医者がうつ病患者に"がんばれ"と言うワケ
プレジデントオンライン / 2019年8月16日 6時15分
※本稿は、岩波明著、『うつと発達障害』(青春新書)の一部を再編集したものです。
■「がんばれと言ってはいけない」は正しいのか?
このことは、正しいともいえるし、正しくないともいえます。うつ病の人に接するときのマニュアルのようにして「がんばれと言ってはいけない」と覚えている人が多いようですが、必ずしもそうとはいえません。
うつ病は、職場でもっとも多く見られる精神疾患です。また憂うつさ、不安、不眠といった症状は、誰もが少なからず経験しています。そのため、一見わかりやすい病気であり、そのせいで素人判断の危険にもさらされています。
しかし、一口にうつ病といっても、その症状は多様です。日常生活に影響が少ない軽症なものもあれば、自殺のリスクが高かったり、食欲不振で栄養状態が悪化していたりと、入院が必要なほど重篤なものもあります。そうした状態に合わせたアドバイスやケアが必要となります。
症状が重い時は、がんばるよりも、休養と治療が先決です。「がんばれ」とは言わないほうがいいでしょう。実際、「がんばりたくても、がんばれない」のがうつ病です。本人が怠けているわけではありません。
ただでさえ、がんばれない自分を責めている状態にある患者を、「がんばれ」という言葉がさらに追い詰めることになります。同じように「元気出して」「病は気からと言うし、気の持ちようだよ」といった言葉も、不適切です。
■努力しなければいけないときもある
しかし、軽いうつ病の場合は対応が異なります。治療を進め回復に向かっていく過程で、がんばらなければならない時も出てきます。ほぼ寛解した状態にある人はもちろんのことですが、その途中にある人も、目標を定めてがんばらないといけないことがあるのです。
休職からの社会復帰を目指すのであれば、少しずつ復帰に向けたリハビリ(リワーク)を進めることが重要になります。このような時期においては、多少気分が乗らなくても、がんばる必要があるでしょう。
私も、職場への社会復帰を目指している人に「図書館で半日以上過ごしてみましょう」などと指導することがあります。
そのためには、休養優先でルーズになっていた生活習慣をあらため、自分を律し、然るべき時間に起床して身支度を整え、出かけないといけません。
これは健康な方なら難なくこなせることですが、うつ病によるブランクが長いと、これだけのことでも難しいのです。それでも、回復を目指すならば、本人なりの努力がどうしても必要になります。また軽症のうつ病なら、行動し動くことで、さらに改善することもあるのです。
■「ここまでがんばれる」の見極めが肝心
前の項目で述べた「がんばれと言ってはいけない」という言葉が、金科玉条のように広まったのは、時代的な背景があったのかもしれません。
以前は、社会的にうつ病の理解はなかなか進んでいませんでした。そのために「うつ病なのにそう認識されない人」が数多く存在していました。
仕事をしていてもはかどらない、元気がない。しかし、周りは病気のせいだとは思いもよらないのです。だから悪気なく「もっとがんばれ」という言葉を口にしてしまい、それがうつ病患者を追い詰め、無理をさせていました。
その後、うつ病が社会的にクローズアップされるようになり、「がんばれと言ってはいけない」がわかりやすかったこともあり、一般に広く伝わったと考えられます。
前述の通り、うつ病の回復状態によっては、「がんばれ」と患者の背中を押してあげたほうが、より回復が進みます。例えば「ここまでできないと、次の段階には進めませんよ」と示してあげることは重要です。
とはいえ、無理は禁物です。「ここまでなら、無理なくがんばれるだろう」という一線を、医師は見極めなければなりません。
■「抑制」の症状は分かりにくい
不安感や憂うつ感がどの程度かも重要です。さらに、注意しなければならないのは、「抑制」の症状です。
抑制とは、「頭が働かない、判断力が鈍る、根気がない」といった症状です。憂うつさは「なんとなく元気がなさそう」「表情が暗い」といった形でわかりやすいですが、抑制の症状は表に表れにくいのです。
抑制の症状がどれだけ回復しているのか、慎重に様子をうかがう必要があります。回復しているように見えても、実はまだ集中力が回復していないため、仕事に必要な文書をしっかり読むことができないケースもあるのです。
治療においては、うつ病からの復職を受け入れる側との連携も必要になります。
上司が全てを把握することは難しいと思いますが、環境が整っている会社であれば、人事部や産業医、あるいは保健管理センターなどが復職や復帰の仕方について対応してくれるでしょう。本人、病院、職場が連携しながら、復職を目指していくのが理想です。
■メンタルが弱いからうつ病になるわけではない
どれだけ「心が強い人」「精神的にタフな人」でも、うつ病になる可能性はあります。「心の弱いヤツがうつになるんだ」「自分は強いから、うつとは無縁だ」「本人のやる気の問題だ」
これだけうつ病が社会問題として浸透している昨今においても、いまだにこのような誤った考えを抱き、それを公言する人が少なからずいるのは、大変残念なことです。
患者自身も「自分は弱いから、うつになったんだ」と自分を責め、症状を悪化させてしまいがちです。その背景には、日本の公教育や高等教育において、うつ病をはじめとする精神疾患に関する教育がほとんど行われてこなかったことがあります。
しかし現実には、職場でもっともよくみられる疾患は、うつ病なのです。かつていわゆる産業精神医学は主として身体疾患を扱っていましたが、現在の職場では、うつ病がもっとも重要な疾患なのです。このため、患者個人のみならず、上司、同僚、経営者も、正しい知識を学ぶ必要があります。
■あなたの身にも潜んでいるかもしれない
実は、「どんな人でもうつ病になる」可能性を持っています。頭の良し悪しも、性格の良し悪しも、社会的に成功しているか否かも、まして気合や根性とも、無関係です。
海外のデータによると、うつ病の生涯有病率は15%といわれています。これは「100人いたらそのうち15人は、一生のうち一度はうつ病になる」ことを意味しています。
ある時点での有病率を見ると、およそ3%になります。躁うつ病(双極性障害)なども含めた気分障害全体では約5%となり、この数字はADHDと同程度で、かなりの高率です。日本全体で見れば、500万人から600万人にあたります。
ちなみに、同じく主要な精神疾患である統合失調症の有病率は約1%とされています。
いずれにせよ、うつ病はきわめて「ありふれた」病気であり、誰でもなり得る病気であることは、データから明らかです。
なお、うつ病の発病については、先天的な要素もあれば後天的な要素もあります。
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精神科医
1959年、神奈川県生まれ。医学博士。東京大学医学部卒業後、都立松沢病院などで臨床経験を積む。東京大学医学部精神医学教室助教授、埼玉医科大学准教授などを経て、2012年より昭和大学医学部精神医学講座主任教授。2015年より昭和大学附属烏山病院長を兼任、ADHD専門外来を担当。精神疾患の認知機能障害、発達障害の臨床研究などを主な研究分野としている。著書に『天才と発達障害』(文春新書)、『精神鑑定はなぜ間違えるのか?』(光文社新書)等がある。
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(精神科医 岩波 明 写真=iStock.com)
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