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「地下鉄サリン事件」神奈川県警に重大疑惑

プレジデントオンライン / 2019年8月26日 15時15分

発見現場から龍彦ちゃんとみられる遺体を運び出す車両、1995年(長野・大町市) - 写真=時事通信フォト

1995年、オウム真理教は東京の地下鉄に猛毒サリンを撒いた。乗客や駅員ら13人が死亡、約6300人が負傷するという凶悪事件の背景には、なにがあったのか。当時、『週刊文春』編集部は、その元凶に神奈川県警の捜査ミスがあったことをつかんでいた——。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第1章「『オウムの狂気』に挑んだ6年」の一部を再編集したものです。

■龍彦ちゃんが眠っている

「まだ極秘なんですけど、これを見てください」

江川紹子さんは、『週刊文春』編集部の小さな会議室で私と向かい合うと、一枚の紙を広げた。1990(平成2)年2月20日ごろのことだった。

それは手書きの地図で、こんな手紙が添えられていた。

「龍彦ちゃんが眠っている。誰かが起こして、龍彦ちゃんを煙にしようとしている。早く助けてあげないと! 2月17日の夜、煙にされてしまうかも、早くお願い、助けて!」

金くぎ流の文字からは、筆跡を隠そうという意図が見て取れた。地図には、断面図のような絵が添えられていた。一本の木が描かれ、傍に×印がつけてある。縦に掘った穴からさらに横穴があり、そこに子どもが横たわっている。

横に掘った穴に、妙なリアリティーを感じたのを覚えている。

地図入りの手紙は、神奈川県横浜市の磯子警察署と横浜法律事務所に送られてきたという。差出人の名前はない。封筒は新潟県高田市の消印で、日付は2月16日となっていた。

横浜法律事務所には、妻の都子さん(29)、一人息子の龍彦ちゃん(1歳2カ月)と共に、3カ月前から行方不明になっている坂本堤弁護士(33)が所属している。事件を捜査しているのが、神奈川県警の磯子署だった。

■いたずらだと思うんだけど……

地図が示しているのは、長野県大町市山中の具体的な場所だ。

しかしなぜ、龍彦ちゃんだけなのか。「誰かが起こして、煙にしようとしている」とは何を意味しているのか。消印翌日に当たる「2月17日の夜」も、何を指すのかわからない。

「いたずらだと思うんですけど……。何か気になって」

江川さんもしきりに首を傾げていた。

「とにかく長野県警が捜索することになったんで、お伝えしておきます。いたずらだと思うんだけど……」
「何かあったら、すぐ記事にするよ。その態勢だけは整えておく」

私は、そう返すしかなかった。

神奈川県警は2月21日、長野県警の協力を得て、地図に示された場所の捜索を行った。しかし、現場には雪が60センチも積もっていて、捜索は難航。45人体制で、積雪を搔き分けて地面を掘り起こしたが、何の手がかりも得られないまま、捜索はわずか半日で打ち切られてしまう。いまひとつ真剣さに欠けたのは、両県警にも「いたずらだろう」という思いがあったのかもしれない。

■麻原彰晃が認めた男

前年の1989(平成元)年11月3日の深夜、オウム真理教の岡崎一明、早川紀代秀、新實智光、中川智正、端本悟の各元死刑囚と故・村井秀夫幹部の6人が、横浜市磯子区の坂本弁護士の自宅アパートに侵入した。

寝ている3人をその場で殺害したのち、布団にくるんで運び出し、別々の山中に埋めてしまう。都子さんの「子どもだけは……お願い……」という最期の懇願も、教祖・麻原彰晃から「家族ともども殺るしかない」と指示を受けていた信徒たちには通じなかった。

後述するように、当初からオウム真理教による犯行が疑われたが、解決の糸口もつかめないまま、早くも3カ月が過ぎていた。

手紙の送り主は、犯行グループの一人、岡崎一明だったことが、のちに明らかになる。岡崎は麻原教祖の側近中の側近で、専用リムジンも運転していた古参信徒だ。麻原から修行の成就者と認められ、麻原の「尊師」に次ぐ「大師」の地位を、教団で二番目に得ている。ちなみに一人目の「大師」は、麻原の愛人の一人で、教団が省庁制を採用したのち大蔵省大臣となった女性信徒だ。

■「Mがずれていてよかった」

岡崎が匿名の手紙を出したのは、麻原以下25人が、「真理党」から衆議院選挙に立候補していた時期だった。1990(平成2)年2月3日公示で、18日が投票日。岡崎も東京11区の候補者だったが、選挙戦さなかの2月10日、オウムから脱走を図る。

その際、2億2000万円の現金と8000万円の預金通帳を持ち逃げしようとしたが、これは幹部の早川に阻止されてしまう。

そこで岡崎は、麻原に対して、退職金名目の「口止め料」を要求。麻原がなかなか応じないので、自分の本気さを示す目的で手紙を送ったのだという。坂本弁護士と都子さんの遺体遺棄現場を示した手紙も投函したが、ようやく麻原が830万円の支払いを了承したため、郵便局に出向いて回収している。

両県警の捜索にもかかわらず、龍彦ちゃんの遺体が見つからなかったことをニュースで知った岡崎は、麻原に電話をかけた。麻原は、

「Mがずれていてよかった」

と喜んだという。「M」は「メートル」を意味する。

神奈川県警は、それから半年以上たった同年9月になって、手紙を書いたのが岡崎だと知り、当時住んでいた山口県宇部市へ出向いて、3日間にわたる事情聴取を行う。ポリグラフも使われた。

■千慮の一失

岡崎は、自分が手紙を投函したこと、麻原から金を受け取ったことは認めたものの、頑として坂本事件への関与を否定。こう言ってはぐらかした。

〈「教祖に金を無心したところ、教団には選挙の自由妨害や住民票の不正移動で警察の捜査が入るおそれがあるので、その矛先をそらすため、子どもの遺体でも何でもいいからウソの投書をして、捜査を攪乱してくれ。そうしたら金を出すと言われた」〉(『オウム法廷』④)

この供述を、捜査員は信用してしまう。しばらくして、横浜法律事務所に神奈川県警から連絡が入る。

「例の手紙ですが、差出人がわかりました。悪質ないたずらだと、厳しく説教しておきましたから」

千慮の一失。

連絡を受けた弁護士は、いたずらの主が誰なのか聞き返さなかった。

3人の遺体が見つかったのは、6年近くあとのこと。地下鉄サリン事件をきっかけに、オウム真理教に対して大規模な強制捜査が行われ、岡崎がようやく自供を始めてからだ。

龍彦ちゃんの遺体は、地図が示した場所のすぐ近くから発見された。地図が正確なのも当然で、岡崎は、そこに龍彦ちゃんを埋めた張本人だったからだ。しかも手紙を送るに際し、山口県宇部市から長野県大町市の現場を再度訪れて確かめ、ビデオや写真まで撮っていたことも明らかになる。

■神奈川県警の最大の手抜かり

雪の中の捜索が時間をかけて丹念に行われていたら、神奈川県警の捜査員が岡崎を厳しく尋問していたら、もっと早く見つけることができたに違いない。江川さんは、この手紙の処理を、初動捜査における神奈川県警の「最大の手抜かりだった」と、著書に記している。

その江川さん自身も悔やんでいた。あとになって、私にこう述懐したことがある。

「ひたすら坂本さん一家の生存を願っていたから、手紙はいたずらであってほしいという思いがありました。私にも、同僚の弁護士たちにも。警察の捜索はたしかに物足りなかったけど、見つからなくてホッとしたのも事実。いたずらでよかったという、気持ちのゆるみがあったんですね」

松井 清人『異端者たちが時代をつくる』プレジデント社

手紙の一件に限らず、捜査本部の初動捜査は滅茶苦茶だった。

坂本事件の発生直後に、神奈川県警が真剣に捜査に取り組んでいれば、間違いなくもっと早期に解決していただろう。すべての証拠が、オウムの犯行を示唆していたからだ。

そして、坂本事件で麻原教祖を検挙していれば、その後の教団の拡大や武装化を防ぐこともできた。松本サリン事件や地下鉄サリン事件は起こらずに済み、多くの人命や、数え切れない人々の平穏な生活が失われずに済んだ。龍彦ちゃんの捜索を半日で打ち切るなど、まったくやる気のない神奈川県警の姿勢を目の当たりにし、自分の身辺に捜査は及ぶまいと甘く見たからこそ、麻原彰晃は際限なく増長していったのだ。

神奈川県警の罪は、あまりにも重い。

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松井 清人(まつい・きよんど)
文藝春秋 前社長
1950年、東京都生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、74年文藝春秋入社。『諸君!』『週刊文春』、月刊誌『文藝春秋』の編集長、第一編集局長などを経て、2013年に専務。14年社長に就任し、18年に退任した。

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(文藝春秋 前社長 松井 清人)

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