中居正広「戦略的に音痴のアイドルを目指した」

プレジデントオンライン / 2019年8月20日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/alashi

※本稿は、霜田明寛『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■「話すのは正直、苦手分野なんですよ」

「個性とは、得意なものを磨くことで生まれる」と思われがちですが、苦手意識のあるところから生まれる、唯一無二の個性もあるのかもしれない——。そんなことを、ジャニーズ司会者の先駆者・中居正広の人生は教えてくれます。

史上最年少25歳での紅白歌合戦の司会者、オリンピック特番のキャスター……と、あらためて言うまでもなく、司会者として唯一無二の立ち位置を掴(つか)んだ中居正広。その司会術は天才的にすら見えるかもしれません。

しかし、中居自身は「話すのは正直、苦手分野なんですよ(※1)」「こう見えてもパッと言葉が出てくるタチではなく、記憶力も悪いのは自分でもわかっている(※2)」「器用じゃないんで、咄嗟に出てこない(※3)」と語ります。バラエティ番組でのトークは即興的なもの、という印象が強いため、どうしても先天的な才能に見えてしまいがち。ただ、中居に限っては、そうではないのです。

ジャニー喜多川も「自分で個性を作っていく」人として中居の名を挙げ、「中居君なんか、最初はものすごく二枚目というか、まじめでねえ。あそこまでしゃべれる人間でもなかったし、おとなしかった(※4)」と語ります。

現在の中居からすると隔世の感がありますが、現在の立ち位置は、デビューしてもすぐにはブレイクせず、「もうこのまま終わっちゃうんじゃないかって(※5)」不安だった中居が、10代の頃から意識的に狙い、戦略的に作り出したものなのです。まずはその戦略から見ていきましょう。

■アイドルの非常識を常識化した男

今でこそ、嵐の櫻井翔や、V6の井ノ原快彦、TOKIOの国分太一……と、司会のできるジャニーズ、バラエティに出演するジャニーズというのは珍しくありませんが、その先駆者となったのが、SMAPの中居正広です。

自分でも「アイドルがバラエティに出るという『非常識』を常識化できた(※6)」と自負するほどで、これは、SMAPより前のアイドルの主戦場が歌番組だったことを考えると、決して誇張表現ではありません。

その一方で、日本のシングルCD歴代売上げランキングトップ10という記録を持ちながら、こんなにも“音痴”であることが広く認知されているアイドルも他にはいません。もちろん、知られているのは、隠していないから。自分からネタにしているからです。

中居は、インタビューでも「SMAPになってから、『あっ、俺って歌っちゃいけないんだな』って思った(※7)」などと、自虐的に語っています。といっても、この“できないこと”に対する悲愴感はありません。

例えば、歌番組などでは自ら「マイクのスイッチ入ってないよー!」と笑いにしていたこともありますし、コンサートでは「中居のソロ曲の時間をトイレタイムにしている観客が多い」ことをネタにした『トイレットペッパーマン』という曲を自ら作詞して歌っていました。

■あえて、歌を“できないこと”のままにしておく

「歌って踊るのがアイドル」というイメージがまだ根強くある中で、ここまで歌が“できない”ことを明らかにする人はなかなかいません。

この自虐は単なる逃げではありません。むしろ、歌を“できないこと”のままにしておくというのは、中居の人生においては、かなり意図的な攻めの姿勢であり、考え抜かれた戦略なのです。

「10代の頃から将来はバラエティでMCをやれるようになりたいと考えていたし、これがいつか新しいアイドルのひとつの形になるのではという予感があった(※6)」と、社会の変化も予測した上で、早い時期から自分の立ち位置を想像していました。

さらに、MCもできるアイドルになりたい、というのは単なる個人としての欲望ではありません。

「10代の頃から『本当におしゃべりができるようになりたい』とは思っていました。『一体自分の個性って何だろう?』というときに、自分がしっかりしゃべれるようになったら、それはSMAPにとっても大きな武器になるなと(※8)」と語るように、まずは他のメンバーが“できないこと”を、自分の長所として伸ばすことが、チームのためになることを意識しての決断だったのです。

代わりに自分の“できないこと”は、チームの他のメンバーに任せることを意識します。

「歌は他のメンバーに任せたほうがチームとして戦うにはいい。代わりにダンスは得意だから踊りで頑張るし、MCに適任がいないんだったら司会をやろう(※7)」とSMAPになってから思ったのだといいます。

結果、中居が音痴であることを責めたり、歌に対して過度に責任を負わせる雰囲気はなく、むしろファンの中には、それを味として楽しんできた人も多いことでしょう。

中居は、何かを「できない」と明言することで、自らが他に注力することを認めてもらうための土壌を作ったのです。

■「女の子のおっぱい」の話ができる状況を作る

そんな中居が、歌の代わりに注力したのが司会です。

「(17歳)当時から『とにかくバラエティで、何番手でもいいからやりたい』と会社の人にすごく頼んでいたしね。大阪の番組やBSや朝の情報番組のアシスタントとか、二番手、三番手でコーナーをやらせてもらいながら、『おっきな番組の司会をやりたい』とずっと思っていた(※9)

トークを盛り上げるためには、女のコの話やエッチな話など、従来のアイドルらしからぬ話をしたほうがよい時も出てきます。それでも、司会業に邁進(まいしん)していくことを決めた中居は、「1回ファンのコと敢(あ)えて距離を取る時期にしなければいけない(※10)」と考えて突き進んでいくのです。

「“結婚生活いかがですか?”って聞いて、自分の恋愛の話を全くしない司会者は卑怯だなって。だから恋愛話とかエッチな話とか意識して話し始めたの。下ネタとか、女の子のおっぱいの話とか(※11)

当初は“こないだデートした話”といった類の話をしても、観覧のファンたちの冷やかな反応を感じていた(※10)という中居。マネージャーにカットの指示を出されることもあったといいます。しかし、それを続けることで「女のコの話をしても、ウンともスンとも言われない(※10)」状況を自ら作っていったのです。

結果、SMAPの中でも、最も多く冠番組を持つ存在になりました。25歳の時に、史上最年少で紅白歌合戦の司会者に抜擢、2004年からはオリンピックのキャスターを務めていることからも、その努力が大成功したことがわかります。

■苦手を得意にする準備法

戦略があったとはいえ、元は不得意だった領域をどのように克服していったのでしょうか。次は具体的な努力の部分を見ていきましょう。

中居は今でも「事前にちゃんと準備ができないのは、怖い(※12)」「バラエティ番組ではゲストの資料は頭に全部入れておきます(※7)」と語ります。

「プレッシャーを乗り越えるために一番大事なのは、準備をすること。バラエティ番組でも踊りでも、自分の中でシミュレーションし、準備を怠らないよう気をつけています(※13)

例えば、歌番組を担当しているときは、2日前にはアーティストの情報やCDをもらって、曲を聴き、歌詞も熟読し、自分の感じたことをまとめます。そして、台本を書き込みだらけにしていく(※12)。もちろん音楽番組だけではありません。

「どんな番組でも、あらかじめ台本をもらって、必ず目を通しておきます。前日の夜に台本ができる番組の場合、手元に届くのは深夜になりますが、確認しておきたいと思うんですよ。ゲストの方の資料も目を通しておきたい。僕が質問する場合、どんなことが聞けるかな、と必ず準備しておく。やはり当日、スタジオに入ってばたばたするのは嫌なんです(※2)

そうして準備をし、本番前にも、司会進行の仕方や、ゲストに話を振ったらこう返ってくる……といった綿密なシミュレーションを頭の中で繰り返し、ひとり集中しているといいます(※14)

■中居正広の分厚いノートの中身

象徴的だったのが、笑福亭鶴瓶とコンビで司会を務めた2007年の紅白歌合戦。台本を読まなければいけないなら引き受けないと主張していた鶴瓶に対し、中居は4時間超の台本をすべて頭に入れ、鶴瓶に後ろからおしりを叩いて合図するなどして、全体を引っ張っていたのです(※15)

また同じ笑福亭鶴瓶とのタッグでの番組『ザ!世界仰天ニュース』では「打ち合わせしないと不安でしょうがない」ため、毎回打ち合わせをする中居に対し、鶴瓶は打ち合わせに参加せず、ゲストも知らずにフラッとやってくるとか。

そんな鶴瓶に「ふらっと来て、ふらっとやっちゃう」「うらやましい」と敬意を持つ中居と、中居に感謝する鶴瓶とのコンビは15年以上続いています(※16)

そんな“準備の中居”を象徴するような道具がノートです。分厚いノートを1年に3冊ほど更新。そこには、気になる文章や言葉はもちろん、本を読んでいてわからなかった漢字、いいなと思った音は「◯◯の間奏の◯分◯秒目の音」といったレベルでくわしくメモをするのです(※17)

他にも映画の出演時には、撮影終了後に期間が空いてから行なわれるインタビュー用に、どんな質問が来ても答えられるように、撮影中から感じたことをメモしている、という少し先を見据えた準備も(※3)

中居は、本当は苦手だった話すことも、綿密な準備と努力により、克服していきました。そして日本の司会者の頂点まで登りつめていったのです。

強みや個性は、得意なものを磨くことで生まれる、とよく言われます。しかし、中居のように、“苦手だけど、自分が磨くべきもの”をきちんと考えた上で、それを必死に磨いて、強みや個性にしていくというやり方もあるのです。

しかも、中居の場合は“(SMAPという)チームに足りないもの”と“社会が欲する新しいアイドルのかたち”も考慮した上で、あえて“弱みを強みに変えていく”戦略を取ったのです。

■「本当の個性」を磨くために

しかし、苦手意識のあるトークをここまで克服できたなら、歌も……という思いはなかったのでしょうか。40歳を超えた、2013年にはこんなことを語っています。

「SMAPでだって、リードボーカルやりたいですよ。でも、それじゃSMAPが崩壊しちゃうからやらないだけ(※18)

霜田明寛『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)

つまり、中居にとっては、歌もトークも、元は苦手の領域であるという認識。でも、創生期の時点でチームに足りないものとして、トークを磨いていったのです。

そして、「歌だけは準備しません。しても無駄というか(笑)」(※3)と笑いに変えるようになっていった中居ですが、歌に注力しなくなるまでの過程にはもうひとつ、理由がありました。

実は、10代の頃の半年間、月に6回、まわりに内緒で50万円近く払ってボイスレッスンに通っていたという中居。ただ、レッスンの受講前と受講後に録ったものに変化が感じられず、「耳が悪すぎる」と言われてあきらめたのです(※9)

「この道には進まない」と決めるときも、ただ苦手意識があるからと漫然と切り捨てるのではなく、ちゃんとトライをしてから別の道に進む。こうして中居は、司会の道に邁進(まいしん)していったのです。

中居は過去を振り返ってこんな発言をしています。

「『みんなと同じことをしない』という勇気が当時はなかった。自分のなかで協調性は大事にしている部分です。でもいまは、みんなと同じでなくていい、ときに敵をつくる勇気も持たないと、本当の個性は磨かれないと思っています(※3)

中居の司会術。それは、得意なものを磨いていったのではなく、苦手のものの中から、勇気を持って、努力と準備で磨いていった本当の個性なのです。(文中敬称略)

※1:『PHPスペシャル』2009年1月号
※2:『AERA』2013年9月16日号
※3:『THE21』2008年12月号
※4:『AERA』1997年3月24日号
※5:『コスモポリタン』1995年7月号
※6:『クイック・ジャパン』2014年4月号
※7:『週刊SPA!』2013年9月17・24日合併号
※8:『週刊SPA!』2014年7月22・29日合併号
※9:『ポポロ』2006年8月号
※10:『ザテレビジョン』2013年9月13日号
※11:ニッポン放送「Some girl’SMAP」2012年8月22日放送
※12:『月刊ザテレビジョン』2011年8月号
※13:『婦人公論』2012年4月22日号
※14:NHK「プロフェッショナル仕事の流儀SMAPスペシャル」2011年10月10日放送
※15:テレビ東京「きらきらアフロTM」2017年3月29日放送
※16:『オリ★スタ』2014年11月10日号
※17:『ザテレビジョン』2015年8月28日号
※18:『ESSE』2013年10月号

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霜田 明寛(しもだ・あきひろ)
作家/チェリー編集長
1985(昭和60)年東京都生まれ。東京学芸大学附属高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。現在は「永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー」の編集長として、著名人にインタビューを行い、成功の秘訣や人生哲学などを引き出している。『マスコミ就活革命~普通の僕らの負けない就活術~』ほか3冊の就活・キャリア関連の著書を持ち、『ジャニーズは努力が9割』が4作目の著書となる。

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(作家/チェリー編集長 霜田 明寛)

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