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学級委員の秀才少女が「陰キャ」に転落した顛末

プレジデントオンライン / 2019年9月26日 6時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tharakorn

成績優秀で容姿端麗、学級委員として人望も厚かった少女が、ある時期から学校のクラスで隅にいるような「陰(いん)キャ」に転落してしまった。彼女に何があったのか——。

※本稿は、岡田尊司『死に至る病』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
※本文中の事例は、具体的なケースをヒントに再構成したものであり、特定のケースとは無関係です。

■誰もが羨む少女が抱えていた深い闇

子どもの頃のTさんは、みんなの憧れの的だった。成績抜群だったうえに、いつも学級委員としてリーダーシップを発揮し、誰にでも親切だったので、人望も厚かった。しかも、容姿も端麗で、運動も絵も書道も立派にこなし、ピアノの腕前は音大に進むことを勧められるほどだった。しかも、実家は会社を経営する地元の名士で、どんな人生が待っているのかと羨(うらや)まれるばかりだった。

そんなTさんが、実は深い心の亀裂を抱えて暮らしていたことなど、誰も思い及ばなかっただろう。

不幸の始まりは、Tさんが三歳のときに両親が離婚したことだった。その一年ほど前から、両親の間はぎくしゃくしていて、母親は、下の妹だけ連れて、よく実家に帰っていた。そんなときも、またその後、母親がいなくなってからも、Tさんの面倒をみてくれたのは祖母だった。家にはお手伝いさんや従業員が始終出入りしていて、いつも賑(にぎ)やかだったので、母親を失った寂しさを強く感じた記憶はない。

むしろ本当の試練は、五歳のとき、父親が再婚し、継母がやってきてからだった。

最初のうちは、継母も優しかった。可愛くて、賢くて、はきはきしたTさんを、継母は気に入って、ことさら大事にしてくれたのだ。

幼いながらにTさんも、継母に気に入られようと頑張った。継母が褒めてくれるのがうれしかった。産んでくれた母親の記憶が薄れるにつれ、自分にとっての母親は、この人だと思うようになっていた。

■弟が生まれた頃から家庭内で四面楚歌に

それが変わり始めたきっかけは、下に弟ができたことだった。弟が生まれると、母親の態度が明らかに変わってしまった。まだ小学校に上がるか上がらないかだったが、母親の眼中に自分がないことを、Tさんは感じるようになった。

それでも、祖母が生きていた間は、まだましだった。小学校二年の三学期、Tさん姉妹の後ろ盾となってくれていた祖母が亡くなった。祖母がいなくなると、Tさんに対する継母の態度は、目に見えて冷たいものとなった。

さらに、追い打ちをかけたのは、父親の会社の経営悪化だった。継母にしてみれば、子どもがいるバツイチの男にわざわざ嫁いできたのは、金に不自由はさせないという言葉に惹かれたからでもあった。それが、とんだ空約束となった今、騙(だま)されたという怒りが、Tさんへの冷たい仕打ちとなって表れたようだった。

何かあるごとに、継母はTさんの陰口を夫や周囲に言うようになり、それを真に受けた父親から、事情も聞かずに、いきなり怒鳴りつけられたり、折檻(せっかん)されるようになった。下の弟に対する態度とのあまりの違いに、悲しくなって、ベッドでひそかに涙することもあった。いつしか継母や父親の顔色をうかがうようになっていた。

■かつての快活な少女が、不注意でぼんやりした女性に

Tさんは早く家を出ることを考えるようになり、全寮制の中学に進みたいと言うと、継母と父親は顔を見合わせ、あっさり許してくれた。やはり自分のことが邪魔で、出ていってほしかったのかと悲しく思いもしたが、Tさんの成績が優秀なことだけは、両親も喜んでくれていたので、引き続き勉強を頑張って、継母が常々口にする旧帝大系の大学に入り、認めてもらうしかないと学業に打ち込んだ。

週末には自宅に帰るのが普通だったが、継母の不機嫌な顔を見るのがつらく、寮で過ごすことが増えた。ほしいものがあっても、お金のことを言い出せず、友だちに借りたりした。かと思うと、金欠病に苦しんでいるというのに、高い本や洋服を衝動的に買ってしまうこともあり、後で本当に困った。

寝る間も惜しんで頑張るのだが、落ち込んでしまうと、二、三日、動けなくなるということが、しばしばみられるようになった。不注意な忘れ物をしたり、提出物が期限に間に合わないということが目立つようになったのも、中学、高校くらいからである。

かつての生き生きして、活発で、しっかりしていた少女は、どこか薄ぼんやりして、物思いに沈み、陰気なところのある女性に変わっていった。忘れ物、遅刻、不注意なミスは、その後、いくら気をつけても、良くなるどころか、段々ひどくなった。

それでも、高校は、その地方で三本の指に入る名門校に進んだ。大学も、地元の国立大学なら医学部も受かると言われたが、継母が地元の大学をいつも貶(けな)しているのを知っていたので、旧帝大系でなければダメだと思い、無理をして受験するも、不合格に。もう一年挑戦したが、体調も優れず、受験に失敗。

結局入学したのは、東京にある私立大学だった。結果を報告すると、案の定、継母からは、蔑(さげす)んだような冷ややかな声で、入学金以外は面倒みられないと言い渡された。

その後、アルバイトに明け暮れたということもあるが、一度も実家には帰っていない。継母からは電話一本かかってきたこともない。継母とはいえ、Tさんにとっては、誰よりも認めてほしい母親だった。だが、継母は弟のことに夢中で、Tさんのことなど忘れてしまったかのようだった。

■不注意や体調不良でバイトを転々とする暮らし

どうにか卒業して、それなりに名の通った会社に就職することができた。勇んで電話すると、継母も喜んでくれたが、話はいつのまにか、弟の自慢話に変わっていた。

せっかく入ることのできた会社だったが、気を遣いすぎて疲れてしまううえに、ミスや遅刻を連発した。また失敗すると思うと、余計におどおどして、浮き足立ってしまう。次第に居づらくなって、一年ほどで辞めた。

しかし、実家には辞めたとは言えず、バイトを転々としながら食いつなぐ暮らしだった。一年の三分の一くらいは調子が悪く、寝込んでしまうので、どの仕事も長くは続かなかった。なんとかしなければと思うのだが、一人でいるときは、ぼんやりして、時間だけが経ってしまう。だらだらするばかりで、計画的に何一つできないのだった。物の管理もスケジュールの管理も満足にできず、部屋は混乱しきった状態だった。

いま、三十代になり、なにもかもがうまくいかないのは、最近、よく耳にするADHDによる不注意のせいではないかと思い、原因を知りたいと相談にやってきたのである。

■大人にも「ADHD」という診断が認められるように

Tさんのように、片付けができない、不注意でミスばかりする、衝動的に行動して失敗するといった「症状」で悩んでいる人は少なくない。大人の半数が、不注意の「症状」を抱えているともいわれている。

Tさんのような症状を訴えて、医療機関を訪れると、簡単なチェックリストをつけさせられたうえで、しばしば与えられる診断名が「大人のADHD」である。

ADHDは、発達障害の一つで、多動や衝動性、不注意を特徴とし、先天的な要因の強い障害とされる。元来子どもの障害と考えられてきたが、Tさんのように大人でも、不注意や衝動性、落ち着きのなさといった問題で苦しむ人が増え、大人にも「ADHD」の診断を拡張しようという動きが強まった。

子どものADHDには、中枢神経刺激薬などのADHD改善薬が処方されることが多いが、こうした薬剤を大人にも使うためには、診断を拡張する必要があったのだ。

アメリカ精神医学会は診断基準を変更して、それまで児童に限定して適用していたADHDという診断を、大人にも適用できるようにした。日本など、多くの国がそれに追随した。それにより、児童にのみ使われていたADHD治療薬が、大人でも使えることになった。

その代表的な薬剤である中枢神経刺激薬は、覚醒剤などと同じ作用を持つが、覚醒剤よりゆっくり作用するように工夫されている。興奮や快感を生じない範囲で、前頭前野の働きを高め、不注意や衝動性を改善しようというのである。

■実際には薬を使っても長期的な改善はない

「大人のADHD」は一般にもよく知られるようになり、不注意や片付けができない、時間が守れないといったことで悩んでいる人が、薬で改善できるのならと、精神科や心療内科の外来に殺到するという事態になった。

子どもと比べると、効果が得られにくく、プラセボ効果(薬を飲んだという心理的効果)との差はわずかであるが、中には、短期間に劇的な効果がみられる場合もある。

ただ、長期的な効果を調べた研究では、子どもの場合でさえ、薬を使っても使わなくても、改善に差はないという結果が出ている。大人どころかティーンエイジャーでさえ、長期的には改善効果はないと、より厳しい結果が示されている。効果があっても短期的なもので、次第に効かなくなりやすいということだ。

それでも、藁(わら)にもすがる思いの人も多く、また薬剤の性質上、いったん処方が解禁されると、後戻りは難しく、現在も処方は増え続けている。

Tさんは、「ADHD」なのだろうか。現在の症状だけを見れば、そう診断されてしまうだろう。

だが、ADHDと診断されるためには、遅くとも十二歳までに、ADHDの症状を呈していなければならない。しかし、Tさんは、少なくとも小学生の頃には、そうした兆候を見せておらず、むしろ他の生徒の手本になるような存在だった。それでも、遺伝要因が七割を超え、先天的な要素が強いとされるADHDの可能性を疑うべきなのだろうか。

■「大人のADHD」はADHDではなかった

世間一般の認知が進み、大人でも、ADHD改善薬の処方数が急拡大を遂げていたさなか、水を差すような出来事が起きる。

ニュージーランド、ブラジル、イギリスの各都市で、長期間にわたって行なわれてきた三つのコホート研究(同じ年に生まれた全住民を追跡調査する研究方法で、因果関係を証明するもっとも強力な方法)の結果が相次いで報告されたのだが、その結論はいずれも、「大人のADHD」とされるものが、実は児童のADHDとは似ても似つかぬもので、発達障害ではないということであった。

つまり、大人のADHDは、ADHDではなかったのだ。

大人のADHDの大部分は、十二歳以降に症状が始まり、むしろ年齢とともに悪化していた。それに対して、子どものADHDは、年齢とともに改善し、十二歳までに、半数以上が診断基準から外れ、十八歳までには、八割程度が良くなり、中年期までには、九割以上が診断に該当しなくなっていた。

また、両者には、明白な特性の違いも認められた。子どものADHDは、圧倒的に男の子が多いのに、大人のADHDでは男女差を認めなかったのだ。

また、子どものADHDは、認知機能や言語、記憶が弱い傾向があるが、大人のADHDでは、そうした低下はあまり認められなかった。神経障害という点では、大人のADHDはずっと軽かったのだ。

ところが、生きづらさという点では、大人のADHDの方がずっと深刻だった。彼らの生活は、遅刻やミス、散らかった部屋、借金、度重なる転職や離婚などで、混迷を極めていた。アルコールや薬物への依存、うつや躁うつ、不安といった精神的合併症も高頻度に認められ、交通事故や犯罪に関わるリスクもずっと高かった。

「大人のADHD」を特徴づけるのは、障害が比較的軽く、能力的には恵まれているにもかかわらず、その生きづらさと人生の混乱ぶりという点では、はるかに深刻だという矛盾した事態だった。

■「大人のADHD」の正体は「愛着障害」

「大人のADHD」は、気分障害、不安症、依存症、パーソナリティ障害などが、間違って診断されたものか、未知の障害の可能性も示唆された。その正体は、さまざまな病名の寄せ集めに過ぎないのだろうか。

だが、さまざまな病名の根底には、共通する一つの本質的な問題があると思われる。それは、Tさんが苦しみ続けている本当の病根、すなわち養育者との離別や、養育者からの身体的、心理的虐待、ネグレクトによって生じた愛着障害である。

愛着障害は、頻度に男女差がないという点、さまざまな精神的合併症や困難を抱えやすいという点、神経レベルの障害がさほど重度でないにもかかわらず、生活での困難が非常に大きいという点、つまり障害と生きづらさの乖離(かいり)という点でも、「大人のADHD」と呼ばれているものと、よく一致する。

そして、実際に臨床で、「大人のADHD」を疑って来院する人たちの生活史を見ていくと、彼らが親との関係に苦しみ、虐待的状況に置かれてきたことが明らかとなることが、非常に多いのである。

■ここ何十年かの「常識」が崩されつつある

これらすべての事実は、彼らが苦しんでいるものの正体が、養育要因に起因する愛着障害に由来することを、強く示唆しているだろう。

岡田尊司『死に至る病』(光文社新書)

だが、そうした結論をうすうす感じていても、専門家ほど、そのことを口にすることは許されなかった。そこには、ぶ厚い障壁が立ちはだかり続けてきたのだ。

その障壁とは、ADHDは遺伝要因が七、八割にも上る、先天要因の強い神経発達障害だという定説であり、不注意や多動といった問題に、養育要因は無関係だというここ何十年かの「常識」だ。

実際、ADHDの養育要因について論じたりすれば、嘲笑とバッシングを受けた。多くの専門家たちが、この三十年以上、ADHDに養育要因など関係しないと言いきってきたのであるから、それをいまさら覆されるわけにはいかないのである。

だが、その牙城が、今世紀初めぐらいから徐々にほころび始め、最近では崩壊がだいぶ進んでいる。音を立てて崩れ落ちる日も近いかもしれない。

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岡田 尊司(おかだ・たかし)
精神科医
1960年、香川県生まれ。京都大学医学部卒。岡田クリニック院長、日本心理教育センター顧問。『あなたの中の異常心理』(幻冬舎新書)、『母という病』(ポプラ社)など著書多数。小笠原慧のペンネームで小説家としても活動し、『あなたの人生、逆転させます』(新潮社)などの作品がある。

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(精神科医 岡田 尊司)

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