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高校中退で「東大&ハーバードW合格」した学び方

プレジデントオンライン / 2019年10月25日 6時15分

撮影=市来 朋久

小中高と日本とアメリカを行ったり来たりしていた国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソンさん。日本の高校を退学させられた経験をもつが、それから一念発起。1981年に東京大学のほか、ハーバード、MIT、イェール、スタンフォードなど米国の名門6大学に合格した。なぜ、そんな離れ業ができたのか——。

※本稿は、『プレジデントFamily2019年秋号』の記事を一部再編集したものです。

■高校中退「問題児」が東大やハーバード大に合格できた理由

父の仕事の関係で日本とアメリカを行き来しながら育った僕は、小中高、大学と両方の国で教育を受けてきました。そんな経験を持つ僕が皆さんに人生のアドバイスをする前に、自分の育ちについて説明したいと思います。

小学校は広島のアメリカンスクールに通っていたのですが、5年生の2学期から地元の公立小学校に転入しました。当時日本のマンガやアニメにはまっていて、日本語をちゃんと身につけたい、という気持ちが強かったんです。

ところが、スクールでは英語に集中させるために、日本語禁止になってしまって。だから自分から転校したいと言いだしました。

当時は1970年代だったので、「ガイジンが来た!」と言って大騒ぎになったのを覚えています。面白がる子も差別する子もいたし、先生にも僕を煙たがる人がいたけれど、日本語をやりたかったので、子供なりに戦いました。転校から半年後ぐらいだったかな、生徒会長に立候補したら当選しちゃった。

広島では御三家と呼ばれる中高一貫校があって、転校したときには周りはもう中学受験の準備をしている時期でした。友達が塾に行っちゃうので、一緒に遊ぼうとすると自分も塾に行くしかないんですよ。それまでは勉強は楽しいものだと思ってやってきたので、苦労しました(笑)。

■日本とアメリカの「教育」に翻弄されながら成長した

中学受験で合格したのは昭和スパルタな感じの男子進学校で、瀬戸内の炎天下で朝礼をやって、バタバタ生徒が倒れるんだけどそこを克服するのが男だ、みたいな感じ。一方で、3階から飛び降りるとか根性を見せることをやると、またそれがマッチョな先生から評価されるみたいな校風でしたね。

ところが、日本式の環境にすっかり染まった中2の途中で、父の仕事の都合でアメリカに戻ることになったんです。向こうの学校に通い始めたら、またカルチャーショックで。日本の中学では勉強も根性論で、予習復習をやれとか、英単語は短冊式の暗記カードを作れとか。で、数学と理科、それからフランス語はそれですごくうまくいったんです。でもそれ以外は、日本式がすっかり裏目に出ちゃった。

日本はすべての教科で、基本的に答えが一つの問いしかやらない。そしてその答えをなるべく要領よく覚え、テストのときにぱっと答えられることが大事。でもアメリカの学校では、議論できる能力、自分の考えを持って言葉や文章にできる能力が問われるんです。

撮影=市来 朋久
本稿の詳細記事は、『プレジデントFamily2019年秋号』にて。 - 撮影=市来 朋久

■ロック、ディスコ…広島の高校を結局、退学になった

たとえば社会の時間だったら、「今から大統領選です。あなたはどの党を支持するか、理由も含めて述べなさい」と尋ねられます。そして、他の生徒との議論になる。民主党は銃規制に積極的だから、とか言うと、親が全米ライフル協会(NRA)に加入しているようなクラスメイトが議論をふっかけてくるわけです。

妊娠中絶の問題とか愛国心教育の問題とか、大人の間でも賛否両論があって、一つの結論には簡単にはいきつかない問いです。

「君の意見を」と言われても、僕には意見なんかないですよ。日本では授業中に意見を言うと怒られた。でもアメリカでは、意見を言わないと「何で黙ってるんだ」と怒られる。

結局、高2の途中で、中学入試で入った広島の男子進学校に戻ってきてしまいました。ところが、ロックを聴いたりとか、ディスコに行ったりとか、女の子を誘うこととかアメリカで覚えてきたことを広めてしまい、学校から完全に不良扱いされてしまったんです。

アメリカだと高校生にもなれば男女交際は大事な社交性の練習で、週末には学校でコピーバンドのライブがあって、そこでみんなで踊ったりもする。自分としては普通のことをしたつもりなのに、不純異性交遊禁止とかディスコ禁止とかいう校則が作られ、それをわざわざ生徒手帳に1ページ足されたりして。結局、退学になってしまいました。

■周囲の評価はね返すため一念発起「東大とハーバード大」W合格

それで、母の実家のある富山の進学校に転入したんですが、その高校にも広島での話が回っていて、軽音楽部には入れないことになっていたりと、自由にやれない状況でした。そこで、それをはね返すために猛烈な受験勉強を始めたんです。東大を目指して成績を上げると、学校の監視が緩まったんですね。

結局、東大とハーバードに合格して、東大に少し通ってからハーバードに入学しました。ハーバードに入ってからがまた大変で。とにかく文系か理系かを問わず、「疑って、検証し、議論する」が基本で、勉強のプレッシャーがものすごかったんです。

写真=iStock.com/mizoula、demerzel21
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula、demerzel21

たとえば、物理で使う波動方程式。日本の大学なら、たぶん覚えて使うだけの話だと思うんですが、ハーバードではその方程式を完全に理解するために、数学の微積分の根源を理解することが必要だとして、アイザック・ニュートンの昔の論文を読まされるんです。

そのうえで、なぜ彼が「微分」という考えに至ったのかを徹底的に考え抜き、字数無制限でレポートにまとめて提出しなくてはならない。資料をつなぎ合わせたようなものではダメ。自分なりの理解を論理立てて書き上げても、「論理の飛躍がある」「乱暴な一般化である」と真っ赤に添削されて返ってくる。

■ハーバードでのどん底体験があるから辛いことでも耐えられる

あとは学生同士のディベートの授業。スパルタ訓練みたいで、もう心身ともに疲労困憊して、好きだった理系科目も嫌いになり、最初の学期が終わった時点で燃え尽きちゃった。

寮にはいるけど半分不登校みたいになって、夏休みもほかの学生がサマースクールやインターンに行っている間ぼんやり部屋にいて。休みが明けて次の学期が始まった頃にはますます差がついて。同じような学生はほかにもいました。ハーバードではよくあることで、燃え尽きた学生向けのカウンセラーが学内にいるんです。

結局3年、学校を休み、リセットしました。復学したあとは、電子音楽と映像を組み合わせた前衛芸術を研究することにしました。ちょうどそのころ前衛アニメーションの女王といわれた人がハーバードで教えていて、僕のための特別コースを作ってくれました。それで卒業できたんです。大変だったけど、ハーバードでのどん底の体験があるから、どんな辛いことでも耐えられるという自信がつきました。

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モーリー・ロバートソン 国際ジャーナリスト、コメンテーター
1963年ニューヨーク生まれ、広島育ち。家族構成は、アメリカ人で医師の父親と、日本人でジャーナリストの母、弟。1981 年に東京大学、ハーバード大学、イェール大学、スタンフォード大学など複数のアメリカの名門大学に合格。東大は1学期で退学し、ハーバード大学へ入学。その後、ラジオパーソナリティー、ミュージシャン、国際ジャーナリスト、コメンテーターとして活躍。

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(国際ジャーナリスト、コメンテーター モーリー・ロバートソン 文=川口 昌人)

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