俵に乗せられている」と気づいたら、そこから降りることだ。
そのことを私に教えてくれたのは、カスタマーセンターの仕事に関わりのある人だった。カスタマーセンターには、理不尽にクレームを言いつのる電話もかかってくる。そういう電話に真正面から向き合っていると、メンタルを病んでしまう。だからカスタマーセンターでは、正当な要求といわれのない要求を見極めたうえで、正当な要求はきちんと受け止め、悪質クレームについては、相手の土俵に乗せられないように、心理的に距離を置きながら対応するのだという。そういう心構えが、私たちにも必要なのだ。
■「答えのない問い」への対処術
「相手の土俵に乗せられている」状態を考えるうえで、思想家の内田樹が重要な示唆を与えてくれている。どのように答えても「誤答」になってしまう「答えのない問い」が相手から発せられたときの対処術は、「問いの次数を一つ繰り上げる」ことだと内田は語る。
たとえば「どうして負けたんだ?」と野球チームの監督が部員に問う。あるいは別れ話を持ち出したときに「私のどこが気に入らないの?」と彼女が問う。そういったときに、その言葉を投げかけられた側は、どのように答えても「誤答」になってしまう状況に追い込まれる。
そういうときには、「ひとはどのような文脈において『答えのない問い』を発するのか?」というふうに、問いの次数を一つ繰り上げよ、というわけだ。そして、内田はみずからその問いに答えてみせる。
と。
■問いを発する人が「支配する場」から逃げる
「多くの場合、『答えのない問い』は相手に対して権威的立場を保持し続けたい人、相手を自分の身近に縛り付けておきたい人が口にする」のだ、とも内田は語る。そのうえで内田は、可及的すみやかに、その問いを発する者が支配する場から逃げ出すことが正解だとする。
相手を出口のないところに追い込んで傷つけるために発せられるこのような「答えのない問い」も、「呪いの言葉」と言えるだろう。ならば、呪いの言葉が投げつけられたときの対処術は、「なぜ、あなたは『呪いの言葉』を私に投げるのか」と問うことだろう。そして、「あなたは私を逃げ出せないように、縛りつけておきたいのですね」と問い返すことだろう。
自分を縛ってくる者に対して、実際にそう問い返すことは身の危険を伴うかもしれない。けれども、心の中でそう問い返すことによって、呪いの言葉を投げつけられた者は、その言葉の呪縛から一時的にせよ、精神的に距離を置ける。呪いの言葉の呪縛の外に出られる。
呪いの言葉の呪縛の外に出ることができれば、柔軟に考え、行動することができる。「嫌なら辞めればいい」という例に戻れば、それはつまりは、「文句を言わずに働け」という圧力なのだと、理解できる。そして、不当な働かせかたを押しつけてくる相手こそが悪い、と問題をとらえなおすことができる。
さらに、その不当な扱いにどう対抗できるかと発想を変えることができる。労働組合に相談する、公的な相談窓口に相談する、弁護士に相談する―そういうことは、発想を変えて初めて浮かんでくる選択肢だ。その相談から、具体的な状況改善の糸口が見えてくることもある。
■「野党は批判ばかり」は野党の封じ込めだ
「呪いの言葉」というキーワードを念頭に置いてみると、労働の場面だけでなく、あちこちに呪いの言葉があふれていた。政治の場面もそうだ。
私は2018年の通常国会において、働き方改革関連法案をめぐる国会審議に注目して、日々、ツイートしていた。長時間労働の是正をうたいつつも、残業代を払わずに長時間労働させることを可能とする「高度プロフェッショナル制度」の創設を、抱き合わせの一括法案によって実現しようとする、その政府の姿勢に強く反対していた。
しかし、「野党は反対ばかり」「野党はモリカケばかり」「野党は(国会審議を拒否して)18連休」、そんな表層的な批判が、ツイッターにあふれていた。それに対して野党側から、成立に賛成している法案のほうが多いと反論がなされる状況にあった。
違うのだ。賛成している法案のほうが多いというのは、相手の土俵に乗せられたうえでの反論でしかない。「野党は反対ばかり」と言いつのるのは呪いの言葉なのだから、その相手に返すべき言葉は、「賛成もしています」ではなく、「こんなとんでもない法案に、なぜあなた方は賛成するんですか?」なのだ。
■切り返すことで本当のねらいを明るみに出せる
そう問い返すことによって、「野党は反対ばかり」と言いつのる相手がねらっていたのは、まともな審議を実現することではなく、野党の指摘を無効化することであると明るみに出すことができる。法案を通したい自分たちの意見を正当化できないからこそ、正当な指摘をおこなっている野党を、そのような呪いの言葉で抑え込みにかかっているのだ。呪いを呪いとして認識すること、呪いの言葉による抑圧の構造を可視化することこそ、必要なのだ。
そう思った私は、さまざまな「呪いの言葉」に対する切り返しかたをツイッター上で募集することにした。「#呪いの言葉の解き方」というハッシュタグを作って、自分でも文例を示して見せた。
■「若さ」という呪い
参考にしたのは、ドラマ化されて話題となった海野つなみのコミック『逃げるは恥だが役に立つ』(『逃げ恥』)(講談社、2017年)の、土屋百合の言葉だ(第9巻)。
百合は、結婚も出産もせずにキャリアを手にしてきたが、親子ほども歳が離れた風見涼太から恋愛感情を告げられて心が動く。しかし、みずからの年齢を考えてその思いを受け入れないことを伝えていた。その事情を知らない五十嵐安奈が、風見の彼女のポジションをねらって百合に近づき、こう語る。
アラフィフの百合に圧力をかける言葉だ。
その言葉に百合は「呪いね」と応じ、こう続ける。
あなたが価値がないと思っているのはこの先自分が向かっていく未来よ
それって絶望しかないんじゃない?
自分が馬鹿にしていたものに自分がなるのはつらいわよ
「かつての自分みたいに今周りは自分を馬鹿にしてる」と思いながら
生きていくわけでしょ
そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまうことね
あなたがこの先楽しく年を取っていきたいと思うなら
楽しく生きている年上の人と友達になるといいんじゃないかな
あなたにとっての未来は誰かの現在であったり過去だったりするんだから
■自分自身を「呪縛」から解き放った
百合は五十嵐の呪いの言葉に縛られない。逆に、百合を抑圧しようとする五十嵐に対し、それは「呪い」だと告げる。呪いの言葉で相手を支配しようとする、その構造を可視化させる。そのうえで、「あなたが価値がないと思っているのはこの先自分が向かっていく未来よ」と、問いを相手に返していくのだ。
そして、五十嵐にそう語ることによって、百合自身が呪縛から解き放たれていく。
一方で自分の言葉に驚いていた
だって
一番年齢や周りの目を気にしていたのは
他ならぬあたしじゃない
そう気づいたあとで百合は、風見のことをどう思っているのかと問う五十嵐に向かって、緊張の取れた笑顔でこう答えるのだ。
あなたもそうなんでしょ?
その下に、この言葉。
心に気持ちの良い風が吹いた
■切り返せれば「自由で柔軟」になれる
この百合のように、呪いの言葉を投げかけてくる相手に、切り返していくこと。それができるようになれば、私たちはより自由に、より柔軟に、状況を把握し、恐れや怯えや圧力から、心理的に距離を置いたうえで、状況への対処方法を考えられるようになるのではないか。
そう考えて、「呪いの言葉」への切り返しかたを文例として集め始めた(2018年6月18日)。どなたかまとめていただけないだろうかとツイッター上で呼びかけたら、面識のないフォロワーであった@tokitaroさんというかたが、その日のうちに手を挙げてくれて、翌日には「#呪いの言葉の解き方」という素敵なサイトを作ってくださった。
その後、さらに文例が増えて、「政治参加・市民運動」編、「労働法制」編、「野党は」編、「いろいろ」編と分けて、文例を収録いただいた。
■心理的距離を置いて、相手の言葉を「無効化」する
たとえば、「結局選挙で勝つしかないでしょ?」には、「選挙まで黙っていろと? 嫌です」と切り返してみる。相手の土俵に乗せられずに、こちらを自分の土俵に乗せようとする相手のねらいを俯瞰するかたちで切り返せば、相手の呪いの言葉は無効化できるのだ。
もちろん気持ちのうえで呪縛から距離を置くことができても、現実に自由の身になれるわけではない。けれども、まずは自分が相手の「呪いの言葉」の呪縛の中に押し込められ、出口のない息苦しさの中でもがいている、その状態を精神的に脱することが必要だ。そのための切り返しかたが、ここに集められた文例だ。
なお、これらは呪いの言葉から心理的に距離を置くための思考の柔軟体操なのだととらえていただきたい。こういう言葉で実際に相手に切り返した場合には、逆切れされて反撃される恐れもある。その点は注意していただきたい。
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法政大学 キャリアデザイン学部 教授
1965年、奈良県生まれ。東京大学大学院経済学研究科第二博士課程単位取得中退。日本労働研究機構(現・労働政策研究・研修機構)研究員を経て、法政大学キャリアデザイン学部教授・同大学院キャリアデザイン研究科教授。著書に『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』(旬報社)など。
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(法政大学 キャリアデザイン学部教授 上西 充子 写真=iStock.com)
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