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村上春樹が野球観戦中に小説の着想を得たワケ

プレジデントオンライン / 2019年8月26日 15時15分

タロットの「愚者」のカードは可能性、発想力を意味する。(PIXTA=写真)

■ある種の「愚かさ」も必要

現代社会のあり方を見ていると、興味深いことに「賢さ」とともにある種の「愚かさ」も必要になってきているように思う。

「賢さ」とは、端的に言えばある評価の基準(評価関数)があって、それを最適化できることである。入試のペーパーテストで高い点数をとる、いわゆる「偏差値の高い人」が典型だろう。

一方、現代社会における「愚かさ」とは、そのような評価関数をあえて無視することである。さらに言えば、そもそも評価関数がまだ存在しないくらい新しいことに取り組むことである。

人工知能の発達によって、評価関数さえ与えられればその「得点」をいくらでも増やせるようになった時代において、人間の役割は「賢さ」よりもむしろ「愚かさ」に変わってきたように思うのである。

もっとも、「愚かさ」といっても、ただ闇雲にやればいいということではない。ランダムでは失敗する。むしろ、いろいろなことを学んで、考え抜いて、評価関数を最適化できるところは整えて、そのうえで、なお残る「愚かさ」に行動を託すことができる人が現代における成功者なのである。

商品やサービスを開発するという視点から見ると、マーケット調査をしたり、技術をいろいろとアレンジしたり、サプライチェーンを整えるといった意味での「最適化」は大いにやったらいい。

そのような準備をしたうえで、最後に、従来の固定観念にとらわれない「蛮勇」を振るう。優等生から見たら「なんであんなことをしているのだろう」と不思議がられるような「愚かさ」が大切である。

編集者の方と話していると、小説家には賢さとともに「愚かさ」が必要だという話を聞く。例えば、夏目漱石は大変賢い人だったが、作品の構想は大胆だった。『吾輩は猫である』の猫がしゃべるという設定を考えても明らかだろう。

「賢い」優等生では考えないような大胆なアプローチが、結果としてイノベーションにつながって、斬新な印象を与える作品となる。どんな分野でも、新機軸をもたらすのは「愚かさ」である。

村上春樹さんは、文壇の内部では、その文体が翻訳調であるとか、いろいろな批判を受けることが多かったという。それだけ新しかったということなのだろう。

それが、世界各地で翻訳されて受け入れられるようになり、ノーベル文学賞の候補の常連になって、批判の声も静まっていった。

■発想が時に脈絡なく飛んでいる

村上さんのエッセーや、翻訳家の柴田元幸さんとの対談を読んでいると、村上さんの発想が時に脈絡なく飛んでいることがわかる。例えば、村上さんが野球場で試合を見ていて、突然、自分が小説を書けることがわかったという「ひらめき」を得た体験など、常識の域を超えている。

すでにある評価関数の枠内で最適化するだけだと、どうしてもつまらなくなるし、商品としては「コモディティ化」されてしまう。既存の枠組みから見れば「愚か」に見えるほど斬新な行為だけが、大きな付加価値を生み出すことになるのである。

社会にあふれる人工知能が、蛇口をひねると水が出るように「賢さ」を提供する近未来において、人間はむしろ「愚かさ」こそを磨きたい。人から「愚か」と言われても、新しいことをやっていい。そう考えるときに解放される自分の可能性があるはずだ。

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茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞。『幸せとは、気づくことである』(プレジデント社)など著書多数。

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(脳科学者 茂木 健一郎 写真=PIXTA)

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