エリート撃破でMGC2位 鈴木亜由子の"公立力"
プレジデントオンライン / 2019年9月25日 15時15分
■MGC出場者49人で唯一の国立大学出身の「頭のいいランナー」
9月15日に行われたマラソングランドチャンピオンシップ(以下、MGC)で、東京五輪の男女マラソン日本代表4人が内定した。そのなかで異質な輝きを放つ選手がいる。女子のレースで2位に入った鈴木亜由子(日本郵政グループ)だ。
優勝した前田穂南(天満屋)が20km過ぎに抜け出したレース。鈴木は単独2位をキープして、終盤は“笑顔”で駆け抜けた。40km地点で33秒差あった3位の小原怜(天満屋)に最後は4秒差まで猛追されたが、2時間29分02秒の2位でフィニッシュ。「2位以内」という内定条件を満たして、東京五輪を引き寄せた。
「まずは2位を確保できてホッとした気持ちです。笑っているように見えたかもしれませんが、私は苦しくなると口角が上がるんですよ。笑っているときは苦しいんだなと思ってください」
鈴木はレース後の会見でこう話し、メディア関係者も笑顔にさせた。
MGCは東京五輪のキップがかかるだけでなく、現在の日本における最高峰のレース。男子は34人、女子は15人がハイレベルな基準をクリアして出場資格を得た。そしてMGCファイナリストの「学歴」を見ると、日本陸上界、スポーツ界の縮図が見えてくる。
男子は大卒が31人で高卒が3人。出身校でいうと東洋大が最多5人で、青山学院大が4人、駒大が3人。東海大、上武大、国士館大、拓殖大が2人。早稲田大、京都産業大、日本大、山梨学大、明治大、中央大、順天堂大、麗澤大、國學院大、神奈川大、学習院大が各1人となる。
公務員ランナーからプロランナーに転向した川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)は学習院大卒だが、他は箱根駅伝の上位校をはじめ駅伝の強豪校ばかり。高卒は1割ほどしかいない。これが女子になると一変する。
女子は高卒が13人で大卒が2人。大卒のひとりは前田彩里(ダイハツ)で駅伝の強豪・佛教大だ。もうひとりが鈴木で名古屋大になる。
■公立進学校・時習館高→名古屋大へ進学した勉強エリート
名古屋大は「旧帝大」のひとつで、中京圏だけでなく、全国から優秀な学生が集まる名門校だ。しかも鈴木は愛知県の公立進学校・時習館高の出身で、愛知県の人なら「超エリート」と評価される学歴だ。
それが今は東京で実業団生活を送る。朝に練習した後、午前中は郵便局で事務作業、午後にトレーニングという日々を過ごしているのだ。
MGCファイナリストの年齢を見てみると、男子と女子で大きな違いがある。男子は34人中24歳以下が2人しかいないが、女子は13名人24歳以下が7人と過半数を占めている。10月8日で28歳を迎える鈴木は学歴と年齢を考えると、女子マラソン界の異端児といえるだろう。
鈴木は2016年のリオデジャネイロ五輪でも日本代表(5000mと1万m)に選出されおり、旧帝大出身の女子で初めてオリンピアンになった。実家は、愛知県豊橋市にお店を構える創業100年を超える老舗のお米屋さんだ。
当時、鈴木は筆者の取材に対し、「(親からすれば)自分の子供がオリンピックなんて夢のような心境だと思いますよ。ふたりとも陸上とは無関係で、私のことを『突然変異』だと言っていますから」と話していた。
また名古屋大学には「陸上推薦」では入れない。入試ではほかの受験生と同じく高い学力が問われる。勉強と陸上を両立するコツについては、「とにかく集中力です。時間を無駄にしないことじゃないでしょうか。少しでも時間があれば何かしていました。集中して、コツコツ継続することだと思います」と教えてくれた。
■陸上エリートを撃破できた理由は「すさまじい集中力」
陸上のトレーニングも集中型だ。「走るときはジョッグのときもフォームのことを考えたりしていました。音楽なんか絶対に聞かないです。危ないのもありますし、自分のリズムも聞こえない。感覚が狂うこともあるので」と徹底している。一方で、「人の話を聞いているようで聞いてないときがあるので、そのときはボーとしています」と抜くべきところも心得ている。
名古屋大卒という学力の高さだけでなく、鈴木には陸上の“天才少女”だったという一面もある。
中学時代は2年時に全日本中学校選手権で800mと1500mの2冠を達成。3年時はゴール前で転倒した800mは5位に終わったが、1500mで連覇を果たしている。秋には3000mで中学歴代2位の9分10秒71をマークした。ちなみにMGCファイナリストで全日本中学選手権のタイトルを持つのは男女通じて鈴木しかいない。
高校時代は1、2年時に右足甲を疲労骨折。自らの骨を足に移植する手術を2度受けるなど苦しんだ。そのためフォアフット(爪先からの着地)をフラット着地(足裏全体で着地する)に修正。体幹も鍛えなおしたという。
「中学のときは、このまま順調に伸びるわけないと、どこかで思っていました。それが大きな故障になってしまって。でも、高校でやりきれなかった分、まだまだできるという思いを残したことが、その後の原動力になっていると思います」
高校時代は3年時のインターハイ3000m8位が最高成績で、中学時代の自己ベストは1年時に1500mを2秒更新しただけだった。こういう成長曲線を描く選手は高校卒業後に消えてしまうものだが、鈴木は違った。
■陸上名門校出身者ではないのに、ぐんぐん伸びた理由
名古屋大学経済学部に現役合格すると、大学で再び輝き始めたのだ。1年時の世界ジュニア選手権5000mで5位入賞。2年時と3年時には、日本インカレ5000mで連覇を達成した。4年時にはユニバーシアードの1万mで金メダルを獲得している。
大学は自宅から通えないこともなかったが、ひとり暮らしだった。「いろんなことを経験して、ぜんぶ自分でやってみたいという思いがありましたし、両親も一度家から出したほうがいいと考えていたんです」。さらに意外なことに、「大学時代に走る楽しさを教えてもらいました」と話している。
鈴木が他の陸上エリートと違うところは、高校、大学と「陸上名門校」にいたわけではなく、自分自身で考えながら競技を続けてきたことだ。朝練習は週に4回ほどで、自宅まわりを少し走る程度。そのかわり、本練習では男子選手と一緒に質の高いメニューをこなしていたという。
日本の女子長距離界は、強豪チームの多くが選手たちを厳しく管理している。寮を完備して、栄養バランスのとれた食事も提供。体重チェックをしているチームも少なくない。しかし、鈴木はまったく違う環境で競技を続けてきたことになる。
「コーチに依存することはなかったですけど、中学、高校、大学と、その時々に出会うべきコーチに出会えた。その出会いが今につながっていると思います」
大学卒業後は、女子陸上部を創部したばかりの日本郵政グループに1期生として入社した。ひとり暮らしを経験しているだけに、「恵まれた環境で競技ができてうれしいです」とトレーニングルームを完備する選手寮に驚いていた。入社1年目の秋には3000mで8分58秒08をマーク。中学3年時以来8年ぶりに自己記録を更新すると、その後は日本長距離界のエースとして羽ばたいていく。
■見かけはおとなしそうだが超強気「私はそんなに性格よくないので」
身長154cm、体重38kg。小柄でおとなしそうな外見に騙されてはいけない。2015年の北京世界選手権は5000mで決勝に進出。最後の直線では長身のオランダ人選手と激しく競り合った。レース中はライバル選手の肘がガシガシ当たっていたが、「全然気にしなかったです。こっちもやってやるぞ、という勢いでしたから。私はそんなに性格よくないので。大きな選手が相手でも負けてられません」と話すほど強気なレースを見せる。
このときは日本歴代5位となる15分08秒29をマークするも、0.29秒差で「入賞」を逃した。翌年のリオ五輪も入賞には届かない。この頃、マラソンについては、「あまり長いビジョンでは考えていないのでわからないですね。まずは目の前のことに集中しています。力がついていかないことには、目標として言葉にできない。ある程度見えてきたところで、こうなりたい、というタイプなんです」と話していた。
2017年のロンドン世界選手権は1万mに出場して10位だった。そして昨夏の北海道で初マラソンに挑戦。27歳にして2時間28分32秒で優勝し、MGC出場権を獲得した。
■究極の「文武両道」ランナーの“メダル獲得大作戦”とは
今回のMGCでは2時間25分15秒で優勝した前田に4分近い大差をつけられた。東京五輪の代表内定はゲットしたが、本人は納得していない。
「今回はマラソンの怖さを知りました。これまでにない緊張感を味わいましたし、今は前腿にかなり疲労がある状態です。後半はペースが上がらず、最後の10kmは長く感じましたね。今日の結果では(東京五輪は)戦えない。気が引き締まる思いです」
日本郵政グループの高橋昌彦監督は、鈴木のことを、「積極的なレースをしますが、練習では慎重なタイプなんです」と表現する。MGCでは想定以上のハイペースになり、そこまでのトレーニングができていなかったという。
鈴木は「東京五輪に向けてまだまだレベルアップできる余地は残っている」と話す。
「今回は継続して練習ができたことは収穫だったんですけど、質という部分ではもっと上げていけると思います。今回の苦しさを忘れずに、必ず結果を残すんだという強い気持ちを持ってやっていきたいです」
MGC後、鈴木は東京五輪の具体的な目標は口にしていない。来夏に向けて、どのように考えているのか。究極の「文武両道」を体現する女子ランナーの“メダル獲得大作戦”を期待せずにはいられない。
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スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)
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(スポーツライター 酒井 政人)
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