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芥川賞を獲った「IT企業役員」小説執筆の原動力

プレジデントオンライン / 2019年8月23日 6時15分

作家・会社役員 上田岳弘氏

テクノロジーが高度に発達した世界で、人間という存在はどのように変わっていくのか。独特の世界観で人類の未来を描く作家、上田岳弘。第160回芥川賞受賞作『ニムロッド』など話題作を精力的に発表しているが、じつはIT企業の役員を務めるビジネスパーソンでもある。インターネットで無料配信した後に単行本化した最新作『キュー』のテーマは、憲法9条と戦争。国の在り方をめぐって、田原総一朗と大激論した――。

■5歳で作家になろうと決意

【田原】上田さんは5歳のころから作家になろうと考えていたそうですね。

【上田】僕は上に兄姉が3人います。当時はインターネットがない時代なので、兄姉はみんな本を読んでいました。4人目になると親も子育てに飽きるようで、ほったらかし。みんなの気を引きたくて、将来は彼らが夢中になっている本を書く人になろうと考えたんです。ただ、本を書く人になるというのは照れがあって、幼稚園の卒園のしおりには「本屋さんになりたい」と書いた気がします。

【田原】上田さんのインタビュー記事を読んだら、テレビのドキュメンタリー番組がお好きだったとか。それなら文芸よりノンフィクションだ。どうして小説家に?

【上田】小説のほうが自由じゃないですか。ノンフィクションというけれど、いま起きていることが本当のこととは限りません。いまたまたまある形をして現れているけど、その一歩先に本当のことがあるかもしれない。それを書くには、小説かなと。

【田原】大学に入って、アルバイトをしながら小説を書いたと。どんな作品を書いていたのですか?

【上田】学生時代はなかなか書けなかったんです。読書量が足りなかったし、書く対象も見出せていなくて。それでも1冊くらい書かなくちゃと思って、22歳くらいのときに400枚の長編を初めて書きましたが、話も文章もメタメタでした。

【田原】読書量が足りなかった?

【上田】はい。そう自己分析して、大学3年生のときに古本屋さんに行って片っ端から本を買って読みました。200~300冊は読んだんじゃないでしょうか。

【田原】たくさん読んでみて、どういう作家がおもしろいと思った?

【上田】小説以外のものを含めて雑食的に何でも読みましたが、本棚を見ると、マキャベリとかニーチェの本によくマーカーを引いていました。哲学系の本が好きだったみたいです。

【田原】たとえばドストエフスキーは興味なかった?

■漱石とシェイクスピアも全作品読んだ

【上田】ドストエフスキーはすべて読みました。ほかに漱石とシェイクスピアも全作品読んだかな。

上田岳弘●1979年、兵庫県生まれ。兵庫県立明石西高校、早稲田大学法学部卒。IT企業役員を務めながら小説を執筆。『太陽』で新潮新人賞、『私の恋人』で三島由紀夫賞、『ニムロッド』で第160回芥川賞を受賞した。

【田原】漱石? 僕もぜんぶ読んだけど、ドストエフスキーとは正反対の作家でしょう。両方好きだった?

【上田】漱石は、いまの日本語につながる祖先のような作家です。とくに『草枕』に代表される初期の作品は、日本語をつくろうとする実験がすごい。そこから進化というべきか退化というべきか、だんだん自然主義小説になって、いまの日本語の小説と変わらなくなりますが、その過程がおもしろい。一方、ドストエフスキーは密度が異様で、ほんの数分の会話シーンを描写するのに、長台詞が延々と5ページくらい続いたりする。僕の学生時代はリアリズム小説が全盛だったので、衝撃的でした。

【田原】たくさん本を読んで、得るものはありましたか?

【上田】漱石やシェイクスピアを読んでわかったのは、すでに悲劇も喜劇も網羅的に、書き尽くされているということ。そこを腹に入れないと、新しいものは書けないと思いました。

【田原】つまり、作家として漱石の先をやりたいと思ったわけね。漱石の先って何だろう?

【上田】漱石は日本が近代化するタイミングで誕生した作家でした。近代化する人間の先に絶望的な思いを抱いていたにしろ、近代の入り口に立っていたことは間違いありません。一方、僕がいま生きているのは近現代の出口で、社会が終わろうとしているタイミングに見えます。ですから、いまの社会情勢や国際情勢を精緻に観察して書いていけば、おのずと漱石の先にある新しいものが書けるはずです。

【田原】書きたいものが見えてきたのに、大学を出てIT企業に入る。どうして? 書くのに邪魔じゃない?

【上田】そんなことないですよ。いざ書き始めると、自分が書きたいものに手が届いてないもどかしさを感じました。それはなぜかと考えたら、日本の社会をまだ経験していないから。ちょうど結婚したこともあって、社会人として働きながら書いてみようと思いました。

【田原】でも、どうしてIT企業?

【上田】たまたま友達が起業したのがセキュリティ関係のソフトウエアメーカーでした。時代ですよね。昔は早稲田を出てフラフラしているような人間を回収してくれるのは、出版や放送の業界だったと思います。でも、僕が大学を卒業した16年前は、それがIT業界に変わっていた。

【田原】二足のわらじで作家を続けて、2019年いよいよ『ニムロッド』で芥川賞を獲った。僕も読ませてもらいましたが、正直言ってよく理解できなかった。試しにまわりの人に聞いたら、みんなおもしろいという。きっと僕が年寄りだから理解できないと思うのだけれど、そういう前提で質問させてください。まず、この作品の重要なモチーフの1つが仮想通貨。上田さんは仮想通貨、おもしろい?

■それって仮想通貨とよく似てる

【上田】人間は通貨を使う前から富を持っていましたよね。最初は物々交換するしかなかったけど、貝殻を通貨としてみんなが認めるようになってから、形のなかった富を扱えるようになった。それって仮想通貨とよく似てるなと思って。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】貝殻を富として認めるのは誰なの? いま通貨は国がその価値を保証しています。でも当時は国どころか、社会もまだ発達してない。

【上田】それでも仲間の合意があればいい。昔は武器が通貨だった時代もありますからね。みんなが価値を認めれば、それが通貨になる。

【田原】国の通貨がない時代ならまだ、何かが新しい通貨になるのはわかります。でも、すでに通貨があるのに、どうして仮想通貨?

【上田】国を信頼しきれない人が多かったんでしょう。ビットコインを信頼しているのは、自国の通貨がハードカレンシー(国際通貨)じゃない国の人たちです。たとえばベネズエラやモルディブの人たちにとっては、自国通貨よりビットコインのほうが信用されている。

【田原】でも上田さんはベネズエラ人じゃないよ。円を持つ人にとっては、仮想通貨は博打ですよ。上田さんも持ってる?

【上田】『ニムロッド』を書くタイミングで、取材のためにコインチェックに口座をつくりました。でも、入金する直前で不正流出問題が発生しまして……。

【田原】僕は、仮想通貨のリアリティのなさに上田さんは興味を持ったんだと思った。でも、そうじゃない?

【上田】いや、そのとおりですよ。国家管理通貨でないものが10兆円の価値を持ってしまったという現象は、いったい何なんだと。ただ、先ほど言ったように人類は国の通貨がない時代から富を扱っていました。当時の貝殻はとてもふわふわしたものだったはずで、仮想通貨のリアリティのなさと似ているんじゃないかと。

【田原】もう1つ、僕がおもしろいと思ったモチーフが、実在する世界の「ダメな飛行機」です。なぜダメな飛行機に興味を持ったの?

【上田】インターネット検索をしていたら偶然、ダメな飛行機コレクションというページを見つけました。紹介されていたのは、原子力が動力なのに、重いと燃費が悪いのでシールドを外し、パイロットが被ばくして死んでしまう飛行機とか、寸胴の形をしていて、飛ばそうとしたら燃料が尽きるまでプロペラが回り続けて1ミリも浮かなかった飛行機など。なんかおかしみがありません?

【田原】でも、ダメな飛行機を造ってきたから、ちゃんと飛ぶ飛行機もできたんじゃない?

【上田】そうなんですよ。ダメな飛行機が生まれたのは、飛行機が試行錯誤の段階だったから。いま一応完成してしまうと、もう失敗が許されなくて、社会的に息苦しい状況になっています。

■本当はダメなAIをどんどん作ればいい

【田原】そこが日本の間違いです。日本企業のAI開発がなぜ遅れているのかといえば、日本の経営者が失敗を認めないから。本当はダメなAIをどんどん作ればいいんだ。

【上田】おっしゃるとおりで、そういう思いでダメな飛行機を出しました。

【田原】なかでも印象に残ったのは、特攻機「桜花(おうか)」です。機体そのものより、開発者が戦後、自殺を図ろうと海に飛んで行ったけど、漁船に助けられて生きちゃったという話がおもしろい。実話だそうですが、彼としては死にたかったでしょうね。

【上田】あの戦争に関して言うと、勝ち目はなかった。そのことを現場のみんながどこまでわかっていたのか。

【田原】軍隊は勝ち目なんて関係ないよ。大東亜戦争が始まるとき、昭和天皇が御前会議で、こんな戦争していいのかと聞きました。当時、米国に勝てると本気で考えている人はいなかった。でも、海軍の永野修身が「長期戦になったらガソリンが不足して戦えません。戦機はいましかない」と答えて戦争が始まった。軍隊は、勝ち目があろうがなかろうが、戦えれば戦ってしまう。そういう本質を知っているから、日本の歴代総理は「自衛隊が戦えないからいいんだ」と言ってきたわけです。

【上田】素晴らしい。僕も賛同します。

【田原】ただ、冷戦が終わって問題が起きました。ソ連という敵がなくなって、リベラルから「もう対米従属をしなくていい」という声が出てきた。一方、保守は「それはリアリティがない。米国に捨てられたら日本はやっていけない」という。それで安倍総理は集団的自衛権の解釈を変えたんです。

【上田】集団的自衛権は欺瞞に満ちていますよ。そもそも集団的自衛権って語義矛盾です。実は新作の『キュー』のタイトルは、憲法9条のキューという意味もある。9条を意識して書いた作品なので、田原さんにもぜひ読んでいただきたいですね。

【田原】憲法9条と自衛隊は明らかに矛盾していて、インチキですよ。だから自民党の初代総裁、鳩山一郎から自主憲法制定を訴えてきた。ただ、池田勇人以降は言わなくなった。宮沢喜一に「インチキじゃないか」と言ったら、「日本人は自分の体に合わせて洋服を作るのは下手だけど、押しつけられた洋服に体を合わせるのはうまい」と言う。つまり、米国に押しつけられた憲法だから、そのことを利用していままで米国の戦争に巻き込まれずに済んだんだと。

【上田】おっしゃるとおりで、その矛盾を守っていくのが我々の義務です。

【田原】でも、これからは米国が日本を守ってくれないかもしれない。さあ、どうする?

■校則を撤廃しようとはならない

【上田】たとえば荒れてる高校に喧嘩禁止の校則ができたとします。誰かが身を守ってくれないとしても、その校則を撤廃しようとはならない。国も同じで、せっかく戦争ダメよという決まりをつくったのに、それを放棄するのは人類史的な後退です。

【田原】でも現実に米国が守ってくれなくなったら、どうやって自分たちを守るの? そこから逃げたらインチキだよ。政治家はインチキでいいけど、作家はそこを追求しなくちゃ。

【上田】いや、逆じゃないですか。方法を考えるのは政治家の仕事。作家の仕事は、戦争禁止を撤廃するのは人類史的な後退だと表現していくことだと僕は思っています。

【田原】上田さんがそれを表現したのが新作の『キュー』ですか。この作品は最初、インターネットで無料配信していたそうですね。そこも現代らしい。

【上田】2年前からヤフーと『新潮』で同時連載していました。『新潮』は1万部刷っていますが、ヤフーは毎月700億ビューで、『新潮』では届かなかった層にも届きます。実際、読者イベントをやると、ヤフーで読みましたという人も多いんですよ。単行本は参院選の前に合わせて出しましたが、ウェブをきっかけに完成版を読みたい人も多いと聞き、期待しています。

【田原】『キュー』が1つの集大成だとすると、もう書きたいことがなくなっちゃうんじゃないですか。

【上田】いや、いまも毎日快調に書いてます。いずれまた発表できれば。

【田原】まだIT企業の役員も続けていらっしゃる。上田さんは将来、どうなっていくんだろう。

【上田】少なくともあと4年は作家として必死にやります。宮崎駿監督もおっしゃっていたけど、才能10年説ってあるじゃないですか。僕はデビューしてから6年なので、あと4年。そこまでは先のことを考えずにやって、そのとき見えた風景で次を考えようかなと。

上田さんへのメッセージ:リアリティの先にあるものを、表現し続けろ!

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田原 総一朗(たはら・そういちろう)
ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

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上田 岳弘(うえだ・たかひろ)
作家・会社役員
1979年、兵庫県生まれ。兵庫県立明石西高校、早稲田大学法学部卒。IT企業役員を務めながら小説を執筆。『太陽』で新潮新人賞、『私の恋人』で三島由紀夫賞、『ニムロッド』で第160回芥川賞を受賞した。

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(ジャーナリスト 田原 総一朗、作家・会社役員 上田 岳弘 構成=村上 敬 撮影=枦木 功)

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