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司馬遼太郎「麻原は日本史上で何番目の悪人か」

プレジデントオンライン / 2019年9月12日 15時15分

インタビューで語る司馬遼太郎さん=都内のホテルで1995年2月2日 - 写真=毎日新聞社/アフロ

どちらも「知の巨人」として知られる司馬遼太郎氏と立花隆氏が、1995年、オウム真理教の教祖・麻原彰晃を巡って激論を交わした。翌年に、この世を去ることになった司馬遼太郎氏のオウムへの怒りは、日本社会への遺言となった——。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第1章「『オウムの狂気』に挑んだ6年」の一部を再編集したものです。

■「オウム事件のときどう思った?」という問い

松井 清人『異端者たちが時代をつくる』プレジデント社

1995年5月16日、オウム真理教の教祖・麻原彰晃が第6サティアンの小さな隠し部屋で発見され、逮捕される。傍らには、966万2483円の現金と、菓子の「カール」や飲料水があった。捜査員が壁にあけた穴から担ぎ下ろしたとき、麻原は「重くてすみません」と呟(つぶや)いたという。

同年の『週刊文春』8月17日・24日合併号と翌週号は、オウム事件を巡る司馬遼太郎さんと立花隆さんの対談を掲載している。「知の巨人」2人の議論は、オウムの本質を見事に衝いていた。少し長くなるが引用する(原文を適宜、改行した)。

【立花】先生は事件についてどのような印象をお持ちですか。
【司馬】難しいですねえ。高度な意味ではなくてね。いまの若い人も、歳をとったら、自分の孫に「おじいちゃん、オウム事件のときどう思った?」ときかれる。しかしなかなか一言では言えないと思うんです。
人類に先例がないですね。人間たちがああもロボット化されるものかということ。人間の本性に惻隠(そくいん)の情というのがあって、だれもがひとの不幸を気の毒だと思うものですが、彼らは利害や感情の動機をもたず、芝生を草刈り機で刈るように不特定の大衆をガスで殺したこと。これはなにかなど、僕にはうまく言えないけれど、無理に言ってみましょう。

■史上稀なる人殺し集団

【司馬】僕は、オウムを宗教集団と見るよりも、まず犯罪集団として見なければいけないと思っています。とにかく史上稀(まれ)なる人殺し集団である。このことを最初に押さえておかないと、何を言っても始まりません。
この事件が起こってから、小説の売れゆきが落ちたらしい。テレビのドラマを見ている人も現実のオウムの報道のほうが、人間とは何かを生々しく語っているので、アホらしくなったと言っていました。
実際、麻原をはじめ、一見個性ありげないろいろな人物が次々に登場してきて役どころを演じるんですね。たとえば、村井秀夫という人。殺人手配人だったそうですが、有能な陸軍大尉のようにふるまったあげく、殺される。そのシーンなどが頭に焼きついていて、まるでシェイクスピア劇のような展開がある。
彼らは閉鎖社会をつくっていて、彼ら以外の人間は別の世界に住んでいる。お釈迦さんの時代の用語を中国語化したものに「外道」というのがありますが、外道の集団がいて、外道の思想をつくりあげて、外道同士も殺しあっている。で、外道の集団は疑似国家をこさえて、他の世界に対して戦争を準備している……。
シェイクスピアでもこんな話は書けなかったですね。こんなことが世の中にあるものかと思って見ていた。それが第一印象でした。

■司馬遼太郎「21世紀の日本社会へ伝えたかったこと」

【立花】ほんとですね。信じられないような話が次から次に展開した。いまだに訳がわからない部分がいっぱいある。いちばんわからないのは、やっぱりあの人間の殺し方ですね。どうしてあんなに安易に人を殺せるのか。
【司馬】人類の歴史で、こんなに冷酷に無差別殺人を犯した集団はないでしょう。古い仏教用語の悪鬼羅刹が日常人の顔をして出てくる。これを憎まなければ日本は21世紀まで生きのびることはできません。

いつも沈着冷静な司馬さんが、感情を剝き出しにしている。オウムを厳しく糾弾するだけでなく、21世紀の日本社会に向けて警告を発している。

さらに、麻原を〈史上最悪の人間〉と断じ、すべての罪を自分が背負うならまだしも、弟子のせいにするなら、単なる詐欺師だと斬り捨てる。

【立花】日本史における「悪」の系譜を考えますと、麻原みたいな存在は他にいたんでしょうか。
【司馬】いないでしょう。よく言われるように、日本人には強烈な善人も少ないかわりに、強烈な悪人も少ない。それがわれわれの劣等感でもありました。ここにきて初めて、史上最悪の人間を持ったのかもしれませんね。
もし麻原が「全部俺がやったんだ。俺はかくかくしかじかの考えがあったんだ」と言えば、強烈な"悪の栄光"に照らされ、悪人殿堂におさまることができるんです。しかし「私は目が悪いからそんなことはできない、見えるはずがない」などと言って誰かに責任を押しつけている。それではただの詐欺師になってしまいます。(対談PART1)

■若い人はオウムの持つ毒の部分に引きつけられた

議論が進むにつれ、司馬さんの麻原・オウム批判は、さらに苛烈なものになっていく。

【司馬】麻原は、平凡な精神医学者が鑑定しても、まず誇大妄想と言うでしょう。自分の妄想をほんとに信じて次の妄想を生む、そういう性質だと。僕は、麻原にどんな宗教的権威も、哲学的権威も与えたくないものだから、こんなふうに言いきってしまいたいんですがね。(対談PART1)
【司馬】よく言われるように、宗教はたしかに狂気の部分を孕んでいる。また狂気の部分を孕んでいなければ、宗教が宗教たるゆえんはないのかもしれません。だけど、「宗教は狂気でなければならないんだ」という意見には、僕は反対なんです。(中略)
【立花】でも、宗教というのは、もともと無害なものじゃないでしょう。キリスト教だって、社会的に認められたのは、キリスト死後300年もたってからで、それまでは、こんな有害な宗教はないと思われていたから、信者は片端から処刑された。仏教の出家思想だって、反社会的なものとみなされた。
既成宗教がみんな無害なものになってしまったから、若い人はかえってオウムの持つ毒の部分に引きつけられたんじゃないでしょうか。

■人間は、もう宗教に救われてなくていい

【司馬】法隆寺が風景になっているように、既成宗教は風景になっている、だから人を救えないんだという意見がある。しかしそういう言い方は現代人をなめすぎています。
人間はね、もう宗教に救われなきゃいけない具合にはなっていないんです。人間の方が進化して、耐性をもったいろんな抗体もできている。いまイエス・キリストが出てきても、そのへんにいる普通のおじさん、おばさんでもたじろがないですよ。
オウム論をする場合、狂気こそ宗教だ、従ってオウムが狂気であるのは当然だというのは、僕は大学の研究室の中の言葉にしておいてほしいんです。〉(対談PART2)

司馬さんは翌年、21世紀を迎えることなく、突然に世を去る。

この発言が「遺言」であったかのように。

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松井 清人(まつい・きよんど)
文藝春秋 前社長
1950年、東京都生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、74年文藝春秋入社。『諸君!』『週刊文春』、月刊誌『文藝春秋』の編集長、第一編集局長などを経て、2013年に専務。14年社長に就任し、18年に退任した。

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(文藝春秋 前社長 松井 清人)

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