豊田会場で見たかった"あいトリ"の真の問題作
プレジデントオンライン / 2019年10月11日 18時15分
■豊田市美術館で客を集めていたのは「クリムト展」だった
今回のあいちトリエンナーレは、名古屋市と豊田市の4つのエリアで開催されている。このうち「豊田市美術館・豊田市駅周辺」については、SNSで「物足りない」とか「展示の趣旨がよくわからない」という記述を散見した。
筆者が9月16日に豊田市美術館を訪れると、多くの客が目当てにしているのは同時開催の「クリムト展 ウィーンと日本 1900」で、あいちトリエンナーレではないという印象を受けた。それでは、なぜ豊田会場はこうした展開になったのだろうか。
名古屋会場では、愛知芸術文化センターや名古屋市美術館の作品群は、高度科学技術社会を直接的にえぐる展示が目を引いた。それに対し、豊田会場では直接的に技術を批判するものが事実上なく、アンナ・ヴィット「未来を開封する」のように、AIをはじめとする未来の科学技術と人間の関わりについて相対的にポジティブな視点の作品が集められている。
また現代資本主義システムそのものをどう捉えるべきかという作品もなかった。豊田はトヨタ自動車という企業と深い関わりを持つ街であり、資本主義システムと対峙した作品を展示する意義は大きい。
展示作のなかでは、トモトシ「Dig Your Dreams.」がコミカルな形でトヨタと豊田市という街に解釈を与えているが、これを鑑賞者がどう受け止めるべきなのかは悩むところである。批判でもなく、かと言って茶化して終わるというわけでもなく、筆者としては企業城下町として許されるギリギリのところでトヨタを弄(いじ)ったという感があり、ある意味、表現の自由の臨界を見たような思いである。
■地方芸術祭では尖った表現を自制する方向に流れやすい
今回、「表現の不自由展・その後」の展示中止によって、地方芸術祭とそれを支える金の流れについて議論が巻き起こった。筆者はそうした議論が起きたことは非常に重要だと考えている。
地方芸術祭はどこでも多かれ少なかれ闇を持っている。バブル景気の崩壊以降、地方自治体は美術館などの「ハコモノ」での文化振興が難しくなった。そこで、よりランニングコストの小さい方策として「期間限定の芸術祭」が各地で行われるようになった。これはコストだけでなく、観光振興や市民の芸術参加という観点からも好ましく、ここ20年ほどの芸術界の基調となっている。
メセナやCSRに取り組む企業側にとっては、地方芸術祭は芸術振興と地域貢献を同時に行えるため支援しやすい。また芸術系の大学関係者や美術評論家などもこのスキームで禄を食むため、こうしたイベント群は批判されにくい。
このような論理により、地方芸術祭では、「既存のエスタブリッシュメントに反抗する」という意欲が失われやすく、尖った表現を自制する方向に流れやすい。
■てんかん患者が起こした自動車事故を題材にした作品
もちろん今回のトリエンナーレであからさまな圧力があったわけではないだろう。だが、地場産業とそれが作り出した統治機構に対して、根源からその価値を問い直すような作品がないことは、なんらかの配慮とも言える「自動制御ブレーキ」を感じてしまう。たとえば「四間道・円頓寺会場」に展示された弓指寛治「輝けるこども」は、豊田会場で展示されていれば、より意義深いものになっただろう。
この作品は、てんかん患者が自動車事故を起こし、多くの小学生を殺傷してしまった2011年の悲劇を題材としている。てんかんは人類の歴史とともに存在しているが、その病が殺傷事故の原因となるという現象は、自動車産業の発達によって発生した悲劇である。作者のご母堂は交通事故に巻き込まれてから心身のバランスを崩し、2015年に自ら命を絶っている。
「表現の不自由展・その後」は、表現の自由について議論を巻き起こすのが目的だったという。そうだとすれば、「輝けるこども」も四間道・円頓寺エリアではなく、「ここでこんなものを展示しなくても」という批判も予想される豊田エリアでの展示を検討してほしかった。
もちろん地域ごとにキュレーターがいたのは承知しているのだが、そこは芸術監督の差配により「移動展示」などがあれば啓発効果が大きいものになっただろう。私は4カ所ある会場の中で、最後に豊田を訪れたが、仮にここに「輝けるこども」があれば、ダークツーリズムの旅としては完結していたと確信する。
■名古屋会場に比べると豊田会場には「歯ごたえのなさ」を覚える
豊田会場を歩いてみると、特に駅周辺のパブリックアートスペースで、多くの美大生が熱心に調査学習を行っていたシーンに出くわした。この会場は、まさに行政と地元企業とアーティストが、摩擦なく穏便に展開している地方芸術祭の典型であり、学生の段階でこれを押さえておくことは、たしかに重要であるかもしれない。そのうえで、事実上どんな制約があり、何に配慮すべきなのかを学生諸君が学び取れるならば、フィールドワークは成功となろう。
そこで冒頭の「物足りない」という話に戻るのだが、名古屋会場では産業都市名古屋のアイデンティティーに挑戦するかのような作品が続いていたのに対し、こちら豊田市では地域との調和の下に作品が存在しているように感じられるため、ある種の「歯ごたえのなさ」を覚えるのかもしれない。ただこれは良いとか悪いとか言った話でもなく、鑑賞者の好みにも左右される論点なので、名古屋会場と豊田会場を批判的に比較し、各自が思いを深めればよいかと思う。
■会場は特攻兵士たちが任地へ向かう数日を過ごした場所
豊田会場に展示されている作品群のうち、どうしてもここで鑑賞する必要性があるものは、ホー・ツーニェン「旅館アポリア」である。彼はシンガポール出身であるがゆえに、故郷における日本軍の侵略についてアートの手法によって解釈を与えようとしているのだろう。
この作品は、日本の軍国主義の拡大を、軍部・哲学者・芸術家など多面的視点から描いた映像作品である。上映会場となった喜楽亭は元料理旅館であり、戦前は軍部関係者が宴席に用いるとともに、特攻に出撃する若い兵士たちが任地へ向かう数日を過ごした場所でもあった。
会場はアートスペースではないため、上映にあたっては観客が溢れてしまう部屋も生じてしまい、鑑賞者には困難が強いられることになる。このあたりの対応は、円頓寺の幸円ビルで上映されていたキュンチョメの「声枯れるまで」の混雑とは意味が異なる。
「声枯れるまで」は、力作ではあるものの、なぜあのビルで上映され、観客が満席で見られないというオペレーションを我慢しなければならないのかという必然性に乏しい。一方、「旅館アポリア」は、どうしてもここで見る必要性があるため、観客は苦難を甘受してでもこの場所にいなければならない。
■喜楽亭の不便さは、鑑賞者に意識の覚醒を与える
芸術文化の享受のためには、鑑賞者は不便を受け止めなければならいというテーゼは、アートの側からしばしば宿題のように提起される。建築家・安藤忠雄の建造物はたしかに美しいものが多いが、スロープが裏口に付いているなど、利便性という観点からは批判されることもある。現代アートの作品の中にはどうしても場所の文脈が必要なものもあり、鑑賞者の身体をそこに合わせなければならないケースが出てくる。
その際、鑑賞者は、単に精神だけでなく、肉体を通じて作品および空間と対峙することになるため、いまだかつて経験したことのない感動を、味わえることがある。「身体性」は、ポストモダニズムの主要な論点の一つであり、喜楽亭の不便さは、鑑賞者に意識の覚醒を与えるという興味深い現象を引き起こしている。(続く)
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観光学者
金沢大学国際基幹教育院准教授。近畿大学助教授、首都大学東京准教授、追手門学院大学教授などを経て現職。1968年長野県生まれ。京都大学経済学部卒、同大学院法学研究科修士課程修了、同大学院情報学研究科博士後期課程指導認定退学。博士(情報学)。社会情報学とダークツーリズムの手法を用いて、東日本大震災後の観光の現状と復興に関する研究を行う。著書に『ダークツーリズム拡張 近代の再構築』(美術出版社)などがある。
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(観光学者 井出 明)
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