ジャニーズの暗部に触れないメディアの罪

プレジデントオンライン / 2019年7月23日 17時15分

7月10日、ジャニー喜多川氏の死去を伝えるニュースは大きく報じられた。(写真=EPA/時事通信フォト)

■歯の浮くような美辞麗句を並べ過ぎではないか

ジャニー喜多川は、そんなにすごい人だったのか。

7月9日の午後、彼が亡くなってからメディアで報じられた大量のジャニー礼賛記事を読みながら、長嘆息した。

日本のメディアには、「死んだ人の悪口は書かない」という不文律のようなものがある。だが、あまりにも歯の浮くような美辞麗句を並べ過ぎではないか。

翌日のスポーツ紙は全紙、一面全部を使って彼の死を悼んだ。「キムタク『ゆっくり休んでください』ジャニーさん天国へ」(日刊スポーツ)「ジャニー喜多川さん逝く SMAP、嵐…帝国築いたアイドルの父」(スポーツニッポン)など、最大の賛辞を送った。

スポーツ紙は致し方ないと思うが、朝日新聞も一面で取り上げた。

「1931年、米ロサンゼルスで生まれた。10代で、公演で現地を訪れた美空ひばりらの通訳をし、ショービジネスの基礎を学んだ。その後、日本で、コーチをしていた少年野球チーム『ジャニーズ』からメンバーをスカウトし、62年、同名グループのマネジメントのためジャニーズ事務所を設立した。

70~80年代にかけてフォーリーブスや郷ひろみ、近藤真彦、田原俊彦、少年隊、光GENJIら時代を代表する人気タレントが次々と輩出。日本の歌謡界で歌って踊れる『男性アイドル』というジャンルを定着させた。その後、世に送り出したSMAP、TOKIO、V6、嵐などがヒット曲を連発。マルチタレントとして幅広い世代から支持を集めることに成功した」(7月10日付)

■どんな偉大な人間にも表の顔と裏の顔がある

翌日の「天声人語」もこう書いている。

「これほど名を知られていながら、これほど素顔を知られぬまま旅立った人も珍しいのではないか。訃報(ふほう)の写真のジャニー喜多川さんは、帽子をかぶり、サングラスをかけている。表情も年齢も読みとりがたい▼素顔や肉声をさらさない主義で知られた。同僚者によると、取材には毎回、撮影不可という条件が付された。『劇場の客席で観衆の反応をつかむため、顔を公開したくない』などの理由が挙げられた▼『ユー、やっちゃいなよ』。そんな言い回しで知られたが、取材には折り目正しい日本語をゆっくり話し、敬語も丁寧だった。ジャニーズらしさとは何かと尋ねると、『品の良さ』と答えたという」

すぐにでも国民栄誉賞を与えろといわんばかりの持ち上げ方である。

週刊誌、特に新聞社系がそれに追随した。「追悼・ジャニーさん そして『伝説』は『神話』へと」(『サンデー毎日』7/28号)「追悼 ジャニーさん、ありがとう」(『週刊朝日』7/26号)。朝日は表紙に、ジャニーズ事務所のタレントが表紙になった号をズラッと並べた。

中でも『AERA』は、「追悼・ジャニーさん『YOU! やっちゃいなよ』胸に刻んだ」と銘打ち、大特集を組んだのである。

どんな偉大な人間にも表の顔と裏の顔があり、建前と本音がある。ましてや芸能界という荒海の中で生き抜くためには、清濁を併せ呑む度量が要求されたはずだ。多角的な視点からジャニー喜多川という人間を見なければ、まっとうな評価はできない。

■東京高裁が認めた『週刊文春』の「性的虐待報道」

私が読んだ限り、一般紙で彼の影の部分に触れたのは、朝日が第二社会面に掲載した「評伝」の末尾のこの数行だけだった。

「1999年には所属タレントへのセクハラを『週刊文春』で報じられた。文春側を名誉毀損(きそん)で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は真実と認定された」

その『週刊文春』(7/25号)は、「稀代のプロデューサーの光と影」というサブタイトルを付けて、「ジャニー喜多川 審美眼と『性的虐待』」という特集を組んだ。

朝日が触れたように、文春は1999年に、ジャニー喜多川が少年たちに事務所で性的虐待をしているという告発記事を連載した。それに対してジャニーズ事務所は文春を名誉毀損で訴えたのである。

しかし、ジャニー喜多川は法廷で、少年たちが文春に語った性的虐待について、「彼たち(少年たち)はうその証言をしたということを、僕は明確には言い難いです」と証言したのだ。東京高裁はこのジャニーの発言をもとに、「文春が書いた少年たちの証言は真実性がある」と認めたのである。

■「僕のファーストキッスはジャニーさんですからね」

今回も、嵐のメンバーと同年代の元ジュニアが、『文春』でこう語っている。

「成功したヤツはジャニーさんに感謝しているかもしれない……。でも、僕はそんな気持ちになれない。ジュニア時代、僕がジャニーさんの誘いに抵抗したら、ステージの隅っこに追いやられた。(中略)僕のファーストキッスはジャニーさんですからね。ショックでしたし、もうグレるしかないですよ。(中略)十代前半で悟ったというか、大人の世界って本当に汚いんだなって」

1999年の『文春』には、こんな赤裸々な少年の告白も載っていた。

「ジャニーさんの手の甲は毛深いんで、ちくちくするけれど、マッサージは筋肉がほぐれて本当にうまい。でも、パジャマを脱がすとすぐ口です。いつも歯が当たって、痛いんですよ」

朝起きると、少年の布団に5万円置いてあったという証言もある。彼らはなぜ、ジャニー喜多川に逆らえなかったのか?

「やっぱりデビューしたいじゃないですか。それで、しょうがないですね。しょうがないしか、なかったんです」

己の審美眼にかなった少年たちを集めてきて、デビューさせてあげる、スターにするからと甘言を用いて、彼らにこうした性的虐待をしていたのなら、どんなに素晴らしいアイドルを誕生させたとしても、それですべてが帳消しになる話ではない。

■「CIAのスパイではないか」という噂もあった

こうした影の部分も含めて、ジャニー喜多川という人間を論じなくてはならないはずなのに、ジャニーズ事務所になると、週刊誌はすぐにジャーナリズムの旗をたたんで、まるで熱烈なファンのような大本営発表記事を書いて恥じることがない。

さらに、『文春』も触れているが、ジャニー喜多川には、「CIAのスパイではないか」という噂があった。

高野山真言宗米国別院の僧侶の次男として、アメリカ・ロサンゼルスで生まれた。姉はメリー喜多川で、事務所の副社長である。『文春』によれば、帰国した姉と弟は戦時中、親戚にあたる大谷貴義のもとに身を寄せていたという。大谷といえば、宝石商として財を成し、児玉誉士夫と並ぶ大物フィクサーといわれた。永田町では「福田赳夫のパトロン」として知られていた。

実は、私も大谷を知っている。取材で知り合ってから親しくなり、家に遊びに行き、私の結婚式の披露宴にも出席してもらった。残念ながら、喜多川姉弟のことは聞いていない。亡くなる前に聞いておけばよかった。

■アイドル像については多弁だが、自身の過去には口を閉ざす

戦後、再び、ジャニー喜多川はアメリカへ行って、高校に通いながら、リトルトーキョーでショーを手伝っていた。その頃、美空ひばり、笠置シズ子、服部良一らと面識を持ったといわれる。米国籍だったため米軍に徴兵され、ジャニーは朝鮮戦争にも従軍している。

彼の知人によれば、「江田島にあった米軍兵学校で韓国語を学んだ。通訳として従軍したらしい」。再び日本に戻ったジャニーは、米国大使館に勤務して軍事顧問という肩書も持っていたそうである。

そうした経歴から、CIAのスパイ説が出てくるのだろうが、ジャニーズ取材歴50年で、『異能の男 ジャニー喜多川』(徳間書店)を出した小菅宏は、『文春』でこう話している。

「不躾とは思いつつ、ジャニー氏に『CIAのスパイだったの?』と尋ねたことがある。本人は『米国の情報機関で働いたことはあるけど、それ以上はノーコメント』と打ち切った。ことアイドル像については多弁な彼も、自身の過去には口を閉ざしていた」

これについては、これ以上の情報がないので触れないが、ジャニー喜多川を論じるなら、彼の性的嗜好とCIAスパイ説は避けては通れないと思う。

■長いスパンで見れば、ジャニーズ帝国崩壊は間違いない

彼が「ジャニーズ」という野球チームを作り、男の子のアイドルグループを次々に排出し、スターに育て上げていったことは、あまりにも有名なので、ここでは割愛する。

ジャニー喜多川のいなくなったジャニーズ事務所は、少し長いスパンで見れば、帝国崩壊へと向かうことは間違いないと思う。

SMAPの解散、嵐も来年から活動を休止するなど、ジャニーズ事務所にいい話題は少ない。メリー喜多川の娘・ジュリーが社長に就くのだろうが、これまで以上にやれるとはとても考えにくい。

それに、ジャニー喜多川が残した500億円ともいわれる遺産の相続問題がある。ジャニーは独身だったから、姉のメリーと姪のジュリーが相続すると思われるが、そうではないという見方もある。

メリーとジュリー母子とジャニー喜多川との確執が相当深刻になっていたという話がある。自分の後継と指名した滝沢秀明に、ジャニーが遺産を渡すという「遺言」を書いていたのではないかとささやかれているそうである。もしそうだとすれば、遺産を巡って、メリーとジュリー対滝沢の間で醜い争いが起こる可能性は十分にある。

■公正取引委員会が独占禁止法違反容疑で「圧力」を調査

さらに大きな問題が『文春』で報じられている。

SMAP解散後、事務所を出た稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の3人をテレビに出演させないよう、事務所側が圧力をかけていたというのである。

そんなこと、これまでもジャニーズ事務所がやってきたことで、いまさら問題にすることではないと思う人もいると思うが、今回は次元が違うのである。

公正取引委員会が動いたというのだ。テレビ局への圧力を問題視してきた公取委が、「近く独占禁止法違反容疑で、ジャニーズ事務所に対し、正式な警告があると見られている」と、報じたのである。

『文春』の早刷りを見たのであろう、同誌が発売された7月18日、新聞、スポーツ紙が、このことを一斉に報じた。

「関係者によると、ジャニーズ事務所から独立した元メンバーの稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんをテレビ出演させないよう同事務所が圧力をかけているとの情報があり、公取委が聞き取り調査などを実施」(朝日新聞7月18日付)したのである。

■メディアへの「圧力」が事実だったことが公になった

事務所側はコメントを発表して、公取委から「調査を受けた」ことを認めた。これまで陰でこそこそ語られてきた、ジャニーズ事務所のテレビ局などへの圧力が、事実だったことが公になったのである。

だが、NHKと在京民放キー5局は、事務所からの圧力はなかったと、いまだにジャニーズ側に忖度して、圧力があったことを認めない。

おそらく彼らは、「あの3人は、うちの嵐なんかと一緒に出さないで」という事務所側の要求を、圧力とは思わないほど神経が麻痺しているのだろう。

同じことは『文春』を除くほとんどの週刊誌にもいえると思う。出版社にはアイドルを載せたい雑誌がいくつもある。

私がいた講談社には、子会社に「キングレコード」があり、AKB48のCDでは相当儲けたはずだ。今も続いているのかもしれないが、『フライデー』には一時、「AKB48のスキャンダルはやるな」というお達しが出たとも伝え聞いている。

■芸能に「ジャーナリズム」を取り戻すために必要なこと

古い話で恐縮だが、私が実際に体験したことを書かせてもらいたい。

田原俊彦、野村義男、近藤真彦の「たのきんトリオ」がブームになったのは1979年からである。私は、その頃、『週刊現代』編集部にいた。

1981年4月30日号の『現代』に、私が担当した「アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」という特集記事を掲載した。異能というのは、ジャニー喜多川の性的嗜好を指している。『文春』が連載をやる18年も前のことである。

記事が出て、講談社の社内は大騒ぎになった。ジャニーズ事務所が「今後、講談社には、一切うちのタレントを出さない」と通告してきたのである。

しばらくして、私に一言もなく、会社は私の『婦人倶楽部』への異動を発表した。講談社は、私を『週刊現代』から外すことで、ジャニーズ側と手打ちをしたのである。怒り、呆れ、辞めようと思ったが、私には勇気もカネもなかったから、思いとどまった。

ジャニーズ側は、私の件で、出版社を黙らせるにはこの手に限ると考えたのだと思う。講談社は社員を蔑ろにして、目の前の儲けを優先したのである。

これも大昔の話になるが、女優の大原麗子と歌手の森進一が「不倫」しているという記事を作ったことがあった。大原は当時、俳優の渡瀬恒彦と結婚していた。

大原から名誉棄損で訴えられた。その後、彼女は病気になり、他のメディアは、『現代』の報道で大原が病に倒れたと報じた。会社から、大原に謝りに行けといわれた。

「誤報ではない」と抵抗したが、編集総務にいた先輩がこういった。

「芸能なんかで争ってもつまらないじゃないか。政治家のスキャンダルなら堂々と闘ってやるけどな」

大原の家に行って頭を下げた。その後しばらくして、大原は離婚して森進一と再婚した。

講談社は、その後も相変わらず、芸能界にも政治家にも弱腰の出版社であり続けている。芸能人や芸能プロと闘えない出版社が、政治家を含めた権力と闘えるわけはないのである。

同じようなことが、他の出版社、テレビ局、スポーツ紙でも起きているはずだ。ジャニー喜多川という芸能界の巨木が倒れた今、それぞれのメディアの現場が、芸能にジャーナリズムを取り戻すにはどうしたらいいのかを、一度立ち止まって考える時だと、私は思う。

(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦 写真=EPA/時事通信フォト)

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