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会社トイレで搾乳した外資系役員の"成功双六"

プレジデントオンライン / 2019年8月27日 8時30分

外資系損保AIGジャパンの執行役員・林原麻里子さん - 撮影=堀 隆弘

外資系企業ではどんな人材が出世するのか。AIGジャパンで広報担当役員を務める林原麻里子さん(49歳)は、これまでの人生で3回の大きな転機があった。その激動の半生を振り返る――。(後編/全2回)

AIGジャパン・ホールディングス(以下、AIGジャパン)で執行役員兼広報部長として活躍中の林原麻里子さん(49歳)には、これまでの人生で3回の大きな転機があった。

1回目は小学生時代にいたインドネシアから日本に帰国したときに受けたイジメや家出の経験。2回目は日本の大学を中退後、中国やアメリカの大学を卒業し、香港でようやく記者職を見つけたものの極貧生活を送らざるをえなかったこと。これらは前編で触れた。

そして3回目は、記者職から「広報」に転身したときだった。1回目と2回目は、「絶対にこの状況から抜け出してやる!」という強い反骨心から勉強に励み、自ら次のステージを獲得した。では、3回目はどう乗り越えたのか。

■記者職では取材先で怒られ、広報職では電話越しに怒鳴られる

香港での過酷な記者生活から抜け出すべく、日本国内にある外資系のメディアに履歴書を何通も送り自分を売り込んだ林原さんだが、先方からはなしのつぶて。ほとんど諦めていたが、1年後に「空きが出たから」と予想外の電話を受け、運よくロイター通信社の東京支局に採用された。

いよいよ華々しいジャーナリスト生活の幕開けだ、と胸を躍らせ入社するが、そこでは数々の試練が待ち受けていたという。

■「これも知らないの? 読んでから出直して来い!」

「ロイター通信では、英文で金融経済記事を書く部門に配属されました。当時は、幸田真音さんの経済小説『日本国債』がベストセラーで、はたから見れば、債券や為替を取材する私は『花形』に見えたでしょう。でも実態は、経済金融知識がゼロの駆け出し記者。お恥ずかしい話ですが、『円高? 円安? 金利はどうやって動くの?』というレベルから勉強を始め、取材では山ほど恥をかきました。財務省に取材に行けば『こんなのも知らないの? これ読んでから出直して来い!』と門前払い。記者の先輩たちに聞きたくても、1秒を争って速報する現場では、邪魔者扱い。教えてもらっている時に、イライラして机をバーンとたたかれたこともありました」

そこで休日返上で猛勉強し、数年後にはスクープを出せるほどになった。ようやく一人前となった林原さんにまたとないチャンスが巡ってくる。取材先だった外資系投資銀行のリーマン・ブラザーズから、「広報の社員としてウチへ来てくれないか」との打診があったのだ。34歳の時である。

■ライブドア事件でたったひとりで毎日100本近くの苦情対応

「ロイターでの仕事にはやりがいを感じていました。ただ、投資銀行という憧れの業界に興味がありましたし、違う世界の風景を見てみたい、という好奇心もあり、リーマンのお世話になろうと決めました。もっとも、その後、半端ない苦境が待っていたわけですが……」

記者から広報への転身は、取材する側から取材される側へと、真逆の立場になる。自分の発言ひとつひとつに責任がかかっているため、頭を使う。

「ロイターで経済の勉強を懸命にしましたが、話を聞いて記事を書く仕事と、切った張ったの投資銀行では仕事の次元がまったく異なりました。新しいカルチャーや仕事のリテラシーを身につけるために、そのときも休日返上で金融のイロハを学びました」

そんな多忙な日々を送っていた時、「ライブドア事件」(2006年)に巻き込まれることになった。

リーマン・ブラザーズは、ライブドアにニッポン放送の買収資金を工面したことで、世間から厳しい目を向けられていた。その批判の声を受け止めるのは、広報部に一人しかいない「日本メディア担当」の林原さんだった。メディアや株主、顧客らから毎日100本近くの問い合わせにさらされた。

写真=iStock.com/123ducu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/123ducu

しかもその渦中、思いがけず妊娠が発覚する。

「まさかこんなときに妊娠したなんて言い出せませんでした。しかも上司のアメリカ人女性は、業界ではハラスメント体質で知られた人でしたから、協力的なわけはなく、つわりで苦しいときでも何でもないような顔して電話対応をしていました。妊娠7カ月目になっておなかが膨れていても、長めのスカーフを巻いておなかを隠し、なんとかやり過ごしていました。でも、検診でとうとう『赤ちゃんの体重が全然増えないから今すぐ産休に入りなさい』と言われてしまって……」

迷いに迷ったものの、思い切って上司に打ち明けると、予想通りマタハラ攻撃が始まった。

「報告したその日から、(プレスリリースなどの)スペルミスがあれば『妊娠しているから間違えたのね』。コーヒーやお菓子を買いに一瞬席を外すと、『妊娠しているからフードハンティングに行きすぎ』。嫌がらせは8カ月目で産休に入る前まで続きました」

■会社トイレで搾乳しながら「私、何やってるんだろう……」

なんとか無事に男児を出産できたものの、外資系ではゆっくり育児する感覚はない。林原さんは出産1カ月後で職場に復帰した。保育園を探すが、入園は8カ月待ち。東京に住んでいた実家の母親に生後1カ月後のわが子を見てもらいつつ、週数日は託児所も利用した。

「ようやく見つかった託児所は、1日フルに預けたら最低でも2万円はするセレブ託児所。エグゼクティブなバリキャリが涼しい顔で預ける傍ら、私は『1週間預けたら10万円か……』と青ざめていました」

そして昼休みになると、トイレに駆け込む。

「まだ生後数カ月で母乳をあげていた時期だったので、胸が張って仕方ありませんでした。女性トイレの便座に座ると、ウォシュレットの電源コードを引っこ抜き、持参した搾乳機のコードを入れて、『ウイ~ン、ウイ~ン』という機械の音が漏れるのを気にしながらひたすら絞るんです。でも、たまったらそのまま便器に捨てないといけない。トイレで搾った乳を飲ませるわけにはいきませんから。『私、何やってるんだろう』と、情けなくなりました」

写真=iStock.com/Kangah
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kangah

リーマンの社屋は当時、六本木ヒルズの29~32階にあった。ヒルズ6階共有スペースには授乳室もあり、そこで搾乳も可能だったが、エレベーターで移動する時間を惜しむほど問い合わせ対応に追われていたという。

それにしても、妊娠から産褥期までの最も体をねぎらうべき時期に、このような働き方はかなり負担が大きかったはずだ。負担を軽くしてもらおうとは考えなかったのだろうか。

「当時はともかく必死で、手を抜くとか逃げるとかいう発想はありませんでした。ここで負けるわけにはいかなかったんです。よく外資系金融を“ハゲタカ”と形容しますが、まさにその通り。マタハラ上司も含め、みな自分が生き残ることしか考えていませんし、私自身もそうでした。周りで何人もの人たちが弱音を吐いていなくなって行きました。生き残るために、目の前の仕事をとにかく無我夢中でこなしていきました」

■東日本大震災や、非情の解雇通告をする試練を経て……

それから3年後。リーマンショック(2008年)が起きる半年前、林原さんはイギリス系同業他社から引き抜かれて転職する。

撮影=堀 隆弘

記者時代に培った知識と人脈、元記者だからこそのメディアの知見、そして報道担当者として修羅場を切り抜けてきた経験を買われたのだ。国内外のメディア対応や社内コミュニケーションを行う、3人の広報チームの責任者に抜擢された。

2011年、東日本大震災が起きた時には、社員の大半を占める外国人社員とその家族のためにも、会社に隣接するホテルに当時5歳の息子と母親を連れて2週間泊まり込み、広報部長として責任を果たした。震災直後で情報が錯綜する中、毎日のように情報を取捨選択して社内に流し、混乱する社内をひとつにまとめた。

この時の社内コミュニケーション力や数々の業績を買われて、さらに外資の大手投資銀行からヘッドハンティングされた。ただし、その会社では、他の社員に対する解雇通告も含む過酷な現場も経験した。在籍5年間でスタッフはほぼ半減した。クビを切られた社員らから恨みを買った。

末端の社員として電話越しに謝り続けるリーマン・ブラザーズ時代もタフだったが、管理職としての非情さも求められる仕事は「精神的につらかった」と、声を落として語る。

そして2017年より、AIGジャパンの広報担当執行役員となった。今は「人の能力を最大限に引き出すことにやりがいを感じている」という。

■今はシングルマザー「両親がいなかったら息子は育っていなかった」

ここまでの林原さんの半生は、誰がどう見ても「サクセス人生」だが、本人は、「周囲の助けのおかげです」と至って謙虚だ。激動の仕事のさなか、離婚というほろ苦い経験もした。現在は13歳の息子を育てるシングルマザーでもある。育児のマネジメントも、仕事のようにサクサクこなしているのだろうか。そう聞くと、「仕事のほうがよほどラクですよ」と首を横に振った。

「実を言うと、転職を繰り返していたのは、外資の場合、転職しないとなかなか給与が上がらないからという面もありました。年金暮らしの両親には経済的に頼れませんから、一人息子を育てるためにも転職は必要だったんです。でも、『母子家庭』は言い訳になりませんから、必然的に子育ては両親の力を借りることになります。手厚く世話をしている専業主婦のママ友を見ると、『私も彼女のように手をかけていたら、息子を中学受験で第一志望校に受からせてあげられたんじゃないか』と落ち込むこともありました」

■「寄り道、はみ出し人生」はまだまだ続く

しかし、最近、ようやく母としての自分にも自信がついてきたという。

「つい最近、妹や母が、『すごくよくやっていると思うよ。仕事と両立して、息子の面倒もよく見て』と言ってくれたんです。確かに私は私なりにがんばってきたのかもと思うと、ふっと心が軽くなって、不思議と息子との距離も縮まった気がします。最近、息子が書いた作文を読んだら、彼が母子家庭の境遇に特に劣等感を抱いていなかったことがわかりました。作文の内容は、息子が『うちお父さんいないんだ。お母さんがうちのお父さんだから』と友達に言うと、周りが(お父さんのことを聞いてしまって)ごめんねと言うのが不思議でしかたない――というものだったんです。加えて、私のことを学校で『自慢のお母さん』といったように話してくれていることも耳にして、ようやく少しだけ自分を肯定できました。仕事でも、成功しているように見られますが、自分に自信が持てるようになったのは50歳手前になってから。ここ最近なんですよ」

今は、子育てなども含めて、これまでの経験を生かして、部下を育てることに大きなやりがいを覚えているという。「これまでは自分のキャリアをどう作るか、ということに集中しなければならないところがありましたが、今は、兄弟姉妹のように思う部下が力をつけ、成長する姿を見るのが何よりの喜び」と語る。

今後もまた違う景色を見てみたい、と目を輝かせて話す。

「コミュニケーションのプロとして培った人材の育成・開発の知見を活かし、日本の企業文化を変えていく、活性化していくお手伝いをしていきたいですね。『寄り道上等、しくじりもっと上等』そんなメッセージを多くの人に伝えていきたい」

林原さんの「はみ出し人生」はまだまだ続きそうだ。

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桜田 容子 ライター
明治学院大学法学部を卒業後、男性向け週刊誌、女性向け週刊誌などで取材執筆活動を続け、気付けばライター歴十数年目に突入。にもかかわらず、外見は全然ライターっぽく見られない。趣味はエアロビとロックンロールと花見など。

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(ライター 桜田 容子)

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