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南場智子「DeNAはマッキンゼーを超えている」

プレジデントオンライン / 2019年11月8日 9時15分

DeNA会長 南場智子氏

DeNAの時価総額は約3000億円。創業者の南場智子氏は、世界でもっとも成功した女性起業家の1人だ。ただ、ここまでの道のりは苦難の連続。それでも挑戦はやめない。2019年7月には100億円規模の起業家支援ファンド「デライト・ベンチャーズ」を立ち上げた。はたして、日本からGAFA級のベンチャーは生まれるのか。田原総一朗が迫った!

■始まりは、父親からの逃走だった

【田原】今日お会いできるのを楽しみにしてきました。会う人が皆、「南場さんはおもしろい!」って言うからね。さっそくですが、これまでの歩みを教えてください。過去のインタビューを読むとお父様が厳しい方だったそうですね。どんなご職業だったんですか?

【南場】地元の新潟で、それなりの規模がある中小企業の雇われ経営者をしていました。会社優先で家にほとんどいなかったですね。平日の夜は麻雀で、土日はゴルフをしていましたね。

【田原】大学は津田塾大学ですね。

【南場】親は地元の新潟大学に行ってほしかったようです。でも私は新潟を離れたかった。都心から離れて寮のある女子大なら親も出してくれるというので、津田塾大学に入学しました。

【田原】4年生のときに、米国のブリンマー大学に留学される。

【南場】東京の大学に来ていても、なんとなく親に見張られている感覚があったんです。父は英語がいっさい喋れないので、米国まで行けば絶対に追いかけてこられない。そう思って留学しました。実際、渡米して初めて自由になれた気がしました。

【田原】向こうの大学はどうでしたか?

【南場】学生がみんな、田原さんみたいでした。政治や経済について自分の意見を持っていて、侃々諤々と議論をするんです。そのころちょうど大統領選があって、「ロン(ロナルド・レーガン)はね」と候補者のことをファーストネームで呼んでいたのもびっくりでした。

南場智子●1962年、新潟県生まれ。大学4年次に米ブリンマー大学へ留学。帰国後マッキンゼー・アンド・カンパニーへ入社。ハーバード大にてMBA取得。96年マッキンゼーでパートナー(役員)に就任。99年DeNAを創業。2017年3月に代表取締役会長に就任した。

【田原】世界だとそれが普通でしょう。学生が政治に興味を持っていないのは日本くらいのものです。

【南場】米国のエリート大学生はみんなデモクラッツ(民主党支持)。でも当時、経済については大きな政府より小さな政府に対する支持が強かった。ケインズには否定的な人が多かったです。

【田原】いまでも米国の大学生は民主党で、アンチ共和党ですかね?

【南場】大学やIT業界も含め、エリート層は多様性への寛容を非常に重視します。マイノリティへの差別に対する反発は強いので、いまもデモクラッツじゃないですかね。

■マッキンゼーを選んだ理由

【田原】大学卒業後はマッキンゼーにお入りになった。どうしてですか?

【南場】直接のきっかけは、憧れていた先輩がマッキンゼーに入って、「南場さんも受けなさい」と言ってくれたことでした。じつは私、コンサルティングが何なのかよくわかっていなかったんです。でも、当時から競争率は高くて、みんなが行きたがる会社ならいいところなのかなと。

【田原】コンサルティングをやりたくてマッキンゼーに入ったんじゃなかった。

【南場】はい。私はとにかく一生懸命働きたかったんです(笑)。私が帰国して就活していたのは、男女雇用機会均等法施行の1年目。でも、日本企業は女性総合職といっても形だけのところが多い印象でした。外資系なら男女分け隔てなく使ってくれるんじゃないかと思って、その中でもとことん仕事ができそうなマッキンゼーを選びました。

【田原】住友銀行のドンだった頭取の磯田一郎が構造改革をしたとき、コンサルティングを頼んだのがマッキンゼーでした。天下の住友が米国の会社に頼むのかと驚いた記憶があります。それからマッキンゼーには注目していますが、いろんな人材を輩出していますね。今度外務大臣になった茂木(敏充)さんがマッキンゼーだ。

【南場】茂木さんとは一緒に働いています。当時はよくご指導いただきました。大先輩です。

【田原】南場さんはどんな仕事を担当していたのですか?

【南場】最初の2年間は、分析や情報収集。ほんとによく働きました。それからハーバードのビジネススクールに留学しましたが、ハーバードが息抜きに感じられるくらいでしたから(笑)。

【田原】そんなに忙しかったの?

【南場】大変でしたよ。一日2~3時間眠れればいいほう。土日に寝だめしましたが、それでも丸一日寝ているわけにはいかずに出社。私はあまり要領がよくなくて、仕事ができるほうではなかったせいかもしれません。

■順調に出世していたのに、独立して起業

【田原】留学から戻ってきてからは?

【南場】たとえば企業の成長戦略や構造改革の戦略をつくっていました。それからパートナーになって、会社全体の方針を決定したり、東京オフィスのマネジメントをやったりしていました。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】順調に出世していたのに、1999年に独立して起業される。どうして辞めたんですか?

【南場】マッキンゼーはすごく気に入っていました。やりたいことは大体何でもできたし、グローバルにも仲間がたくさんいましたから。でも、人の商売に横から口を出すだけではなく、自分でやってみたいと思っちゃったんです。

【田原】コンサルに限界を感じた?

【南場】限界を感じたというより、もっとおもしろいことをやりたくなったというほうが近いですね。

【田原】具体的には、どういう事業をやろうとしたのですか?

【南場】最初はオンラインオークションです。当時はヤフーオークションもなかったし、eBayも日本に参入していなかったので。マッキンゼーの後輩2人を誘って、3人で起業しました。

【田原】どうして2人は南場さんについてきたんだろう?

【南場】それはわからないですけど、籠絡できました(笑)。じつはその後オークション事業はしばらく赤字でしたので、マッキンゼーで順調に進んでいた2人を引っ張りこんじゃって、申し訳ないことをしたなと。

【田原】何が原因だったんですか?

【南場】ヤフーに先にオークションを始められてしまいまして。ヤフーは米国にシステムを持っているからゼロから開発する必要はなかったし、ポータルサイトを持っているからユーザー獲得も楽です。またほかの事業で利益をあげているから、ユーザーに無料でサービスを提供できた。一方、私たちはゼロからの開発で、お客さんを連れてくるのに広告を出さなくてはいけません。資本金に限りがあるからサービスも有料。どれも最初からわかることばかりですが、当時はそんなこともわからなかった。業界では「あいつはいったい何をやってんだ」と笑われていました。

【田原】そこからどうやって復活を?

【南場】ネットショッピングを追加しました。オークションはCtoCですが、ショッピングはBtoC。リアルに店舗を持っているような企業に、私たちのオークションサービスに店を出してもらい、ユーザーに買い物してもらうサービスです。これはすごくうまくいって、すぐに黒字化しました。

【田原】2006年に「モバゲータウン」を始められる。

【南場】モバゲーは、携帯電話のSNSです。ユーザーがモバゲーというサイトに集まって、アバターとかゲームを楽しんだり、誰かと共通の話題で盛り上がってコミュニケーションを取ります。これもうまくいって、会員数が5000万人以上になりました。

【田原】そういうアイデアは誰が考えるのですか?

【南場】私じゃないですよ。うまくいったサービスは、社員が考えてくれたものばかりです。

【田原】そこがおもしろい。伊藤忠商事の社長だった丹羽宇一郎さんは、「日本のサラリーマンは経営者の意に沿うことしか言わない」と言っていました。東芝の粉飾だって社員はわかっていたけど、誰も何も言わなかった。それが日本の普通の会社だけど、DeNAは社員が自分のアイデアを話すんだ。

【南場】会社が沈みそうだったからじゃないですか。なおかつ、トップが天才ではなく、「南場の言うことは正しい」と思わせるようなカリスマ性もない。だから社員は自分たちで必死に考えるしかなかったんでしょう。

【田原】トップがそういうことを言えるのもおもしろい。自分に欠陥があると堂々と言える経営者は日本にほとんどいません。海外だと、グーグルの共同創業者、セルゲイ・ブリンが同じことを言っていたかな。取材したのは20年以上前ですが、「自分は欠陥だらけの人間だから、社員たちにアイデアを出してもらう必要がある。20%ルールも、そのためにある」と言ってました。

【南場】格が違うので一緒にされると困ります。私が言っていたのは、「この船はこのままだと沈むぞ。死ぬほど働いて助けてくれ!」でしたから(笑)。

■野球チームを持って、会社が大人になった

【田原】DeNAは大きく成長したものの、11年、南場さんはご主人が病気になって、看病のために代表を退かれる。これも日本の企業では珍しいですね。

【南場】ブン投げるようにして無責任に辞めたので、自慢できる話ではないんです。ただ、当時からチームで意思決定をしていて、私がやっていた判断はほかの人でもできる状態にはなっていました。

【田原】残念ながらご主人は5年後にお亡くなりになる。その後また代表に戻られましたね。

【南場】最初の2年は家にいましたが、3年目からは状態がよくなってきたので常勤で会社に戻り、亡くなった後に代取に戻りました。ちょうど会社が苦難の時期にありまして……。

【田原】WELQのキュレーションサイトの事件ですね。

【南場】私が記者会見をしたのは、主人が亡くなった2日後でした。

【田原】いま思い返すと、あの事件はどうして起こったんですか?

【南場】管理が甘かったんです。小さな会社を買収しましたが、買収後にしっかり経営をするということを甘く見ていたんだと思います。

【田原】もう1つ、辞めている期間のことでお聞きしたい。プロ野球の球団を買収したのが11年。これも南場さんがいない間でした。

【南場】DeNAにとっては素晴らしくいいことでした。それまでDeNAは、赤字になって潰れるかもしれないと思って、自分たちの成長のことばかり考えてきた。でも球団というファンのいる公共のものをお預かりして、12球団が集まった中の1メンバーとしてプロ野球を盛り上げていくんだという意識を持てた。公(おおやけ)感とでも言えばいいのかな。それまで足りなかった意識を持てて、少し大人になれました。ただ、買収は右腕のCFO(買収時は会長)だった春田(真氏、現ベータカタリストCEO)が言い出しっぺで、私は最初反対していたんですけどね。

【田原】そうなんですか?

【南場】春田は野球が好きで、TBSさんが手放すかもしれないという話に飛びついたんです。それに対して「そんな派手なことをやる必要はない。地に足をつけて地味に本業をやろうよ」というのが私の反応。1年目は春田も諦めてくれました。しかしその後、私は看病で退任。その間も追いかけていたようで、2年目に社長の守安(功氏)と一緒にやってきて、「ぜひやりたい」と。懸念事項を2人にいろいろぶつけてみたら、彼らはちゃんと答えられたので、「じゃあ、思っているとおりにやったら?」という話になりました。

■最下位の下はない。上に上がるしかないからおもしろい

【田原】そのころ球団は何位くらい?

【南場】ずっと最下位です。横浜スタジアムも閑古鳥が鳴いていました。

【田原】最下位球団を買っていいの?

【南場】いいんです。田原さん、最下位の下はないんですよ。上に上がるしかないからおもしろいじゃないですか!

【田原】なるほど。球団はもう黒字?

【南場】黒字です。それに加えて、お客様の喜んでいる顔が見えることがよかった。ネットって閉じてるじゃないですか。それが悪いことではないですが、お客様が喜んでいる表情が見えにくいんですね。でも、球団を持ってそれがリアルに見えた。それだけでも涙が出るくらいに感動しました。

【田原】ところで、いまDeNAはゲーム以外にもいろいろやっていますね。

【南場】そうですね。モビリティやヘルスケアもやっているし、スポーツも野球だけじゃなくてバスケットやランニングクラブもやっています。最近は横浜市庁舎街区の再開発を応札して、他のパートナーさんたちと一緒に開発する予定です。ゲーム以外にも手広くやってます。じつはDeNAという社名のeはeコマースを意味していましたが、ピボットするうちにeコマース事業は少なくなりました(笑)。

■ここ20年で日本からはGAFAが生まれなかった

【田原】海外展開はどうですか?

【南場】人気のゲームタイトルは、世界で何億人もユーザーがいます。ただ、1度海外進出で失敗しているんです。米国企業を買収して大展開しようとしましたがうまくいかなかった。いま大きな支社は上海だけです。

【田原】どうして失敗したの?

【南場】これも買収後のマネジメントが原因ですね。買収先の経営陣と本当にワンチームになれるかというところが難しくて。逆に上海の支社がうまくいっているのは、日本と中国をよく理解した人材がトップにいて、いい体制を築けたからです。

【田原】トランプは、下手に中国に行くと知的財産をぜんぶ盗まれると言っていますね。そのへんはどうですか。

【南場】私たちのやっているゲームも違法コピーされているし、中国は人材の流動性が高く、わが社の社員が退職後にわが社の手法で事業をやるケースもあります。でも、目くじら立ててもしょうがない。そもそも私たちの強さの源泉は、どんどん進化していく力。だからいまあるものを盗まれても怖くないですね。

【田原】19年夏、南場さんは100億円規模のファンド「デライト・ベンチャーズ」を組成しました。なんでいま始められたんですか?

【南場】創業して20年が経ちます。その間米国のGAFAは急拡大しましたが、日本からはその規模の会社が出てこなかった。そんな会社を支援したいと思っています。DeNAはこれまで数多くの新規事業をスピンアウトさせてきました。その取り組みを加速させて、社内外で起業家を輩出する枠組みとしてファンドをつくりました。

【田原】そういえば、この連載でもDeNA出身の起業家に何人か会いました。優秀な人材が外に出ていくのはマイナスじゃないんですか。

【南場】全然マイナスじゃないです。流動的な社会が私の理想。自分たちだけでやる時代はもう終わりで、次はもっと内外で緩やかにつながり合って、世の中に届けるデライトの総和を最大化していく時代になると思います。出ていった人とも緩やかなつながりで応援し合っているうちに、DeNAの表面積も拡大していく。むしろメリットが大きいです。

【田原】なるほど。DeNAはマッキンゼーに似てるね。マッキンゼーで働いたことはキャリアになるけど、DeNAもそう。日本のマッキンゼーだ。

【南場】DeNA出身者といったら、もう入れ食い。アドバイスをするのと自分でやる人は違うので、マッキンゼーは超えていると言いたいですね(笑)。

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田原 総一朗(たはら・そういちろう)
ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

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南場 智子(なんば・ともこ)
DeNA会長
1962年、新潟県生まれ。県立新潟高校卒業後、津田塾大学へ入学。4年次に米ブリンマー大学へ留学。帰国後マッキンゼー・アンド・カンパニーへ入社。ハーバード大にてMBA取得。96年マッキンゼーでパートナー(役員)に就任。99年、DeNAを創業。2017年3月に代表取締役会長に就任した。

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(ジャーナリスト 田原 総一朗、DeNA会長 南場 智子 構成=村上 敬 撮影=枦木 功)

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