日本には「超富裕層向けサービス」が足りない
プレジデントオンライン / 2019年11月13日 11時15分
■インバウンド・ビジネスをさらに成長させるには
観光などで日本を訪れる外国人が増えています。2019年1月のJNTO(日本政府観光局)の発表によれば、18年の年間訪日外国人客数は前年比8.7%増の3119万2000人で、JNTOが統計を取り始めた1964年以降で最多です。今後、20年の東京オリンピック・パラリンピックや25年の日本万国博覧会などの巨大イベントが予定されるなか、「インバウンド(訪日外国人旅行)」に対する期待はますます高まっています。
海外からの需要を取り込むインバウンド・ビジネスは、これからの日本の数少ない“収益の見込める成長産業”の1つです。しかし、訪日外国人客数を今のやり方の延長線上で増やしていくことによって、日本の未来を持続的に豊かにしていけるでしょうか?
インバウンド・ビジネスを日本の成長・収益産業にするためには、マス層と富裕層の両分野で既存のパラダイムを変える必要があります。ツーリズムを例に考えてみましょう。
まず、マス層向けの課題です。図は、サービスレベルと価格のイメージを表したものです。欧米圏や一部のアジア圏では、茶色の線で表されているように低レベルのサービスは価格も安く、高レベルのサービスは価格も高くなるのが普通です。一方、日本では「よいもの・サービスをより安く」という経営の価値観が浸透し、青線で表されているように高レベルのサービスでも比較的安い価格で提供されています。
■客が増えれば増えるほど儲からない
国内観光客を主対象にしていた時代は、需要がある程度限られていたため、「安くて高サービス」でも十分対応可能でした。しかし、膨大な人口を持つ海外からの観光客を主対象とした場合、「安くて高サービス」を続けていけば、現地の許容量を超える観光客が訪れることにより、“観光公害”の発生、提供側の疲弊・不満、そして顧客満足の低下につながります。客が増えれば増えるほど儲からないという望ましくない状況に陥ってしまうのです。
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しかも、これから日本の就労人口は減っていくわけですから、サービスの担い手の確保はますます困難になります。沖縄は、17年に観光客数が過去最多の939万人となり、初めてハワイを超えました。しかし、18年に県が県民に観光産業で働きたいかを調査したところ、「働きたい・やや働きたい」が合計16.4%、「働きたくない・あまり働きたくない」が合計47.2%でした。価格とサービスレベルのバランスを放置しておくと、このような事例が頻発し、インバウンド・ツーリズムは持続可能ではなくなってしまいます。
したがって今後は、ある程度価格とサービスレベルのバランスがとれた関係をつくりあげるか、サービス従事者に過剰負担を強いない形で、低コストで効率よくサービスを提供する仕組みを工夫する必要があります。
次に、富裕層向けの課題としては2つ挙げられます。1つは、富裕層のニーズと提供サービスのミスマッチです。提供側が「おもてなし」マインドのある高級なサービスであると考えていても、海外からの顧客にはそう受け取られていない場合があります。こうしたミスマッチは、日本がハイコンテクスト文化であることに起因しています。ハイコンテクストとは、コミュニケーションにおける文脈(コンテクスト)の共有度が高いため、あえて説明しなくてもわかりあえるということです。
例えば日本の旅館では、宿泊客が夕方、食事などで外出している間に布団を敷いておくのが当たり前になっていますが、海外からの宿泊客には、なぜそのようなサービスをするのか、説明がなければ理解できません。しかし現状は、こうした文脈を共有する仕組みが非常に弱く、提供側が想定する「おもてなし」が、受け手にとって「おもてなし」になっていない可能性があります。
■観光収入1位になったドバイの方策とは
富裕層向けのもう1つの課題は、超富裕層向けのサービスがほとんどないことです。超富裕層はゆっくりとプライベートな時間が過ごせる滞在型施設と移動手段を求めているのに、日本では、東京ですらそうしたサービスは不十分です。超富裕層のパイは小さいのではないかと思う人もいるかもしれません。しかし、イギリスのコンサルティング企業の調査によれば、純金融資産5000万ドル(約54億円)以上の超富裕層は世界に13万人弱存在しており、ビジネスは十分に成り立ちます。
これらの課題を解決するには、どうすればいいでしょうか。まず大切なことは、「よいものをより安く」という価値観がこれからは「悪」になる場合があると気づくことです。次に、方法論を知ること。方法論はいくつかありますが、1つはマーケティングをして、どんな旅行者を対象とするのか、ターゲットを明確にすることです。
そのうえで、自社という「点」だけでなく、「面」で変えていくことが重要になります。旅行客は、どこか一カ所だけに行くわけではありません。その地域でさまざまな体験をします。そのため、一つ一つの観光資源やサービスだけでなく、その地域全体として、顧客にとっての価値を総合的に高めて、他の地域に比べて魅力的にしようとする「ビジネス・エコシステム戦略」が必要になるのです。
この戦略を実行し、一大観光都市を築いたのがアラブ首長国連邦のドバイです。砂漠にある人口わずか330万人の都市ですが、年間1580万人(世界4位)もの観光客が訪れ、285億ドル(約3兆円)の観光収入を獲得しています。都市の観光収入では、2位のニューヨーク、3位のロンドン、4位のシンガポールを抑えて1位です。
観光には「快適な気候」「風光明媚な自然」「豊かで多様な文化」「おいしい食事」などが必要だと一般的に言われます。年間の半分は最高気温が摂氏35度を超える砂漠で、食事やお酒に制限のあるイスラム教を中心とした文化圏であるドバイは、観光立国としてはかなり不利な環境と言えます。しかも、人口の8割以上は外国人で、自国人の労働力に頼ることも難しいのです。
そんなドバイが観光収入1位の都市になることができた要因として、明確なリーダーシップの下、一貫した観光戦略を持って観光資源を構築し、マーケティングの努力を継続してきたことが挙げられます。もともとドバイは中東において、航空トランジットの要所としてある程度の旅行客を惹きつけていました。ところが、飛行機の大型化と飛行距離の長距離化で、トランジットが減少するという危機的状況に直面します。
■「世界の航空産業の中核都市」というコンセプト
そこで、当初はホテルやレジャーなどの魅力的な施設を充実させますが、それだけではインバウンドはなかなか増えませんでした。人の流れを活性化させることの必要性に気づいたドバイは、トップダウンで「世界の航空産業の中核都市」というコンセプトを打ち出します。具体的には、多岐にわたる航空機修理をワンストップで包括的に提供する戦略を採り、そのためのトレーニング施設やスペアパーツの保管センターなどを設けて、航空関連大手企業の整備本社拠点を呼び込みました。
さらに、最速で移動できるVIPターミナルをつくったり、故障機や中古飛行機のオークションを開催したりするなど、航空ビジネスにまつわる人・組織を上流から囲い込みました。その結果、マス層も増加し、世界一の観光収入都市になったのです。
ドバイのケースからわかるのは、観光資源に恵まれた日本には、まだまだ高付加価値化と成長の余地があるということです。また、ドバイでは外国人を活用しながら一定以上の品質のサービスを提供し、観光立国を実現しています。日本の事業者は「日本人でなければよいサービスはできない」と思いがちですが、そうした従来の見方を改め、外国人の活用も視野に入れた、持続可能なインバウンド・ビジネスを志向すべきでしょう。
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早稲田大学ビジネススクール教授
早稲田大学商学部卒業。一橋大学博士(経営学)。ボストン・コンサルティング・グループ、MARS JAPAN、ソフトバンクECホールディングス、ニッセイ・キャピタルを経て2016年より現職。著書に『インバウンド・ビジネス戦略』(監修)など。
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(早稲田大学ビジネススクール教授 池上 重輔 構成=増田忠英 写真=時事)
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