執拗に"秋篠宮家叩き"を続ける新潮社の行く末

プレジデントオンライン / 2019年10月16日 11時15分

第74回文化庁芸術祭のオープニング・オペラ公演鑑賞のため着席される秋篠宮ご夫妻=2019年10月1日、東京都渋谷区の新国立劇場 - 写真=時事通信フォト

■「百田尚樹の最新小説」をめぐる販促企画が大失敗

老舗出版社・新潮社がおかしいという声を最近よく耳にする。

最近もこんなことがあった。10月4日、新潮社のTwitterアカウントで、「百田尚樹の最新小説『夏の騎士』をほめちぎる読書感想文をツイートすると、図書カードが当たるビッグチャンス」と告知したのである。

ハッシュタグ「#夏の騎士ヨイショ感想文」をつけて感想文をツイートすると、「百田先生を気持ちよくさせた20名の方に、ネットで使える1万円分の図書カードを贈呈!」と謳(うた)った。

もう百田の本は売れないと考えた担当編集者が、話題作りのために捻(ひね)り出したのかもしれないが、読者と著者をバカにした企画である。当然のことだが、すぐに「新潮社はお気を確かに」「歴史ある出版社として恥ずかしくないのか」などの批判が上がった。

“全身小説家”の異名を持つ井上光晴の長女・井上荒野はこう言っている。

私が知ってる新潮社じゃない。

あわてた新潮社は、

「夏の騎士ヨイショ感想文キャンペーン」について
お騒がせをし、申し訳ございません。
多くのご意見を受け、中止とさせていただきます。
尚、既にご参加済みの方に対しては、追ってアナウンスさせていただきます。
今回皆様からいただいたご意見を真摯に受け止め、今後の宣伝活動に活かして参ります。

と、早々に中止してしまったのである。

■ヨイショがうまくなくては編集者は務まらない

すると今度は、「作家やその作品に敬意を持っていたら誰であれ失礼過ぎて提案できないと思う。企画した出版社が一番、この作家や作品を軽視していたということじゃないかな」、「廃刊(原文ママ)した月刊誌のときといい、今回といい、この会社には保身という言葉はあっても矜持(きょうじ)という言葉はないのでしょう」という批判が殺到したのである。

昔、作家の山口瞳から、「作家というのは女々しいものです。だから、何でもいい、原稿をもらったらまず褒めなさい」といわれた。

ヨイショするのがうまくなくては編集者は務まらない。どんな駄作でも、「先生、これはすごいですね。売れますよ」と文字通り歯の浮くようなお世辞で、著者をいい気持ちにさせなくてはいけない。

帯に書くことがなければ、「傑作です!」としておけばいい。某大文豪は、どこの社の原稿でも、まず、褒めるのが上手な懇意の編集者に最初の原稿を見せたそうである。褒めて褒めて褒め倒してもらった後、頼まれた社の編集者に見せたという。

そのヨイショを読者にやってもらおうなどと考えるのは、編集者としての資質を疑う。

■「新聞にできないことをやる」と週刊誌を創刊し63年

私の若い頃、新潮社の人間は知的で孤高の人が多く、三文編集者には近寄りがたかったが、最近は様変わりしたのだろうか。

新潮社は1896年(明治29年)創業だから120年を超える堂々たる老舗である。文芸雑誌の雄『新潮』は1904年に創刊されている。

文藝春秋の『文学界』や講談社の『群像』はずっと後である。新潮文庫は1914年(大正3年)に創刊されている(講談社文庫は1971年)。文藝出版社として名声を轟かせてきただけではなく、新しい時代を切り開く雑誌の創刊にも積極的であった。

新聞社系週刊誌の全盛時代に、出版社として初の週刊誌、『週刊新潮』を創刊したのは1956年だった。

情報も取材力もない出版社が週刊誌など出せるわけはないと、新聞社は嘲笑(あざわら)ったという。だが、「新聞にできないことをやる」をコンセプトに、新聞批判とスキャンダルを武器に部数を伸ばし、後に続いた『週刊現代』『週刊文春』とともに、新聞社系週刊誌を蹴散らし出版社系週刊誌の黄金時代を築くのである。

多くの文士を育てた名編集者・齋藤十一は、『週刊新潮』でも手腕を発揮し、多くの名企画、名タイトルを生み出し、新潮ジャーナリズムをつくり上げた。齋藤が率いる新潮の取材力とタイトルの切れは群を抜いていた。共産党批判も舌鋒(ぜっぽう)鋭かった。

その新潮に1978年、当時共産党副委員長だった袴田里見が、『「昨日の同志」宮本顕治へ——真実は一つしかない』という宮本委員長批判の手記を寄せるのである。あの時の衝撃を今でも覚えている。

■執念の取材で桶川ストーカー事件の犯人を特定した

それ以前にも新潮は、誘拐事件の際、犯人を刺激する懸念から詳細な報道を控える新聞の「報道協定」があまり長きにわたって結ばれていると批判し、新聞を尻目に誘拐事件を報道するなど、独自路線で気を吐いた。

1981年に日本初の写真週刊誌『FOCUS』を創刊したのも齋藤であった。その時の齋藤の言葉、「殺人犯の顔が見たくないか」は、業界の語り草になっている。

FOCUS記者だった清水潔(現日本テレビ)が執念の取材の末、犯人を特定した桶川ストーカー事件は、ストーカー法ができたばかりではなく、週刊誌史上に輝くスクープである。FOCUSはその前にも、ロッキード事件で逮捕された田中角栄元総理の法廷での隠し撮りに成功して、大きな反響を呼んだ。

純文学出版の老舗でありながら、常に新しいものにチャレンジしていく新潮社魂が、戦後の出版業界をリードしてきたことは間違いない。

1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件は、当時14歳の中学生による犯行だったため、少年法に守られ少年Aとしか公表されなかったが、『FOCUS』(7月9日号)は、少年の実名と顔写真を掲載した。

さすがに賛否が巻き起こり、抗議した作家の灰谷健次郎が、全ての作品の「版権」を新潮社から引き揚げるという騒ぎにもなった。だが、FOCUSが投じた一石は、少年法のあり方を考えるきっかけとなったことは間違いない。

1997年をピークに、出版界全体の売り上げが右肩下がりになる中で、新潮の屋台骨を支えてきた新潮文庫の売れ行きがよくないという噂(うわさ)が、業界に広まっていった。

そんな中で大誤報事件が起こるのである。

■部数稼ぎを認めるも、“ニセ実行犯に騙された”と釈明

『週刊新潮』が2009年2月5日号に掲載した「実名告白手記 私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した」がそれだ。

この事件は87年5月3日に、目出し帽を被り散弾銃を持った男が兵庫県西宮市にある朝日新聞の阪神支局を襲った。小尻智博記者が死亡、犬飼兵衛記者も重傷を負った、憎むべき言論テロ事件である。赤報隊の犯行だといわれているが、いまだに犯人はわかっていない。

網走刑務所に収監されていた人間が、「自分が犯人だ」と告白する手紙を新潮編集部に送ってきた。赤報隊の事件を追っていた朝日新聞の記者も件の人間には会っており、話に真実性はないと断じていたのだが、新潮編集部は裏を取り、信ぴょう性があると確信したとして、強引に掲載した。

その結果、大誤報になり謝罪することになるのだが、この時の編集長の掲載動機も、何とか部数を増やしたいというものだった。

A編集長は自身の筆で「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」(4月23日号)と題する10頁のトップ記事を掲載して誤報を認める。だが、騙(だま)されたとは被害者だといわんばかりではないか、本当に反省しているのかが疑問という批判が巻き起こった。

新潮社は佐藤隆信社長とA編集長(当時)を20%、他の取締役7人を10%、それぞれ3カ月間減俸処分にしたが、外部委員会などによる誤報の検証は行わないと明言した。

■虚報の反省も見えぬまま、『新潮45』休刊事件へ

この対応に危機感を抱いた私は、このままでは週刊誌の多くが休刊になるかもしれないと、5月15日に上智大学の大教室を借りて、田原総一朗、佐野眞一、週刊誌編集長たちに来てもらって「週刊誌がなくなっていいのか」というシンポジウムを開いた。

佐野眞一は、「新潮は社会的な責任を全く果たしていない」「虚報の責任という意味では新潮が『実行犯』」「いずれ休刊、廃刊もあり得る」などと批判した。

多くのメディアと大勢の人たちが来てくれた。その時のことをまとめた『週刊誌は死なず』(朝日新書)を出版した。

この時のA編集長は役員でもあった。編集長職から更迭はされたが、役員職はそのままだったと記憶している。こうした曖昧なけじめのつけ方が、新潮社を内部から蝕(むしば)み、今日に至っているのではないのか。

そして、2018年に『新潮45』休刊“事件”が起こるのである。

発端は『新潮45』8月号で杉田水脈(みお)自民党衆院議員が書いた、「(LGBTの人は)彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」という一文だった。

これに対して多くの批判が寄せられたが、『新潮45』は次号で、開き直ったかのような、「特別企画 そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を掲載して、火に油を注いだのである。

中でも小川榮太郎の記事がさらに批判を呼び、作家や文化人、書店、読者が次々とネット上で声を上げ、事態は新潮社本社前での抗議行動にまで発展した。この時出した佐藤隆信社長の「見解」も、傷ついた当事者のことを思う言葉がないなどの批判を受けた。

社内からも批判の火の手が上がり、結局、新潮社は9月21日に佐藤社長が談話を発表して謝罪し、休刊を発表したのである。

■皇室への厳しい論調がエスカレートしていないか

ここでも露呈したのは、部数増のためなら手段を選ばない編集部の疲弊ぶりと、社長を含めた首脳陣たちの認識の甘さであった。

大手といわれる講談社、小学館もオーナー企業である。オーナー企業の良さはもちろんあるが、弱点は、社長一強のため、周りをイエスマンたちで固める側近政治になりやすいことである。耳障りな話は、社長まで届かないことが多い。

もう一つ私が気になるのは、最近の一連の『週刊新潮』の皇室報道である。以前から秋篠宮家には厳しい誌面作りをしてきているが、長女の眞子さんと小室圭の婚約延期以来、さらにエスカレートしてきているように思う。

特に秋篠宮紀子さんに対して厳しいと思うのは私だけだろうか。

直近の誌面で考察してみたい。10月17日号で「『秋篠宮邸』に響く怒声」という記事を掲載している。

長女の婚約問題、次女の奔放な振る舞いなどが影を落としているとはいえ、「秋篠宮家の事情を知るさる関係者」が、「実は、御代替わりを迎えた後、秋篠宮殿下と紀子妃殿下が、宮廷で頻繁に言い争いをなさるようになっているのです」と、夫婦のごく私的なことまで明かしているのだ。

さらに、「(紀子妃=筆者注)ご自身も含め、ご一家の世間での受け止められ方にきわめてナーバスになっておられます。お出ましを報じるニュースや、ご家族の評判について、ネットを使っていわゆる“エゴサーチ“をなさることも度々あり、そこに展開される否定的なコメントに、言葉を失っておられるのです」と語っているのである。

■「ご夫婦は一緒に居たくないのでは」とまるで離婚寸前のよう

紀子さんが、エゴサーチをしているというのは、にわかには信じがたいが、そこに出てくるのは新潮や文春、女性週刊誌などの伝聞推定をもとにした秋篠宮家についてのよくない噂である。そのようなものを見れば、紀子さんでなくても気が滅入(めい)ること間違いない。

秋篠宮が時に短気を起こし、「挙げ句、妃殿下が涙を見せられることも珍しくなく、時には泣き崩れられることもあります」(同)。そういうことが続いているため、「ご夫婦は現在、ご一緒にいたくないのではないか。そう訝る声が、庁内からも上がっています」と、まるで離婚寸前のようだと報じているのである。

週刊誌は噂を拾い集めて真実に近づこうというメディアである。それに「牽強付会(けんきょうふかい)」が得意技である。出所がよくわからない情報をもとに、だとしたら何々であると、都合のいい結論へと読者を誘導する手法である。だが、その手法を、皇室記事に使い過ぎるのは、褒められたものではない。

その前の号では、天皇陛下と雅子皇后が、初めて「お召し列車」で移動したとき、沿線では、多くの市民や鉄道ファンが、カメラを構えて待っていたにもかかわらず、2人が姿を見せなかったと報じている。

上皇ご夫妻は、必ず車窓から手を振られ、国民の歓呼に応えていたのにと、鉄道ファンを中心にSNSに書き込みをしたことから、騒ぎに発展したというのである。

しかし、天皇ご夫妻はその時、打ち合わせをしながら昼食をとっていたため立ち上がれなかったので、その後で両陛下は立って窓の外に手を振っていて、それを示す写真もネットに上がっているというのである。週刊誌お得意のマッチポンプ的書き方の見本のような記事である。

■皇室関係者たちは皇室と国民を近づける努力をすべき

私は、皇室記事をやってはいけないなどといっているのではない。もっとやるべきだと思っている。だが、特定の人間をターゲットにして、伝聞推定のプライバシーを書き連ねることはいかがなものだろうか。

皇室は反論も名誉棄損で訴えることもないからと、真偽の不確かな情報で批判することは、これまでの新潮の赫々(かくかく)たる実績を知る者として、首を傾げざるを得ない。秋篠宮眞子さんと婚約したからといって、一私人である小室圭の母親のプライバシーを暴き立てるのも、お行儀がいいとは思わない。

開かれた皇室と謳いながら、当時よりも国民やメディアから遠ざかっている皇室のあり方には、私も疑問を持っている。

かつては、今より皇室が国民に身近だった。今の天皇が皇太子時代、1960年9月5日号の『週刊新潮』は「殿下、ズボンが太すぎます」という特集を組んでいる。当時の山田東宮侍従長がフランクにロング・インタビューに答えている。実におもしろい。

1982年9月20日号では、美智子上皇后の実父・正田英三郎のインタビュー「美智子妃のご実家 正田家の『栄光のなかの孤独』」を掲載している。その中で正田の本音を見事に引き出している。

「もしも、あの時、娘が皇太子妃になっていなかったら……。いまさらいったって始まらないから、考えたこともありませんがね」

皇室の関係者たちは、もっとメディアに出てきて、皇室と国民との距離を近づける努力をするべきだと、私は考える。

新潮も新潮らしく、皇室に対しても怯むことなく堂々と批判すべきところはしてほしい。週刊誌だけではなく、新潮社全体が、かつてのような輝きを取り戻すことを期待したい。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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