なぜ下町はどんな酒場にも「もつ煮」があるのか
プレジデントオンライン / 2019年10月1日 17時15分
■大衆酒場ともつ煮込みの切っても切れない関係
東京の下町である浅草の中心に位置する浅草寺。その西側に大衆酒場が密集している通りがある。通称「ホッピー通り」、まれに「煮込み通り」「煮込みストリート」などとも呼ばれる。道路の両側には、店先に椅子とテーブルを並べた気取らない居酒屋が軒を連ね、昼間から酔客でにぎわっている。いまでこそ若い世代の女性客も少なくないが、足立区千住で育った筆者の母親は、「昔はあの辺はガラが悪くて、女子供が行くような場所ではなかった」と話していた。
ホッピーも煮込みも、20年か30年くらい前までは年配男性、いや、はっきり記せば、場末の酒場で薄汚れたおっさんたちが飲み食いするものだった。それが、昨今の大衆酒場ブームの影響で、ホッピー通り(以前はそんな名称はなかった)もすっかりさま変わりしたわけだ。
ホッピー通りの店に限らず、東京の下町にある飲み屋のメニューには、必ずといっていいほど「煮込み」が載っている。名の知れた老舗から地元住民でにぎわうマイナーな店まで、ほぼ例外はない。たとえはじめて入る店でも、「ビールと煮込み!」と頼んでおけば、まず間違いが起こらないはずだ。
この場合の「煮込み」だが、なんの断りもないケースは、暗黙の了解として「もつ煮込み」である。なかには、鶏肉や牛肉、牛スジなどの煮込みを出す店もあるが、圧倒的に多いのは「もつ」である。どうしてなのか。なぜ、下町の大衆酒場ともつ煮込みは切っても切れない縁になったのか。
■なぜ豚のカシラも「もつ」と言われるのか
「もつ」とは臓物(ぞうもつ)の略であって、内臓肉のことだ。たいていの場合が、牛が豚である。ただ、正確には内臓とはいえないような部位も「もつ」とくくられることがある。
試しにもつ焼き(やきとん)店のメニューを見てほしい。レバ、ハツ、タン、カシラ、シロ、ガツ、テッポウ、チレ……というように、もつ初心者にとっては、なにかの呪文にしか思えないような商品名が並んでいるが、このなかで「カシラ」というのは、たいていの店では頰肉のことを指す。
そこで、疑問に感じた方はいないだろうか? そう、頰肉というくらいだから、「内臓」ではなく、「肉」なのだ。味わいや食感も「肉」そのものである。なぜ、カシラが「もつ」として扱われるのかといえば、それはもつが流通する仕組みに関係がある。
以前、雑誌の取材で群馬県内の屠畜(とちく)場を訪れる機会があった。解体、処理、加工の過程を見学させてもらったので、そのときの流れに沿って説明しよう。そこでは、豚や牛は屠畜されると、1体ずつ頭を上にしてフックに吊られて解体場にまわされる。そこで、作業員によって手際よく、頭のつけ根から腹にかけてナイフが入れられると、胴体から頭部と内臓が切り離されて、下のフロアにある加工場にズドンと落とされる。残った胴体は「枝肉」と呼ばれ、そのまま吊されて別の加工場に運ばれる。
■酵素の動きが活発で、足が早い「畜産副生物」
このとき、下のフロアに切り落とされた部分は、正式には「畜産副産物」と呼ばれる。畜産副産物のうち、食用ではない原皮(なめしていない皮)を除いた部分を「畜産副生物」といい、これが「もつ」の正体だ。もうおわかりのとおり、「カシラ」が「もつ」として扱われるのは、解体場において頭部と一緒に切り落とされた畜産副産(生)物であるからだ。
畜産副生物は、専門の卸売業者が加工場で部位ごとに分割、成形し、小売店や飲食店に販売する。とはいえ、正肉と比べると酵素の働きが活発なので足が早いうえ、調理の前に下処理が必要なので、一般的な精肉店で扱うことは少ない。スーパーなどで売られている場合は、下処理済みのものがほとんどだ。したがって、新鮮な国産のもつを使った料理を味わうには、専門業者から仕入れている飲食店に行く必要がある。
■消化器系の「白もの」の方が安く手に入る
もつ煮込みに関しては、すでに明治時代には食べられていたという記録が残っている(もつ自体は、奈良時代に食べられていた記録がある)。正肉に比べて安価なもつは、当時から庶民に親しまれていたようだ。
もつのうちでも大腸や小腸、胃袋などは、しっかり処理をしないと臭みが強いうえ、1頭の豚や牛から取れる量が、ほかの部位に比べて圧倒的に多い。豚のもつの場合、業界では、ハツ(心臓)やレバ(肝臓)などの循環器系を「赤もの」、シロ(小腸、大腸)やガツ(胃袋)、テッポウ(直腸)などの消化器系を「白もの」と呼んで区別するが、現代においても「白もの」のほうが比較的安く手に入る。
ここからは推測の域を出ないが、仕入れ値が安いとなれば、当時の酒場としてはそれを商品化しないという手はなかったはずだ。独特の臭みが気にならず、オペレーションも楽な提供方法はなにかと考えて行きついたのが、下処理したもつを大鍋で煮込んでみそやしょうゆで調味した「もつ煮込み」だったのではないか。それが安くて栄養価の高いつまみが求められた下町の大衆酒場でヒットし、定番メニューになったのではないかと考えられる。
■「内蔵肉を食べる文化」を朝鮮半島出身者が広めた可能性
それでは、東京のいわゆる下町、地域でいえば東側で、もつ煮込みを提供する酒場が多いのはなぜなのか。ひとつは、山の手地区に比べれば、貧しく、庶民の町であったからだろう。
加えて、日本文化の研究者で居酒屋関係の著作も多いマイク・モラスキー氏の著書『吞めば、都』(ちくま文庫)のなかに興味深い記述があった。葛飾区内の博物館の学芸員が記したエッセーを引きながら、東京の東側、特に江戸川流域にもつ焼き店が多い理由は、朝鮮半島出身者が多数住んでいたからではないかという指摘である。事実であれば、内臓肉を好んで食べる彼らが住んでいたからこそ、東京の東側の「もつ文化」がより栄えたのではないかということになる。
そう考えると、冒頭で紹介したホッピー通り周辺にも朝鮮半島出身者のコミュニティーがあるし、関西に話が飛ぶが、ホルモン(大阪では「もつ」といわず、「ホルモン」と呼ぶことが普通)焼き店が密集する大阪・鶴橋の近辺にも、戦前から朝鮮半島出身者が数多く居住していた。これも偶然というわけではないだろう。
余談だが、「ホルモン」の語源は「放る(捨てる)もん」だとする説があるが、どうやらこれは俗説。本当はドイツ語、もしくは英語のhormon(e)らしい。「放るもん」のほうが、大阪っぽくておもしろいのに残念だ。
■豚の小腸や大腸を使った煮込みはジューシーになる
さて、もつ煮込みの歴史や文化的背景をかいつまんで記してきたが、じっさいに大衆酒場に行くと、同じ「もつ煮込み」であっても、使用する材料から部位、味つけまで、店によって大きく異なることに気づくはずだ。
まず、なんのもつを使うか。もつ焼き(やきとん)をメインで提供している店は、当然、豚のもつを使うことが多い。使用するのは、主にシロと呼ばれる小腸か大腸。内側に脂が付着しているので、ジューシーで食べ応えのある仕立てになりがちだ。味つけは、しょうゆかみそで、ニンジン、ダイコン、コンニャクなどが入ることも多い。東京ではもっともオーソドックスなスタイルのもつ煮込みといえる。
一方で東京の老舗では、牛のもつを使う場合も少なくない。『居酒屋の定番 煮込み』(柴田書店)によれば、「東京三大煮込み」とも称される森下の「山利喜」は、牛の小腸とギアラ(第4胃)を主に使用。同様に三大煮込みの一角とされる月島の「岸田屋」は、ギアラ、小腸に加え、フワ(肺)と軟骨も使っている。
味つけは、山利喜は赤みそがベースで、香味野菜や赤玉ポートワイン(現:赤玉スイートワイン)で風味づけ。岸田屋は2種類のみそをブレンドして使っている。一方で秋葉原の名居酒屋「秋田屋」はギアラと小腸を使ったしょうゆベースの味つけであるし、最近は塩味のあっさりしたもつ煮込みを提供する店も増えている。さらに門前仲町の老舗「大阪屋」は、牛の小腸、フワ(肺)、軟骨を串打ちして煮込むスタイル。お客は、好きな部位を3種から選んで注文することができる。
■日本中にご当地の「もつ煮込み」がある
老舗に負けじと、ここ10年くらいのあいだに、新しいコンセプトの煮込み専門店も続々と登場している。茅場町の「東京JuJu」、中野の「煮込み屋ぐっつ」などは、ワインのアテをイメージした煮込みを提供。最近では、名店と呼ばれた店で修業した店主が独立して「もつ居酒屋」を開業するケースも増えている。
地方に目を向ければ、名古屋の「どて煮」、博多の「もつ鍋」、甲府の「鶏もつ煮」、馬のもつを用いた長野の「おたぐり」などなど、地域に根付いた「もつ煮込み」を挙げていくと切りがない。おそらく日本各地でご当地のもつ煮込みが食べられているのではないか。その理由は、今も昔も安くて栄養価が高いもつ煮込みは庶民の味方であり、金はないけど酒は飲みたい酔客が集まる大衆酒場には欠かせない存在だからだ。
家庭ではつくる機会が少ないもつ煮込みを食べ歩いて、もつの文化や歴史に思いをはせつつ、好みの1品を見つけてみるのも楽しいだろう。
※参考文献公益社団法人 日本食肉協議会『畜産副生物の知識』
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ライター
1981年東京都生まれ。料理専門の出版社に約10年間勤務。カフェとスイーツ、外食、料理の各専門誌や書籍、ムックの編集を担当。インスタグラム。
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(ライター 石田 哲大)
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