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稲盛和夫に学ぶ"火中の栗"の正しい拾い方

プレジデントオンライン / 2019年7月29日 6時15分

稲盛和夫氏

平成を代表する経営者・稲盛和夫。「利他の心」から発した数々の挑戦は、現在のKDDIの創業など卓越した成果を残している。そのエッセンスはどこにあるのか。稲盛氏を知る3人に聞いた。第1回は、ジャーナリストの渋谷和宏氏――。(全3回)

■なぜ稲盛さんはJAL再生を引き受けたか

「京セラの稲盛和夫名誉会長が、日本航空(JAL)の代表取締役会長に就任」。新聞の夕刊やテレビがいっせいに報じた2010年1月13日の午前、私は東京駅に近い京セラ八重洲事業所で稲盛和夫さんにお会いしていた。稲盛さんに長期にわたり密着取材して執筆したビジネス書が出版間近となり、その報告にうかがったのだ。

本題が終わり、昼食を食べながら雑談しているうちに話題は自然にJAL会長就任問題へと移った。稲盛さんは「JALにはいい印象がなかったのだけれど」と打ち明け、こう続けた。

「実はJALの若手社員たちから手紙をいただいてね。JALを変えたい思いや私と一緒に働きたい気持ちが率直に綴られていて、いろいろ考えたけれど『そうか、そういうことなら』と」

「引き受けるのですか!?」

「引き受けようと思う」

迷いも力みもないその言葉の響きを私は今でもよく覚えている。稲盛さんのこれまでの生き方・働き方からすれば、JALの再建という困難への挑戦は必然とも言える決断なのだなと、そのとき、胸にすとんと落ちたからだ。

ごく常識的に考えれば、JAL会長就任はありえない選択だろう。稲盛さんは創業した京セラを世界的な企業へと育て上げ、19人の若者たちとともに起業した第二電電(DDI)をKDDIへと成長させた、日本を、いや世界を代表する経営者だ。年齢(当時77歳)からして、あえて火中の栗を拾う理由などどこにもない。しかも同年同月に会社更生法の適用を申請したJALの負債総額は事業会社としては戦後最大規模の2兆3000億円超、官僚的な体質や複数ある組合が再建の障壁になる事態も予想された。

にもかかわらず稲盛さんが会長就任を受諾したのは、JALという日本のナショナルフラッグ・キャリアの再建が顧客や従業員、ひいては社会全体にプラスになると考えたからだった。1984年にDDIを設立した動機も、電電公社(現NTT)の対抗軸をつくり通信料金を安くしたいからで、その動機が純粋なものかどうか、稲盛さんは数カ月間「動機善なりや、私心なかりしか」と自らに問い続けたのだった。

■一篇の短歌をホワイトボードにしたためた

10年1月13日の午前中に話を戻そう。「引き受けようと思う」。稲盛さんのその言葉を聞いて同席していたDDIの元社長が立ち上がり「新たな挑戦に捧げます」と一篇の短歌をホワイトボードにしたためた。

「年長けて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」

西行が新古今和歌集に残した有名な短歌だった。当時、京の都から東国に行くには小夜の中山と呼ばれる難所を越えなければならなかった。西行は晩年、東国への旅に際してこの歌を詠み、「小夜の中山を再び越えられるのも命があればこそだ」と喜びを表したのだが、DDIの元社長は「命なりけり」の命に運命という意味を託したのだ。

「この年齢になって、小夜の中山をまた越えようとは。これも運命だ」

「利他」という生き方・働き方を選択したとき、稲盛さんの運命は定まった。そしてそれが人としての器を広げ、求心力を強めていったのだろう。

稲盛さんから教えを受けた人の証言は貴重である。誰にとっても学ぶところが多いのではないだろうか。

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渋谷和宏
1959年生まれ。法政大学卒。日経BP社で「日経ビジネス」発行人などを務め2014年独立。著書に稲盛氏ら第二電電創業メンバーに取材した『挑戦者』(渋沢和樹名義)など。
 

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(作家・経済ジャーナリスト 渋谷 和宏 撮影=永井 浩、若杉憲司)

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