蛭子能収「葬式に行くのは、お金と時間のムダ」
プレジデントオンライン / 2019年10月10日 11時15分
※本稿は、蛭子能収『死にたくない 一億総終活時代の人生観』(角川新書)の一部を再編集したものです。
■葬式に行かなくてはと思うと憂鬱になる
そういえば最近、昭和の俳優さんをはじめ著名人が亡くなることが増えてきました。とくに平成の終わりごろは、なんだかとても多かった気がします。ただ、僕の知っている人も何人か亡くなったものの、葬式にはまったく行きませんでした。線香をあげにも行っていないし、それはちょっと悪いなあと思っています。
ただ、これはほうぼうで言っていることなのだけど、僕は人の葬式にまったく行かない代わりに、自分の葬式にも来てもらわなくていいと考えています。不謹慎なのかもしれないけれど、「あの人亡くなったらしいよ。葬式に行かなくては」なんて言われると、「ああ、また行かなくちゃいけないのか……」って憂鬱になってしまうのです。
なぜなら、単純に葬式に行くのがものすごく嫌だから、です。そんな人って、本当は意外に多いような気がするな。
たしかに、故人との最後のお別れの機会なので、「いま行かずしていつ行くのか?」という気持ちはなんとなく理解できます。でも、死んだ時点ですでに別れちゃっているわけだし、生きている人がわざわざ集まって死んだ人を見に行くのも……って思うのです。
それなら、生きているうちに会ったほうがいいじゃないですか。
■葬式に行くと笑って逝きそうになる
でも、僕が葬式に行かないのにはもっと大きな理由があって、これこそ不謹慎極まりないのですけど……僕は葬式に行くと、葬儀の最中に必ず笑ってしまうのです。
これはもうなぜなのか自分でもよくわかりません。子どものころからの悪いクセで、笑いだしたらもうどうしても止まらなくなるのです。とにかくその場がおかしくておかしくて、以前も友だちとふたりで知人の葬儀に行ったときに笑いが止まらなくなったことがありました。友だちには横から真顔で怒られるし、でもおかしいしで本当に苦しかった。
そんな振る舞いは、世間的に見たらかなり洒落にならないでしょう。
だから、僕のような葬式で笑い転げる人間は、そもそもその場に行かないほうがいい。
まだ若いときは葬式といってもどこか他人事でしたけど、71歳になったいまなら、もしかしたら、僕も本当に悲しい人たちの心境がわかるようになっているかもしれません。それでも、「行ってもし失敗したら……」と思うと怖くて行けなくなるのです。一般の人ならまだカメラがないからいいけれど、芸能人の葬式に行って、僕の満面の笑みが全国に中継されると思うと、さすがに二の足を踏んでしまいます。
■葬式全体が“喜劇”のように見えてくる
でも、その一般の人の葬式であっても、以前は「蛭子さん今日は絶対笑わないでよ!」と言われて「なに言ってるの。笑うわけないでしょう」などと返して行っていたのですが、結局は笑ってしまうのです。
隣席で「蛭子さんダメだよ、ダメだよ!」と、力の限り腕をつねられているのに、それでも笑いを止めることができず、やがて呼吸もどんどん苦しくなって、自分のほうがこの葬式で逝ってしまうのではないかということもあったほどです。
自分でもこの抑えられない衝動がなんなのか考えてみたこともあります。たぶん、僕は建前で悲しいふりをするのが苦手で、なのにそこにいる全員が揃いも揃って見事に神妙な顔をしているのを目にすると、もう葬式全体が“喜劇”のように見えてくるんです。そして、いちどその「魔のループ」に入ってしまったら、完全に終了です。がまんすればするほど、笑いが僕を攻め立ててくるのです。
また、そんな儀式に参加して一生懸命まわりと同じように振舞おうとしている自分のことも、ひたすらおかしくなってしまう。言ってみれば、僕は他人の死にあまり興味がないのかもしれません。いつも「死にたくない」と思って生きているせいか、いったん死んでしまった人間には、ほとんど興味が持てないようなのです。
誤解してほしくないのは、葬式で悲しんでいる人たちが滑稽に見えるとか、おかしいというわけじゃありません。
ただ、みんな揃って同じ行動をしているその場が、なんだか奇妙で不思議な空間に見えてくる。僕だって、ある尊敬していた漫画家さんが死んだときはちょっと寂しかったし、さすがに線香をあげに行ったのですが、それでもやっぱり途中からどうにもおかしくなって、笑いが止まらなくなってしまいました。
そんなこともあって、僕はなるべく葬式には近づかないようにしています。誰かが気分を害することは、とにかくできる限りしたくないですから。
■死んでからも他人の時間とお金を奪いたくない
葬式で思い出しましたが、10年くらい前に妻と自分の葬式について話をしたことがありました。そのとき妻と決めたのは、自分の葬式は大々的にしたくないということ。
この考え自体はむかしから持っていたのですが、このとき「葬式は身内だけでする」とはっきりと決めてしまいました。身内といっても、どこまでを身内とするかで際限なく広がりそうですが、とりあえず親戚も呼ばずに本当の身内だけでやるつもりでいるのです。
そして、よく葬式とは別に行われる「お別れ会」みたいなものもしない考えです。
まあ、知り合いの漫画家さんたちが「どうしてもやりたい」というのなら、それは単なる飲み会だから勝手にやっていただくのは構いません。でも、僕はこの世にいないし、すでにもう死んでいるので、死体から飲み代は出てこないと思ってほしい。
なぜ、こんなことを前もって宣言するのかというと、僕はむかしから「他人から時間もお金も奪いたくないし、自分自身も奪われたくない」という考えを強く持っていたからです。人生も終わりが見えてきたから決めたのではなく、単純にむかしから持っていた考えに従っているだけなのです。
■自分の葬式には誰も来なくてもいい
もっと言えば、そうした考えは僕の振る舞いともう一体化していると言えるのかもしれない。たとえば、いまの妻と付き合いはじめたころ、僕はデートしていても食事はワンコインかワンプレートで食べられるものにして、終わったらさっさと解散して、すぐにひとりでギャンブル場へ行くようなことをしていました。
「自分が時間とお金を奪われたくないから、他人の時間とお金も奪いたくない」
これはもう僕の本質的な部分から出てきたことで、それゆえ「葬式は身内だけ」「お別れ会はしない」という考えにも自然につながったのでしょう。
繰り返しますが、僕は儀式のようなものが苦手だし、そんな場所にもかかわらず笑うクセがあるので、葬式に行くとまわりに迷惑をかけてしまいます。最後にお別れをしたいという気持ちもなくはないのですが、その思いがあきらかにほかの人よりも足りないのでしょう。
そんな気持ちがあれば、笑わないはずですからね。
であるのならば、「自分は自分」と考えるほかありません。僕が死んだときには誰も来なくていいと思うし、生きている人はもっと自分の時間を大切にしてほしい。僕が死んだ日も、生きている人はそんなことを知ることもなく、自分の好きなようにわいわい楽しく過ごしてほしい。
死んだ人のためにわざわざ時間を割いて線香をあげに来るなんて、「少なくとも僕にはしなくていいですよ」と言いたいですね。
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漫画家
1947年、長崎県生まれ。長崎商業高等学校卒業。ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て、33歳のときに『月刊漫画ガロ』(青林堂)掲載の入選作『パチンコ』で漫画家デビュー。その後、タレント、俳優、エッセイスト、映画監督など、多ジャンルで活躍している。著書に『笑われる勇気』(光文社)など。
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(漫画家 蛭子 能収)
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