なぜイスラム世界には「法人」が存在しないのか
プレジデントオンライン / 2019年9月28日 6時15分
■イスラム文明の価値観
イスラム教徒は、およそ15億人。キリスト教徒25億人についで、人数が多い。人類社会の、重要な構成員である。
しかし日本人は、イスラム教になじみが薄い。イスラム教徒があまり、日本にいなかったからだ。
ヨーロッパには大勢のムスリムがいる。インドにもいる。中国にも、イスラム教徒はいる。街を歩くと「清真餐庁」と看板が出ている。ハラールの食事をだす、イスラム・レストランのことだ。
イスラム教徒は、イスラム法に従う。食事のルールがあって、ブタ肉ほか、食べていけないものがある。アルコールもいけない。服装にもルールがある。暦も独自のイスラム暦である。1日5回、メッカに向かって礼拝をする。日本人からすると、なんて窮屈なんだろう、である。ムスリムの人に聞くと、「子どもの頃から慣れていて、なんでもありません」だそうだ。
世界にはいろいろな文明がある。主なものでも、西欧キリスト教文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、中国儒教文明、とさまざまだ。それぞれ、人びとの考え方や行動様式が異なっている。前提となる価値観も違っている。グローバル社会では、それを踏まえて行動することが求められる。
■「イスラム法があるので、大丈夫」
イスラム文明の人びとの、考え方や行動様式を、思い切って単純化して取り出すと、つぎのように4行で表すことができる。
(1)まず自己主張する。
(2)相手も自己主張している。
(3)このままだと、紛争になる。
(4)イスラム法があるので、大丈夫。
「イスラム法があるので、大丈夫」と考えるのが、イスラム文明の人びとの特徴だ。
イスラム法は、人類全体のために、アッラーが定めた法律である。人間が勝手に変えてはいけない。イスラム法に従う、人類全体の集団ができる。これを、ウンマ(イスラム共同体)という。ウンマは、地上にひとつで、アッラーに従う。平和が実現する。
では、政治はどうやるのか。
預言者ムハンマドが生きていた当時は、ムハンマドがウンマをひとつにまとめて、政治を行った。
ムハンマドか死ぬと、後継者が立った。スンナ派ではカリフ、シーア派ではイマームという。誰が正しい後継者かをめぐって、二つのグループ(スンナ派とシーア派)がケンカになった。モメてはいるが、誰かひとりムハンマドの正しい後継者がいるべきだ、という点では一致している。イスラム法の基本も、だいたい一致している。
■イスラム世界で「アラブの春」が起こる理由
やがて、スンナ派ではカリフが、シーア派ではイマームがいなくなった。イスラム教徒全体を率いるべき、政治の担当者がいなくなった。正しい政治ができなくなった。
でも、政治は必要だ。イスラム法を守らない悪者から、人びとを守るためだ。そこであちこちに、王さまみたいな存在が出てくる。
「王さまがいていい」とイスラム法に書いてない。「いけない」とも書いてない。いるものは仕方がない。そこで、こう考えることにした。
(1)王は、イスラム法を守り、イスラム教徒の幸福のために、はたらく。
(2)イラスム法を守らず、イスラム教徒の幸福にならない王は、背教者である。
(3)背教者は、みんなで起ち上がり、追い払ってよい。
これが、イスラム教徒のやり方だ。政治が安定しない。ときどき起こる「アラブの春」は、(3)のことである。
イスラム法に、契約の考え方はないのか。ある。イスラム法は、契約を保護する。商取引も結婚も、契約である。
けれども、イスラム法では、契約によって法人をつくることかできない。法人とは、人間の集まりで、人格をもつもののこと。契約を結んだりする、権利の主体である。
■クルアーンに「アッラーが法人を造った」と書いていない
なぜ、法人を認めないのか。クルアーンに、「アッラーが法人を造った」と書いてないからだ。アッラーが造らなかったものは、存在しない。存在すれば、偶像(存在してはならないもの)である。
よって、イスラム教には、教会がない。企業がない。政府もない。ビジネスは、個人がやるのが原則である。
キリスト教では、法人があってよい。第一に、教会があってよい。新約聖書に書いてある。イエスが教会の頭である。「みんな、手足となって、教会につながっていなさい」ということだ。「これを真似して、政府をつくろう」となる。社会契約説である。憲法という契約によって、政府をつくる。近代の主権国家ができる。キリスト教徒のやり方だ。
■植民地の時代が終わってから生じた問題点
さて、キリスト教徒が、ぐるっと世界を見渡すと、主権国家をつくっていない人びとが多かった。彼らは遅れている。「主権国家がつくれないなら、代わりに政治をしてあげましょう」。これが植民地だ。
イスラム世界にも、キリスト教文明の列強が入ってきて、植民地の分捕り合戦をした。
キリスト教徒は、戦争が強い。イスラムの人びとは、仕方がないと我慢した。
植民地の時代が終わって、独立することになった。ここからが、問題だ。イスラム文明には、人類の部分集団が、政府をつくって独立してよい、という考え方がない。ではどうやって独立しよう。
ひとつのスタイルは、イスラムのことは忘れて、西欧キリスト教文明の流儀で、国家づくりをすることである。ナショナリズムや、社会主義だ。うまくいっているあいだはいいが、ちょっとつまずくと、「イスラム教徒の幸福にならない」→「背教者」→「追い払ってよい」になってしまう。
もうひとつのスタイルは、伝統的なやり方である。
族長の支配は、イスラム法で認められている。そこでどこかの族長がかつぎ出されて、政府をつくる。近代的でも民主的でもない。でもそれなりに安定する。サウジアラビアやアラブ首長国連邦のやり方だ。イスラム革命を起こしたイランも、このスタイルだと言える。
けれども、よく考えてみると、国境があって独立国、というところがもう、イスラム法を逸脱している。ISのように、国境を無視して「オレがカリフだ」と主張するほうが、無茶だが、イスラムらしく見えたりする。
イスラム文明の問題点。「イスラム法があるので、大丈夫」と考えるところが、ほかの文明の人びとには受け入れにくい。
しかし、イラスム教徒は、商人だった。取引相手は、キリスト教徒だったり、ヒンドゥー教徒だったりした。国際法や慣習法に従って、異教徒と共存してきた歴史がある。この歴史が、今後の足掛かりになるのではないか。
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社会学者
1948年神奈川県生まれ。東京工業大学名誉教授。大学院大学至善館教授。1977年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学後、1989~2013年東京工業大学に勤務。『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)、『はじめての構造主義』『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『げんきな日本論』(講談社現代新書)、『丸山眞男の憂鬱』『小林秀雄の悲哀』(講談社選書メチエ)、『世界は四大文明でできている』(NHK出版新書)、『世界は宗教で動いてる』(光文社新書)など、著書多数。
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(社会学者 橋爪 大三郎)
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