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橋下徹「現場の独走を許した津田さんの罪」

プレジデントオンライン / 2019年8月21日 11時15分

中止が決まった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の一つ「表現の不自由展・その後」=2019年8月3日、名古屋市東区の愛知芸術文化センター - 写真=時事通信フォト

混乱が続く「表現の不自由展」中止問題。当事者の証言で展示会実行委員会による「独走」を止められなかったという事情が明らかになりつつあるが、適切にマネジメントできなかった事業運営者側の責任は重い。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(8月20日配信)から抜粋記事をお届けします。

(略)

■もし大阪万博に全裸パフォーマンスが登場したら?

大阪では2025年に大阪万博が開催されるが、吉村洋文大阪府知事や松井一郎大阪市長は、「医療技術」を中心とした万博にしたいという方針を持っている。

そのような方針が万博方針として確定した場合、パビリオン等を出展するある参加者が、男女の性をテーマにするとして、公然わいせつにならない範囲で全裸の男女が様々なパフォーマンスを行う催しをしようとした場合、どうすべきか。

吉村さん、松井さん、そして万博実行委員会は、当然中止を要請するだろう。そのときに、全裸パフォーマンスの出展者が表現の自由を守れ! と言ってきたらどうするか?

「おいおい、これは万博の事業なんだから、その事業方針に沿う出展を行うのは当然のことであり、表現の自由などを持ち出す領域ではないだろ!」となるはずだ。

ところが、これが「芸術」という分野になると、急に「表現の自由」というものが錦の御旗になって、表現の自由を守ることが絶対的な使命だという錯覚に陥ってしまう。

■これは憲法21条の問題ではなく、事業マネジメントの問題である

今回の「表現の不自由展・その後」の企画は、あくまでも、あいちトリエンナーレの事業の一環だ。あいちトリエンナーレの事業方針に沿ったものでなければならない。

今回問題となった作品は、慰安婦像や昭和天皇の肖像を焼く作品など、どちらかと言うと反権力の立場からのものだ。だからそれを中止にするのは表現の自由侵害にあたり、よくない! 展示させろ! という声が上がる。

では、戦争や明治憲法下の天皇大権を礼賛し、日本の軍部の行為を全て正当化するような作品だったらどうだったか?

そのときには「そんな展示は止めろ!」という声が上がるはずだし、そのような展示が中止になっても、批判されるよりも、「当然だ!」という評価になるはずである。表現の自由侵害が問題視されることはまずないだろう。

このように、行政が関与する事業である以上、展示などの企画がその事業にふさわしいかどうかは常に問われるのであって、そのチェックは表現の自由を直ちに侵害する問題や検閲の問題ではない。単なる事業チェックの問題だ。

ゆえに、大村秀章愛知県知事や、河村たかし名古屋市長が、政治家として公権力を発動して、出展を中止させるのではなく、事業運営の責任者として出展中止を求めるのは当然のことである。それは憲法21条の問題ではなく、あくまでも事業マネジメントの問題である。

これは芸術監督である津田大介氏が、出展を中止させるのも同じことである。

中止を求められた作家は、個人の活動全般を否定されたわけではない。あくまでも、あいちトリエンナーレにおいての展示を中止させられただけである。作家たちは、別のイベントや個人の活動で展示できるのであり、ゆえに表現の自由が直ちに侵害されたものではない。

このように今回の「表現の不自由展・その後」の中止決定の騒動は、政治行政権力が一般市民の表現の自由を侵害した話ではない。事業の運営責任者が、事業運営を適切に行ったか否かの組織マネジメントの話である。

だから、その指揮命令や事業運営等の組織マネジメントが適切・合理的であったかどうかを検証する問題であり、表現の自由の侵害だ! と叫ぶような問題ではないのである。

(略)

■旧日本軍が「統帥権」を持ち出したのと同じ理屈

報道によれば、大村知事や津田さんは、「表現の不自由展・その後」の展示内容についてやはり疑問を持ち、「表現の不自由展・その後」実行委員会に色々と要求したという。しかし「表現の不自由展・その後」実行委員会は、それら要求を全て拒否したらしい。

そして大村さんや津田さんは、それ以上要求すると「表現の自由」の問題が生じるので、最後は「表現の不自由展・その後」実行委員会の決定に委ねたというのである。

ここが今回のマネジメントの最大の問題だ。

今、大村さんは、津田さんに全てを委ねていたと言い、津田さんは「表現の不自由展・その後」実行委員会の決定に委ねていたと言っている。まさに責任の押し付け合いだ。

大村さんも津田さんも、「表現の自由」という大義に及び腰になってしまった。表現の自由を侵害したと批判されることにビビッてしまったのだろう。戦争に突入した日本の国の統治者たちが、軍部からの「統帥権の干犯だ!」という批判にビビッてしまったように。

ここは大村さんも津田さんも、事業運営の権限者・責任者として、しっかりと「表現の不自由展・その後」実行委員会を指導すべきだった。企画・展示内容が事業方針に沿わないのであれば、「表現の不自由展・その後」企画を排除すべきだった。

それは表現の自由の侵害でなない。単なる事業マネジメントだ。

そのマネジメントができなかったというのであれば、全ては事業運営者側の責任となる。大村さんも津田さんも、自分たちは色々と注文を付けていたんだが聞いてもらえなかったと言い訳することは許されない。

(略)

■公平なプロセスで対立する立場の作品まで展示すれば大きな意義

一方的な政治的立場の作品だけではなく、対立する立場の作品や、自分事に置き換えた作品も一緒に展示すれば、今回の「表現の不自由展・その後」の展示のどこがおかしいのかが明らかになったと思う。行政が関与する事業では、どのような芸術が許されるのか。なぜこのような展示が過去に不許可になったのか。行政が関与する事業かどうかにかかわらず、先祖や個人を侮辱するような作品は許されないのではないか。このようなことが、抽象的な理屈抜きに、作品群を見ればはっきりと伝わったと思う。

橋下 徹『トランプに学ぶ 現状打破の鉄則』(プレジデント社)

津田さんがそこまでの覚悟を持っていたのであれば、そのような「表現の不自由展・その後」の企画は大いに意義があったのかもしれない。

もちろん、今よりも激しい批判の嵐を受けるであろうが。

そして中立性を保つために全ての立場の作品を展示するというのであれば、その作品の選考方法は公正なものでなければならず、表現したいという者には平等にチャンスを与え、厳格なプロセスで選定しなければならない。特定の立場だけを採用する仕組みは許されない。

そのような意味からは、「表現の不自由展・その後」の実行委員会に、作品の決定権を全て委ねたことは、行政の中立性を害し、許されない。

(略)

(ここまでリード文を除き約2500字、メールマガジン全文は約1万4300字です)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.164(8月20日配信)を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【表現の不自由展(3)】表現の自由の問題ではない! 混乱の主因は現場の独走を許した組織マネジメントだ》特集です。

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橋下 徹(はしもと・とおる)
元大阪市長・元大阪府知事
1969年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、大阪弁護士会に弁護士登録。98年「橋下綜合法律事務所」を設立。TV番組などに出演して有名に。2008年大阪府知事に就任し、3年9カ月務める。11年12月、大阪市長。

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(元大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹)

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