夫婦間"勝ち負け"の悲劇をどう克服するか
プレジデントオンライン / 2019年10月8日 11時15分
※本稿は奥田祥子『夫婦幻想』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。
■働きを評価され嬉しい一方で……
子ども2人を育てながら、懸命に働き、一定の成果を上げてきた経験は、佐野さん自身に仕事での自信をもたらし、もとは望んでいなかった管理職昇進というキャリアアップへの興味が徐々に芽生えていったようだった。
2014年の取材では、こんな複雑な心情を語ってくれた。
「会社では、女性を管理職に積極的に引き上げていこうという気運が高まってきているんです。直属の上司は、私が子育てしながらも、特段の配慮をお願いすることなく、他の社員と同じように仕事に取り組もうと努力していることを評価してくれて、『いずれ課長に昇進させるから、心づもりをしておくように』と言われているんです。正直、うれしかったです。それだけ、自分の働きが認められているということですから。ただ、その……」
「どうしましたか? 何か悩んでいることでもあるんですか?」
■夫も昇進がかかった大事な時期を迎えていた
「……ええ。課長に昇進すると、責任も重くなるわけで、もちろん、それだけ労働時間も長くなります。私の会社には、子どもがいて課長以上の管理職に就いている女性はいないですし、家庭との両立がこれまでのようにできるのかと、不安が大きいんです。まだ下の子どもは5歳ですし……。まあ、そうしたことは前から予測できたことで、それでもやはり指導的なポジションに就いて、自分の能力を発揮してみたい、という思いが今上回っていることは確かです。でも……夫もちょうど私と同様に課長昇進がかかった大事な時期ですし、これ以上、夫に育児協力で負担をかけるのもよくないし……。堂々巡りで、どうしたらいいのかわからずに困っているんです」
「一度、ご主人に相談されてみてはいかがですか?」
「そうですね。そうしたいと思ってはいるんですが……なかなか話せる時がなくて……」
家事、育児を協力し合い、また仕事では互いに刺激し合いながら、ともに頑張ってきた夫婦の間に、すきま風が吹き始めているのではないか。ふとそう感じつつも、杞憂(きゆう)であってほしいと願ったものだ。
■欲しいものはすべて手に入れたはずだったのに
そうして、前編「活躍妻とイクメン夫の夫婦はほんとうに幸せか」で紹介した、「欲しいものはすべて手に入れたつもりが、違った」「夫に絶望した」という心情の吐露(とろ)につながるのだ。
2014年の取材から、次に面会を承諾してくれるまでに3年もの歳月が流れる。長年インタビューに協力してもらってきたなかで、佐野さんとこれだけ期間が空いたことはそれまでなかった。彼女は前回の取材から2年後の2016年、課長ポストを手にしていた。
2017年、彼女は悔しさや苦しみ、怒りなどネガティブな感情を惜しみなく表出した。
佐野さんの興奮が鎮まるのを待って、質問を再開する。
「どうして、ご主人と会話がなくなってしまったのでしょうか? 『夫に絶望した』というのは衝撃的な言葉ですが、なぜ、そう感じられたのか、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
彼女は戸惑う様子もなく、この時を待っていた、と言わんばかりの表情で、いったん目を閉じて呼吸を整えたかと思うと、一瞬、天を仰ぎ見るような身振りを見せた。そして、こう一言ひと言紡ぎ出すように、語り出した。
■夫には出世してほしかった
「夫には、出世してほしかった。子育てを手伝ってくれるのはありがたかったですが、それよりも仕事で頑張って、競争を勝ち抜いてもらいたかったんです。でも……私が課長になってからどんどん覇気がなくなり、半年後には昇進するどころか、子会社に出向させられてしまった。その人事も出向して1カ月近く経ってから知って……。悔しかったし、腹立たしかったです。あれだけ仕事を頑張っていた人だから、どれだけつらかったかは想像できます。だからといって……私にまで黙っているなんて……。夫に尋ねると、うつむいたまま、無表情で『そういうことだから……』と小さくつぶやいただけでした……」
それから半年近く、夫とはほとんど口を利いていないという。
「ご主人はなぜ、子会社への出向を黙っていたのだと思いますか?」
「そう、ですね……。やはり、私が管理職に昇進したことが……やるせなかったのではないでしょうか。それに追い打ちをかけるように、今度は自分が左遷のようなかたちになってしまって……。ひと言打ち明けてくれれば、と思いましたが、正直、私も課長になってからストレスが大きく、家庭では子どものことで精一杯で、夫のことまで気にする余裕がありませんでした」
「これから、そのー、ご主人とはどうされたいと考えていますか?」
酷な質問ということはわかりながら、敢えて尋ねてみた。
「このままでは家族が崩れてしまいますし、まず夫婦関係を改善しなくてはならないと思っています。でも、どうすればいいのか……」
そう、彼女は弱々しい声で答えた。
■課長の妻とヒラの夫、亀裂の原因は
2019年、45歳になった佐野さんは課長として主要プロジェクトを任されるなど、ますます仕事で能力を開花させている。一方、夫は1年余り前に子会社から会社本体に戻り、関西の支社に赴任した。
単身赴任中の夫の自宅を片づけに来たという彼女と、大阪市内で面会した。明るく穏やかな表情に戻っていて、挨拶も早々、ほっとした気分になった。
「その後、ご主人とはいかがですか?」
単刀直入に質問してみた。
「この2年の間に少しずつではありますが、改善に向かっていると思います。互いにそう努力しているつもりです。子どもたちも中学生と小学校高学年になって、両親の間に入って旅行を計画してくれたりして、気苦労かけて申し訳ない気持ちでいっぱいですが、いつの間にか大人になっていたのだと、夫と一緒に感心しているんですよ」
「それは、よかったですね。ご主人とは今、よく話されているんですか?」
「ええ、単身赴任で夫と物理的な距離ができ、互いに至らなかった点をじっくりと反省したり、相手にあの時、こうしてほしかったという点を整理したりすることができたのもよかったのではないかと思っています。そして、会った時にはそれぞれの思いを包み隠さず吐き出すことが重要ですね。前は冷戦状態でしたから。今はLINE(ライン)とか便利なコミュニケーション・ツールがあるから、夫婦の間でもうっかりしていると面と向かって会話することを省きがちで、それではいけないと気づきました」
「じゃあ、もう以前の仲の良かった関係に戻ったということですね?」
「うーん、それは、どうでしょう……。しこりが全く無くなったかというと、そうではないですね。特に仕事面では、夫は私が課長になったことに、本人の言葉だと『負い目』のようなものを感じていたと言っていましたし……実際には育児の疲れで、仕事に集中できなかったこともあったようなんです。今も私が課長、彼はまだ平社員で、いつ課長になれるかもわかりませんから。ただ、出向して悔しい思いをしたのは間違いないですが、必死に頑張って本体に戻って来た夫です。これからも応援していきたいと思っています」
改めて、夫婦の間に亀裂が生じた要因は何だったのか、問うてみた。
■夫婦間「勝ち」「負け」という悲劇
「カチ、マケ……」
「えっ? どういうことでしょうか?」
「女性にも管理職になって活躍するチャンスが与えられる時代になって……夫婦の間にまで『勝ち』『負け』が起こり兼ねない状況になったのではないかと。奥田さん、覚えていますか? 最初に取材を受けた時、私は女性を『負け組』と『勝ち組』に分けるなんてナンセンスだと答えた。夫婦にも勝敗なんてあってはいけない。それって悲劇ですよね。でも妻が正社員で働いていたら、どの家庭でも起こり得ることなんじゃないでしょうか。男の面子(メンツ)とでもいうのか、妻に『負ける』のは受け入れられない人は多いと思います。私だって一時期、自分が管理職にならなかったら、夫との関係が壊れなかったんじゃないか、と自分を責めた時もありました。実際に仕事の地位で妻が夫より上になった場合、うまく関係を維持するにはどうすればいいのか……まだ答えは見つからないですが……」
女性としての自身の生き方についてはどうか。
「仕事と家庭の両立、さらに管理職になること……社会が求める『活躍』女性を実現することがイコール幸せ、というわけではないんだと思えるようになって、気が楽になりました。すべて完璧にこなすことなんて無理ですし、例え一時(いっとき)、そうできたとしても、家族、特に夫との関係が良くなければ、いずれ仕事だってうまくいかなくなる。どれも頑張り過ぎず、でもどんなに小さくてもいいからやりがいを見つけて、それで……そんな自分を自分で認められるよう、努力していきたいと思っています」
戸惑い、試行錯誤しながらも、佐野さんは今も着実に歩を進めている。
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近畿大学教授 ジャーナリスト 博士(政策・メディア)
元新聞記者。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。専門は医療社会学、労働・福祉政策、メディア論、ジェンダー。2000年代初頭、男性の非婚化の真相に迫った「結婚できない男たち」を雑誌に発表し、話題を呼ぶ。著書に『男性漂流 男たちは何におびえているか』(講談社+α新書)、『「女性活躍」に翻弄される人びと』など。
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(近畿大学教授 ジャーナリスト 博士(政策・メディア) 奥田 祥子 写真=iStock.com)
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