"ザ・日本企業"が外資と提携、どう変わったか
プレジデントオンライン / 2019年8月18日 11時15分
■“ザ・日本の会社”が見事にダイバーシティを達成しグローバル展開する企業に成長
2500億円――。この数字が何を表すか、想像がつくだろうか。1つの薬が、開発や臨床試験などを経て製品化されるまでに、失敗も含めた必要な資金だ(米国タフツ大学の研究による)。それゆえ製薬会社では、資金面はもちろん、いかに有能な人的資源を集め、長く効率よく働いてもらうかが、大きな課題となる。国内大手製薬会社の1つ、中外製薬は、以前は処方箋不要の一般消費者向け商品も販売していたが、2002年に巨大グローバル製薬会社であるスイスのロシュ社とのアライアンス提携をする。以降、抗がん剤などの医療用医薬品に特化し、サイエンスやイノベーションで勝負する会社に生まれ変わった。それに伴い、経営面でも人事面でもダイバーシティ施策がマストとなった。
上席執行役員の海野(うんの)晋哉さんは19年前に銀行から中外製薬に転職。会社の変容を肌身で感じていた。
「ロシュ社との提携交渉が私の最初の業務でした。当時は、絵に描いたような“日本の会社”で、営業の要のMR(医療情報担当者)のほとんどが男性、結婚後の女性の離職率が高かった。提携後にロシュ社が有する多くの薬が日本に入ってきて、それらを国内で開発・販売するために多くの人材が必要になったのです。そこで06年から3年間、大量の新入社員を、男性の主戦場だったMRでも、男女問わず採用しました。その大量採用世代の女性社員が結婚や出産後も長く働ける環境づくり、つまり、ジェンダーダイバーシティに注力していかないと競合他社に勝てないのです」
■自分の強みを見直すキャリア相談室
その施策の一環に「キャリア相談室」がある。常駐の相談員が社員のさまざまなキャリア相談に乗る場だ。
「相談室は開室から12年目を迎えました。当初は対象をBPR(ビジネスプロセスリエンジニアリング=業務改革)により配置転換された社員を想定して開設されましたが、全社員に向けてのキャリア相談の窓口となりました」と、人事部・キャリアコンサルタントの山本秀一さん。産業医と連携してメンタルケアも行っているため、当初は“かけこみ寺”的な目で見られることもあったが、地道な周知と広報活動により、キャリア相談をする社員が年々増えてきている。相談者は、全社員数の男女比で考えると、女性のほうが男性の倍ぐらい高い。
では、実際に社員はどのようにキャリア相談室を利用しているのだろうか? 利用者の山崎梨渚(りさ)さん(31歳、入社6年目)は、入社当初はがん専門のMRとして4年間活動していた。
■自分の強みを活かせる部署はどこだろう
「営業の仕事は楽しかったし、数字に反映されるのでやりがいもありました。でもそのうち、数字だけを追うのではなく医療従事者の方々に喜んでもらえるようなイベントなどを考案し、それが結果として薬の売り上げに反映されるような仕事がしたくなったのです。そのためには、社内にどんな仕事があって、自分の強みを活かせる部署はどこだろうと考え始めて。そのとき、キャリア相談室のポスターを見かけ、利用してみようと思いました」
相談室は本社ビルとは違うビルの一室にあり、また社外のカフェなどでも話し合いができるので、誰にも知られる心配がない。地方支店や研究所にも定期的にキャリアコンサルタントが出張する。
「MRは医師や病院の都合に合わせ、昼夜を問わず営業に出向かなくてはならず非常に忙しいので、結婚や出産をしてもずっと続けていけるか不安もありました。自分のテクニカルスキルやヒューマンスキルなどを一緒に分析してもらい、今後のキャリアステップについて、率直な話し合いができたと思います」
また、同様の人事施策に「キャリア申告制度」がある。年に1度、自分の業務内容やスキルをまとめ、上司と面談する。もし異動希望があれば、それを書いてもいい。自分のキャリア希望も表明できるので、異動したいのなら、いかに自分のセールスポイントをきちんとアピールできるかが重要となる。
「キャリア相談室に相談したおかげで、自分のキャリアを客観的に正確に整理することができました。それをキャリア申告に落とし込んだので、上司との面談もスムーズでしたね」
山崎さん以外にも、キャリア相談室を活用した社員の満足度は高いようだ。その後、山崎さんは製品価値最大化のためにどのように情報を提供するか、戦略を考案する部署に異動した。MRのための営業パンフレットや動画の作成、イベントの企画や研修を行う部署であり、山崎さんは血液がんの抗がん剤の営業戦略を担当。この分野は特に専門性が高く、難しいと捉えるMRも多い。
「私も血液がんが難しいと感じる1人だったので、難点のツボがわかっています(笑)。研修にしても、激務に追われるMRにとって、わざわざ時間を割いて参加したくなるものにする工夫が必要ですね」と、MR経験者ならではの知見が生きている。山崎さんの現在の部署は出張が多く、常に社内外の打ち合わせがあるため多忙であることに変わりない。まだまだ修業中といった様子だが、次のキャリアステージに進むための視野が確実に広がったような気がしたとのこと。
一方で、育児中の女性MRのラインマネジャーはまだいないので、これから管理職を目指す女性MRのロールモデルが不在なのが課題だ。
「多くの女性はコツコツと地道に勉強するし、コミュニケーション能力が高いので本来はMR向き。社内にお手本がいないのであれば、ロシュ社や、社外からモデルとなる女性を呼べばいいのです」と前出の海野さん。業界の規制が厳しくなってきており、高級なバーに医師を接待するなど、ドラマのような昭和型の営業はもはや昔の話。現在は正確な情報と高い製品のクオリティーで薬を売る時代。製薬会社は、真面目で勉強熱心な女性MRの可能性を活用すべきなのだ。
■チームリーダーになったとたん妊娠が発覚
ロシュ社との提携による経営戦略以外に、中外製薬の強みは何といっても「技術力」だ。ひと口に“薬”といっても、ジェネリック医薬品を含む低分子薬、バイオテクノロジーを駆使した高分子薬、そして中外製薬が“新たな創薬の柱”としてオリジナル技術を開発中の中分子薬がある。その研究者の1人が、小嶋美樹さん(38歳、入社11年目)。工学部と大学院でタンパク質工学の博士課程を修了して入社、中分子技術の立ち上げに携わる。そしてやっと“薬になるかもしれない”という製品化に向けたチームのリーダーになった矢先の第1子妊娠。
「妊娠したのが30代半ば。ここで産んでおかないと、という気持ちがある半面、研究者としてこれからというときだったので複雑でした。けれど同じチームに子育て中の先輩がいて悩みを共有できたし、上司と相談して違うリーダーに業務を引き継いでもらいました」
産休、1年半の育休を経て、時短勤務で職場復帰した。しかし自分がいなくても仕事は回っていくのだと、少し疎外感に陥ったそうだ。しかし組織とは本来そういうもの。誰かがいなくなれば他の誰かがその役割を担い、業務は継続される。そうでなくては組織として成立しない。スペシャリストの研究職であっても、だ。
「以前は、この機械はこの人じゃないと使えない、みたいな職人かたぎな面があったんです。でも、技術は日進月歩だし、誰もが使えるような仕組みじゃないと効率が悪い。だから私は、働き方をシフトチェンジしないといけないなと」
根っからの“リケジョ”である小嶋さんだが、研究に没頭し国内外の学会に頻繁に出席するステージから、業務全体を俯瞰(ふかん)するマネジャー的なステージに移行しようと決意する。
「夜遅くまで研究する生活はもうできないし、最先端技術を学べる海外の学会に当分行けそうもありません。研究結果を自分で出したい欲もありますが、それはある程度若手に任せたほうがいい。出産と子育てによって、私は私でやるべきことがあるはずだとリセットできました」
職場復帰後“居場所がない”と感じたが、すぐに技術開発のリーダーを任され、第2子を妊娠。この冬から2度目の産休と育休を迎えることになった。
「1度経験したので、今回はあまり不安がありません。育休明けにも、またなんらかの仕事があるだろうと楽観視しています」
育休明けの女性社員には、職場復帰後の働き方について上司と話し合うための面談シートを準備。その上司には、性別を問わない育児休暇への対応など、多様なマネジメントについてのハンドブックを配布している。“子育て”は当事者だけが抱えることではなく、部署や会社全体の課題だとの意識が高まっている。
■中外製薬との統合後、人財育成部への異動
現在会社全体で女性管理職の比率は約13%。その1人である高野香奈子さん(40代、入社19年目)のキャリアのスタートは、ロシュ社の子会社だった日本ロシュ社(当時)の派遣社員。その後正社員になり、中外製薬との統合後、人財育成部への異動を経験。
「実は1度転職しようとしたことがあります。相談した転職エージェントに『今の職場で“やりきった感”はありますか?』と問われ、そうじゃないと気づいて。現状の転職は“逃げ”だと思い、会社でやれることは何かを考え直しました」
その後高野さんは「社内公募制度」を利用して調査部に異動し、17年に管理職登用試験に合格。18年の秋にグループを統率するGMになり、着実にステップアップしている。
この社内公募制度とは、部署ごとの人材募集が社内イントラ上に公開され、その部署に行きたい人は非公開で応募できるというもの。書類選考や面談を経て合格すれば希望先の部署に異動できるので“社内転職”と言ってもいい。高野さんのきめ細かな分析能力を買っていた女性上司が、公募への背中を押した。
調査部では、薬の開発を進めるのかストップさせるのか、その判断材料を集めて調査し、正確な報告を部長やユニット長に提出する業務に就いていた。冒頭の通り、薬には開発から発売までに莫大(ばくだい)な資金と、臨床試験や非臨床の実験などで長い長い時間が必要だ。良い薬であっても、採算が取れないなら、早々に開発から撤退しないと会社に大きな損失を与える。調査部が出す判断材料は、ときに人の運命をも左右する。高野さんの先輩アナリストが、ある開発プロジェクトの中止資料を提出したため、当該プロジェクトのリーダーが会社を去らざるをえなかった。
■枠にはまらない、自由な管理職を目指して
「プレッシャーは確かにあります。でも、いろんな人とディスカッションして合意形成していくプロセスは、満足度が高い。若い世代に仕事の楽しさを伝えたいし、可能な限り“笑い”が起こるような職場にしたい。また、自分が仕事を何もかも引き受けるのではなく、若手社員が自律的に働けるようにしていきたいです」
中外製薬では性別、LGBT、ハンディキャップ、国籍問わず雇用を推進している。このような多様な雇用は、シニア社員でも進みそうだ。たとえば、全社員が55歳になった時点で、そこで辞めるか、通常通り60歳で定年を迎えるか、1度退職し、以降の給与は下がるが65歳まで定年延長(雇用満了時の退職金はなし)するかの「3択」をする。長く働き続けたいなら定年延長をしてもいいし、在職中から別の職業を探してセカンドキャリアを模索してもいい。積極的ではないが、申告制で「副業」も認めている。
会社任せではなく、人生の節目節目で自らが決断をする。それが良い会社員人生を全うすることにつながるのだろう。
(東野 りか 撮影=神ノ川智早、アラタケンジ)
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