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なぜインドから「カースト制」がなくならないか

プレジデントオンライン / 2019年9月29日 6時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Zzvet

インドには生まれで人を差別する「カースト制」がある。インド政府は廃絶しようとしているが、なかなかなくならない。なぜなのか。社会学者の橋爪大三郎氏は「インドをわかるためには、ヒンドゥー文明の価値観と行動様式を理解する必要がある。カースト制の理由もそこにある」と説く——。

■インドで宗教の地位が高い理由

インドは、仏教を通じて、日本と縁がある。けれども、日本の人びとは、インドのことをあまりわかっていない(実は、仏教のことも、あまりわかっていない)。

インドは、めざましく成長中である。遠くない将来、インド経済は日本を追い越すだろう。インド文明を知らないと、掴(つか)めるビジネスチャンスも逃してしまう。

そこで、4行でわかる、ヒンドゥー文明の人びとの考え方と行動様式。4行でまとめてみると、こんな具合だ。

ヒンドゥー文明の人びとの、行動様式
(1)まず自己主張する。
(2)相手も自己主張している。
(3)このままだと、紛争になる。
(4)みんなばらばらな法則に従っているので、大丈夫。

インドと言えば、カースト制である。カースト制は、人びとをばらばらにし、接触を最小限にして、紛争を避ける仕組みである。接触を避けるとは、職業を別々にして、なるべく交流しない。結婚しない。穢(けが)れが伝染するからと接触しない、などである。

インドには、イスラム教徒もそれなりの人数がいる。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒は住むエリアを分け、なるべく交流しないように暮らしている。

■万物が「真理」に従っていると考える

カーストの4つのカテゴリー(ヴァルナ)をみると、上からバラモン(宗教を担当)/クシャトリア(政治・軍事を担当)/ヴァイシャ(ビジネスを担当)/スードラ(その他を担当)、となっていて、宗教の社会的地位が高い。とてもインド的だ。

ではなぜ、宗教の社会的地位が高いのか。ヒンドゥー教という宗教から、どうしてインドの人びとの、考え方や行動様式が導かれるのか。

こういう順序になっていると思う。

まず、インドの人びとの考え方の、基本の基本。

(a)「宇宙には、真理(ダルマ)がそなわっている」

こう、深く深く考えるのが、出発点だ。

「真理」は、法律ではない。一神教では、神(God)がいて、法律を人間に与えるのだが、インドではそういう順番になっていない。まず、真理がある。これは、法則性のことで、誰かが決めたのではない。人間も、動物も、そして神々も……、万物が、宇宙のすべてが、この法則に従っている。

橋爪大三郎『4行でわかる世界の文明』(角川新書)

神々も、法則を変化させることができない。逆に、神々は、法則に支配されているのである。

真理は、宇宙を支配するのだから、普遍的である(インド人の考え方は、世界で通用すべきだ、ということである)。

この考え方は、4000年ほど前に、バラモン教としてインドに伝えられた。それがだんだん土着化して、ヒンドゥー教になった。仏教も、真理の考えをもっている。

つぎに、こう考える。真理は、この宇宙に満ち満ちている。しかし人間だけは、この真理とまるごと一体化することができる。それは、素晴らしいことで、人間としてもっとも価値あることである。

■どうやって真理と一体化するか

では、どうやって、真理と一体化するのか。

瞑想する。精神集中して、自分の精神を、宇宙と一体化させる。つまり、

(b)「ミクロコスモス(精神)とマクロコスモス(真理)が一体化できる」

と深く深く信じるのが、つぎのステップだ。

実際に一体化できるのか。それができた人がいる。聖者である。聖者に聞いてみる。

「真理と一体化して、どうでしたか?」
「素晴らしい。でも、言葉では表現できない」

(c)「真理は、言葉では表現できない」

これも、インドの考え方の、重要な特徴である。

真理が言葉で表現できない。どういうことか。本を読んでもダメである。すなわち、

真理>テキスト(本)

という優劣関係が成り立つ。

これは、ほかの文明と比べて、ヒンドゥー文明の特徴だ。キリスト教でも、イスラム教でも、テキストを読むことは大事である。儒教でも、大事である。テキストに書いてあることより、大事なことはない。けれども、インドでは、本を読んでも、真理(いちばん大事な価値)には、アクセスできないのである。

■カースト制は差別である

すると、どうなる。実際に、瞑想(パフォーマンス)を実行するしかない。

瞑想は、労働ではない。真理に接近するパフォーマンスは、訓練が必要で、時間もエネルギーもかかる。選ばれたごく一部の、特権階級のひとしかできない。これが、バラモンだ。

バラモンは、サンスクリットで書かれた本を、たくさん読む。神々の祭祀も、行う。けれども本当は、「真理に接近できる特権をもった人びと」のことなのだ。

そうでない人びとは、この世界に必要な、さまざまな業務を分担する。政治・軍事を分担するのが、クシャトリア、ビジネス全般を担当するのが、ヴァイシャ……、という具合に。彼らは、バラモンより、地位が低い。「真理にアクセスしたければ、輪廻してバラモンに生まれるのを待ちなさい」である。

カースト制は、差別である。社会的威信(プライド)が、不均等に配分されている。下のほうに位置づけられたら、生きる気力が失せてしまいそうだ。

■巨大なビジネスチャンスを見逃すな

これに抗議の声をあげたのが、仏教である。

ゴータマ青年はクシャトリヤの生まれ。宗教活動をしに修行の旅に出るのは、カースト制のルール違反だ。ゴータマ青年は、命懸けで、

(d)「カーストに関係なく、誰でも真理にアクセスできる」

と主張したかったのである。

努力の甲斐(かい)あって、覚り(さとり)をえた。ゴータマは、覚った人(ブッダ)となった。弟子を集めて、教団(サンガ)をつくった。どんなカーストからも参加できる。同じ服を着て、共同生活をする。托鉢(たくはつ)してもらった食べ物を、一緒に食べる。人間として平等。差別の厳しいカースト社会の反対の、理想の空間がそこにある。

仏教は、これみよがしの、アンチ・カースト運動である。ブッダがなにを覚ったかは、この際、二の次である。

仏教のやり方を、4行モデルにまとめてみよう。

仏教の人びとの、行動様式
(1)まず自己主張する。
(2)相手も自己主張している。
(3)このままだと、紛争になる。
(4)真理があるので、大丈夫。

インドから生まれて、インドを食い破る可能性を秘めた仏教。仏教とヒンドゥー教、そしてイスラム教がどういう三つ巴の関係を繰り広げていくかは、『4行でわかる世界の文明』をお読みください。

仏教は結局、インドから消えてしまった。

インドには代わりに、イスラム教が入ってきて、併存するようになった。

イギリスの植民地時代に、英語が共通語となった。IT革命になって、新しい産業がインドに育ち、カースト制がゆるみ始めた。これからは、インドの時代である。

インドの巨大なビジネスチャンスを、指をくわえて見逃さないよう、さあ準備を始めよう。

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橋爪 大三郎(はしづめ・だいさぶろう)
社会学者
1948年神奈川県生まれ。東京工業大学名誉教授。大学院大学至善館教授。1977年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学後、1989~2013年東京工業大学に勤務。『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)、『はじめての構造主義』『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『げんきな日本論』(講談社現代新書)、『丸山眞男の憂鬱』『小林秀雄の悲哀』(講談社選書メチエ)、『世界は四大文明でできている』(NHK出版新書)、『世界は宗教で動いてる』(光文社新書)など、著書多数。

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(社会学者 橋爪 大三郎)

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