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76歳の骨密度を20代に戻した"圧力鍋レシピ"

プレジデントオンライン / 2019年8月17日 6時15分

プロスキーヤー 三浦雄一郎氏

日本人の平均寿命は男性が81.9歳、女性が87.26歳――長い人生、できるだけ健康にすごしたいと誰もが願う。そこで今回は、世界を代表する冒険家、大学トップ、脳科学者が、明日から使える若返りノウハウを開陳する。

■メタボだった私が、最高峰に挑んだ理由

私は2003年、08年、13年の計3回、エベレストの登頂に成功しました。それぞれ70歳、75歳、80歳のときです。2019年1月には86歳で南米最高峰のアコンカグアに挑みましたが、残念ながら標高6000メートルの地点でドクターストップがかかり、登頂はかないませんでした。しかし、このまま終わるつもりはありません。あと4年、90歳になったら、また別の山に挑戦するつもりです。なぜ私が過酷な登山ができるかといえば、「攻めの健康法」を実行しているからにほかなりません。現状維持では、それなりに年老いてしまう。「攻め」の姿勢が不可欠なのです。

実は私は50代半ばから65歳までの約10年、緊張感のない生活を送っていました。スキーやハイキング、ゴルフなどそれなりに体を動かしてはいました。しかし食べる量は変わらず、食べ放題、飲み放題。そんな生活を送っているうちに、身長164センチ、体重88キロのメタボ体形になってしまったのです。

そんなある日の明け方、布団のなかでいきなり心臓を鷲掴みにされたような痛みに襲われました。狭心症でした。発作がおさまっても、私は病院へ行くのを先延ばしに。「プロスキーヤーのくせにそんなに太って、生活習慣病になったのか」と思われるのがイヤだったのです。しかし、たまたま、家内のつきそいで大学時代の先輩が院長を務める病院に行ったところ、その先輩につかまってしまいました。

「三浦くん、せっかくだからきみも一通り調べていくといい」

検査結果は悲惨の一言。血圧は上が190もあり、高脂血症で、糖尿病の疑いもある。特にひどかったのが腎臓で、「このままでは人工透析を受けることになる。そればかりか、あと3年くらいしか生きられないかもしれない」と言われてしまったのです。

■99歳で父が挑んだモンブラン滑走

ちょうどそのころです。父の三浦敬三が、「99歳でモンブランの大氷河をスキーで滑る」と宣言したのです。父は70歳でヒマラヤ、77歳でキリマンジャロを滑降し、88歳でアルプスの4000メートル級の尾根を縦走。101歳で亡くなる直前までスキーを続けていました。90歳を超えてからは3回も骨折していますが、寝たきりになるどころか、「次はあの山を滑る」という目標があるせいか、なんとか治してしまう。そんな親父が「99歳でモンブラン」と言っているのに、60代の私はなぜこうなのかと。そのとき私は思ったのです。父には無謀ともいえるほどの高い目標、つまり夢がある。私がこうなった直接的な原因は、飲みすぎ食べすぎによる肥満かもしれないが、もとはといえばチャレンジすべき夢を失っていたせいではないのか――。

どうせ死ぬなら、無謀と言われるような夢に向かって、死ぬ気になってがんばってみよう。そこで5年後、70歳になったらエベレストに登ると決めました。以来、私の「攻めの健康法」が始まったのです。

まずは札幌の自宅のそばにある「藻岩山(もいわやま)」に登ってみました。標高531メートルの低山。ところが、私はこの山すら登れませんでした。気が遠くなりそうでした。しかしすぐにこう思い直しました。

「これでエベレストに登れるようになったら面白いじゃないか」

まずは健康な60代の体に戻そう。そして富士山に登れるようになったら、エベレスト登頂のためのトレーニングを始めよう。5年かけて段階的に調整すれば、なんとかなるだろうと。

では、具体的に何をしたか。心臓が弱り、スキーで膝を痛めた私にランニングは無理。それならウオーキングがいい。しかしただ歩くだけでは足腰を鍛えることはできない。そこで考えたのが、両足首に1キロずつ重りをつけ、10キロのザックを背負って歩く、名付けて「ヘビーウオーキング」です。

■ペットボトルを入れたザックを背負って歩く

講演などの仕事の移動時にも、足首にウエートを装着し、水の入ったペットボトルを入れたザックを背負って歩くようにすれば、時間を有効に使えるうえ、トレーニングにもなる。最初は無理をせず、ゆっくり歩くことを心がけました。

ヘビーウオーキングを続けるうち、少しずつ体重が減り、各種の数値が改善し、体力が戻ってきました。そこで徐々に歩く距離をのばし、負荷を重くしていくうち、半年後には富士山に登れるようになっていました。そして5年後にはついに、70歳でエベレストに登ることができたのです。

しかし75歳で2度目のエベレスト登頂に成功した翌年、スキーで転倒し、大腿骨と骨盤を骨折。「寝たきりになるかもしれません。うまくいって車椅子生活です」と医師に宣告されましたが、私は90代で3回も骨折から立ち直った父の姿を見ている。だから家族は大反対しましたが、3度目のエベレストに挑戦する夢を捨てませんでした。

早く骨折を治すには、病院の食事だけでは心もとない。家内に頼んで生姜やニンニク、野菜をたっぷり入れて鮭の頭と中骨を圧力鍋で柔らかく煮たものを作ってもらい、それを1日3食、主食として食べました。すると医師も驚くほどきれいに骨がくっつきました。当時私は76歳でしたが骨密度は20代と同等になっていました。

じつはこの食事、父から学んだものです。父は鮭ではなく、鶏を丸ごとと、野菜を入れて圧力鍋で煮たものを食べていました。私は鶏の骨は少し抵抗があったので、鮭に変えたのです。ちなみに、プロスキーヤーの次男・豪太もそれを食べて育ちました。三浦家には欠かせない食べ物になっています。

▼三浦流 現役を続ける3つの秘訣
1. 人生を懸ける「夢=目標」を決める
2. 重りつきウオーキングを習慣に
3. 圧力調理で食材を丸ごと食べる

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三浦 雄一郎(みうら・ゆういちろう)
プロスキーヤー
1932年、青森県生まれ。北海道大学卒。2003年に70歳7カ月でエベレストに世界最高齢(当時)での登頂に成功。13年には80歳で3度目のエベレスト登頂に挑み、世界最高齢登頂記録を更新した。

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(プロスキーヤー 三浦 雄一郎 構成=長山清子 撮影=今村拓馬)

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