キネ旬ベスト・テンがヒット作を無視するワケ
プレジデントオンライン / 2019年11月1日 15時15分
■一世紀生き残った「世界最古の映画雑誌」
『キネマ旬報』という雑誌を知っているだろうか。「キネマ旬報ベスト・テン」というアワードでその名を聞いたことがある人もいるだろう。でも、買ったことのある人は限られているかもしれない。なぜなら、とても本格的でツウ向けの映画情報誌だから。
「キネ旬」は、今年創刊100年を迎えた世界最古の映画雑誌だ。『ぴあ』や『ロードショー』といったライバル誌が次々と休刊・廃刊するなか、「キネ旬」は一世紀、生き残った。
そこで今回、第二次世界大戦(!)、テレビの台頭、出版不況や電子化といった時代の荒波をくぐり抜け、一貫して硬派な映画情報を送り届けてきた「キネ旬」の激動史をまとめた書籍『キネマ旬報物語』(愛育出版)を上梓した、城西国際大学メディア学部招聘教授で学部長の掛尾良夫さんに、キネ旬独自の“生き残り術”を聞いた。
■「キネ旬は儲かんない」翻弄されてきた歴史
高校時代の1966年に読者になり、1978年にキネマ旬報社へ入社。2013年まで編集者・取締役の立場で同社に携わってきた掛尾良夫さんは、人生の半分をキネマ旬報社に捧げたキネ旬の生き字引的存在だ。
実は私も2013年まで同社に在籍していたので、掛尾さんは大先輩でもある。その思いや貢献度は足元にも及ばないが、自分にもキネマ旬報社には一言では言えないさまざまな感情がある。
というのも同社は、経営者たちの都合で従業員たちが振り回され続けてきた苦い歴史があるからだ。
「『キネ旬は儲かんないよ』って言ったのね。親会社のギャガ・クロスメディア・マーケティングを上場しようとしたのだけど、子会社のキネ旬は重荷となって足を引っ張ってしまう」
苦笑いしながら掛尾さんが放ったこの言葉は、2007年にキネマ旬報社の株主となったベンチャーキャピタルに向けたものだ。
1970年代には超大物総会屋の上森子鐵(かみもり・してつ)氏が社長に就任。上森氏の死後は、西友グループの出版社を皮切りに、角川書店、ギャガ・コミュニケーションズ、ベンチャーキャピタルと、規模もジャンルも異なる企業の傘下になった(現在は、中央映画貿易グループの傘下)。そして社員たちは経営陣が変わる度、その方針に翻弄(ほんろう)された。
■『冬ソナ』ブームで“ヨン様”のかつらを販売
「出版や映像業界にうとい株主だと、『キネ旬が蓄積してきた映画データをもっと活用しろ』とか『新しいジャンルを開拓しろ』とか言う。つまり、古くからいる我々はキネ旬のリソースを使い切っていないと指摘するんです。キネ旬に過大な可能性を期待して、もっと儲かるはずだと責めたてられたわけですが、引き分けにはできても、大きな利益をあげるには限界があった。
株主からは試合放棄しているように聞こえるかもしれないけど、キネ旬は“キネ旬らしくあれ”という固定観念を読者、業界から持たれ、そこから逃れられず、結果儲かりそうな事業もできない。『冬のソナタ』がブームになったときはペ・ヨンジュンのかつらを売ってかなりヒットしたけど、冒険できてもそれくらい。
『映画プロデューサー・クリエイター育成講座』(※1)とか『映画検定』(※2)とか、“キネ旬らしさ”があるものだと一定の利益をあげられる。しかし、キネマ旬報社が、他の出版社ならベストセラーになるような、例えば星占いの本を出したって絶対に売れない。
(※1)セミナー事業
(※2)キネマ旬報社が2006年から行っている、映画の歴史や作品などの知識をはかる検定事業
その一方で、キネ旬のスポンサーになることに関心を持つ人はいつの時代にもいました。
“世界最古の映画雑誌の経営者”って肩書には文化的な香りがあるし、キネマ旬報社って名前には格調高いイメージもある。それに引き寄せられるんでしょうね。名前は明かせないけど、ものすごく売名欲の強い起業家とか、良からぬ商売で身を立てた人とかが名乗りあげてきたことも一度じゃなかったな」
■興行収入ランキングとまったく違う「ベスト・テン」
掛尾さんの言う“キネ旬らしさ”の説明をしたい。
最初に「キネ旬」は非常にツウ向けの映画誌であると紹介した。どれくらいツウ向けかを知っていただくと“らしさ”がおわかりいただけると思うので、昨年の邦画で、キネマ旬報ベスト・テン(※3)と興行収入ランキングを見比べてみよう。
(※3)1924年度から続いている(戦争で一時中断)映画賞。その年を代表する「日本映画」と「外国映画」を、映画評論家や日本映画記者クラブ員などの投票で選出する。
人気テレビドラマの映画版や漫画原作など、誰もがその名を知る作品が興行収入ランキングを占める一方、キネマ旬報ベスト・テンは高い作家性を持った小規模作品が大半で、タイトルを見てもどんな映画かわからない人の方が多いかもしれない。そして両方のランキングに入っている作品は是枝裕和監督の『万引き家族』のみ。
この乖離(かいり)こそが、“キネ旬らしさ”なのである。
■「作家性」を気にするような人しか買わない
「興行収入TOP10に『菊とギロチン』や『きみの鳥はうたえる』が入っていないように、キネマ旬報ベスト・テンに入るような作品は、かなりの映画好きじゃないとなかなか見に行かないでしょ。
でもキネ旬が扱う映画はアート系の作品が多いわけで、『映画秘宝』(※4)ともまた違う。
(※4)映画評論家の町山智浩氏らが95年に立ち上げた、洋泉社発行の映画雑誌。扱う作品はアクション大作やSF、ホラーなどが多い。
極端なことを言えば、『コード・ブルー』とか『銀魂』を見る人の多くは、作家性などということは気にしないですよね。だから、そういったマニア向けの情報が載っている『キネ旬』は買わないわけだ。
あとこれは僕がいた時代の話だけど、社員は、給料は安いけれども好きなことができるという意識でやっていたと思う。監督や脚本家と映画について語り合うのが楽しいので、創刊70周年とかの記念号で、皆で分担して広告取りに行こうとなっても、まあ編集部員には不評だった。編集者がやりたいことをやり、それを一定の読者が読むという構造が年とともに縮小していったので、次第に利益は減少する。そして減った分を他の事業で補填することもできないので、儲からなくなるのは致し方ない(笑)」
■雑誌よりも「SNSの口コミ」がヒットを左右する時代
古巣への辛口な意見を口にする掛尾さんだが、著書の中ではその歴史をじっくりと、そして愛情深く語っている。
1919年、当時のエリート高校生たちによって創刊されたキネマ旬報の偉業はたくさんあるが、それまで存在しなかった「映画批評」という概念や定義、また職業をも生み出したことは、もっと知られてもいいはず。「キネ旬」がなければ、淀川長治も生まれなかったのだ。
しかしそんな映画評論も、SNSの台頭で岐路に立たされている。今や映画のプロのお墨付きより、名もなき人々の口コミが興行収入を左右するようになったからだ。
「当初は異端と見られたおすぎが映画評論家としてブレイクし、映画ファンから注目されるようになったのは、映画会社に忖度(そんたく)しない、歯に衣着せぬ、忌憚のない毒舌が支持されたからだった。そしておすぎが宣伝部も無視できない存在になったのは、活字や言葉の影響力があったから。しかし、今はそもそも活字の評論を読む人が圧倒的に少なくなってきている。だから映画の宣伝部は評論家がなにを書こうが、その影響にほとんど注意を払わなくなってしまった」
■「ツウ向け」と「万人受け」の両軸でやっていけばいい
活字離れに加え、読者や業界がイメージする「“キネ旬らしくあること”がキネ旬の可能性を狭めている」と語る掛尾さんに、それでも100年存続できた理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「『キネ旬』を続けなくちゃいけないっていう人がやっぱりいるんですよね。だからこそ看板商品である『キネマ旬報』は今のまま、“らしさ”をとことん突き詰めていけば良いと思う。それと合わせて、今もやっているけど、メジャーのエンタテインメント大作映画を扱ったムックや書籍も出して、2軸体制でやっていくのが手堅いやり方なんでしょうね」
■映画産業の問題に発言していくのが「今、やるべきこと」
「そもそもこの話はキネマ旬報社だけじゃなく、日本の映画産業の今後の話にも通じることですね。
今、邦画は大手映画会社が作る大作と、それ以外の小規模作品の2極化が加速している。去年大ヒットした『カメラを止めるな!』が、300万円の制作費で30億円の興行収入を上げたことで話題になったけど、300万円で映画を作るということは、まともな労働環境だったらありえない話。
僕自身、大学で映画を教えているのですが、今、大学で映画を学んで、卒業後、映画の仕事で生活ができる、結婚して子供を育てることができるという環境に進める人はわずかです。卒業後、映画の現場に飛び込みながら、数年後には去っていく人も少なくなく、それを、彼らが根性がないからだと責められない。これでは日本映画界の将来を支える人材は尽きてしまう。
作家性の高い低予算映画と、大手映画会社が手掛ける超大作というパラレルな構造をどうしていくのか。
キネ旬を創刊した若い編集者たちは、活弁不要論だとか、映画業界の問題を誌面で取り上げて提言していた。100年間、映画業界を牽引してきた雑誌だからこそできる発言があると思うし、それこそが今、キネ旬がやるべきことだと思う。僕はそんなキネ旬の誌面が読みたいんですよね」
城西国際大学メディア学部招聘教授・学部長
1950年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。「キネマ旬報」編集長、キネマ旬報映画総合研究所所長、WOWOW番組審議委員、NHKサンダンス国際賞国際審査員などを歴任。現在、和歌山県、田辺弁慶映画祭ディレクター、『デジタルコンテンツ白書』編集委員、京都映像企画市審査員などを務める。
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編集者・ライター
1983年生まれの編集者・ライター。TV制作会社を経て出版社に勤務。その後フリーランスとなり、書籍やフリーペーパー、映画パンフレット、広告、Web記事などの企画・編集・執筆をしています。ネタを問わず、小学生でも読める文章を心がけています。オフィシャルサイト
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(編集者・ライター 小泉 なつみ)
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