岡田准一「1日に本1冊、映画3本が自分を変えた」

プレジデントオンライン / 2019年9月20日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akinbostanci

※本稿は、霜田明寛『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の第1部「努力の16人――5 岡田准一」の一部を再編集したものです。

「人間は頑張ることに耐えられる」

思考の重なりが、人生を変えていく。V6・岡田准一の“考え続ける人生”からはそんな真理が見えてきます。

「小2ぐらいのときからずっと、自分はどう生きるかとか、どういう男になるかっていうことを考えてきて(※1)」と、早くから自分の人生に真剣に向き合ってきた岡田が、仕事を始めたのは14歳の時。

「普通は22~23歳で経験することを14歳から経験し始めて、『生きるって何だろう』『仕事をするってどういうことだろう』と悩んでいたんです(※2)

その思考は決してポジティブなものばかりではなく、「劣っている」「まだ足りない」「自分は天才じゃない」といった類のものも。自分を冷静に見つめた思考が、彼を読書や運動といった、文武両道の行動に促します。

「人間は“頑張る”ことに耐えられる生きものだ(※3)」と信じ、「頑張るとか、耐えるって人間の特権だと思う(※4)」と話す、「努力が9割」という言葉を象徴するような岡田の人生を見ていきましょう。

■10年もがいて、やっと落ち着いた

キャリア10周年、24歳のときに岡田准一はこう語っています。

「3、4年働いて、ちょっと仕事がわかってきて、自分のできると思ってることと評価が違ったり、空回りっていうのもすごく早いうちに経験して。16、17ぐらいだとやっぱり実力がないし、余計にこう、あがいてしまって。そういうことを既に10代の頃に経験したんですよね。だから、いまはそういうことがあってよかったって思えるほどラクですしね(※1)

こう聞くと異世界の話に聞こえてしまうかもしれませんが、色々な人生の通過点が、普通の人よりも早く訪れているというだけで、特別なことではないのかもしれません。8歳から人生を考え、6年後の14歳でチャンスがやってきて、その後10年もがいて、やっと落ち着いたという岡田。大学を卒業して就職する人のイメージで置き換えれば、21歳で就職について考えだし、27歳でチャンスがやってきて、37歳くらいでやっと落ち着く……と年数はそのまま、時間軸だけずらして考えるとしっくりくる感じもします。

むしろ特筆すべきは、「すごい世界の一員になったことに慢心せずに、周囲を基準とすることで、努力が促された」ということかもしれません。

■14歳で、いきなりデビューしてしまう

14歳でジャニーズ事務所に入所、その直後にV6としてデビュー。当時、24歳でジャニーズ最年長デビュー記録を更新した坂本昌行や長野博といった年長組や、当時のジャニーズJr.で人気を二分していた森田剛や三宅健と同じグループに入り、いきなりのデビューです。三宅いわく「ドライヤーぐらいしか荷物がなくて」「友達が寄せ書きしてくれたラグビーボールを小脇に抱えて」大阪から、東京の合宿所にやってきたような状態です(※5)

ジュニア期間がほぼない中でのデビューは、他人から見れば大チャンスではありますが、突然のデビューに、当時はついていけないことや怒られたことも多くあったようで、そのためか、岡田准一の人生には、「いきなりデビューしてしまった」という事実が重くのしかかっています。

「家でボーッとしてる時間なんて、俺には必要ねえ」

岡田准一は、ただ人生の起点が早かったから、早く自己を確立できた、というわけではありません。とにかくその過程での日常の過ごし方がストイックなのです。そして、そんな日常の過ごし方を変えさせたもの。それは周囲と差があるという自覚によるものだと語ります。

「芸能界に入り、『天才』と呼ばれる才能ある方々を間近で見てきました。自分は地味だから、若いうちから勉強しないと、と心に決めた(※6)」として勉強を始めます。

岡田は悩んだ時期を振り返り、「時間がもったいなくて、家でボーッとしてる時間なんて、俺には必要ねえって思ってたんです。(中略)本を読むか、映画見るかとか、勉強しなきゃ(※7)」とも語っています。

その例がインプットの量です。10代の頃「家帰ったら映画3本観て、本を1冊読んでみたいなノルマを決めて生活してた(※8)」と語ります。もちろん10代といっても、ただの中高生ではなく、多くの仕事に追われる中でのこの量です。

そうして出逢って心に響いた言葉や、映画の感想やカット割りをノートに書き留める、という作業も並行して続けました(※9)

■帰宅前に映画を3本借りて、朝まで見る

本は、デール・カーネギー(※10)をはじめ、考古学に心理学……フロイトやカント(※9)にドストエフスキーにニーチェ(※2)、精神世界やスピリチュアル系の本も読んで、家に遊びに来た母親に「こんなの読んでるの?」と心配されるほど(※9)。読書習慣だけでもすごいことですが、帰宅前に映画を3本借りて、朝まで見るというのもかなり大変な行為です。

「ノルマだから、ストイックに観ましたね(※8)」「寝てる時間があったら身になることをしようと。3本目なんて結局覚えていないから意味はないんですけど、筋肉トレーニングみたいなものです。毎日見なきゃって。やり始めたら続けなきゃと。強迫観念を自分で作ったようなものです(※11)」という言葉からは、ノルマを決めることで自らを追い込み、それを続けることで、自らの型を作り上げていった姿がうかがえます。

とはいえ、その日々は「下積み」というよりも、現在の岡田を「下支え」しているイメージ。その象徴が「学んでる時が幸せ(※7)」と語る岡田の言葉です。辛い下積み時代ではなく、評価される時代の前の、なりたい自分になるための蓄積の時期。それが将来の自分のためになるという確信があるからこそ、学びを幸せと感じることができる。学びという成果が出る前の努力の過程を幸せと感じられることこそ、大事なことだったのかもしれません。

■30歳で『古事記』にのめり込む

岡田はそうした学びの日々を「ひたすら空洞を埋めるために勉強をした。10年目くらいで身になってきて、同時に周囲から評価や信頼を得られるようになった気がする(※9)」と振り返ります。

その「10年目くらい」にあたる2005年から岡田が担当するのが、ラジオ番組『GROWINGREED』です。「人間は成長する葦である。『考える葦』は人と出会い、学び、発見することで『行動する葦』へと成長していく」という岡田にピッタリの番組コンセプト。五木寛之や林真理子、姜尚中といった作家から、投資家や建築家、東大教授に芸術家……と多ジャンルの専門家がゲストとして登場し、その数は500人を越えています。聞き手として彼らと対峙する岡田に信頼を寄せ、何度も登場する人もいるほどです。

岡田は「僕自身には才能なんてないけれど、唯一あるとしたら才能ある人々と出会える能力だと思っている(※12)」と語っていますが、その唯一自認する出会う能力ですら、自身の努力が引き寄せたものに思えます。ちなみに読書の習慣は大人になっても途絶えず、30歳の時に「今、読んでいる本は?」と聞かれて『古事記』と答えています(※13)

3種類の武術を習得

こうして岡田は、周囲との差を自覚することで、読書や映画といったインプットをするようになり“人生について考える時間”を多くし、成長をしてきました。

その周囲との差についての自覚は、演者側だけではなく、プロであるスタッフにも及びます。しかも、ある程度キャリアを積んだあとにも、現場や分野が変わる度に「追いつかなきゃ」精神は変わらず発動し続けているのです。

「様になるようにカラダを動かす技術も身につけないと、スタッフの方と対等に仕事ができない(※9)

作家・金城一紀と組んで企画書を通し、映画化までは7年をかけて実現した『SP』(ドラマ版は2007年に放映。その後2部作で映画化)の時にはフィリピンの武術カリを学び、主演でありながらアクションを作るスタッフとしても参加しました(※14)

まずは自身で世界中の格闘技や武術を調べて、個人レッスンを開始。足がパンパンになるまで、鏡の前でひたすら棒を振るなどした後に、個人的に弟子入りまで果たします。

カリに加え、ブルース・リーに由来する格闘技ジークンドーと修斗の3種のインストラクターの資格を取得、他にも柔術や居合など5種のトレーニングを経験するまでに。風呂に入る前には上半身裸になって棒を振るのが日課の生活で、身体のために冬でもなるべく暖房をつけないようにするという徹底っぷりです(※9)

時にはわざと声をからして老人声に

他にも、2005年の映画『フライ、ダディ、フライ』の際には、撮影までの1年間、毎日2時間のジム通い。2013年『永遠の0』では当時の資料を調べた上で、零戦のパイロットに会いに行き(※15)、2016年『海賊とよばれた男』では、朝から「あーっ!」と叫び続けて声をからして老人声に(※16)、2017年『関ヶ原』では自分の演じる石田三成の墓に自分でアポを取ってお参りしたり(※17)……と作品ごとに徹底的な役作りのためのリサーチや行動を欠かしません。

ここまで見ると、文化系のストイックさと、体育会系のストイックさを併せ持っていると言えますが、本人にはあまりストイックという意識はないようです。

「ストイックと言われるとしたら、『まだ足りない』『まだうまくない』って気持ちがあって、それを片づけていっている姿がそう見えるのかもしれない(※18)

出発点は、自分が劣っているという自覚。成果を出しても慢心せずに続ける欠乏感は、見ている地点の高さと、新しいジャンルに常に挑戦し続ける貪欲さによるもの。自分より高い山を見るからこそ、その山の頂上にいても、さらに上を目指す。岡田には慢心という概念がないのです。

「馬を習い、格闘技を始め、自分が劣っている分を学んで補おうと、忙しいのに習い事ばかりして、自分にお金ばっかり使ってました(笑)。それが今、役立っていますし、これからも続けていきたいですね(※3)

仕事を始めて20年経っても「35歳の等身大の社会人として見られたい(※19)」と控え目に語る岡田は、稼いだお金を自分のために使う、自己投資を怠らない社会人の鑑なのかもしれません。

ライバルは身近でなく、はるか遠くに

こうして、2014年には『軍師官兵衛』でついにNHK大河ドラマの主演を務め、同じ2014年度の第38回日本アカデミー賞では、『蜩ノ記』と『永遠の0』で最優秀の助演男優賞と主演男優賞をダブル受賞という快挙を成し遂げます。近年では撮影や殺陣の振付師……と、スタッフとしても映画に参加。仕事に邁進し、評価もついてきている30代の岡田は、苦悩の10代を超え、幸せそうにも見えます。

悩み続けておよそ20年、35歳でこう振り返ります。

「思い返すと僕は、ファンの皆さんやメンバーや周囲の人たちの優しさに浸って、そこで満足してしまうことを恐れていたのではないかと思います。チヤホヤしてもらうことに甘えて、そこで求められる以上のことをせず、自分がいる世界以外を見ないで、何も新しいものを生み出すことをしない自分にはなりたくなかったのかもしれません(※20)

自分の置かれている状況に慢心しないこと。どれだけ恵まれた環境を与えられても、岡田の意識は常に新しい世界へ。

とかく人は、ライバルや目標を自分の近くに設定してしまいがちです。しかし、岡田は、実際に会って天才と感じた人や、本や映画の中に尊敬の対象を見つけ、自分の発奮材料にしてきました。

「ジャニーズでデビュー」というそれだけで目が眩んでしまいそうな世界をいきなり与えられた岡田は、それでも慢心せずに、自分の頭で考え続けて、外の世界を意識し続けてきたのです。結果的に俳優としても聞き手としても……ジャニーズという世界の外でも成果を出し続ける存在になっています。

なぜ8歳から人生を考え始めたのか

それにしてもなぜ岡田は、ジャニーズ入りより早い8歳の段階で、自分の人生を考え始めたのでしょうか。人生の転機を聞かれた時に、8歳での両親の離婚を挙げています。

霜田明寛『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)

「離婚会議をしている絵っていうのを、すっごい覚えてます。なんか家族で会議をしていて、覗いてたら『覗くな』って言われた絵と、親父が歩いてって『じゃあな』って俺に言って出ていった絵がしっかりと焼き付いてて。それをやっぱり鮮明に覚えてるかな(※8)

父の不在は、岡田の男としての自覚を強くします。

「父親が突然、自分の目の前からいなくなったこともあって、乗り越えるべき存在というか、理想の大人像がなくなってしまったので、自分で見つけなきゃと思ったんです(※11)

自分が失ったものの中に、自分の理想を見つける。デビューがすぐに決まっても、決して驕ることのなかった岡田の“幸福な努力”の日々は、“自分の理想の大人”に自分自身がなるための日々だったのかもしれません。

そして、父親がいなくなった後、家族3人で生きてきた岡田は、自分の人生で、後悔している発言として中学生の頃を振り返り、こんな話をしています。

「『自分が何を守るのか』というのを考え始めたのが阪神大震災の時。その時、自分が唯一発言したことで後悔したことがあって……。お姉ちゃんが泣き叫んでいる時に、『うるせえ』って言っちゃったんですよ。中3だったんですけど、てんぱっちゃって。人に言った言葉で、後にも先にもそれだけはとても後悔していて(※16)

阪神・淡路大震災が起こったのは1995年の1月。その後、母が履歴書を送り、岡田がV6としてデビューするのは、同じ年の11月のことでした。

考えずに言ってしまった言葉。そのあとに訪れた転機。そして、その後悔をずっと忘れずにいた上での、それからの20年以上の思考と努力の日々。

考え続けることでのみ、人生は後悔しないものになるのかもしれません。

※1:「CUT」2005年1月号
※2:「読売新聞」2011年7月10日
※3:「TVガイドAlpha EPISODE A」(2016年11月)
※4:「TVガイド PERSON VOL.51」(2016年11月)
※5:「週刊SPA!」2015年8月25日号
※6:「AERA」2016年12月12日号
※7:J‐WAE『GROWING REED』2012年7月2日放送
※8:「CUT」2005年8月号
※9:岡田准一『オカダのはなし』(2014年1月、マガジンハウス)
※10:「婦人画報」2011年8月号
※11:「日刊スポーツ」2005年4月24日
※12:「ピクトアップ」2010年12月号
※13:「MORE」2010年2月号
※14:「日経エンタテインメント!」2010年11月号
※15:「ピクトアップ」2014年2月号
※16:「BARF OUT!」2016年12月号
※17:J‐WAVE『RADIO DONUTS』2017年8月26日放送
※18:「ピクトアップ」2016年4月号
※19:「週刊SPA!」2016年3月22・29日合併号
※20:「an・an」2015年11月18日号

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霜田 明寛(しもだ・あきひろ)
作家/チェリー編集長
1985(昭和60)年東京都生まれ。東京学芸大学附属高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。現在は「永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー」の編集長として、著名人にインタビューを行い、成功の秘訣や人生哲学などを引き出している。『マスコミ就活革命~普通の僕らの負けない就活術~』ほか3冊の就活・キャリア関連の著書を持ち、『ジャニーズは努力が9割』が4作目の著書となる。

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(作家/チェリー編集長 霜田 明寛)

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