なぜ朝日は産経社説に正面から反論しないのか
プレジデントオンライン / 2019年10月26日 11時15分
■産経社説が「朝日の主張には心底あきれる」と批判
産経が朝日にかみついた。10月18日付の産経新聞の社説(主張)が、「朝日はヘイトを許すのか」という見出しを掲げ、朝日新聞の社説を酷評している。
「朝日新聞は16日付社説で『〈日本へのヘイト〉との批判』を『あきれる話だ』と難じた。ヘイト行為に目をつむる朝日の主張には心底あきれる」
産経社説は朝日の主張のどこが「ヘイト行為に目をつむる」と怒りかつあきれているのか。産経社説を冒頭から読んでみよう。
「ヘイト(憎悪)表現が罷(まか)り通った愛知の企画展が終わった」と書き出し、「国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』の企画展『表現の不自由展・その後』である。問題のある作品が展示されたのは異様だった」と続ける。
産経社説は「ヘイト表現が罷り通った」や「異様だった」という表現を使って「表現の不自由展・その後」の企画展そのものを手厳しく批判する。
産経の怒りの発端は、この企画展にある。
■「表現の不自由展・その後」は開幕からわずか3日で中止に
「あいちトリエンナーレ2019」は8月1日に開幕した。しかしその中の企画展「表現の不自由展・その後」で、慰安婦問題を象徴する少女像や昭和天皇とみられる写真を燃やす映像などが展示されていたことから、抗議の電話やメールが殺到した。「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」と脅迫するFAXも届いた。
実行委員会会長の大村秀章・愛知県知事は開幕からわずか3日で企画展の中止を決定した。異常な事態である。
その後、愛知県が設けた有識者による検証委員会が、再開を提言する中間報告を発表した。これを受け、閉幕まで約1週間となる10月8日に企画展が再開された。展示内容は中止前の同じだったが、混乱を避けるため見学者の人数は制限され、見学は抽選となった。そして10月14日、企画展を含むすべての展示は終了した。
■産経社説は「天皇や日本人へのヘイト表現」と断言する
産経社説に戻ろう。
「昭和天皇の写真を何度も燃やし、最後にその灰を土足で踏みにじる動画がそうである。昭和天皇とみられる人物の顔が剥落(はくらく)した銅版画の題は『焼かれるべき絵』で、解説には戦争責任を『日本人一般に広げる意味合いがある』とあった」
「韓国が日本非難に用いる、『慰安婦像』として知られる少女像も並んだ。英文の解説には、史実でない『性奴隷制』とあった」
「『時代の肖像-絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳-』という作品は、出征兵士への寄せ書きのある日の丸が貼り付けられていた。作品名の英文などを直訳すれば『馬鹿な(間抜けな)日本趣味の円(まる)い墓』だ」
産経社説はこうした指摘を並べた後、こう断言する。
「『日本国の象徴であり日本国民統合の象徴』である天皇や日本人へのヘイト表現といえる。だから多くの人々があきれ、憤った」
■「ヘイト」で朝日を揶揄、攻撃、挑発したい産経社説
こうして読み進めると、「朝日はヘイトを許すのか」(産経社説の見出し)の意味が理解できる。産経社説は企画展「表現の不自由展・その後」での作品の一部が天皇や日本人に対するヘイト表現だと強調したいのである。
だが待ってほしい。これまでのヘイトとは言葉の用い方が違う。
ヘイトとはヘイトスピーチのことだ。日本でよく知られるようになったのは、韓国や韓国の人々への暴言を非難するためだった。その後、韓国だけでなく、他の特定の個人や集団などを差別・攻撃する言動にも使われるようになった。
それゆえここは産経社説のように「天皇や日本人に対するヘイト表現」と書くよりも、「非常識な表現」とした方が分かりやすいし、適切だ。
産経社説はあえてヘイトという言葉を使ったのだ。皮肉を込めた言葉で、朝日社説を揶揄している。つまり朝日社説を挑発しているのだ。
■「ヘイトスピーチ解消法」のどこに欠陥があるのか
さらに産経社説は朝日社説を攻撃する。
「平成28年成立のヘイトスピーチ(憎悪表現)解消法に依拠するつもりなら乱暴な話で説得力はない。同法は、日本以外の出身者やその子孫への不当な差別的言動の解消を目指している。その解消自体は当然としても、同法には日本人を守るべき対象としていない大きな欠陥がある」
ヘイトスピーチ解消法を取り上げることで、朝日社説の反論に予防線を張ったのだ。しかしここまで書くと、自らの社説の欠陥をあらわにしてしまう。産経社説は墓穴を掘ったのである。
ヘイトスピーチ解消法はネットの台頭とともに顕著になってきた、日本以外(特に韓国)の民族に対する差別・攻撃的発言を規制対象にしている。それは決して欠陥などではない。どうして産経社説は「欠陥だ」と言い切れるのか。説明が足りないし、我田引水である。
■「朝日への攻撃」ありきで、企画展を取り上げたのか
最後に産経社説はこう主張する。
「そもそも法律以前の話でもある。左右どちらの陣営であれ、誰が対象であれ、ヘイト行為は『表現の自由』に含まれず、許されない。この当然の常識を弁(わきま)えず、天皇や日本人へのヘイト行為を認める二重基準は認められない」
「ヘイト行為は『表現の自由』に含まれず、許されない」。まさにその通りだ。
だが、今回の企画展は、本当に表現の自由を問うものなのか、それとも単なるヘイト表現なのか。その点についてはさまざまな意見を取材したうえで、論じる必要がある。産経社説はそうした取材に基づいているのだろうか。沙鴎一歩には、朝日社説への攻撃がまず先にあり、その攻撃のための材料として企画展を取り上げたように思えてならない。
それではなぜ産経は朝日を攻撃するのだろうか。答えは簡単だ。今回の産経社説を書いた論説委員は朝日の主張が嫌いなのだ。産経新聞社の論説委員室には自分と違う考え方に耳を傾けようとする寛容さが欠けている。
■朝日社説は芸術ならすべて許されると考えているのか
ここからは肝心の朝日新聞の社説(10月16日付)を読んでみよう。
冒頭部分で企画展を「入場が抽選制になるなどの制限は残ったが、不当な圧力に屈しない姿勢を示せたのは良かった」と評価し、こう主張する。
「一連の出来事は、表現活動をめぐる環境が極めて危うい状態にある現実を浮き彫りにした。引き続き問題の所在を探り、是正に取り組む必要がある」
そういうなら産経社説の攻撃に真っ向から反論して「問題の所在」をしっかりと探るべきではないか。
朝日社説は「騒ぎの発端は、作品を見ることも、制作意図に触れることもないまま、断片情報に基づく批判が開幕直後に寄せられたことだった」とも書くが、産経社説が問題視する、天皇や日本人に対するヘイト表現に対する抗議も「断片情報に基づく批判」とみなすのか。朝日社説は芸術であればすべてが許されるとでも考えているのか。
10月24日時点で、朝日社説は産経社説に対し、正面からひと言も反論していない。
■朝日社説は天皇や日本人に対する非常識表現をどう考えるのか
続いて朝日社説は文化庁を批判する。
「とどめは文化芸術を守るべき文化庁だ。9月下旬になって、内定していた補助金の不交付を決めるという暴挙に出た」
「行政が本来の道を踏み外し、暴力で芸術を圧殺しようとした勢力に加担した。そう言わざるを得ない」
「美術、文学、音楽を問わず、既成の概念や価値観をゆさぶる作品が、次の時代を切り開き、自由で多様な方向に世界を広げる原動力になってきた。それが否定されてしまえば、社会は閉塞状況に陥るばかりだ」
権力に対抗しようとする姿勢は新聞の社説にとって欠かせない。だが「暴力で芸術を圧殺」の表現は強すぎるのではないか。
「既成の概念や価値観をゆさぶる作品」とまで企画展「表現の不自由展・その後」の作品を評価するが、天皇や日本人に対する非常識とも思える表現も、その評価に含めたいのだろうか。そこが読んでいてよく分からない。
産経社説は「天皇や日本人へのヘイト表現」と批判しているが、朝日社説はその批判にどう答えるのか。朝日社説の反論が読みたい。
■「『日本へのヘイト』との批判もあきれる」と朝日社説
朝日社説は「慰安婦に着想を得た少女像や昭和天皇を含む肖像などが燃える映像作品に対して、『日本へのヘイト』との批判も飛び出した。これもあきれる話だ」と書く。
この朝日社説が掲載された2日後、沙鴎一歩が冒頭に書いたように産経社説は「ヘイト行為に目をつむる朝日の主張には心底あきれる」とかみついた。
もっともこれよりも早い時点で、産経社説(10月9日付)はこう書いている。
「再開された8日は、警備を強化し、入場人数も制限された。しかし展示内容は変わっていない。脅迫は論外としても、広範囲に起こった批判を実行委員会が真剣に受け止めたとは思えない」
「昭和天皇の肖像を燃やす動画の展示などは、日本へのヘイト(憎悪)そのものである。なぜ多くの人が憤ったか。あまりに軽く考えてはいないか」
朝日社説の「『日本へのヘイト』との批判」とはこの産経社説を指したのだろう。朝日社説はこの時点で、「産経社説によると」と明記すべきだった。
■あきれるだけでなく、反論しなければ、議論は前進しない
さらに朝日社説は書く。
「表現の自由への過度な制約にならぬよう、規制すべきヘイト行為とは何か、社会全体で議論を重ね、定義づけ、一線を引いてきた。明らかにそれに当たらない作品をヘイトと指弾することは、蓄積を無視し、自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論でしかない」
10月18日付の産経社説は「どこに一線を引くのかこの社説は語っていない」とも批判し、さらに「ヘイトスピーチ解消法は欠陥だ」と指摘する。朝日社説はこのあたりをどう考えているのか。きちんと答えてほしい。
最後に朝日社説はこう主張する。
「ゆるがせにできない課題が数多く残されている。閉幕で一件落着ということにはできない」
ならばこそ、である。産経社説に反論してほしいと思う。そうすることで議論が深まり、私たちの社会が良い方向に前進していくからだ。
■産経がかみついてきた事実を無視するのは納得できない
「社説は新聞の看板だけど、そのためには力のある社説、常に闘う社説でなければならい。その相手は強力な権力であったり、不健康なナショナリズムであったりと、いろいろだが、闘うためにはその作戦を練り、大いに知恵を働かさなければならない。社説の闘いとは世論の陣地取りだと心得ている」
かつて朝日新聞の論説主幹を務めた若宮啓文氏の著書『闘う社説 朝日新聞論説委員室 2000日の記録』(講談社、2008年10月発行)にはこう書かれている。
同書によると、朝日新聞論説委員室規定の第4条には「論説主幹は社説に関するすべてを取り仕切る」とあるという。
朝日社説のすべてを取り仕切ってきた若宮氏は「社説は常に闘うべきだ」と主張してきた。果たしていまの朝日社説は闘っているだろうか。
産経社説に突っ込まれ、批判されている。ここはしっかりと反論すべきである。このまま産経がかみついてきた事実を無視し続ければ、議論が深まらないばかりか、両紙を読み比べている読者としても納得できない。読者不在だ。
「新聞社説は闘うことを忘れてはならない」。社説が新聞の看板であるからこそ、沙鴎一歩もこう主張する。
(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)
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