一流プレーヤーが詳細な日記を残しているワケ
プレジデントオンライン / 2019年8月7日 17時15分
※本稿は、サーシャ・バイン『心を強くする 「世界一のメンタル」50のルール』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
■私が自殺を思いとどまれた理由
最近、古い日記を読み返していて、泣きたくなった。痛切な箇所が二つあったからだ。
一つは私を子供の頃のつらい時期に即座につれもどした。当時の不安、疑惑、暗い衝動がよみがえってきた。もう一つの箇所も同じようにつらくて、悲しかった。それは、13歳の私が自殺しようかと思ったときの記述だったから。
私はもともと多感な人間だ。あれから20年後にそのくだりを読み返してみて、あのときの自殺願望は本物だったのだとあらためて思う。そのくだりのインクの文字はぼやけていた。涙を流しながら書いていたからだ。
もしあのまま家から逃げだして自殺していたら、周囲は大騒ぎになって、愛する家族はバラバラになっていただろう。父と母は罪悪感に苦しめられたにちがいない。だが、13歳の少年に、そこまで見通せたはずがない。あのときの私は、もうだめだ、という絶望感に圧倒されていた。当時、父と母は激しく反目し合っていて、私は、それがすべて自分の責任だと思いこんでいたのである。
■日記の末尾には署名もしていた
あの頃、父はすべてを犠牲にして、私を一流のテニスプレーヤーに育てあげることに熱中していた。そのためには、母や私の二人の姉妹の幸せなどかえりみなかった。それなのに、肝心の私のテニスはいっこうに上達しなかった。そのため父と大げんかもしていた。父はわが家のなけなしの財産を私のテニス教習に投じていたため、わが家は経済的に困窮。それは私も痛いほど感じていて、一家を覆う暗いムードの原因はひとえに自分にあると思っていた。
両親の仲は険悪化する一方で、このままでは離婚も必至というところまでいっていた。それをなんとか食い止めるには、自分が自殺して、この世からいなくなるほかない、と13歳の少年は思いこんだのだ。その日の日記の末尾に、私は自分の名前も署名していた——本当に自殺したとき、その日の記述がそのまま遺書になるように。
人がそこまで追いつめられると、歳が13であろうと50であろうと、有名であろうとなかろうと、関係ない。自殺、という一語が否応なくのしかかってくる。
つい最近、この日記のことを初めて母に打ち明けたのだが、母は読みたがらなかった。自分にはきっと耐えられないだろうから、という理由で。
■日記の習慣は自己の成長にどう役立つか
だが、私は読み返してみて、あのときの自分の思い、絶望感を、よくぞこれほど正直に書き残せたな、と思った。
13歳の少年は、もう自殺するしかないという思いをだれに打ち明ければいいのかわからず、すべて正直に日記に書いたのだった。それによって、幼いながら自分の気持ちを整理できて、あの危機をかろうじてくぐり抜けられたのだと思う。
あなたにも日記を書くことをお勧めしたい。自分の気持ちを正直に、率直に見つめ、他人に話せないことでも日記に書けば、自分の成長に絶対に役立つだろう。日記をつけるのは、いわば、自己精神療法を行うようなものだ。周囲のだれにも打ち明けられない思いでも、そこには思う存分吐きだすことができるのだから。
少年の頃にはじめた日記を書く習慣を、30半ばに達した今も、私はつづけている。一時中断していたのを再開したのは、ドイツでの平穏な暮らしに別れを告げてアメリカに渡り、セリーナ・ウィリアムズのヒッティング・パートナーになったときだった。それを境に、当時、私の人生は目まぐるしく変わった。セリーナがビッグな存在になるにつれ、コート外での私の暮らしにもそれなりの華やかさが加わった。
アカデミー賞授賞式のパーティーに同行したり、各界のセレブと共にコンサートに招かれたり……これはぜひ日記に書き留めておかなければ、と思ったのである。新しく購入した自宅で最初の夜をすごしたときは、「よくぞここまでやってこられたな」と日記に記した。そして、それまで精いっぱいに生きてきた自分の人生をじっくりと振り返ってみたいと思った。いま、私の日記帳は3冊目になっている。いいことも悪いことも、そこには書きこんである。
■感じたことを正直に書き記す
日記の効用とは何だろう?
まず頭に浮かぶのは、現在の自分の暮らしを的確に分析できることだ。今のままでいいのか、それとも、変えたほうがいいのか。変えるとすれば、どこをどういうふうに?
その日に経験したこと、感じたことを正直に書く。大事なことはなるべく詳細に書くといい。そうすることで、あなたの頭に長く留まるはずだ。とにかく、忘れないうちに、すべてを正直に書き記したい。
■定期的に読み返すと「自分の課題」が確認できる
他人には話せないこと、知られたくないことも、日記には書いてきた。日記をつけるということは、ある意味、自分自身を主人公にした映画を撮ることでもある。監督はあなた自身。その日のはじめに、きょうはどういう物語を織りあげようか、と考える。コメディでいくか、シリアスドラマでいくか。自分はヒーローになろうか、悪漢になろうか。そんな楽しみも湧いてくる。
同じことを他人に話すのと日記に書くのとでは、雲泥の差がある。日記に書く場合は、「感情を一切閉めだす」ことができる。これを言ったら相手が気分を害するかどうか、失礼なやつと思われないか、傲慢なやつと憎まれないか、そんな考慮は一切する必要がない。他人の思惑など考えず、正直に事実を記録できるのも日記ならではだろう。
正直に記したものを後になって読み返すと、あなたの生き方を見つめ直すきっかけにもなる。「なんだ、自分はこんなことをしていたのか。これは改めなければ」と思うこともたびたびのはず。知らないあいだにボーッと生きていたな、とか、逆に、こんなに生き急ぐこともないじゃないか、もっとのんびりと時間をかけて、本当に大切なことを実現していこう――そんなふうに反省するきっかけにもなるだろう。
日記は、気分がいいときに読み返すこともあれば、落ちこんでいるときに読み返すこともある。どちらにしても、現在の仕事における「自分の立ち位置」をはっきりと確認できる。日記に書かなければ忘れていたようなこともよみがえってくる。何よりありがたいのは、いいことであれ悪いことであれ、それを経験したときに湧いた感情を、ありのまま追体験できることだ。
■私が大坂なおみについてメモしていたこと
テニスの試合の最中、私はいつも途中経過を分析していた。うまくいっていること、いってないこと。そのときどきのなおみのアクション。日によって、フォアハンドに注目したり、バックハンドに注目したり。
試合中の自分のプレイを逐一覚えているプレーヤーなど存在しない。私は試合中に気づいたことをすべてメモにとり、試合後に読み返して、気づいたことをなおみに伝えていた。自分の気持ちを書き記して、後で読み返すことは、脳を鍛える意味でも役に立つ。成長の推移を冷静に分析できるし、のちのち多角的な判断を下すのにも有効だ。
ノートしたものを読み返すと、自信も深まる。年間を通してプレーヤーと行動を共にしていると、二人でなしとげた進歩の跡も忘れてしまいがちだ。
2018年の暮れ、なおみと組みはじめた当初からのメモを読み返して、二人が積み重ねてきた改良点の多さに驚いた。私はどちらかというと、次のチャレンジ、次のチャレンジ、と前に目が向くタイプだが、ときにそうしてたどってきた旅の豊かさを振り返るのも、悪いものではない。
■特別公開! 全米オープンを制覇した日の日記
私は実際どんなふうに日記をつけているか。全米オープンを優勝した日の日記を特別にご覧いただこう。
ぼくらはチャンピオンだ!! 今日、あの若い女の子がなしとげたことは、この先いつまでも人々の記憶に残るだろう。自分もその快挙を手伝ったと思うと、誇らしさでいっぱいで、この気持ちをどう言葉に表していいか、わからない。今、午前4時25分。ホテルの部屋にいるのだが、この二晩ほど、ほとんど眠っていなかった。いまも鳥肌が立っていて、泣いたり笑ったりしている。こんなに感情にもろい人間では困るのだが。
準決勝の後、母と義父のトマスまでが、クロアチアから応援に駆けつけてくれた。夜を徹して6時間も車で走り、14時間もかかるフライトに飛び乗って、二人はニューヨークまでやってきてくれた。なおみを応援するために。実際、世界中から寄せられた応援の声は、信じられないほどだった。あれほどの愛と熱意をもらえたからこそ、こっちも頑張れたのだ。
■「なおみは圧巻のひとことだった」
でも、そこがまた、自分がこのスポーツに惚れこんでいる理由でもある。いったんコートに立ったら最後、プレーヤーはすべてを自分一人で引き受けなければならない! あの狂暴なまでの敵意を一身に浴びて。それでも素晴らしいサーブをくり出したなおみ。圧巻のひとことだった。
■「正直なところ、セリーナにも同情している」
みんなで会場を去ったときは、深夜をまわっていた。なおみは疲労困憊していたせいだろう、われわれと家族の面々が宿泊先のホテルでとることになったディナーには加わらなかった。下に降りてくると、集まったみんなと一人ひとりハグしてから、「疲れたので、わたしはもう寝るから」と言って部屋に引き揚げていった。
正直なところ、自分はセリーナにも同情している。セリーナだって24度目のグランドスラムを獲得する力は十分に備えているのだから。セリーナがいなかったら、自分は今、なおみと共にこの場にいることはなかっただろう。今日の試合がどっちに転ぶか。それは神のみぞ知る、だったのだ。いま、わかっているのはただ一つ、家に戻るため、自分がパームビーチ行きの飛行機に乗るまで、きっかり4時間16分しか残っていないということ。それからまた仕事にもどって、月曜日には東京だ。なおみの次の戦いが待っている。すべてはこうなる運命だったのか……。
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1984年生まれ、ドイツ人。ヒッティングパートナー(練習相手)として、セリーナ・ウィリアムズ、ビクトリア・アザレンカ、スローン・スティーブンス、キャロライン・ウォズニアッキと仕事をする。2018年シーズン、当時世界ランキング68位だった大坂なおみのヘッドコーチに就任すると、日本人初の全米オープン優勝に導き、WTA年間最優秀コーチに輝く。2019年には、全豪オープンも制覇して四大大会連続優勝し、世界ランキング1位にまで大坂なおみを押し上げたところで、円満にコーチ契約を解消。
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(テニスコーチ サーシャ・バイン)
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