奈良旅行で「地図がなくても道に迷わない」裏技

プレジデントオンライン / 2019年9月17日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/danieldep

新元号「令和」の発表とともに脚光を浴びた『万葉集』には、ゆかりの地・奈良のほか、日本中の幅広い地域が歌われている。『万葉集』の新しい読み方を提案する奈良大学文学部・上野誠教授に、その楽しみ方を聞いた。

■新元号はグローバルかつローカル

――『万葉集』の新しい読み方に定評のある奈良大学文学部・上野誠教授は、新元号の「令和」から「これからは地方の時代というメッセージが読み取れる」と言う。

「令和」という元号の出典は、万葉集の巻五です。730年に九州・大宰府の国司の長官、大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で梅の花見の宴が催され、そこに集まった人々が詠んだ歌々には、「初春令月、氣淑風和」という文章を含む、漢文で書かれた序文があります。そこから“令”と“和”をとっているんですね。

序文の一部を書き下し文にすると「時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前(きゃうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(ばいご)の香(かう)を薫(かを)らす」となるのですが、そもそもこの序文は、中国の王羲之が書いた『蘭亭序』という書道史上最も有名な書作品を踏まえて書かれているんです。

こうした視点で新しい元号を分析すると、日本は広い意味で東アジアの漢字文化の一員なのだ、というグローバルな意識が読み取れます。さらに、九州・大宰府の梅花の歌の序文からとられたということもポイント。大宰府は外国文化の玄関口です。これからは地方の時代だけれども、いわゆるローカリズムと、国際化やグローバリズムが同時に進んでいく、ということです。

■奈良時代は、非常に日本が世界に開かれた時代

『万葉集』の生まれた奈良時代は、非常に日本が世界に開かれた時代でした。漢字や儒教、仏教、律令という中国文化に憧れ、広く受け入れていたのです。新元号の出典となったのは梅の花見の場で詠まれた歌ですが、その梅の花も、当時は中国から伝わった外来種として珍しがられた植物でした。平城京から大宰府に赴任した役人たちは、梅の白さと、香りの高さに魅了されたんですね。

しかし、彼らはそれを、漢詩ではなく、日本の言葉を使い、和歌で伝えようとした。巻五の32首のなかには、次のような歌があります。

正月(むつき)立ち 春の来(きた)らば かくしこそ 梅を招(を)きつつ 楽しき終(を)へめ
(巻五の八一五)

我(わ)が園に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来るかも
(巻五の八二二)

ひとつめは、紀朝臣男人(きのあそみおひと)による歌です。「お正月となって、春が来たなら、毎年毎年こうやって梅を迎えて、楽しい時を過ごしましょうよ」と言っているんですね。ふたつめは、宴の主人である大伴旅人が詠んだもの。「私の家の庭に梅の花が散ったよ。それはね、天から雪が流れ来るようにね」という内容です。この、外国の文字である漢字を借りて、大和言葉を記そうという発想そのものが、グローバル、かつローカルな発想ではないでしょうか。このような、外国の影響を受けつつ日本固有のものをつくろうという創意工夫を凝らした『万葉集』という作品から新しい元号がつくられたわけです。

また、この歌のなかでは常に穏やかで優雅な時間が描写されていますが、『万葉集』の時代は、決して穏やかな日ばかりではありませんでした。飢饉や政変に人々は苦しめられ、朝鮮半島や中国との外交も困難を極めていました。日本の今の状況と重なる部分が非常に多いなと、私は感じています。

■奈良を俯瞰し古(いにしえ)に思いを馳せる

――新元号「令和」は、九州・大宰府の梅花の歌の序文からとられたが、『万葉集』といえばゆかりの地は古都・奈良だ。

『万葉集』で歌われる地名は全国に散らばっているが、大和(現在の奈良県)の地名は約300。摂津や河内など大和周辺の地名も300を超える。

『万葉集』を片手に、奈良を楽しむには、どのようにするのが一番いいか。上野教授の回答は明快だ。

私は、奈良案内を頼まれると必ず最初に若草山の山頂か東大寺の二月堂のどちらかにお連れして、高いところから奈良の街を眺めていただくようにしています。

それは、最初に“旅人”として奈良の街を俯瞰してほしいからです。なぜならば、見渡すことによって大きく街を捉えることができるから。つまり、そのスケールを実感してほしいと思うからです。そして、こんなふうに解説を行います。

PIXTA=写真
平城宮跡の「大極殿(第一次大極殿)」。2010年に開催された平城遷都1300年祭にあわせ復原、再建された。 - PIXTA=写真

「今、私たちが立っているのは平城京の東の壁にあたります。つまり平城京を東から西へと眺めているわけです。正面にあたる西に高い山が見えますね。テレビ塔がいっぱい立っている山、あれが生駒山で、西の壁だと考えてください。平城京は東の壁・若草山、春日山と西の壁・生駒山に守られているのです。これらの山々はいずれも“大和青垣”のひとつです」

「奈良盆地は四方を山で囲まれており、その山地は昔から青垣山と呼ばれてきました。青垣とは、“青い垣根”のこと。万葉びとは、自分たちが生活をする盆地の四方を、山々が守ってくれていると考えていました。

だから、奈良を旅するときは、若草山、春日山の東の青垣と、生駒山の西の青垣の形をまずはじめに覚えてください。そうすると東西の軸がわかりますから、方角を誤りません。これで道に迷わなくなります」

そして、生駒山を背景として、ほぼ正面のやや北あたり、ぽっかりと空いた場所を指さします。そのあたりに大極殿の正殿があります。そここそが、奈良時代の皇居、すなわち平城宮です。若草山の山頂か東大寺の二月堂から見える北側地域の大部分を平城京と考えてよいでしょう。平城宮が皇居なら、平城京は東京都にあたります。ここまでお伝えしたうえで、見える範囲の寺々を説明していきます。

説明の後には、目を瞑って平城京に想いをはせてほしい、とお願いしています。

これが、上野流の奈良案内です。

■日本全国に広がる万葉の歌

『万葉集』といえば大和国(やまとのくに)(現在の奈良県)を思い浮かべる人が多いかもしれないが、収録されている歌の舞台は近畿に限らず東国、東海、北陸、四国、九州と、日本列島に広く分布している。

皇族、貴族、農民と、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められている『万葉集』。大和への思いをはせながら東北から九州まで赴任する役人(官人)も歌い手として多く含まれることが、その一因として挙げられる。

上野教授は「律令官人たちの旅は、地方の言語や風物への関心を呼び起こすとともに、大和を故郷とする文学を生み出した」と話す。上野教授による名訳・解説とともに、全国に広がる万葉の歌をたどってみたい。

■奈良を知れば、万葉集がもっと楽しくなる

『万葉集』で歌われる地名のうち、大和(奈良県)の地名は約300と群を抜く。奈良の土地勘があれば『万葉集』がさらに楽しめること請け合いだ。

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上野 誠 奈良大学文学部教授
1960年、福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案。『「令和」の心がわかる万葉集のことば』など著書多数。

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(奈良大学文学部教授 上野 誠 構成=吉田彩乃 図版作成=大橋昭一)

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