史上最年少の大学教授が狙う「多臓器一括再生」
プレジデントオンライン / 2019年10月25日 6時15分
■研究者への道を決めた臓器移植の現実
【田原】武部さんが医学をやろうと思ったのは、いつごろからですか?
【武部】興味を持ったのは小3のときです。建築会社で普通にサラリーマンをしていた父が30代後半で脳卒中に。一時は危なかったのですが、奇跡的に復活を果たしました。その過程で、私の面倒を見てくれていたおじいちゃんとおばあちゃんが「医者はすごい。お父さんを治せるんだよ」とよく言っていて、その刷り込みでいつしか医者になりたいと思うようになりました。
【田原】大学は横浜市立大学の医学部。どうして横浜市大に?
【武部】入学金と学費が安かったんです。市立なのでもともと私学より安いのですが、横浜市民はさらに半額。私は横浜在住だったので、近くて安くていいなと。
【田原】横浜市大では何を?
【武部】普通の医学部のトレーニングと並行して、幹細胞の研究を、放課後を中心にやっていました。
【田原】学生のころから、臨床より基礎研究?
■肝臓移植ができる外科医を目指して
【武部】いえ、そんなことはないです。私はもともと肝臓移植をやりたくて医学部に入りました。高校時代に仲が良かった友達のお父さんが、肝臓移植手術を受けた後に亡くなりまして。そこからずっと肝臓に興味があって、肝臓移植ができる外科医を目指していました。実際、5年生のときには、米国の医師免許をとって、移植の勉強をするためにニューヨークに留学。肝臓の移植センターで何人もの移植を手伝いました。
【田原】そこからなぜ基礎研究に?
【武部】移植センターでは、何十人ものウェイティングリストがあって、上から重篤な順にランキングがついていました。毎週の会議でやるのは、そのリストから外す人を選ぶこと。「この患者さんは重すぎて間に合わないから」と切っていくんです。その作業を見て、私は「治しているんじゃなくて選んでいるんだ」と衝撃を受けたんですね。もちろん限られたドナーからの貴重な臓器のため、仕方ないと思います。ただ、寂しい思いがぬぐえなくて、自分は基礎研究で根本から変えていくことに生涯を懸けたいと考えるようになりました。あれが転換点でしたね。
【田原】普通は学部を卒業後、臨床の研修を2年やって医者になる。でも、武部さんは臨床の研修もやらなかったそうですね。
【武部】そのまま大学の研究室に助手として採用してもらいました。まわりからは反対されましたね。臨床の人たちからは「研究者なんて試験管を振って遊んでいるだけ。医者になりなさい」と言われたし、逆に研究の先輩たちからは「2年間我慢すれば、その後もバイトで診療ができる。研究者になるとしても、その権利を捨てるのはバカ」とアドバイスをいただきました。でも私としては早く研究に集中したかった。
【田原】山中さんがiPS細胞を発表したのが2007年。武部さんは11年卒業だから、基礎研究もiPS細胞ですか?
【武部】研究は学部のころからやっていましたが、最初は別の細胞でした。ただ、一細胞の再生はできても組織や臓器の再生は難しく、最終的に患者さんに届く研究にはならないという感触は09年あたりから持っていました。そこで卒業を機に研究をiPS細胞中心に切り替えました。
【田原】研究費はどうしたんですか?
■文部科学省からいくつか予算を獲得
【武部】卒業して、テーマはもともとやりたかった肝臓を扱えるようになりましたが、自分だけの研究をしようと思ったらお金が必要です。幸い、私は文部科学省からいくつか予算を獲得することができて、自分のチームを持つことができました。
【田原】いくらくらい?
【武部】約1500万円です。1つの研究費でその額は難しいので、同時に5個の申請をして、そのうち4つが認められて、トータルでその額に。これだけあれば人を1人雇うこともできます。審査をする方々が若手を応援してやろうと考えてくださったのかもしれませんが、非常にラッキーでした。
【田原】13年には英科学誌「Nature」に論文を発表します。どんな論文でしたか?
【武部】それまで肝臓再生というと、幹細胞から肝臓を構成する肝細胞を分化させて再生するというアプローチがほとんどでした。それに対して私たちがやったのは、iPS細胞から初期的な肝臓を作ること。赤ちゃんが胎児としてお腹の中にいるときの臓器を作ったのです。これは非常に反響が大きかった。科学コミュニティからも反応があったし、患者さんからもたくさん連絡をいただきました。そのタイミングで准教授にも昇格させてもらいました。
【田原】その技術を使えば、臓器の再生ができる?
【武部】誤解を招きたくないのではっきりと言いますが、臓器の再生というレベルではありません。できるのは、一部の機能再生。もう少し具体的に言うと、私たちが作ったミニ肝臓は数カ月から半年という比較的短い間だけ肝臓としての機能を果たしてくれます。それでも移植手術を待つ患者さんなどには大きな意味があります。
【田原】翌年にスタンフォード大学にいく。研究者として軌道に乗ってきたのに、どうして?
【武部】大学の先輩で東大にいた中内啓光先生に誘われました。まわりに一流の研究者がたくさんいると聞いて、私もそういう環境でやってみたいなと。
【田原】山中さんがサンフランシスコの研究所にいたとき、所長から「基礎研究はVW」と言われたとおっしゃっていました。所長はフォルクスワーゲンに乗っているけど、VWは車じゃなくて、ヴィジョンとワークハードのこと。日本人研究者はワークハードだけどヴィジョンがないと気づいて、山中さんはiPS細胞のヴィジョンを描いた。日本でそのヴィジョンを話すと笑われたけど、ヴィジョンがあったから早くできたと。米国と日本の研究環境の違いは、そこですか。
【武部】そうですね。欧米の一流機関で教授になろうと思えば、ノーベル賞級の教授たちの前で黒板を使って自分のヴィジョンを語ることを求められます。比較的近い未来のヴィジョンから長期のヴィジョンまで、ぜんぶ語れないと採用されません。
【田原】教授になった後も違いますよね。米国はつねに論文を出し続けていないと教授に留まれませんが、日本の教授はほぼ終身雇用だ。
■50代の研究者がクビになりました
【武部】いま私は米国の研究機関にも勤めていますが、つい最近、50代の研究者がクビになりました。厳しい世界ですが、緊張感を持ってやり続けることが必要だと思います。
【田原】成果を問う一方で、失敗を容認するのも米国。たとえばAIの開発は失敗がつきものなのに、日本企業はそれを許さないから優秀なエンジニアは日本にこない。医療でも同じことが起きているんじゃないですか?
【武部】そうですね。私は研究室を「人がズレてる」「プロジェクトにブレを持つ」という2つのコンセプトで運営しています。プロジェクトにブレを持たせるということは、むちゃくちゃなものにも挑戦させるということ。当然、繰り返し失敗するのですが、日本ではこのブレが許されない。一方、米国はブレを認めてくれます。そうなると、イノベーティブな研究は日本より米国でやらざるをえない。いまは米国と日本の両方で研究していますが、米国で芽を出させて、それを日本の研究室で成長させています。それでうまく回っているので私自身は困りませんが、日本のことを考えると、本当にそれでいいのかなと。
【田原】武部さんはいま米国でどんな研究をしているのですか?
【武部】スタンフォードのときから始めていた研究をちょうど先日「Nature」で発表しました。先ほどミニ肝臓は長生きできないという話をしましたが、その理由はシンプルで、肝臓は体の中で単独で浮いているわけではないから。肝臓は胆管という別の臓器に繋がり、膵臓とくっついて最後は十二指腸に繋がっています。これらの臓器と繋がってなければ、肝臓は機能しません。そこで新たにミッションとして掲げたのが多臓器一括再生です。
【田原】そんなことできるんですか?
【武部】人間は受精してから10カ月で生まれてきますが、1カ月の段階ではまだ多臓器ではなく、それから数日を経て多臓器になる。その直前の状態を設計して作れば、あとは自発的に肝臓、胆管、膵臓、十二指腸ができるのではないかという仮説に基づいて研究を続けて、それがようやくできるようになりました。
【田原】その研究は日本じゃ無理?
【武部】同じような研究を日本で申請しましたが、すべて落とされました。米国では採択されて1億円取れましたが、日本では1000万円の研究費も取れませんでした。
【田原】研究者としては米国でやったほうがいいと思うけど、武部さんは日本にも研究室を持っていますね。
■肝臓を使ってほかの臓器の病気の薬も開発
【武部】いま日本でも、東京医科歯科大学、横浜市大、あと武田薬品の中で山中先生と一緒にやっているラボの計3つで研究をしています。武田薬品での研究は薬の開発です。肝臓は重要なたんぱく質を作るので、肝臓を使ってほかの臓器の病気の薬も開発できる。それも大事な研究なので、ずっと米国にいるわけにもいきません。
【田原】東京医科歯科大学と横浜市大では、最年少の教授になった。閉鎖的な日本の研究環境だと孤立したりしませんか?
【武部】言いづらい部分がありますね(笑)。でも、そういうものも含めてサバイブしないといけないなと。
【田原】もう1つ、武部さんは再生医療のほかに「広告医学」に取り組んでいる。これは何ですか?
【武部】医学は過去2000年間、ヒポクラテスがメディシン・フォー・ディジーズ、つまり医療は病を治すためにあると定義してから、外科学や内科学、精神科学のように体系だったものが実践され続けてきました。でも、いま私たちが対峙している病気は、外傷や感染症のような命に直接の危険があるものばかりではなく、生活習慣病や精神病のように生活の場で捉えなくてはいけないものも増えてきた。それらに対応するには、薬や手術だけでなく、ファッション、不動産、家電、環境デザインまで含めたコンテクストで医療を設計する必要があります。
たとえば服に心臓のセンサーがついていて、異常があればアラートを出したり、家の中にヘルスケアのテクノロジーを実装するのもいい。これまでの医療を拡張するつもりで、「広告医学」という言葉を作って研究を進めてきた結果、横浜市立大学医学部にコミュニケーション・デザイン・センターという組織を開設することができました。
【田原】山中さんがこう言っていました。将来は医療の進歩で寿命が120歳になり、病気になったり介護が必要な人が増える。寿命が延びるのは本当に幸せなのか。そのとき医学は何をやればいいのかと。
【武部】そうなんです。結局、大切なのは、人としてどう生きるかということ。だから医学をメディシン・フォー・ディジーズから、メディシン・フォー・ヒューマニティーに再定義していくことが大事なんじゃないかと。
【田原】考え方はよくわかります。具体的にはどうやってやるのですか?
■従来の医学部からズレた人たち
【武部】いろいろやっていますが、いま力を入れているのが、ストリート・メディカル・スクールです。本を読んで勉強してエリートになった人を「ブックスマート」、実践を通して勉強してポジションを築いた人を「ストリートスマート」と言いますが、これまでの医学部はブックスマートばかり育ててきました。それではメディシン・フォー・ヒューマニティーに対応できないので、クリエーターや医療従事者など、従来の医学部からズレた人たちをミックスさせる学校を東京で開校しました。
【田原】おもしろい。学生は、すでに職業を持って経験を積んでいる人たちですね。欧州は25歳以上で学校に通う人が20%いるのに、日本は2%しかいないとか。もっとそういう人が増えれば変わるかもしれない。
【武部】はい。ズレた人たちが持ってる技術がマージされることで新しいものが生まれてくるんじゃないかと期待しています。
武部さんへのメッセージ:これまでの“医学の常識”を壊し続けろ!
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ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。
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東京医科歯科大学教授
1986年、神奈川県生まれ。桐蔭学園高校、横浜市立大学医学部卒。2018年横浜市立大学教授、東京医科歯科大学教授に31歳で就任。26歳のときに、世界ではじめてiPS細胞から肝臓組織を作り出すことに成功し、その論文が英科学誌「Nature」に掲載された。
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(ジャーナリスト 田原 総一朗、東京医科歯科大学教授 武部 貴則 構成=村上 敬 撮影=枦木 功)
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