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女子高生「40日間拉致・集団暴行・なぶり殺し」

プレジデントオンライン / 2019年8月16日 15時15分

女子高生がコンクリート詰めされ捨てられた江東区の埋め立て地=1989年3月30日撮影 - 写真=読売新聞/アフロ

1988年、埼玉県の路上で女子高生が拉致され、40日間にわたって足立区綾瀬で監禁されて暴行・強姦を受け続け、死亡。遺体をコンクリート詰めにされて東京湾埋立地に捨てられた。犯罪史上類をみない残虐な事件は、「少年法」改正への契機となった――。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第5章「『実名報道』影の立役者」の一部を再編集したものです。

■「人を殺しちゃダメじゃないか」

残忍かつ、極悪非道。

たまたま通りかかっただけの女子高校生を拉致して、40日間にわたって監禁。集団で凌辱し、殴る蹴る、ライターのオイルをかけて火をつけるなどの暴行を加えたあげく、なぶり殺しに。ついには、ドラム缶の中に遺体をコンクリート詰めにし、埋め立て地に遺棄した。

少年たちの罪名は、「猥褻・誘拐・略取・監禁・強姦・殺人・死体遺棄・傷害・窃盗」。検察の論告に「残忍かつ極悪非道である点において、過去に類例を見出し難く、重大かつ凶悪な犯罪」とある通りだ。

事件が発生したのは、昭和天皇の容態悪化が連日報じられていた、1988(昭和63)年11月のこと。しかし発覚したのは、平成の時代に移って3カ月もたってからだった。別件の婦女暴行やひったくりの容疑で逮捕されていた少年二人の余罪について、警察官が練馬少年鑑別所を訪れ、取り調べたことが発端だったという。

当時、綾瀬署管内で未解決の強盗殺人事件があった。同じ昭和63年11月に、36歳の女性と7歳の長男が自宅マンションで殺され、現金が奪われたのだ。

捜査員が、少年の一人に、

「人を殺しちゃダメじゃないか」

とカマをかけた。勘違いして、

「すみません、殺しました」

と口走ったのはA18歳。Aの自白を知って、女子高生惨殺を詳細に供述したのがC17歳。それは捜査員が初めて耳にする、母子殺人とはまったく別の凶悪事件だった。

■肉親でさえも我が子と識別できなかった

二人の供述通りに3月29日、江東区若洲の埋め立て地に放置されたドラム缶の中から、遺体が見つかった。激しい損傷のために確認作業は難航したが、前年11月末から行方不明になっていた、埼玉県三郷市に住む17歳の女子高校生であることがわかった。綾瀬警察署と警視庁少年二課は、AとCを殺人・死体遺棄容疑で逮捕。彼らの供述から、おぞましい犯行の全貌が明らかになり、さらにB16歳とD17歳の二人が逮捕される。

『週刊文春』の第一弾「彼らに少年法が必要か 女子高生監禁・殺人の惨」(89年4月13日号)は、発見された遺体の様子から書き起こしている。

〈直径60センチ、高さ90センチのドラム缶に、身長165センチのE子さん(埼玉県立八潮南高校3年=17 本文では実名)は、しゃがみ込むような恰好でコンクリート詰めにされていた。
「コンクリートを砕くのに手間取りましたが、遺体が出た瞬間、あまりのむごさに顔をそむける捜査員もいたほどです。(中略)肉親でさえも我が子と識別できなかった」(捜査関係者)
E子さんの遺体は、「人間をそのまま缶詰にしてしまったような状態」(同)まで腐乱が進んでいたが、殴る蹴るのリンチを全身に受けたため、皮膚の色は、顔は言うに及ばず、どこもかしこも真っ黒だったという。〉

■アルバイトの帰り道の不運

〈E子さんは、写真でもわかるように、近所では評判の美人。
「ほっそりしてスタイルもよく、目もクリクリしていて、とっても可愛(かわい)い。モデルになっても、十分務まるわよ」
と近所の主婦が絶賛するほど。(中略)
E子さんは、あと半年もすれば高校を卒業し、就職することが決まっていた。〉

事件の発生状況については、こう書いている。

〈E子さんが拉致されたのは、昨年(88年)11月25日夜8時半ごろ。
その1カ月半ほど前から、通学していた高校がある八潮市内のプラスチック成型工場でアルバイトを始め、いつも、学校を終えると、そのまま工場に直行していたという。
タイムカードによれば、この日は、3時56分に出勤して、工場を出たのが8時19分。〉

そのあと、自転車で約30分のところにある、三郷市内の自宅に向かうのだが、10分ほど走ったところで、女性を物色していたAとBの猿芝居に不運にもひっかかってしまう。

〈「まず、悪玉役のBが現われ、自転車に乗っていた彼女をいきなり蹴り倒し、あれこれからむわけです。そこに、こんどは、被害者を助ける正義の味方役のAがバイクで現われる。彼女は、Bが怖いので、Aの言うままにバイクの後ろに乗ってしまうんだね」(綾瀬署)〉

■非行少年たちの溜まり場で監禁

正義の味方役のAは、

「いま蹴飛ばしたヤツは、頭がおかしいんだ。危ないから送ってやる」

E子さんにそう言って信用させ、近くの倉庫に連れ込むや豹変する。

「実は俺も仲間で、お前を狙っているヤクザだ。俺は幹部だから、言うことを聞けば命だけは助けてやる。声を上げたら殺すぞ」

そう脅迫して、ホテルへ連れ込んで強姦。その後、東京・足立区綾瀬にある悪玉役Bの自宅へ彼女を連れて行く。埼玉県三郷市と綾瀬は、川を挟んで隣り町だ。

〈一階に両親が住み、二階の六畳の和室が兄の部屋、隣の六畳の洋間が弟の部屋になっているが、E子さんは、その日から約40日にわたって、弟の部屋に監禁されてしまうのである。〉

このまま生きて帰れない運命とは、知る由もない。

この家の2階は、非行少年たちの溜(た)まり場だった。彼らは玄関を通らず、昼でも夜でも電柱を伝ってベランダから部屋に出入りした。逮捕されたのは4人だけだが、凌辱に加わった少年は10人以上いたことがわかっている。

E子さんは、何度も脱出を試みる。一度は外へ出ようとして連れ戻され、この家の電話からの110番通報は途中で見つかって切られてしまう。それをきっかけに、凄惨(せいさん)なリンチが始まった。E子さんの家族からは捜索願が出されていたが、Aは自宅へ電話をかけさせ、「もうすぐ帰る」と言わせてもいる。

■遺体処理後も、平然と犯罪を繰り返す

Bの家には、一階にしかトイレがない。E子さんは自力で歩けなくなるまでは、階段を上り下りしてトイレを使っていた。Bの両親は、何度もE子さんを目撃している。しかし息子の家庭内暴力を恐れるあまり、積極的なかかわりを避けた。母親は、E子さんに「早く帰りなさい」と声をかける程度。父親に至っては、「ガールフレンドか。俺にも紹介しろよ」と、息子にへつらったというから呆(あき)れるばかりだ。

ライターのオイルに火をつけてあぶられたE子さんの身体は化膿し、栄養失調と暴行によって立ち上がる体力を失くしたせいで、部屋で失禁してしまう。少年たちは、次第に厄介な存在と考えるようになった。このまま解放するわけにはいかない、という程度の思考力は彼らにもある。この頃から、遺体の処理方法を相談し始めている。

松井 清人『異端者たちが時代をつくる』プレジデント社

E子さんが亡くなったのは、年が明けて1月4日。最後の暴行のきっかけは、Aが徹夜マージャンで10万円負けてイライラしたことだ。サウナに出かけた少年たちが夜になって帰宅すると、E子さんが動かなくなっている。

遺体の処理は、計画通りに実行された。

彼らはしかし悔いも反省もせず、婦女暴行やひったくりを繰り返す。AとCが逮捕されたのは、その後に起こした事件のためだ。

4人の少年は家裁から検察に逆送致され、判決は次の通りになった。

・A18歳:懲役20年(求刑は無期懲役)。
・C17歳:懲役5年以上、10年以下の不定期刑(求刑は懲役13年)。
・B16歳:懲役5年以上、9年以下の不定期刑(求刑は懲役5年以上、10年以下の不定期刑)。
・D17歳:懲役5年以上、7年以下の不定期刑(求刑は懲役5年以上、7年以下の不定期刑)。

A、C、B三人の刑は東京高裁で確定。Dだけが最高裁に上告したが、棄却される。

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松井 清人(まつい・きよんど)
文藝春秋 前社長
1950年、東京都生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、74年文藝春秋入社。『諸君!』『週刊文春』、月刊誌『文藝春秋』の編集長、第一編集局長などを経て、2013年に専務。14年社長に就任し、18年に退任した。

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(文藝春秋 前社長 松井 清人)

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