ジャニー喜多川「SMAPのメンバーを選んだ方法」
プレジデントオンライン / 2019年8月16日 15時15分
※本稿は、霜田明寛『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■ジャニー喜多川とドラッカーの共通点
いったい、ジャニー喜多川はジュニアを選ぶ時、はたまたジュニアからデビューするグループのメンバーを選ぶ時、どんなところを見ているのでしょう。ジュニアのオーディションでは、ダンス審査があるので、ダンスの技術を見ていると思いきや、どうやらそうではないようです。ジャニー喜多川はジュニアの選抜基準を自身でこう語っています。
「踊りのうまい下手は関係ない。うまく踊れるなら、レッスンに出る必要がないでしょう。それよりも、人間性。やる気があって、人間的にすばらしければ、誰でもいいんです(※1)」
天下のジャニーズ事務所の選抜基準が“やる気”と“人間的にすばらしい”だけで、「誰でもいい」とは驚きです。一般企業では、採用基準に「コミュニケーション能力が高く、創造性があり……」などと細かく条件をつけるところもある中で、これは一見、曖昧な基準にも思えます。しかし実は、こうしたジャニーの選抜基準と「経営の神様」と呼ばれるドラッカーの説く組織論は驚くほど一致するのです。
ドラッカーはその著書『マネジメント』で、「人事に関わる決定は、真摯さこそ唯一絶対の条件」といい、「真摯さを絶対視して初めてまともな組織といえる」とまで言っています。これはまさにジャニー喜多川の言う「人間的にすばらしい」と同じで、それがあれば「誰でもいい」というのも、真摯さの絶対視に他ならないでしょう。
さらに、ドラッカーは「組織の目的は、凡人をして非凡なことを行わせることにある」と言っており、ここまでくると、普通の少年たちをスターにして“特別なこと”を成し遂げさせてきた、ジャニーズ事務所のために作られた言葉なのではないか、と思うほどです。
■「YOU来ちゃいなよ」に込められた思い
ジャニー喜多川の言う「人間性とやる気」は、実際の現場ではどう判断されているのでしょうか。まずは、ジュニアの選抜の段階。そのオーディションでは、主に人間性をジャッジしているようです。
1990年代半ばには、1カ月に約1万通は送られてきていたという履歴書を、ジャニーは自らの手で見るといいます(※2)。
「夜にパッパッパッだけど、送られてきた履歴書は全部、自分で開けて、自分で見ます。これだけは何十年やっているけど、人の手を借りたことはない(※3)」
そして、オーディションは基本的に突然開催されます。
「スケジュールが空いた時、時間がもったいないからオーディションをやろうと、急にやるんです。突然速達で報(しら)せが行くから、受ける方も大変じゃないかな(※1)」
突然、ということは、受ける側もオーディションを受ける予定を最優先しなければいけないということ。オーディションのみならず、ジュニアには突然の「YOU来ちゃいなよ」はよくあることで、それに対応できるかどうかで、“やる気”を判別しているのかもしれません。
■松岡昌宏。オーディション当時11歳の“ふてぶてしさ”
そして、オーディション本番。ジャニーは最初から自分がジャニー喜多川である、と名乗ることをしません。開始前に自分ひとりで椅子を並べていたり、ジュースを配ったりすることもあるといいます。
「オーディションに来た子は、ボクのこと知らない。『ダサいかっこうして、なんだ、あのおやじ』と思ってる。子どもたちは『いつになったらオーディションやるんだよ』と。『じゃあ、これからオーディションやります』と言うと『えー』って感じ。ジャニーとわかって急に『はい、そうです』。こういう裏表のあるのはだめですよ、子どもだから特に。あとで機嫌とりにきたりする子もいますが、何を考えているのか(※2)」
重要なのは、人を見て態度を変えないこと。例えば、後にTOKIOのメンバーとなる松岡昌宏。オーディション当時11歳の彼は、ふてぶてしいほどにリラックスしていたといいます。しかし松岡は、他の子たちが目の前にいる大人がジャニー喜多川だと気づいた瞬間に、姿勢を正したりする中、態度を全く変えませんでした。それを、ジャニー喜多川は見逃さなかったのです(※3)。
「人を見て、態度を変えるような子は駄目なんです。どこにいても子供は自然じゃなきゃいけない(※3)」
このように、まずはジュニアの選抜の段階で、やる気と人間性をジャッジしているのです。
■SMAPになれたのに、なれなかった人
ジュニアになってからも、“やる気”を常に見られています。例えば、櫻井翔の項目でも紹介したような、試験のために少しレッスンを休んでいると、戻ってきたときには立ち位置が後ろに下げられていた、というのはよくある話です。
そのやる気は、デビューできるかどうか、という重要な局面にも関わってきます。
ジュニア時代が長かった、V6の長野博のエピソードです。ある日、ジュニアだった長野のもとに、ジャニーから「スケートボードできない?」と電話がかかってきます。長野は、スケートボードの経験はなかったため、「できない」と答え、電話を切ります。しかし、それから間もなくして、またジャニーから電話がかかってきて、再び聞かれます。
「スケートボードできない?」
「だからできないよ!」と長野が答えると「ああ、そう」と言い、ジャニーは電話を切りました。長野は、なんで二度電話がかかってきたのだろう、ジャニーさんはボケたのかな、と疑問に思っていたといいます(※4)。
しかし、ジャニーは決してボケていたわけではありません。このときに作ったのが、「スケートボーイズ」。SMAPの前身となるグループです。
■V6結成前夜
もちろんこのグループ、もともとスケートボードが抜群にできる少年たちの集まりではありません。そう、長野への電話は、その時点でスケートボードができるかどうかを聞いたものではなかったのです。経験がなければ、できないのは当たり前。
質問は「できない?」でしたが、確認したかったのは“今、できるかどうか”ではなく、
“やる気はあるか”ということ。それを確かめるために、「できない」と言っている長野に、二度も確認したのです。
こうして長野はスケートボーイズ入り、という大きなチャンスを逃します。しかし、数年後、もう一度、チャンスはやってくるのです(※4)。
「バレーやらない?」
こうして、ワールドカップ・バレーボールのイメージキャラクターとして結成されたのが、V6です。V6のVは、バレーボールのV。その後ワールドカップに合わせて新しいジャニーズのグループが結成されてCDデビューするのが恒例となりましたが、V6はその初代。
当時のジュニアたちも、バレーをすることが、まさかCDデビューにつながるとは思っていなかったのでしょう。しかしこのときは、長野はきちんと手を挙げ、晴れてデビューを果たします。ちなみにこのV6のメンバー選抜時も、やる気のない人間をメンバーから外したことを、ジャニーは証言しています。
「V6もそうです。『バレーやらない?』と声をかけて手をあげた人。キャリアがあってメンバーに入れたい子に声をかけたら『バレーなんかやってどうするの?』。やる気がない人を無理にひっぱってもしょうがないでしょ。あとで『なんで僕を入れなかった』って。あれだけ確認したのに、『君がそんなことやりたくないって、言ったでしょ』。そういうのが三人いた(※2)」
やはりデビューにおいても、ジャニーの選抜基準はやる気。すなわち「できる/できない」ではなく「やるか/やらないか」だったのです。
■「頑張るのは当たり前」と怒られた堂本剛
ジャニー喜多川が重視するのは、「やる気と人間性」である。そのことが読み取れるエピソードを紹介します。
堂本剛は、ジャニー喜多川に、怒られたことが一度だけあるといいます。それは、先輩のコンサートにジュニアとして登場し、ステージ上でコメントを求められた時のこと。「元気に頑張ります!」と言う剛。特に珍しくない、多くのアイドルが言うであろう定型的なコメントです。しかしその後、ステージ裏にジャニー喜多川がやってきて、剛を怒ったのです。
「頑張るのは当たり前だよ!」
その時、幼い剛の中に「そうか、頑張るのは当たり前なのか」という印象が強烈に残ったのだといいます。それから、後にも先にも、ジャニー喜多川が剛を怒ったことはありません(※5)。
こんなエピソードもあります。97年、KinKi KidsがCDデビュー直前の春のことです。デビュー前とはいえ、その年の夏にデビューすることになる2人の人気はすでに沸騰している時期でした。そんなある日、剛が歌番組の収録を終えた時のこと。汗をびっしょりかいた剛のもとに、スタッフが大勢やってきて、うちわを持って扇ぎます。ジャニー喜多川はそれを「あ、ごめん、剛には手がある。自分でやるから」と止めたのでした。
■「YOU、もう新鮮じゃないよ!」
ジャニーは「一番こわいのは、周りがちやほやしすぎること。(中略)スター扱いしてるだけのジェスチャーなんだよ。あんなの大嫌いなんだ(※2)」と語ります。人気が出ても、人間性が壊れないように意図するジャニー喜多川の配慮がうかがえます。
また、滝沢秀明の項で紹介した、ジュニアのメンバーがテレビ局の人に挨拶をしなかったときに「ユーに10あげるから1返しなさい」と怒られた(※6)と言われたのもこれに類するものでしょう。自分は、チャンスや環境を全て与える。だから、最低限、挨拶はしろ……という、この教え。
こうしたエピソードもやはり、ジャニー喜多川がやる気と人間性を重視していることを現しています。
さらにジャニー喜多川が怒るときの“名言”に、「YOU、もう新鮮じゃないよ!(※7)」という言葉があったと国分太一は振り返ります。
10代の頃の中居正広は、ライブでのトークの際、ひとつの話がウケると嬉しくなり、同じ話を繰り返していたそうです。するとジャニー喜多川は、「同じことを繰り返さないで。違うことを考えながら積み重ねなさい(※8)」と叱ったそうです。これもまた、「YOU、新鮮じゃないよ!」につながる教えでしょう。
※1:『Views』1995年8月号
※2:『AERA』1997年3月24日号
※3:TBS「A-Studio」2019年4月5日放送
※4:NHK-FM「今日は一日“ザ少年倶楽部”三昧」2012年6月17日放送
※5:フジテレビ「新堂本兄弟」2012年7月22日放送
※6:『MyoJo』2015年5月号
※7:TBS「ビビット」2019年7月11日放送
※8:テレビ朝日「中居正広のニュースな会」2019年7月13日放送
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作家/チェリー編集長
1985(昭和60)年東京都生まれ。東京学芸大学附属高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。現在は「永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー」の編集長として、著名人にインタビューを行い、成功の秘訣や人生哲学などを引き出している。『マスコミ就活革命~普通の僕らの負けない就活術~』ほか3冊の就活・キャリア関連の著書を持ち、『ジャニーズは努力が9割』が4作目の著書となる。
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(作家/チェリー編集長 霜田 明寛)
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