志賀俊之「カルロス・ゴーンは曹操を目指した」
プレジデントオンライン / 2019年9月17日 6時15分
■ゴーンは『三国志』の曹操。軍師が必要だった
大学を出て日産自動車に就職できたときは、本当にうれしかったですね。父は和歌山で日産車を販売するディーラーでしたから、日産車は幼い頃から大好きでした。中学生の頃はブルーバード510、大学生になるとスカイラインに憧れたものです。しかし入社時に、私が希望した配属先はマリーン事業部。営業職に就きたかったものの、国内の自動車販売は父と接点がありそうだからと敬遠し、海外は英会話が苦手だから無理だと思いました。ほかに営業職はないかと思ったら、新規事業のモーターボート事業があったので、これは面白そうだと選んだのです。
新入社員が集まるなか、私の配属先が発表されると失笑が起こり、あとで同期から「貧乏くじを引いたな」と言われました。「日産で自動車の仕事に就かないのはやはり失敗だったか」と不安になったものです。日産はそれ以前からボート用のエンジンを販売していたものの、モーターボートの事業はスタートしたばかり。40人ほどの小さな所帯に開発、生産、営業の部署があり、営業担当は私を含めて3人。業界の最後発ですから、新規開拓ばかりで苦労の連続でした。それでも自動車じゃないから、と腐ることはなく、毎日が充実していたのは、20代の若さと新規事業への熱意があったからでしょう。
■その後のキャリアを決定づけた最初の仕事
ナイキ創業者フィル・ナイトの自伝『SHOE DOG』を読んだとき、私は当時の自分を思い出しました。靴のビジネスに懸けるナイトの熱いアントレプレナーシップは、いまの日本人が忘れかけているものでしょう。いま日本の産業競争力を輝かせようとベンチャー企業を支援する私は、この本やベン・ホロウィッツの『HARD THINGS』がベストセラーになってうれしく思いました。
起業家精神は、大企業にいても必要です。私が最初に新規事業を担当し、小さな部署でビジネス全体を見渡せたのは貴重な経験でした。その後のビジネス人生で、私がいくつもの失敗と成功を繰り返せたのもあの経験があったからだと思っています。
28歳で結婚して子どもができてから、自動車部門へ異動になりました。アジア市場が担当です。新入社員と一緒に自動車について一から勉強し、まるでモーターボートの中小企業から自動車会社に転職した気分でした。
このとき担当したのが、中国でライセンス生産を立ち上げるプロジェクトです。当時の中国は改革開放がスタートして数年。日本の自動車メーカーとしては先駆的な進出ですから、お互いにビジネスの感覚が通じません。中国側の担当者といくら交渉を重ねても、いっこうに折り合いがつかない。「どうして、あんな発想をするんだ」と頭を抱える時期がしばらく続きました。そのときにふと「自分は中国人の考え方が根本的にわかっていないのかもしれない」と気づきました。そこから勉強を始めたのが中国の歴史です。『十八史略』『水滸伝』などの面白そうな本から読みあさりました。
そのなかで最も惹きつけられたのが『三国志』です。初めに読んだ吉川英治のものがとにかく面白くて、そこからいろんな作家の『三国志』に広がっていきました。中国の『三国志』には、陳寿が著した歴史書と、歴史小説の『三国志演義』があります。吉川英治などの作品は、ほとんどが『三国志演義』をベースにしたもの。劉備、関羽、張飛、諸葛亮、曹操、孫権など個性あふれる登場人物たちは、どれも中国人のあるタイプを代表するようで、交渉の教科書としてはうってつけでした。
それから20年ほど経った2000年代初め、日産は東風汽車と合弁会社を設立して中国市場の開拓をさらに進めます。このときも私が交渉役でした。東風汽車の主な拠点は、『三国志』ファンには馴染み深い湖北省の武漢市や襄陽市にあります。武漢には「赤壁の戦い」の赤壁、襄陽には「三顧の礼」の古隆中があるのです。私は運命を感じて、東風汽車の幹部たちに自分が好きな場面をいくつか語って聞かせました。相手はもちろん「日本にもこんなに詳しい三国志ファンがいるのか!」と驚き、大よろこびでした。
中国に限らず、海外市場に進出するときにはまずその国や地域の歴史を勉強しました。中東を担当すればイスラム教の歴史、インドを担当すればインドの歴史を学ぶ。これは部下たちにもすすめました。
■「おれのサラリーマン人生は終わった」
私が30代で中国の次に担当したのはインドネシアでした。過去にいったん撤退したインドネシア市場に再参入するというプロジェクトです。4年間かけて準備を進め、課長に昇進した1990年度に経営会議に事業計画を出しました。ところが、これはあっさり却下。日産はバブル時代に借金が膨らみ、すべての海外投資が凍結されたのです。
頭にきた私は「ジャカルタ事務所設立の件」という上申書を役員に提出し、家族をつれてジャカルタへ赴任しました。事務所には所長の私ひとり。日本に提案書を送っても不採用が続き、円形脱毛症になってしまいました。さすがに「おれのサラリーマン人生は終わった」としみじみ感じました。
それでも諦めずに準備を進め、再び経営会議に事業計画を出したのは94年。日産は業績不振だったにもかかわらず、これが認められます。私は3年がかりで現地工場を設立し、インドネシアでの生産体制、販売体制を築いていきました。
私はこの経験から、子会社の社長になる人には、一冊の本をいつも餞(はなむけ)に送ります。松下幸之助の『社長になる人に知っておいてほしいこと』です。この本は、幸之助さんが相談者の悩みに答える形で綴られ、逆境に立たされたときに大切なことは何か、仕事への熱意を失わないためにはどうすればいいかなど、関西弁の語り口調でわかりやすく説いているところが好きなのです。
97年に帰国して企画室に配属されたとき、日産は国内工場の閉鎖やリストラが進んでいました。翌年秋には、あと半年で倒産するという状況まで追い込まれ、企画室主管だった私はメインネゴシエーターとなって外資との提携に奔走します。ルノーとの交渉が動き出したのは99年3月。倒産ぎりぎりのタイミングで資本提携が結ばれ、ルノーの副社長だったカルロス・ゴーンが日産のCOO、CEOへとなるのです。私はアライアンス推進室長となり、「日産リバイバルプラン」の立案と実行を任されます。45歳のときでした。
■手段を選ばない曹操か、情に厚い劉備か
志賀といえば、ゴーン体制のナンバー2という印象が強いでしょう。私自身も「ナンバー1のタイプではない」と思うことがたびたびありました。その一方で、『三国志』の劉備玄徳みたいなリーダーに憧れた時期もあります。劉備は情に厚く、優しいリーダーです。関羽が殺されると、危険を顧みずに弔い合戦に出かける。曹操に追われて城から逃げたときは、自分を慕う住民たちが遅れるのを見捨てることができない。経営者であれば、苦難を乗り切るためにリストラを断行するか、従業員を大切に思って雇用には手をつけないか、迷いに迷うタイプかもしれません。強いリーダーではなくても、人物としては実に魅力的です。
その劉備に、予想もしない解決策を提示してみせるのが諸葛亮です。ナンバー2タイプの私にとっては、やはり理想の参謀役です。イエスマンではなく、経営リソースを冷静に分析してベストな解を示す。これはマニュアルがない世界であり、常にアンテナを張って、その情報網から的確な戦略を導きだすのです。
私は日産で、16年ほどゴーンの下にいました。ゴーンのことは『三国志』でいえば、曹操に重ねて見ていたところはあります。曹操は冷徹なリーダー。自分が逃げるときには住民を皆殺しにする。劉備のような優しさがない一方で、あの手段を選ばない激しさがなければ中国統一をめざせなかったようにも思えるのです。私が好きな吉川英治の『三国志』は、曹操を魅力的な人物に描いているので、日本には曹操ファンが多いといわれます。ビジネスのさまざまな局面で、「劉備、曹操、孔明ならここでどう考えるか」と視点を切り替える。それが『三国志』から最も学んだことかもしれません。
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INCJ会長
1953年、和歌山県生まれ。76年大阪府立大学卒業後、日産自動車に入社。カルロス・ゴーン氏の下、日産リバイバルプランの立案・実行にあたった。2000年常務執行役員、05年COO、13年副会長。15年産業革新機構会長。18年から現職。
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(INCJ会長 志賀 俊之 構成=Top communication 撮影=市来朋久)
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