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いまのネットには「忘れられる仕組み」が必要だ

プレジデントオンライン / 2019年10月16日 11時15分

博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表の深谷信介氏(撮影=中央公論新社写真部)

インターネット上の記録は原則として消えない。一方、人間は記憶をどんどん忘れていく。哲学者の岡本裕一朗氏は「人間は無意識的に忘却という作業ができるが、機械は『忘れていい』と判断するのが難しい。すべてを記録するネットにも記憶の墓場が必要だ」と指摘する——。

※本稿は、岡本裕一朗・深谷信介『ほんとうの「哲学」の話をしよう』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■忘れるからこそ新しい情報を受け取れる

【深谷】広告の仕事をしていると、「記憶」について考えることがしばしばあります。広告の第一歩が人々に記憶してもらうことだからです。人々の記憶になんらかのイメージを残す、さらには刻みこむことが広告の役目と考えれば、いまという時代は、人々の記憶がどんどん短命化している時代と言えると思います。

いま、ぼくらは何かを記憶するというとき、その対象や意味内容をじかに覚えておくというより、外部化してそれが入っている引き出しを覚えておくという感じですよね。でも、その引き出しもそのうち数がたくさんになっていって、引き出しのあった場所を忘れてしまう。

デジタルテクノロジーによって情報量は圧倒的に増えていくけれども、人間の情報処理能力はあるところで限界になるので、すべての情報を追うことはできません。しかし、情報のほうは新しい情報がどんどん追加されながら過去の情報もどんどん上書きされて、そのスピードもどんどん速くなっています。結果、人はどんどん情報を忘れていって、上書きされた最新の情報しか見えなくなっているのだと思います。

でもこれは逆の見方をすれば、忘れるからこそ、新しい情報を受け取ることができるとも言えるのであって、忘れることの価値はすごく大きいと思うんです。ですから、デジタルテクノロジーによる情報の上書きの高速化と、人間の記憶の短命化は、表裏の関係にあるんですね。

たとえば企業不祥事を考えても、10年以上前であれば、不祥事を起こした会社に対してメディアバッシングは少なくとも3カ月は続いていたと思います。ところがいまは、企業不祥事がいわば常態化し、個々のニュースが繰り返し上書きされていくことで、メディアバッシングが続かなくなり、どんどん忘れられていきます。

■「記憶のあり方」が変化している現代

玉川大学文学部名誉教授の岡本裕一朗氏(撮影=中央公論新社写真部)

【岡本】記憶という概念も古代ギリシアからさまざまな議論を呼んできました。それは、記憶が重要な意味をそなえているからにほかなりません。まず記憶はわたしたちのアイデンティティを構成するものですね。記憶がなければ自分が自分であるということも確認できません。記憶があるから約束もできるし責任をとることもできる。いずれにしても人間であるためには記憶がどうしても必要なのです。

プラトンもアリストテレスも記憶についていろいろ言っています。一つポイントなのは、プラトンもアリストテレスも「記憶」と「想起」を区別して考えていたことです。記憶は忘れられないで人間につきまとっているもので、人間は受動的にこの記憶から触発され情動を揺さぶられる。

いっぽうの想起は、記憶のなかから重要なことをよみがえらせようという能動的な知性の働きとされていました。プラトンは『メノン』のなかで、「探求するとか学ぶとかいうことは、じつは全体として、想起することにほかならないからだ」(岩波文庫、1994年、48頁)と言っています。

さてその記憶ですが、情報が爆発的に増えることで人間の知的活動がさまざまな影響を受けるなかで、当然記憶のあり方や記憶の仕方も変化している。広告にとって今後人々の記憶のあり方がどう変化していくかは、たしかに重大なテーマですね。

■テキストを「じっくり読む人」のほうが伸びる

【岡本】わたしのまわりで起きていることで一つお話しすると、たとえば一冊のテキストをどう読むかというとき、そのテキストがどのように解釈されているかというのでいろいろな解釈本を追いかける人と、テキストに没入してじっくり読む人と、二つのスタイルの人がいます。

いまの時代の流行は、いうまでもなくたくさんの解釈本をサーベイするほうです。そうでないと基本的に評価されません。サーベイの結果、これが現在の研究の水準であると現状を押さえた上で、問題を新たにつくりなおして、議論をするというパターンです。これは、スタイルとしては非常に賢く見えるのですが、おもしろいかというとちっともおもしろくありません。

では、昔ながらのテキストをじっくり読むというほうが、優れた成果につながっているかというと、それもそんなことは一切なくてですね、こちらはこちらで評価の壁に突き当たります。テキストをじっくり読むと細かな部分がわかったり、そのテキストの文脈的な意味を一生懸命考えたりするんですが、それを論文に書いても、「なんだ君一人が理解しただけじゃないか」と言われてしまい、それがいったいどれだけの価値があるかを明示するのは難しいわけです。

しかし、視点をちょっと未来に向けてみると、正直な話、どっちのタイプが伸びるかというと、テキストをじっくり読む人のほうが伸びていく。このことの背後には、記憶と時間の関係、そして記憶と想起のメカニズムが潜んでいるように思うのです。

■昔の哲学書は「読むたびに新たな発見ができる」

【深谷】とても興味深いです。どういうことでしょうか。

【岡本】まず昔の哲学者の本は、基本的にはそういうかたち、つまりじっくり根気強く読まれるようにできているということがあります。要するに中身が非常に深いので、何回読んでもそのたびに違った理解ができ、新たな発見があるということです。ですので記憶の質が高まり、何回も読むなかで記憶と想起が繰り返され、想起の確度が高まるようになるのではないでしょうか。そのためには時間も必要で、記憶は時間と切り離しては成り立たないものなのです。

ところが最近の本は、情報量をたくさん入れることに注力するので、非常に賢く見えるのだけれども、中身が時間の吟味に耐えうるかというとそうではないものが多いようです。

若き天才と言われるマルクス・ガブリエルも、たしかにあの若さであれだけたくさんの本を書いているという評価はあるいっぽうで、たとえば彼の著書『なぜ世界は存在しないのか』(2013年)を読むと、最初の1章と2章ぐらいで著者の発想はほとんど語り終えてしまっていて、あとの章は同じことを何回も手を替え品を替え繰り返しているだけという印象です。

哲学においても、情報量の増大に対して人間の情報処理能力が追いつかないという問題が、テキストの読み方や論文の書き方やその評価の仕方を大きく変えてしまっているわけです。情報量が膨大になれば、一つひとつの情報は当然、断片化されて重みはなくなり、表層化し、非常に些細(ささい)なものになる。だからたぶん、いまの本はおもしろくないのだと思います。

【深谷】この本も読むたびに違った理解や、新たな発見があるといいですね。

■人は忘れるのに、ネットは忘れてくれない

【深谷】人間のほうはどんどん忘れていくのに、ネット上には過去の記録は全部残ります。人はみな意見が変わっていくのが普通なのに、技術が記憶をひたすら蓄積していくので、過去をいくらでもさらうことができて、過去といまで意見が変わったことが糾弾されることも多くなっています。一貫性がないということで、政治家が批判の矢面に立たされることがあります。政治家ならば、変わることについてその背景をきちんと説明できないといけない、ということなのだと思うのですが。

【岡本】そうですね。わたしたちの記憶を記録して保存してくれたり管理してくれたりする有難い技術が、気がつけば自分たちをがんじがらめにしている。その不自由さはおそらく21世紀に人間がはじめて体験するものかもしれません。だからというわけではありませんが、わたしはSNSなどはいまのところやったことがありません。

■アイデンティティの構築に「記憶の管理」が必要

【岡本】「情報圏」という概念を提示したルチアーノ・フロリディは、「記憶と相互作用」についてこのように言っています。

記憶は、パーソナル・アイデンティティの構築において重大な役割を果たす。……最近まで、楽観的な見方として、ICTはパーソナル・アイデンティティを形成する力を人々に与えるとされていた。しかし、未来は微妙に異なっているようである。記録された記憶は、その対象の性質を不変のものにし、強化する。多くの記憶を蓄積し外部化するほど、パーソナル・アイデンティティの構築と発達に対するナラティブが、より多くの制約を受けることになる。記憶の増加はさらに、我々自身を再定義する自由度を低下させる。忘却とは、自己構築の過程の一部なのである。来るべき世代にとって、可能性のある解決策としては、自己の性質を結晶化して固定する傾向のあるさまざまなものにいっそうつましくなり、新しく磨きのかかった自己構築スキルを使いこなすことに習熟するべきであろう。自分の記憶を個人的、公共的に消費するために、獲得し、編集、保存、管理することは、……情報プライバシーの保護の観点からだけではなく、健全なパーソナル・アイデンティティの構築という観点からも、重要性をさらに増すであろう。
(『第四の革命』新曜社、2017年、99~100頁)

■データを「忘れる」装置の開発

【深谷】記憶装置とともに、データの断捨離や忘却のための装置も開発されていくべきなのですね。

岡本裕一朗・深谷信介『ほんとうの「哲学」の話をしよう』(中央公論新社)

【岡本】ではそのとき、どういうかたちで忘却するように設計するか、が問題になります。人間はその点では無意識的に忘却という作業をやっているわけですから気楽ですが、機械は何をもって「忘れていい」「捨てていい」と判断するか、これは相当に難しい問題です。わたしたちのように、自分に都合のいいように覚えていたり忘れてしまったりという塩梅(あんばい)ができるようになるかどうか。

【深谷】人間を真似(まね)ていけば、忘却の仕方も真似られるんじゃないかと思うんですけど。

【岡本】そうだと思います。だから、インターネットにも記憶の墓場が必要になってくるのですね。そのとき、わたしたちは、忘れるということがこんなすごい能力なんだということを知ることになるのだと思います。

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岡本 裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
玉川大学文学部名誉教授
1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。他の著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシア出版)など多数。

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深谷 信介(ふかや・しんすけ)
博報堂 博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表
スマート×都市デザイン研究所所長。名古屋大学未来社会創造機構客員准教授、富山市政策参与他。1963年石川県生まれ。慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修了。博報堂では、事業戦略・新商品開発などのマーケティング/コンサルティング業務・クリエイティブ業務やプラットフォーム型ビジネス開発に携わり、都市やまちのイノベーションに関しても研究・実践をおこなっている。著書に『未来につなげる地方創生』(共著、日経BP社)、『スマートシティはどうつくる?』(共著、工作舎)などがある。

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(玉川大学文学部名誉教授 岡本 裕一朗、博報堂 博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表 深谷 信介)

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