「死なせて」という求めに救急隊は応じるべきか
プレジデントオンライン / 2019年9月11日 19時15分
■心肺蘇生の中止を要望されたらどうするか
読売新聞(8月30日付)が、終末期医療について興味深い社説を掲載していた。
冒頭から「終末期の高齢者らの救急搬送に駆けつけた時、心肺蘇生の中止を要望されたらどうするか。各地の救急隊員が重い課題に直面している」と指摘する。見出しも「救急の蘇生処置 人生の最期をどう看取るか」と単刀直入で分かりやすい。
その人の死が迫るなかで施す医療が終末期医療である。読売社説は救急車で駆け付けた救急隊員が、患者やその家族から「このまま死なせてほしい」と頼まれたら、一体どうしたらいいのかという深刻な問題を投げかけている。
救急隊員は人を救うのが仕事だ。そう教えられ、そのための訓練を受けている。蘇生処置を拒否された場合には、どうするべきなのか。これは高齢社会における終末期医療の問題のひとつである。
読売社説によると、全国約700の消防機関の8割が心肺蘇生の中止を頼まれた経験を持つ。しかもこの8割という多さは、総務省消防庁の調査結果だというから驚いてしまう。
■「6割は『蘇生をしながら搬送する』と答えた」
読売社説は「蘇生を望まないという意思を示していた高齢者らが自宅や施設で心肺停止となり、気が動転した家族や関係者が119番通報した後、到着した救急隊に蘇生中止を要望するケースが目立つ」とも指摘し、次のようなデータを挙げる。
「消防によって対応は分かれる。あらかじめ対応指針を定めていたのは約300機関で、このうち3割は『医師の判断などに基づき蘇生を中止できる』としていた。一方、6割は『蘇生をしながら搬送する』という内容だった」
その上で「『救命』を使命としてきた救急現場の戸惑いがうかがえる」と書く。
救急隊が戸惑うのは無理もない。終末期にどんな医療を施すべきなのか。生命倫理にかかわる問題だけに、根底には重くて深く、厳しい事案が横たわっている。問題を解決するめどを見つけるには、まず終末期医療の在り方について私たちが考え、理解していく必要がある。
■あなたは「延命治療」を受けるか、それとも拒否するか
いまや日本社会は世界でもまれな高齢化に直面し、「人生100年時代」と言われる。しかし人生100年と喜んではいられない。長寿社会では老いや病気の問題、命の大切さをより深く考えなければならないからだ。だれもが最後にたどり着く死について正しく認識しておく必要がある。裏を返せば、それだけ終末期医療が大きく問われているわけだ。
具体的に問いたい。いかなる治療を受けようと、死が避けられないという終末期に至ったとき、あなたは延命治療を受けるのか、それとも拒否するのか。
延命治療と何か。人工呼吸器の装着ほか、代表的な延命治療にはおなかに穴を開けて栄養剤を胃に送る胃瘻(いろう)、人工腎臓(透析装置)にかけて血液から老廃物を取り除く透析療法がある。薬物の投与、化学療法、輸血、輸液も延命治療に該当する。
■「死を望ましい形で」という考え方を認める
こうした延命治療を無意味なものと判断して中止し、人間としての尊厳を保ちながら自然な死を迎える。これが「尊厳死」だ。断っておくが、毒物の投与によって積極的に死に至らせる「安楽死」とは違う。
日本老年医学会が2012年に胃瘻をやめるための指針をまとめ、日本救急医学会も2007年に一定の条件下での人工呼吸器などの生命維持装置の取り外しを提言している。
日本老年医学会や日本救急医学会は、臨床現場の医師たちの「体が死のうとしているのに生命維持装置を使って無理に引き留めている状態は良くない」「死を望ましい形で迎えさせてあげたい」という考え方を肯定的に捉え、指針や提言をまとめた。
尊厳死を推し進めているのが、会員数約11万人の一般社団法人「日本尊厳死協会」だ。会員は「尊厳死の宣言書」(リビング・ウイル)にサインする。この宣言書は、延命治療を拒否するとともに痛みを取り除く治療を進めてもらえるよう求めている。宣言書は協会が保管して会員が終末期に至ったときに主治医に示される。会員の9割以上が宣言書通りに亡くなっているという。
■「尊厳死の宣言書」があっても医師は免責されない
しかしながら日本尊厳死協会のこの宣言書があっても、延命措置を中止した医師が殺人罪などに問われる可能性はなくならない。医師が免責される保証はない。尊厳死を認める法律があれば、間違いなく医師は刑事上や行政上の責任を追及されることがなくなる。医師の判断で蘇生処置の適用を判断する救急隊員にとっても、法律は必須である。
協会は2005年6月、14万人の署名を集め、尊厳死を合法的に認めるよう法制化を国会に求めた。この時、超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」も発足し、2012年3月には同議員連盟による法案が公表された。
法案は患者本人の意思表示が明白であり、医師が回復の見込みがないと判断すれば、延命治療をせずに死が選択でき、延命治療を途中で中止することもできる、という内容だった。
■法案は作られても、国会に提案されない状態が続く
だが日本弁護士連合会や障害者団体、難病患者団体は法制化に強く反対し、「人の死に国家が介入するのは問題だ」「社会的弱者の生存を脅かすことになる」と抗議した。周囲でも「終末期は多様で患者やその状況によって違う。一律に延命を中止するのは無理がある。議論を深めるべきだ」という意見が聞かれた。
結局、法案は作られても、国会に提案されない状態が長く続いている。
沙鴎一歩は法案を早く国会に提案すべきだと考える。なぜなら国会での議論が始まれば、国民一人ひとりが自分自身の問題として考えるようになるからだ。
そもそも日本人は生命倫理や死生観の話になると、腰が引ける。それゆえ常日頃から「人生の終わりをどう生きるべきか」について考察しておくべきなのだ。終末期医療の在り方についてみなが考えて理解していく必要がある。
■国の政策転換によって在宅医療が大きく伸びている
読売社説はその後半でこう指摘している。
「本人の意向を尊重しつつ、救急現場の混乱を招かぬようにするには、人生の最終段階を穏やかに迎える環境の整備が欠かせない」
終末期の環境整備。いまは10数年前とは違い、国の政策転換によって在宅医療が大きく伸びている。その結果、病院以外で終末期を迎えるケースが多くなってきているようだ。読売社説は続けて指摘する。
「まず重要なのは、在宅医療の充実だ。住み慣れた地域でかかりつけ医が本人の状態を把握しつつ、急変時に蘇生処置の必要性などを判断する」
「自治体や消防、地元医師会、病院などが連携し、意思疎通を図って対応する必要がある」
その通りだと思う。だが、言うはやすしのところもある。自治体、医師会、病院と立場によって、それぞれ思惑や打算がある。思惑や打算を飛び越えて意思疎通を図ることを目指さなければいけない。
■「延命」か「尊厳死」の選択ができたほうがいい
読売社説は書く。
「本人と家族、医療関係者が日頃から、終末期の医療に何を望むかについて話し合い、文書に残しておくことも求められる。元気なうちから、万が一に備えて自らの意思を周囲に伝えておきたい」
この読売社説の「文書」の代表が、前述した日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」(リビング・ウイル)なのである。
人は自分の死について進んで考えることは少ない。自分が難病にかかったり、あるいは肉親などの身近な人が亡くなったりしない限り、死について正面から向き合おうとはしない。
だからこそ死が避けられない終末期に陥ったとき最後の人生をどう生きるかについて健康なときにしっかりと考え、その考えを宣言書のような文書にまとめておく。そうすれば意識のない状態に陥ったとしても、自らの意思を周囲に伝えることができる。救急車で駆け付けた救急隊員らにとっても、判断材料になる。延命治療について家族と話し合っておくことも大切だ。
いくつものチューブを身体に入れながら延命するのか、それとも自然な尊厳死を迎えるのか。どちらを選ぶのもその人の自由ではある。
(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)
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