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五輪招致で痛感、日本人に足りない「教養」とは

プレジデントオンライン / 2019年10月15日 17時15分

3人の「師」による全集。右から『網野善彦著作集』『丸山眞男集』『橋川文三著作集』。

■五輪招致で痛感、日本人に足りない教養

自分の殻を破る前に、その殻を形づくるための教養がない日本人が多い。それは、本来教養の基礎を築く大学時代に本を読まなくなっているからです。日本の多くの大学は、いまやただの就職機関に成り果てています。本来教養があるうえでビジネスがあるはずなのに、いまの日本の大学、いや社会は、教養の持つ意味や力について自覚がないのです。

そもそも教養がなければ正しい現状認識ができない。現状認識がしっかりできていなければ、まともな解決策を打ち出すこともできません。例えば、戦前は天皇主権で戦後は国民主権、戦前は軍国主義で戦後は民主主義という教科書的な捉え方だと、現状を正しく認識できない。日本はその実、戦前も戦後も官僚主権で、権力の所在がはっきりしないという問題をずっと抱えているのです。

■丸山眞男、橋川文三、網野善彦が私の師

こういった国家観、歴史観を捉えるうえでも教養は不可欠です。その礎となる本を、ここに紹介したいと思います。まず、僕の作家としてのテーマである「日本近代史」の基礎をつくった3人の「師」による全集――『丸山眞男集』『橋川文三著作集』『網野善彦著作集』。

丸山眞男は戦後民主主義の思想を牽引した政治学者で、いまでも政治思想史の権威。『現代政治の思想と行動』や『日本の思想』を大学で読んだという人は少なくないでしょう。日本の政治学に「近代」を持ち込んだのは東京大学法学部名誉教授だった彼です。

■戦前は軍国主義で戦後は平和主義

その丸山の傍系の弟子にあたるのが、橋川文三。1972年、1度、仕事をしてから僕が25歳のときに明治大学大学院に入学したのは、近代政治思想史を専門とする橋川先生に教えを請うためでした。彼が60年に上梓した『日本浪曼派批判序説』に感銘を受けたのです。

作家 猪瀬直樹氏

同書は「戦前の若い学生たちがなぜ戦争に積極的に参加したのか」を説明した作品ですが、出版当時、戦前は軍国主義で戦後は平和主義という単純な二分法の見方が大勢だったなか、橋川先生は「戦前の学生も戦後の学生と同じようなある種の過激な一体感を求めていた」という共通項を分析した。それがすごく信用できたのです。その延長上で僕は、『昭和16年夏の敗戦』を書くことになります。

アメリカと戦争をしても勝てるわけがないのに、なぜ無謀な戦争へと突入したのか。戦前戦後で人間が変わるわけがないのだから、冷静にシミュレーションしていたはずだと考えました。調べてみたら、41年に内閣直下の総力戦研究所という機関でシミュレーションが行われ、実際の戦争通りの結果が導かれていたことがわかった。当時、陸軍大臣であった東條英機もこの報告を聞いています。その後、東條内閣が発足するけれど、確固とした意思決定がないまま、戦争に突入していくことになる。決断して始めた戦争ではなく、「不決断」により始まってしまった戦争だったのです。

『昭和16年夏の敗戦』はその意思決定のプロセスを解き明かした作品です。先に述べた官僚主権につながる話ですが、日本には国家の意思決定の中枢というものがない。天皇は「空虚な中心」で、明治維新のときから中枢が不在になる可能性があるという制度的な不備がありました。それを元老たちが人治でカバーしていましたが、元老が死んでしまうと、縦割りの官僚機構だけが残った、というわけです。

3人目の師である網野善彦は、僕の歴史観という殻を最初に破ってくれた存在です。彼は、日本が江戸時代まで農業社会だったというこれまでの歴史観をがらりと変えた人。江戸時代における日本の人口の8、9割は百姓であると考えられていましたが、「百姓」という言葉には農民以外の生業(製造業や流通業など)に従事する人も含まれていて、そういった人たちが、当時の社会の最上層にいる天皇皇族や神社仏閣ともモノを通じて結びついていたことを紐解いたのです。

この歴史観は、天皇という日本独自のシステムに切り込んだ僕の処女作『天皇の影法師』(83年)をはじめとする後の作品につながっていて、網野さんには同書の文庫の解説も書いてもらっています。

■『冷血』は僕にとって「新製品」だった

さて、こういった教養を身に付けたうえで何を読むべきか。まずは作家としての僕の殻を破ってくれたと言える、トルーマン・カポーティの『冷血』です。いまでこそノンフィクションの時代と言われますが、当時の日本はそんな言葉も存在しない、私小説全盛の時代でした。ただ、私小説の題材である結核も貧乏も社会から消えてしまい、新しい方法論への期待も高まっていた。そこに登場したのが『冷血』でした。

 

カポーティは米カンザス州の寒村で発生した残虐な殺人事件に興味を抱き、加害者にインタビューしながらその心情へと深く入り込み、ひたすら事件のディテールを再現した。作家の想像力を超える世界がそこにあったからです。『冷血』は、軽くなった「私」へ衝撃をもたらすものでした。僕にとってまさに「新製品」でした。

次に挙げるのは、カズオ・イシグロの代表作である『日の名残り』。20~30年代のイギリス貴族社会とそこで働く庶民の日常が舞台となっている本作は、ある貴族の館の執事長と女中頭の切ない恋の物語です。しかしその時代背景として、第2次大戦へと向かう描写が丹念に書き込まれている。館には、後にイギリス首相となるチャーチルやナチスの高官も訪れ、そこで繰り広げられる秘密会議はヨーロッパの正史そのものです。

つまりこの作品には、歴史という「公の時間」のなかに「私の営み」が叙情的に描かれている。本作はノーベル文学賞を受賞した作品ですが、一方でなぜ、日本の村上春樹はノーベル賞を取れないのか。それは、この「公の時間」がないから。70年に三島由紀夫が自決して以降、日本の文学は戦後民主主義のなかで「公」を避けるように「私」に向かい、「私だけの空間」になっているのです。

僕は「公」を取り入れることでしか、日本の文学の閉塞感を脱することはできないと考えていました。その「公」への眼差しが日本の官僚主権的な構造を告発した『日本国の研究』につながり、それを評価してくれた時の総理、小泉純一郎さんによって僕が行政改革・道路公団民営化の道へと歩を進めることになりました。教養をもとに現状を認識したら、自ずと解決策を提示することになっていたわけです。

■日本にはもっと変人が必要だ!

このとき小泉さんという「変人」でなければ、僕を採用しなかったでしょう。変人とは僕のなかで、「自分の固有の価値観で忖度なく意見が言える人」のこと。固有の価値観を育むには、教養が不可欠です。日本には秀才はいっぱいいますが、変人がいない。それは非常に深刻な問題です。東條英機も秀才でした。あの場に1人でも変人がいれば、戦争は避けられたかもしれない。

2013年9月、20年東京五輪の招致を決めた猪瀬氏ら。何がIOC委員の心を動かしたのか。(時事通信フォト=写真)

2020年オリンピック・パラリンピックの招致も、秀才だけではできないことでした。IOC委員に東京の摩天楼を見せても懐には入れない。まだオリンピックを開催したことがない都市が立候補しているなかで、東京で2度目をやることの意味、物語が必要だったんです。そこで、僕は自身の代表作である、世界史の中で天皇制を捉えることに挑戦した『ミカドの肖像』の抜き刷り(英語版)を見せた。IOC委員にはロイヤルファミリーに対する畏敬の念があると知っていたからです。

「わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、〈いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である〉という逆説を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防禦されていて、文字通り誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市の全体がめぐっている」

これは同書の冒頭にある一節で、ロラン・バルトの『表徴の帝国』より引用したものです。モダン(ビル群)の中に無(皇居)があり、それが禅なのだ、と。つまり、日本の近代とは何かというところを東京の魅力と結びつけてプレゼンし、招致に至りました。時に世界をも動かす。教養にはそれだけの力があるのです。

最後にもう1つおすすめの本を挙げます。『私の文学放浪』(吉行淳之介)。吉行さんは男と女がいかに違うかという当たり前のことを上手に説明しています。女の子を口説いて、すぐ振られる男性がいますが、それは男が、女は自分と同じと思っているから。若いとき、とても参考になりました。

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猪瀬 直樹(いのせ・なおき)
作家
大阪府・市特別顧問。1946年、長野県生まれ。『ミカドの肖像』で大宅賞、『日本国の研究』で文藝春秋読者賞を受賞。道路関係四公団民営化推進委員会委員や東京都副知事、知事を歴任。

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(作家 猪瀬 直樹 構成=辻 枝里 撮影=横溝浩孝 写真=時事通信フォト)

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