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"平成のスター"木村拓哉が何でもできちゃう訳

プレジデントオンライン / 2019年8月27日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yogysic

※本稿は、霜田明寛『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の第1部「努力の16人――2 木村拓哉」の一部を再編集したものです。

■何でもできちゃう男は、こうして作られた

自分のありたい未来像に強烈な意志を持ちながらも、決して“我”を張らない。

ジャニーズの中でもとりわけ“天才”“スター”といった形容がしっくりくる男・木村拓哉の人生は、自分の未来を信じることと、自分の力を過信しないことの絶妙な間にありました。

『ロングバケーション』『ビューティフルライフ』『HERO』といったヒット・ドラマが並ぶ彼のキャリアを見ると、ずっと第一線を走り続けてきた人のような錯覚を覚えます。

しかし、SMAP自体が、デビューと同時にブレイクしたグループではないのと同じく、木村拓哉自身も、最初からスターだったわけではないのです。彼は流されるままに、今の立ち位置を獲得したわけではありません。

木村拓哉の努力について、SMAP結成初期から一緒に仕事をしていた放送作家・鈴木おさむはこう語っています。

「『SMAP×SMAP特別編』で、インディアンの村に行く企画があったんですけど、そのときも、投げ縄とか、ひとつでもできないことがあったら、カメラが回ってようが回ってなかろうが、納得行くまで続けているんです。“木村拓哉って何でもできちゃうよね”って言う人は多いけど、何でもできちゃうように、彼はがんばっているんですよね。木村拓哉はまさに“努力”の人(※1)

木村拓哉もまた、努力で自分を輝かせていった人なのです。

■24時間“木村拓哉”の見えない努力

それは映画『無限の住人』の主演に木村拓哉を起用した、三池崇史監督のこんな言葉にも象徴されています。

「24時間“木村拓哉”なんですよ(※2)

本人もこう語っています。

「素のときの自分と、演じているときの自分を、意識して切り分けるということは一切ないですね。(中略)オン、オフのスイッチを入れたり、切ったりという感覚はないですね(※3)

ずっと“木村拓哉”であり続ける、その強烈な意志。トップアイドルであり、主役級の俳優としてあり続けながら、変わらない自分を貫くことは生半可なことではなく、運や才能だけで太刀打ちできるはずもありません。

木村と共演した俳優・中井貴一は“1等賞を走り続けていく”木村拓哉の努力について、こう語りました。

「僕たちの世界って、ホントに一瞬ポンと名前が出て、売れてっていうことも、とても難しいことだけど。それはある意味、大きな運を持っていればできることだけど。1等賞を走り続けてくっていうのは、その運と、そこに彼がしてきた努力みたいなものが、合わさらないと継続っていうのは出来ない。

彼は絶対に努力を見せませんからね。僕たちなんかよりもはるかに仕事が忙しく、色んな仕事をやっていらっしゃるんだけど、絶対、現場に台本は持ち込まないですし。どんなに長いシーンでも、彼が台本を見るってことはなかったですから。それは、どんな天才でも“努力”なんだと僕は思いますよね(※4)

■月9ドラマ大役を断った理由

“1等賞を走り続けていく”ことにも意志が必要ならば、1等賞をとるまでにも、当然意志が必要です。ここからは、ブレイク前の木村拓哉について見ていきましょう。

1988年に結成され、91年にCDデビューしたSMAPですが、結成当時は、木村が中心メンバーだったかというと、実はそうではありません。リーダーは中居正広で、89年には森且行がSMAPメンバーとしては初めてドラマの主演をしていますし、92年には稲垣吾郎が先に月9主演デビューを果たしているくらいです。

その一方、単発ドラマなどで経験を積んでいた木村に、チャンスがやってきたのは93年、21歳の時。月9ドラマ『あすなろ白書』(原作・柴門ふみ)の「掛居くん」役にキャスティングされたのです。

大学生男女5 人の恋愛を描いたドラマ『あすなろ白書』で、掛居くんは、ヒロインの石田ひかりに恋心を寄せる男の一番手です。初めての連ドラ、しかも当時、高視聴率を連発していたフジテレビの月9枠。普通の若手俳優なら、喜んでとびつく大役です。しかし、それを木村は断ったのです。

■なりたい自分に、必要な仕事を選び取る

『あすなろ白書』の主要男性登場人物には、掛居くんのほかに、「取手くん」という二番手の男性キャラクターがいて、取手くんには当初、俳優の筒井道隆がキャスティングされていました。しかし、それを、チェンジしたい、と木村は申し出たのです。つまり、木村にとっては、自ら番手を下げる判断。もちろん筒井も同意の上。

プロデューサーが決めた配役を、若手の俳優が変える、というのは基本的にありえない話です。けれど、それを聞いた、プロデューサーの亀山千広(のちのフジテレビ社長)は、「このドラマで人気が出たら、いまオンエアされているどのCMの誰のポジションに就きたいのか、イメージできているのか」を木村と筒井に確認。すると、2人とも、明確なイメージができていたので、亀山は交代を決めたのだといいます。つまり、単なる思いつきではなく、明確な未来像から逆算した上での提案だったので、キャスティングを変更するという舵が切られたのです(※5)

結果、『あすなろ白書』は、平均視聴率27パーセントの大ヒット・ドラマとなりました。そして、ヒロイン・なるみに一途でいつも優しく「俺じゃダメか?」と切ないセリフを発する「取手くん」に女性の心は傾き、木村の人気は沸騰したのです。取手くんが、なるみを後ろから抱きしめるシーンは大きな印象を残し、「あすなろ抱き」という言葉も生まれました。

■「自分の人生をコントロールする」という強烈な意志

人気に火がついた後も、番手を重視しない時期が続きます。萩原聖人主演・亀山千広プロデュースのドラマ『若者のすべて』では二番手の友人役で、友人が昏睡状態に陥ったことに責任を感じながら生きる男。映画『シュート!』では中居正広演じる主人公のサッカー部の先輩でありながら病気で死んでしまう……といったような印象に残る役柄を演じます。

木村が単独初主演をするのは『あすなろ白書』から3年後の96年のこと。『あすなろ白書』と同じ亀山プロデュースで北川悦吏子脚本による作品。それが、最終回の視聴率は36.7パーセントと、社会現象となった『ロングバケーション』です。

そこから木村の人気は盤石なものとなり、『ラブジェネレーション』『HERO』と、10年以上もの間、主演ドラマが軒並み視聴率20パーセントを超えるような大ヒットを続けるようになるのです。

木村は若い段階から、仕事を“選ぼう”という意識を持っていました。「こうなりたい」という自分の仕事のビジョンが明確にあって、それに近づくためには、目上の人にも意見したのです。他人の言うこと全てをそのまま受け入れるのではなく、自分で自分の人生をコントロールしていこうとする。

自分がなりたい未来像の前には「月9ドラマの男一番手」という普通だったら飛びつくような、オイシイ話にも木村拓哉の意志が揺るがされることはありませんでした。冷静に役者として自分が行きたい場所を見つめていたのです。

■大成する若手時代の過ごし方

亀山千広も当時の木村を振り返りながら「とくに新人の役者さんの場合は、どの時期にどんな役を演じるのか自分でコントロールしていかなければ、大きな役者になれません(※5)」と語っています。

これは何も役者に限った話ではありません。

自分の理想とする仕事のビジョンを、きちんと把握できるのは、自分だけ。むしろ、自分の10年後の仕事のビジョンまで意識して、仕事を振ってもらうことを他人に求めるのは、なかなか難しい話です。

もちろん、他人に言われた仕事をこなし続けるのもひとつの美徳ではありますが、ときには、自分のビジョンとかけ離れていないか、その仕事の延長線上に自分の理想はあるのか、立ち止まって考えてみるべきなのかもしれません。

木村はひとつひとつの仕事が、自分の未来に及ぼす影響を考えて仕事をすることで、理想とする自分のビジョンに、強烈な意志をもって近づいていった人なのです。

仕事ではありませんが、当時のジャニーズのアイドルとしては珍しく、しかも『ビューティフルライフ』が大ヒットを記録した2000年、28歳での結婚や父になる決断も、なりたい自分の将来像に対する、強烈な意志の表れなのではないでしょうか。

■意志を持ちながら、過信は絶対にしない

一方で、自分の意志をしっかり持つことと、自分の力を過信することは別だということにも気をつけているようです。

自分の力を過信すると、周囲で支えてくれている人たちがいる、ということを忘れがちになってしまいます。しかし、木村はその意識をきちんと持っています。

映画の記者会見などで「俳優部の一員として……」と言うのはその表れ。衣装部、照明部、演出部……他にも多くの人たちがいて作品が成立していて、自分はそのうちのひとつの部の一員でしかない、という意識が強いのです。そこに「自分が主役だ!」という自我は垣間見えません。

冒頭に引用した言葉の通り、木村拓哉はもちろん努力という意味で頑張ってきたけれど、語源のようにむやみに「“我”を張ってきた」男ではないのです。

本人もこう語っています。

「僕らの仕事は、『この役をあなたにお願いしたい』と誰かに言われて初めて成立します。まず、そう言ってもらえるのが信じられないほどありがたいこと。思いを作品という形にして、たくさんの人たちに向けて放つというのは、ものすごいエネルギー。僕は、そこに一員として参加させてもらっているだけです。一人じゃ、なんっにもできないんですよ。『自分一人で』という感覚は、僕の中では皆無です(※6)

■「自分の強みはジャニーズです」

どの世界にも、ひとりでできる仕事なんて、ありません。

霜田明寛『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)

木村拓哉は“自分の意志をしっかり持つこと”と“周囲のお陰で自分が仕事をできるという意識を持つこと”をしっかりと自分の中に共存させているのです。だからこそ、ときに

自分の意志をしっかりと主張しても、周囲が理解を示し、協力をする。

長年にわたって、正直、調子に乗ってもいいくらいの実績を出し続けながら、自分の力を過信しない。

逆説的な言い方ではありますが、そうやって、自分の力を謙虚に問い続けることも、相当な意志の強さがないとできない、とも言えるでしょう。

第一線を走り続けながらも、決して「自分ひとりで」という感覚を持たない。かつて、糸井重里が木村に「自分の強みは?」と聞いたところ、こう返ってきたといいます。

「ジャニーズです(※7)」と。

※1:「Invitation」2006年12月号
※2:「ダ・ヴィンチ」2017年4月号
※3:『TAKUYA KIMURA×MEN’S NON‐NO ENDLESS』(2011年9月、集英社)
※4:NHK『あさイチ』2017年4月21日放送
※5:「THE21」2008年5月号
※6:「婦人公論」2017年4月25日号
※7:「MEKULUVOL.7」(2016年2月)

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霜田 明寛(しもだ・あきひろ)
作家/チェリー編集長
1985(昭和60)年東京都生まれ。東京学芸大学附属高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。現在は「永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー」の編集長として、著名人にインタビューを行い、成功の秘訣や人生哲学などを引き出している。『マスコミ就活革命~普通の僕らの負けない就活術~』ほか3冊の就活・キャリア関連の著書を持ち、『ジャニーズは努力が9割』が4作目の著書となる。

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(作家/チェリー編集長 霜田 明寛)

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